ヒルネボウ

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夏目漱石を読むという虚栄 2130

2021-03-11 23:54:15 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2130 夏目宗

2131 若者宿

 

「先生」のP的含意は、〈「本当の父」のような「年長者」〉だろう。ただし、このように言い換えてしまうと、価値がなくなるようだ。ちなみに、「第二の親子」(『明暗』二十)も意味不明。「先生」という言葉の価値と、Sという人物の価値は、仕分けできない。

 

<坂本弁護士一家殺害事件の実行犯のひとりである岡崎(現・宮前)一明死刑囚は、「尊師は父であり母であるような人」と語ったことがある。現代社会では家庭機能における「父性」の役割がしばしば問題となる。その欠落を教祖たる麻原が埋めていた側面もまた忘れてはならない。

(有田芳生『文学的想像力の欠如が若者を今もカルトに走らせる』*)>

 

岡崎にとって、「尊師」の含意は「父であり母であるような人」だ。では、麻原と信者たちは、この含意を共有していたろうか。その可能性はなさそうだ。信者たちは、不安を抱えたまま、「尊師尊師」と合唱していたろう。不安な人々は合唱する。彼らは、不安な自分を愛するように不思議な麻原を愛したろう。麻原の罠に落ちたか。

「先生」という言葉のP的含意も「父であり母であるような人」だろう。だが、Sは、「先生」のP的含意をPと共有しようとしなかった。Pを自分に依存させるためだ。馬の前に吊り下げる人参。同じことを、PはQに強いている。読者も、Qのように、Pに依存しなければならない。そうでないと、『こころ』の言葉のおかしさには耐えられない。

 

<私は又軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。寧ろそれとは反対で、不安に揺(うご)かされる度に、もっと前へ進みたくなった。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」四)>

 

オウム真理教のサティアンなるものは、若者宿のようなものだったろう。

 

<若者宿あるいは娘宿として家屋の一部を提供する家の主人。一定年齢に達した若者、娘はその主人と宿親・宿子という儀礼的親子関係を結んで宿入りするところもあり、若者は毎晩宿に泊りに行くことで村人としての訓練を宿親から受け、さらに結婚に際しては宿親が仲人をすることが多かった。

(『ブリタニカ国際大百科事典』「宿親」)>

 

Pは、S夫妻の宿子のようになる。一種の「貰(もらい)ッ子(こ)」だ。Pは、夫に対して母性的な妻としてふるまえない静に息子として甘えることによって、彼女の母性を目覚めさせる。Sにとっての理想の妻として育った静を、PはSに提供する。その後、S夫妻に「仲人」をやってもらおうとしたか。

Pは、S夫妻の愛しあう様子を観察して、男と女のE関係を学びたかったようだ。自分の両親が不仲だからだ。

 

*『オウム全記録』(「週刊朝日」緊急増刊2012年7月15日発行)所収。

 

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2130 夏目宗

2132 「見付出したのである」

 

Pは、Sと出会う前から、「先生」と呼んでみたい人を探していたはずだ。

 

<私は実に先生をこの雑沓(ざっとう)の間(あいだ)に見付出したのである。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」一)>

 

「私」はPだ。「実に」の被修飾語が不明。

この時点のPは、Sのことをまったく知らない。だから、「見付出した」は不適当。

 

<入りまじっているものの中からある物を見わける。発見する。見出す。「人ごみの中から友人を―・す」

(『広辞苑』「見付け出す」)>

 

「君を見つけた この渚に」(鳥塚繁樹作詞・加瀬邦彦作曲『想い出の渚』)の「見つけた」を、岩谷時子が批判したそうだ。主人公の男子がプレイボーイみたいだからだ。

本文は、〈「見付出した」ような気がした「のである」〉などが適当だろう。語り手Pが混乱していないとしたら、作者が混乱しているのだろう。

「先生」のイメージを、青年PはSを知る前から思い描いていた。この「先生」を中心に、青年たちが円陣を組む。Pは、「先生」の一番弟子となって、その他大勢の弟子たちの上席に坐りたかった。Pは丸尾くん(さくらももこ『ちびまる子ちゃん』)なのだ。Nのファンも丸尾くんに違いない。ズバリでしょう。

ただし、語り手Pは、Sと出会う前の「先生」の像を思い出せない。Sと出会ったせいで、以前のぼんやりとした「先生」の像を具体的なS像が覆ってしまったからだろう。

『こころ』のファンも、『こころ』を読む前から、彼らなりの「先生」の像を思い描いているのだろう。『こころ』を読みながら、徐々に自分の「先生」の像にS像が、そして文豪N像が塗り重ねられていく。そうした体験が心地よいのに違いない。

 

<わたしは、世人の知る歴史を匿名の年代記の下に消滅させて、楽しんでいたのだった。

それは、透明な生活を営んでまったくひとめにつかず、孤独に生きて、世のだれよりも先がけて理(ことわり)を知っているひとたちだ。

(ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』)>

 

語り手Pは、この種の真相を聞き手Qに対して隠蔽している。ところが、「見付出したのである」という言葉によって〈隠蔽した真相がある〉という事実を露呈してもいる。Nの文章の基本的なスタイルだ。癖。辟易。

語り手Pは、記憶を失ったのかもしれない。あるいは、嘘つきかもしれない。語り手Pは複数の〈自分の物語〉を往還しているようだ。作者は、語り手Pを嘘つき、あるいは忘れっぽい人として設定しているのだろうか。不明。だから、『こころ』は読みづらい。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2130 夏目宗

2133 最上級の尊称

 

Pが瀕死の父を見捨てて上京することを美談として読むには、〈SはPの父だ〉という物語を重ねて読まねばならない。Sは、Pにとって神秘的な「本当の父」なのだ。二人は、そのことを徐々に認め合うようになっていくらしい。だが、二人とも公言しなかった。語り手Pさえ、彼にとって都合のいいはずの聞き手Qに対して明言しない。この物語は、暗黙の了解によって成立するものだからだ。作者も読者に対して暗示していない。暗示すれば、SもPも妄想家ということになる。明示すれば、『こころ』はファンタジーになる。

 

<筑前苅萱庄(かるかやのしょう)、松浦(まつら)の党総領、加藤左衛門繁氏(しげうじ)の子。13歳のときに、出家していた父の刈萱道心(どうしん)を高野山(こうやさん)に訪ねたが、父はわが子と知りながら名乗らずに別れる。のちに石童丸は母や姉と死別してから高野山に上り、苅萱の弟子となって道念坊と称したが、ついに親子の名乗りはせず、父子ともに同時刻に往生を遂げ、信濃善光寺の親子地蔵として祀(まつ)られる。

(『日本歴史大事典』「石童丸」関山和夫)>

 

青年Pの〈自分の物語〉の原典の一つは『石童丸』だろう。

石童丸は刈萱道心が父であることを知らなかった。だからこそ、「父子ともに同時刻に往生を遂げ」るという奇跡が起きたのだ。Pの〈自分の物語〉において同種の奇跡が起きるためには、「親子の名乗り」をしてはならない。Pが、〈Sは父であってほしかった〉などと思ったら、奇跡は起きないのだ。だが、実際には、思っていたろう。

誰かが「親子地蔵」の因縁を語った。同じように、誰かが〈SとPは神秘的な親子だった〉と語る。その誰かはQだろうか。あるいは、Rだろうか。どちらにせよ、そんなことが起きるとは考えられない。だが、どこかで誰かが〈SとPは親子だった〉と語っているようなのだ。その誰かは、『こころ』の読者だろう。作者にとって都合のいい読者だ。

〈SとPの神秘的な親子の物語〉は、きちんと終わっていない。読者は、これを補填して語り継ぐ義務を負わされている。

Pにとって、「乃木大将の死ぬ前に書き残して行(ママ)ったもの」(下五十六)は、Sの「遺書」と比べて、思想的に貴重ではない。Sは乃木よりも上なのだ。「渡辺崋山(かざん)」(下五十六)に匹敵しよう。Sの死後、PはSの一番弟子として故郷に錦を飾る。「兄」は父の葬儀の喪主だが、Pは「明治の精神」を体現したSの葬儀の喪主を務めたのだから、格が違う。SはPの実父より偉い。だから、Pは「兄」より偉い。

この物語の聞き手は誰だろう。Pの「兄」だ。また、「兄」のような俗物どもだ。作者の何かを「受け入れる事」(下二)ができる読者に擬態したまま、『こころ』の世界から抜けられずに生きている人は、『こころ』について語るとき、偉そうな顔をする。勘違い。滑稽。

死によって、SはKと合体し、そのSとPも合体して「新ら(ママ)しい命」(下二)を形成する。『こころ』の読者は〈P+S+K=N〉という奥義を感得すべきなのだろう。こうした神秘主義を〈夏目宗〉と呼ぶ。『こころ』は夏目宗の聖典だ。夏目宗において、「先生」は、〈尊師〉や〈主(しゅ)〉などに似た最上級の尊称なのだろう。

(2130終)

 

 

 


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夏目漱石を読むという虚栄 2120

2021-03-10 15:21:48 | 評論

夏目漱石を読むという虚栄

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2120 「先生」は意味不明

2121 「先生先生と呼び掛けるので」

 

S自身、最初の頃は「先生」と呼ばれて戸惑ったらしい。

 

<私が先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑いをした。私はそれが年長者に対する私の口癖だと云って弁解した。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」三)>

 

「苦笑い」の理由は不明。この私が笑われたようで、いらいらする。

「それが」は〈「それ」は〉が適当。「が」のままなら、〈「それが年長者に対する私の口癖だ」ということをお気づきにならないとは思いもよらなかった〉などとすべきだ。「弁解」に普通の意味があるとすれば、「苦笑い」は不快の表現だったことになる。「年長者」以外の条件を青年Pは隠蔽している。隠蔽にSは気づいている。「口癖」には、びっくり。

 

「癖(くせ)」は、もともと悪(わる)いことです。ところが、最近(さいきん)、「きちんとあいさつをする癖(くせ)をつけましょう」などど、よいことにも使(つか)われるようになってきました。これには、曲者(くせもの)もびっくりしていることでしょう。

(川嶋優『満点ゲットシリーズ ちびまる子ちゃんの読めると楽しい難読漢字教室』「曲者(くせもの)」)

 

「最近」が戦後なら、Pの「口癖」という言葉は自嘲の表現だろうか。

 

<先生とおだてているつもりの者を制する言葉。

(『広辞苑』「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」)>

 

「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」を思い出して、Pは「弁解した」のだろう。

 

<併し名前抜きの『先生』の呼称を以て、自分も怪ま(ママ)ず、仲間の間にもそれだけで通用して来(ママ)たのはただ二人だけである。一人は夏目先生、もう一人はケーベル先生。

(阿部次郎*)>

 

「先生」の安部的含意は不明。「自分も怪まず」は意味不明。名無しの「二人」を阿部の「仲間」は区別できるらしい。「ただ」と「だけ」は重複。『こころ』の本文も同じ間違いをしている。「先生」と呼ばれると、「その人」の株価が上がり、配当も増える。「二人だけ」なのを、なぜか、威張っている。常識的には〈「ただ」一人〉なのがめでたかろう。

「先生」の本家本元は「ケーベル」だろう。彼は「賜暇帰国などで講義を中断することもなく、文字どおり一身を講義と学生指導に捧(ささ)げた」(『ニッポニカ』「ケーベル」)という。「先生が疾(と)くに索寞(さくばく)たる日本を去るべくして、未(いま)だに去らないのは、実にこの愛すべき学生あるが為(ため)である」(N『ケーベル先生』)という伝説が流布されていたらしい。

Sは〈伝説の「先生」〉としてPに担がれたらしい。満更でもなかったか。

 

*唐木順三『漱石の周辺』より再引用。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2120 「先生」は意味不明

2122 「若々しい書生」

 

〈先生〉という呼称を、教師でも医師でも弁護士でもない人に用いると、誤解を招く。

 

<先生と呼んで灰吹(はいふ)き捨てさせる  (初・38)

  (気の付かぬ事〳〵)  (宝十二・梅3)

 

これも有名な句で、長屋に住む寺子屋の師匠などが、表には尊ばれて、裏では軽蔑されていることを、煙草の「灰吹き」で表現した句である。

(山路閑古『古川柳名句選』)>

 

〈先生〉は〈書生〉に対応する言葉だろう。

 

<その時私はまだ若々しい書生であった。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」一)>

 

「若々しい」には「馬鹿(ばか)気(げ)ている」(上六)という含意がある。「書生」には「他人の家に世話になり、家事を手伝いながら学問する者」(『広辞苑』「書生」)という意味がある。ただし、Pがこうした意味での「書生」だった様子はない。

 

<実際書生が代助の様な主人を呼ぶには、先生以外に別段適当な名称がないと云(ママ)うことを、書生を置いてみて、代助も始(ママ)めて悟ったのである。

(夏目漱石『それから』一)>

 

この「先生」の含意は「主人」だ。Pは、この含意をQに否定させようとしているか。

 

<これ実に他人の言葉です。他人の親切です。居候(いそうろう)の書生に主人の先生が示す恩愛です。

(国木田独歩『運命論者』)>

 

語り手は高橋信造で、「言葉」を発したのは、その父の高橋剛蔵だ。したがって、「主人」と対比されるのは〈父〉だ。つまり、〈先生=主人or父〉だ。

「先生」は隠語めいている。だが、隠語ではない。意味不明だからだ。

 

<隠語にはまた、他人にわからないことばを使うことで仲間意識を強める、特別なことばを考え出して使うことで単調さを破る、といった効用もある。「ゲルピン」(金に困っている状態)、「バックシャン」(後ろ姿美人)のような語では、その性格が強い。

(『日本大百科事典(ニッポニカ)』「隠語」尾上圭介)>

 

「先生」は「仲間意識を強める」という目的で用いられた隠語まがいの自分語だろう。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2120 「先生」は意味不明

2123 「先生先生というのは一体誰の事だい」

 

「知らんと云った事のない先生」(『吾輩は猫である』一)の「先生」という言葉には、からかいの気分がある。この「先生」が本物の教師だとしても、からかいの気分が認められる。

Sの呼称としての「先生」にも、からかいの気分が含まれているのだろう。ただし、それは、からかいの気分を逆手に取ったものだ。Pは、世間の人々のからかいの気分を逆転させ、その分だけ親しみを増大させているようだ。「先生」という呼称が不適切であることを十分に承知しているからこそ、あえてこの呼称を用いたのだろう。

語られるPは、Sを「先生」と呼んでいる自分を人々に見せつけることによって、〈Sを「先生」と呼べない人は愚かだ〉という暗示を試みていたのではなかろうか。そうした企図は、実際には成功しなかったので、Pは語り手に成り上がり、自分にとって都合のいい聞き手Qに向って師弟伝説を語っているわけだ。さらに、相方のQが素直に耳を傾けてくれている様子を、聴衆に妄想させている。このGは、『こころ』の読者と区別できない。したがって、作者は読者に対して虚偽の暗示をかけていることになる。

 

<「先生先生というのは一体誰の事だい」と兄が聞いた。

(夏目漱石『こころ』「中 両親と私」十五)>

 

Pの「兄」は、Pの魂胆を皮肉っぽく疑ってみせている。

 

兄 御前が「先生先生」とわざとらしく甘えたように呼んでいるのは一体どんな人だい。

 

「兄」は、Sの正体を疑うと同時にPの性根を疑い、師弟関係をも疑っている。「兄」が疑うのは、当然だろう。「兄」は普通の人だ。ところが、Pは「兄」を蔑む。そして、そんなPを、作者は蔑まない。そんな作者は変だろう。だから、『こころ』は変なのだ。

 

<「柿本先生の御返書です」

と、若者がきめつけるようにいい、書状を大治郎へ(ママ)わたした。そのことばづかいも非礼きわまるものだ。おのれの師を他人の前で「先生」と敬(うやま)ってよぶ。師は〔師父(しふ)〕ともいう。わが父同然の人を他人の前で敬称する(ママ)ことなど、ばかばかしいかぎりであるし、しかも「御返書」などともったいをつける。あきれはてたものだ。

(池波正太郎『剣客商売』)>

 

この「若者」と同様、青年Pも「あきれはてたもの」と評されてしかるべきだ。

大治郎は好青年として描かれている。『剣客商売』は、何度もドラマになっているし、漫画にもなっている。多くの日本人に愛されているのだろう。だから、日本人の常識では、自分の師を他人に向かって「先生」と呼ぶPは「あきれはてたもの」であるはずだ。

怪しげなPが語り手であるP文書を、普通の日本人なら、怪文書かと疑うはずだ。また、こんなおかしなPに尊敬されていたSの「遺書」にも信を置かないはずだ。

(2120終)

 

 

 


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夏目漱石を読むという虚栄 2110

2021-03-09 23:47:38 | 評論

夏目漱石を読むという虚栄

 

第二章 不純な「矛盾な人間」

 

<王さまの話は、はじまったばかりです。

はじまったばかりなのに、王さまは、もうたいくつしているのです。

なぜ? 

(寺村輝夫『王さまきえたゆびわ』)>

 

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2110 「私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた」

2111 「私(わたくし)」は意味不明 

 

『こころ』は、冒頭の第一文から意味不明だ。

『日本語の作文技術』(本多勝一)に、近代小説の書き出しが二十数例、紹介され、それに『こころ』が含まれている。ただし、「文豪が必ずしも「わかりやすい文章」の手本になるとは限らない」と断ってある。「文豪が」は〈「文豪」の書いたもの「が」〉の略だろう。

 

<私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」一)>

 

ウッとなる。「わたくし」と振ってあるからだ。この「私(わたくし)」はPだ。

 

<現代語としては、目上の人に対して、また改まった物言いをするのに使う。

(『広辞苑』「わたくし」)>

 

語り手Pに対応する聞き手Qは、Pの「目上の人」なのか。あるいは、P文書の語りの場では、「改まった物言い」をすべきなのか。

 

<近世においては、女性が多く用い、ことに武家階級の男性は用いなかった。

(『日本国語大辞典』「わたし」)>

 

Pは「武家階級の男性」みたいなのか。

ちなみに、「遺書」も「……私(わたくし)はこの夏」(下一)と始まる。

『硝子戸の中』(N)の「私」に仮名は振られていない。どう読むべきか。

『吾輩は猫である』では、勿論、「吾輩」が用いられている。なぜ、Pは「吾輩」を用いないのか。「おれ」(中十四)や「僕」(下四十一)でないのは、なぜか。

『草枕』(N)や『カーライル博物館』(N)などでは「余」が用いられている。この代名詞は「改まった、あるいはやや尊大な表現」(『日本国語大辞典』「よ【余・予】」)とされる。

『文鳥』(N)や『永日小品』(N)などでは「自分」だ。これも「男性が改まったときに用いる」(『日本国語大辞典』「自分」)とされる。

ところで、主語は、なぜ、単数なのか。〈私達〉などでないのは、なぜか。P以外にSを「先生」と呼ぶ人は皆無だったのか。静は「先生」(上十七)という言葉を用いている。だから、主語は〈「私(わたくし)」と「奥さん」〉などが適当なのではないか。

こうした含意はきちんと読み取らなければならない。「私(わたくし)」の含意が読み取れなければ、『こころ』の全体の雰囲気なども、うまく感じ取れないはずだ。Pの用いる「私(わたくし)」とSの用いる「私(わたくし)」の含意は同じか。違うのか。違うとすれば、どのように違うのか。

日本語の人称代名詞の含意が読み取れなければ、日常生活でも支障をきたすことになる。だからか、人称代名詞の使用は、日本ではできるだけ避けられる。二人称も、三人称も、特別の理由がなければ使われない。日本語は、ややこしい。

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2110 「私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた」

2112 「その人」と「常に」

 

「その人」はSだが、唐突にソ系の言葉が出てくると、面食らう。「その」は「話し手が相手と共通で話題にしている事柄などを指す」(『明鏡国語辞典』「その」)からだ。

 

<次にすぐ述べる事柄をさし示す。多く翻訳文などに用いる。「その名が忘れられない多くの友だちがいる」「その母親が医者であるところの友人」

(『日本国語大辞典』「その」)>

 

「翻訳文」みたいな堂々巡りのソ系の言葉はグレー・ゾーンを形成している。

 

<1とそれ自身以外の約数を持たない、1より大きな整数を素数という。

 

数学の教科書に出てくる素数の定義です、知識として素数を知っていても、この文は読みにくいな、と思う人も少なくないでしょう。ですが、この文はこのようにしか書けないので、どの教科書にもだいたいこの定義で書かれています。

「それ」の前に出てくる名詞は「1」しかありませんね。でも、「それ」が指すのは1ではありません。「整数」です。

(新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』)>

 

「読みにくいな」と思うような「どの教科書」も読みたくないな。

「この文はこのようにしか書けない」なんてことはない。「だいたい」は無責任。

 

<1より大きい整数で、1とその数自身以外に約数をもたないようなもの。

(『日本国語大辞典』「素数」)>

 

この文は読みにくくないな。「その数」は〈「前に出てくる名詞」句〉だ。

「常に」も困る。〈~であるときは「常に」〉の不当な略だが、〈あるとき〉が不明。

 

<シャーロック・ホームズにとって、彼女はつねに「あの女性」である。ほかの呼びかたをすることは、めったにない。ホームズの目から見ると、彼女はほかの女性全体の光を失わせるほどの圧倒的存在なのだ。とはいっても、彼がアイリーン・アドラーに対して、恋愛感情に似た気持ちを抱いているわけではない。

(コナン・ドイル『ボヘミアの醜聞』)>

 

この「つねに」は誤訳かもしれない。「めったにない」と矛盾するようだからだ。

ワトソンの語る「恋愛感情に似た気持ち」について、シャーロッキアンの間で「激しい議論の種になっている」(ベアリン‐グールド『シャーロック・ホームズ全集3』)そうだ。

Sに対するPの「恋愛感情に似た気持ち」についても論じられてきた。

 

 

2000 不純な「矛盾な人間」

2100 冒頭から意味不明

2110 「私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた」

2113 「呼んで」は二股 

 

〈「その人を」~「先生と呼んで」〉も、おかしい。

 

<「CヲDト呼ぶ」の形で、その事物CがDという名称であることを表す。

人々がCをDと呼ぶことは、DがCの呼び名として定着することでもある。

(森田良行『基礎日本語辞典』「よぶ」)>

 

語り手Sは、〈呼ぶ〉を次のように用いる。

 

<私はその友達の名を此所(ここ)にKと呼んで置(ママ)きます。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」十九)>

 

〈Sは「その友達」に向って《Kよ》と呼びかけた〉という話ではない。「此所(ここ)」だけの「名」だ。ただし、静は「Kさん」(下五十三)と言ったそうだ。無茶。

語り手Pは、〈呼ぶ〉によって、二種の物語を同時に、不十分に暗示している。

 

Ⅰ 〈PはSに向かって「先生」と呼びかけていた〉

Ⅱ 〈PはSのことを誰かに語るとき、「先生」という呼称を用いていた〉

 

 

「呼んでいた」には、〈今は「呼んで」いない〉という含意がある。P文書の語りの時点でSは物故者だから「いた」でよさそうだが、この含意はⅠでしか活きない。

 

<動作動詞でも、打消や「ている」「受身」などの付いた形は状態性を帯びて、回想意識が生まれる。

「あなたはうちわをかざして高いところに立っていた」(夏目漱石『三四郎』)

(森田良行『基礎日本語辞典』「た」)>

 

本文の「呼んでいた」は「回想意識」の表現なのかもしれない。その場合、Pは、Ⅰだけでなく、Ⅱをも回想していることになる。奇妙だ。

『三四郎』の「立っていた」は尻すぼみだ。つまり、「立っていた」は〈「立っていた」ことを私は覚えています〉などと補足したくなる。『こころ』の「呼んでいた」の場合、そうした印象はないのだが、語り手Pは中断しているのかもしれない。「先生と呼んでいた」は〈「先生と呼んでいた」ことを思い出す〉などと補足すべきなのかもしれない。

この場合、ⅠとⅡが混交しそうだ。「いた」という言葉には、〈呼びかけて「いた」〉と〈呼称を用いて「いた」〉という二つの物語を混ぜ合わせるような作用があるのかもしれない。そして、こうした朦朧とした印象を感得できる人は、書き出しの一文を読んだだけで陶然となるのかもしれない。語り手Pの混迷が聞き手Qを越えて読者に伝染するわけだ。

(2110終)

 

 


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ネンゴロ ~ビルマあるいはミャンマー

2021-03-08 23:01:42 | 学習

   ネンゴロ

~ビルマあるいはミャンマー

1886 いやでもやむなし。ビルマが英領植民地になる。

1942 ひどく死に。日本軍がジャワ・スマトラ・ビルマを占領。

1948 人、苦心、やっと。ビルマ独立。

1989 いくばくの思いか。国名をミャンマーに改称。

(終)

 


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シブダロク

2021-03-07 21:43:01 | ジョーク

  シブダロク

     作者行方不明

ハケサメノメノバラナムノ

ノチイトモノヒノコヲリヤ

(後略)


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