ヒルネボウ

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漫画の思い出 花輪和一(26) 『護法童子・巻之(二)』(双葉社)

2024-09-18 20:59:34 | 評論

   漫画の思い出

    花輪和一(26)

  『護法童子・巻之(二)』(双葉社)

「旅之六 空蝉」

「空蝉」について、確認。

「うつせみ」は「現(うつ)し臣(おみ)(人の意)」から「うつそみ」となり、さらに転じた語。「万葉集」で「空蝉」や「虚蝉」などの字があてられ、「せみのぬけがら」の意にも用いられるようになり、また、「はかないこの世」の意を表すことから、「世」「人」などにかかる枕詞(まくらことば)にもなった。

(『旺文社古語辞典』「うつせみ」)

日本人はニヒルが好きみたいだね。

智恵子は現身(うつしみ)のわたしを見ず、

わたしのうしろのわたしに焦がれる。

(高村光太郎『智恵子抄』「値(あ)ひがたき智恵子」)

蝉の抜け殻というのは、蛹の皮だ。成虫の抜け殻ではない。

ところが、「空蝉」では、成体から例の〈す〉のような文字、「ばん」かな、そんなのが抜け出す。この文字の意味を、私はまだ調べていない。金剛経の「オン・バザラ・ダト・バン」の「バン」なのだろう。「びちびち」は魚の跳ねる様子を表わす擬態語だろう。

本当はおれはこの肉体を脱(ぬ)いでいるんです

だから本当のおれはこのへんにあるんです

(「空蝉」)

この男は印を結んでいるように見える。だが、違うのだろう。

結局、護法童子は活躍せず、大日如来なのだろうか、ぺかぺかのでかいのがいて、勧善懲悪で終ってしまう。

何が何だか、さっぱり分らない。

(終)

 


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