『楠町史』によると、楠町の慰霊碑について次のように説明されています。
村会議事録に依ると最初に出て来るのは、明治33年5月23日、官有地払下げを受け(総縄511,7歩)西南の役よりの記念碑を建立したと記してある。各字ともおそらく終戦前後、一、二転しているが現存している。楠村全体の記念碑建立は明治39年楠小学校の中に建立許可が出た。終戦で進駐軍より指令があり一時土中に埋めたのを来教寺に移転祭っている(後略)
この中で、楠町最初とされる明治33年の記念碑についての詳細は不明です。現存する慰霊碑のうち西南の役の戦死者が記されているのは、楠郷総社神明社の「忠死紀念碑」と、楠町北一色の「報恩碑」ですが、いずれも戦後再建されたものと思われます。