小説キャナルタウンは平成24年9月8日の兵庫運河祭から始まる物語です。
小説の最初の章は「小説キャナルタウン 1 兵庫運河祭 回転橋の謎(2016.11.14)」で引用してあります。
小説キャナルタウン他9話を収録した「団地小説短編集」は明舞書店(明石市松が丘2丁目3-7 明舞団地 松が丘ビル
2階 ザ・ダイソー明舞団地店 西隣)で好評発売中ですのでぜひお読み下さい。
平成24年9月8日の兵庫運河祭は途中から雨になります。「博」は傘のない「祐子」を相合い傘で家に送って行きますが
父母の勘違いにより話は急展開します。その因果ではないのでしょうが兵庫運河祭はあまり天気に恵まれなせん。雨こそ降り
ませんが昨年に続いて今年も曇天です。
兵庫運河祭は夏の終りに開催されてましたが、去年は神戸開港150年のプレイベントとして神戸市中央卸売市場本場の
市場まつりと「午前・午後」のセットで11月6日に行われました。(写真上)そして今年は、写真上の工事中の「イオン
モール神戸南」のグランドオープン(9月20日)に合わせて9月23日に開催されました。
新川運河の両岸にプロムナードが完成
新川運河の両岸にプロムナードが完成し新しい賑わいが生まれました。イオンモール側も同じ名前のキャナルプロムナード
のようです。少し長いですが兵庫運河のまとめですので紹介します。
兵庫運河の歴史
兵庫運河をつくることになった背景
和田岬の北側あたりの海岸は、かって「大輪田泊」、「兵庫津」と呼ばれ、古くから貿易が盛んにおこなわれていました。
しかし、西から兵庫の港(のちの神戸港)に入る船は、波や風の強い和田岬をまわらなければならず、多くの船が海難事故
にあいました。
兵庫運河ができるまで
1874年(明治七年)7月、船が安全に避難できるような泊地を作るとともに、あわせて荷揚場などを設けて、貿易を
しやすくすることを目的に新川の開削工事が始まり、1876年(明治九年)5月、新川運河が完成しました。
続いて、1893年(明治二六年)に「兵庫運河株式会社」が設立され、1896年(明治二九年)から新川運河と東池尻
の海岸を結ぶ運河を掘る工事に取り組んでいきました。
1899年(明治三二年)にようやく完成した「兵庫運河」は、航路として、船を波や風から守る避難泊地として、さらに
荷揚場として大きな役割を果たしました。また、兵庫運河を掘ることで生じた土砂を用いて、近くの浅瀬を埋め立ててできた
のが「苅藻島」です。
その後、1931年(昭和六年)に苅藻島運河、新湊川運河が完成し、現在ではこれら4つの運河(兵庫、新川、苅藻島、
新湊川)を総称して「兵庫運河」と呼んでいます。この「兵庫運河」は水面面積約34㏊の日本最大級の運河です。
ベンチやテーブルが有りカフェテラスにもなっています。ボートがありましたが飾りで売り物ではないようです。
キャナルタウンウエスト7号棟(左側のタワー)が見えます。去年の兵庫運河祭の「水上レストラン経ヶ島」(最初の写真)
は仮設でしたが本設の経ヶ島が出来ました。Pier(埠頭)とあります。遊覧船でも運航するのでしょうか。
兵庫運河祭のプログラムです
何処かで見た顔の人形があります。すべて地元の各種団体の出店ですので安いですよ。
去年の人気ナンバーワンのラーメンは今年も健在でした。チャーシュー有り200円、チャーシュー無し100円です。
キャナルレガッタ神戸による、ボートの練習の機械を利用した体力測定です。成績優秀者が張り出してあります。
「兵庫津・光の運河」
あたりが暗くなると、商標登録「いのり星」10000個が新川運河投入されひかひかりの運河が出現しました。
「いのり星」はプラスチック球の中にLED電球と太陽光パネル・蓄電池が内蔵され着水すると発光します。
後ろの建物は今は募集されていませんが現存する兵庫県で一番古い賃貸住宅「切戸町アパート」です。いずれ特集します。
南西から入江橋方向の光の運河です。左が兵庫運河祭、右がイオンモール神戸南です。
カフェテラスのシルエットとイオンモール神戸南が川面に映って新しいビューポイントが出現しました。
縁の下の力持ち
僅かな流れによって集まった「いのり星」をまた上流に戻します。夜光虫にまみれた漁船のように綺麗です。
トリはいつも神戸・清盛隊
結成から7年もはやプロの領域です。 もしかしてプロ?
小説の最初の章は「小説キャナルタウン 1 兵庫運河祭 回転橋の謎(2016.11.14)」で引用してあります。
小説キャナルタウン他9話を収録した「団地小説短編集」は明舞書店(明石市松が丘2丁目3-7 明舞団地 松が丘ビル
2階 ザ・ダイソー明舞団地店 西隣)で好評発売中ですのでぜひお読み下さい。
平成24年9月8日の兵庫運河祭は途中から雨になります。「博」は傘のない「祐子」を相合い傘で家に送って行きますが
父母の勘違いにより話は急展開します。その因果ではないのでしょうが兵庫運河祭はあまり天気に恵まれなせん。雨こそ降り
ませんが昨年に続いて今年も曇天です。
兵庫運河祭は夏の終りに開催されてましたが、去年は神戸開港150年のプレイベントとして神戸市中央卸売市場本場の
市場まつりと「午前・午後」のセットで11月6日に行われました。(写真上)そして今年は、写真上の工事中の「イオン
モール神戸南」のグランドオープン(9月20日)に合わせて9月23日に開催されました。
新川運河の両岸にプロムナードが完成
新川運河の両岸にプロムナードが完成し新しい賑わいが生まれました。イオンモール側も同じ名前のキャナルプロムナード
のようです。少し長いですが兵庫運河のまとめですので紹介します。
兵庫運河の歴史
兵庫運河をつくることになった背景
和田岬の北側あたりの海岸は、かって「大輪田泊」、「兵庫津」と呼ばれ、古くから貿易が盛んにおこなわれていました。
しかし、西から兵庫の港(のちの神戸港)に入る船は、波や風の強い和田岬をまわらなければならず、多くの船が海難事故
にあいました。
兵庫運河ができるまで
1874年(明治七年)7月、船が安全に避難できるような泊地を作るとともに、あわせて荷揚場などを設けて、貿易を
しやすくすることを目的に新川の開削工事が始まり、1876年(明治九年)5月、新川運河が完成しました。
続いて、1893年(明治二六年)に「兵庫運河株式会社」が設立され、1896年(明治二九年)から新川運河と東池尻
の海岸を結ぶ運河を掘る工事に取り組んでいきました。
1899年(明治三二年)にようやく完成した「兵庫運河」は、航路として、船を波や風から守る避難泊地として、さらに
荷揚場として大きな役割を果たしました。また、兵庫運河を掘ることで生じた土砂を用いて、近くの浅瀬を埋め立ててできた
のが「苅藻島」です。
その後、1931年(昭和六年)に苅藻島運河、新湊川運河が完成し、現在ではこれら4つの運河(兵庫、新川、苅藻島、
新湊川)を総称して「兵庫運河」と呼んでいます。この「兵庫運河」は水面面積約34㏊の日本最大級の運河です。
ベンチやテーブルが有りカフェテラスにもなっています。ボートがありましたが飾りで売り物ではないようです。
キャナルタウンウエスト7号棟(左側のタワー)が見えます。去年の兵庫運河祭の「水上レストラン経ヶ島」(最初の写真)
は仮設でしたが本設の経ヶ島が出来ました。Pier(埠頭)とあります。遊覧船でも運航するのでしょうか。
兵庫運河祭のプログラムです
何処かで見た顔の人形があります。すべて地元の各種団体の出店ですので安いですよ。
去年の人気ナンバーワンのラーメンは今年も健在でした。チャーシュー有り200円、チャーシュー無し100円です。
キャナルレガッタ神戸による、ボートの練習の機械を利用した体力測定です。成績優秀者が張り出してあります。
「兵庫津・光の運河」
あたりが暗くなると、商標登録「いのり星」10000個が新川運河投入されひかひかりの運河が出現しました。
「いのり星」はプラスチック球の中にLED電球と太陽光パネル・蓄電池が内蔵され着水すると発光します。
後ろの建物は今は募集されていませんが現存する兵庫県で一番古い賃貸住宅「切戸町アパート」です。いずれ特集します。
南西から入江橋方向の光の運河です。左が兵庫運河祭、右がイオンモール神戸南です。
カフェテラスのシルエットとイオンモール神戸南が川面に映って新しいビューポイントが出現しました。
縁の下の力持ち
僅かな流れによって集まった「いのり星」をまた上流に戻します。夜光虫にまみれた漁船のように綺麗です。
トリはいつも神戸・清盛隊
結成から7年もはやプロの領域です。 もしかしてプロ?