ヒルネボウ

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『七つの子』を読む

2025-02-02 23:35:04 | 評論

       『七つの子』を読む

〈詩を理解する必要はない〉と主張する人がいる。さらには、〈理解は鑑賞の妨げになる〉とまで嘯く人がいる。とんでもない。詩は、理解力が足りない人のための逃げ場ではないよ。

   七つの子

       野口雨情

烏(からす) なせ啼(な)くの

烏は山に

可愛(かわい)七つの

子があるからよ

「七つ」を〈七羽〉と誤解する人がいる。正しくは〈七歳〉だ。勿論、七歳の雛なんて、おかしい。

「可愛」は烏の鳴き声から。カアカア。

この詩は問答になっている。

  (夕暮れ。何事かを訴えるような烏の鳴き声がする)

子 (不安げに)烏、なぜ啼くの?

母 烏は山に可愛い七つの子があるからよ。

子 ? 

母 「可愛い、可愛い」と烏は啼くの。

(そう言いながら、母は子を抱き寄せる)

子 (擽ったそうに笑う)

母 山の古巣にいって見て御覧。(母が子の目を覗き込む)丸い目をしたいい子だよ。

七歳の子は甘やかされたくない。でも、甘えたい。この葛藤を母が作り話で和らがせる。「古巣」とは、母子分離以前の幼児期の記憶の代りだ。

こうした情景を想像できない人は、詩とは縁がない。

志村けんが歌っていた。

「烏、なぜ泣くの。烏の勝手でしょ」

七歳を過ぎた子が泣いていると、親がうるさがって「なぜ泣くの?」と詰問する。子は「勝手でしょ」と不機嫌そうに答える。

子供たちが狂ったように唱和していた。これは自立のための闘いの歌だったのだ。もう「古巣」には戻れない。いや、戻るものか。

ところが、エゴイズムの歌と勘違いした未熟な大人が、これを歌うのを禁じた。昭和は嫌な時代だった。

(終)