ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

一週間の仕事

2021-05-10 09:32:48 | ジョーク
   一週間の仕事
 
月曜日は月に着き 火曜日は火星で稼いで
水曜日は水星でスイム 木曜日は木星で黙想
金曜日は金星の近所 土曜日は土星で怒声
日曜日は日本に帰る
(終)

ヘロシです。 ~ヘロヘロ

2021-05-09 21:10:47 | ジョーク
   ヘロシです。
       ~ヘロヘロ
ヘロシです。
眠いのに眠れないとき、
『ヘロヘロ節』を歌います。
声は出さず、頭の中で。
歌詞は「ヘロヘロ」だけ。
メロディーは気まぐれ。
作詞作曲、
ヘロシです。
偉そうな口を利く人の前で、
『ヘラヘラ節』を歌います。
声は出さず、頭の中で。
作詞作曲、
ヘロシです。
電車の中で、
女の人の足首をチラ見しながら、
『チラチラ節』を歌います。
作詞作曲、
ヘロシです。
近くに人がいないとき、
ちゃんと声を出して、
『シネシネ節』を歌います。
作詞作曲、
ヘロシです。ヘロシです。ヘロシです。
(終)
 

夏目漱石を読むという虚栄 3110

2021-05-08 09:44:27 | 評論
    夏目漱石を読むという虚栄
第一部 『こころ』の普通のとは違う「意味」
第三章 窮屈な「貧弱な思想家」
 
<算数の時間は、ひきざんのれんしゅうでした。
28-5=  37-15=  56-18=  
王さまは、もんだいを見て、泣きだしたくなりました。
(あさのしょくじ)-(めだまやき)=(はらへった)
もんだいがそう見えてくるのです。
(寺村輝夫『はらぺこ王さまふとりすぎ』)>
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3110 『だくだく』
3111 『粗忽長屋』
 
意味不明の言説に関する意味不明の解釈を足して引いても掛けても割り切れはしない。
 
<しかししばらくしている中(うち)に、私の心がその物凄い閃め(ママ)きに応ずるようになりました。しまいには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでいるものの如くに思われ出して来たのです。
 
こうして『こころ』の内面は「外」から襲ってくる力に屈服する。『こころ』とは、こころの敗北、近代日本の内面の崩壊の痛ましい記念碑であった。
(中条省平『反=近代文学史』「第一章 夏目漱石———敗北する内面」)>
 
最初の引用は『こころ』からだが、例によって意味不明。「閃めき」を発する本体は「恐ろしい影」(下五十四)と呼ばれている。「影」は意味不明。
「外から来ないでも」とSは語るのだから、「「外」から襲ってくる力に屈服する」という中条の解釈は間違いだろう。ただし、本文が意味不明だから、間違いと断定することはできない。本稿1153を参照。
「こころの敗北」の「こころ」は、どうして平仮名かな。前の方に書いてあるのかもしれないが、こんな悪文を読み返す気にはなれない。「近代日本の内面」も「痛ましい記念碑」も意味不明。〈「近代日本の」~「崩壊の」~「記念碑」〉がどこかに実在するのかな。
 『酢豆腐』だろう。
 
<大正期に入ってからの漱石は、『行人(こうじん)』『こころ』『道草』『明暗』と、近代的自我や明治の精神への懐疑(かいぎ)と苦悩をさらに踏み込んで描こうとしていきます。大正五年(一九一六)に四十九歳で亡くなり、最後の『明暗』が未完となって、漱石の人生探求は道半ばで終わりました。しかし明治とともに歩んだその人生において、「いかに生くべきか」を徹底して掘り下げ、見事な文体によって表現した漱石の文学は、そのまま現代社会の私たちにも様々な示唆(しさ)を与えてくれます。
(森本哲郎『漱石の小説は「自分探し」の文学だ。』)>
 
「近代的自我」は意味不明。「明治の精神」の出典が不明。〈「近代的自我や明治の精神への」~「苦悩」〉は意味不明。「踏み込んで」は意味不明。
「人生探求」は意味不明。「道」は意味不明。「道半ば」と言えるのなら、森本は「道」の始まりと終わりを知悉しているのだろう。彼は「漱石」を凌駕したわけだ。
「明治とともに歩んだ」は意味不明。「生く」は古語。「近代的」ではないな。〈「「いかに生くべきか」を」~「掘り下げ」は意味不明。「徹底して」いたのに「道半ば」だったの? 「見事な文体」であることを証明せよ。森本のはどんな「文体」かな。
「自分探し」って『粗忽長屋』かい。探しに佐賀市に行くべきか。
「現代社会の私たち」は『だくだく』の二人かな。
 
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3110 『だくだく』
3112 『千早振』
 
以下、知っておくべき情報だが、面倒くさければ読み飛ばしてくれていい。
 
<「先生」はみずからの死を「明治の精神」に殉死したのだと説明しています。これはやや謎めいた説明で、このテキストだけからは、何を意味するのか、よくわかりません。推測を行えば、次のようなことを意味しているのでしょう。
(作田啓一『個人主義の運命』「第三章 日本の小説にあらわれた三者関係」)>
 
「殉死したのだ」なんて、ありえない。「遺書」の語り手Sは、言うまでもなく、まだ死んでいない。また、この時点の語られるSは、自殺の「決心」(下五十六)さえしていない。「説明して」いない。ひどい誤読というか、誤読以前の非常識。
「謎めいた」は誤読。
「よくわかりません」で留まるべきだ。SはPに対して「貴方にも私の自殺する訳が明らかに呑(の)み込めないかもしれませんが」(下五十六)と語っている。この懸念あるいは慢心は、作者のものだろう。だったら、読者はSの自殺の動機について理解すべきではない。
「次のようなこと」は、次のようなことと違わない。
 
<漱石は先述したように明治の精神を個人主義道徳の追求という方向へ転化させたのであり、明治日本に対する信頼感に支えられて個人の問題を次の世代に受け渡す覚悟を持ち得たのであり、また実際受け渡すことが出来たのである。即ち明治の精神に殉ずることによって個人の生き方を否定したのではなく、そのことによって個人の生き方を更に推し進める為の踏切台にしたと言ってよい。しかし漱石がここまで到達するには鷗外とはまた違った意味で紆余曲折のコースを辿っているのである。
(伊沢元美『明治の精神と近代文学』)――夏目漱石「こころ」をめぐって――」)>
 
『千早振』かよ。
 
<おそらく先生をおびやかしたKの黒い影は、先生自身の影であり、それは「自由と独立と己れ」の新しい日本の時代精神である。
Kを出し抜いて恋の勝利者となった先生は、「おれは策略で勝つても人間としては負けたのだ」と思ふ。この「人間として」の人間とは、「自由と独立と己れ」の「自己本位」としての人間ではない、己れを無にする伝統的な倫理観に支へられた人間である。そして、いくらか図式的にいへば、先生の勝利は、明治の近代日本の旧日本への勝利であり、「人間として負けた」といふ苦痛の感情は、近代がみづからの手で扼殺した過去の日本へのうしろめたい負い目を象徴してゐる。
(桶谷秀昭『明治の精神 昭和の心―桶谷秀昭自選評論集』)>
 
「Kの黒い影」は誤読。常識的には「先生自身の影」だが、Sにそうした考えはない。
(付記)「紅楼夢」(北京衛視)参照。
 
 
 
 
 
3000 窮屈な「貧弱な思想家」
3100 死に後れ
3110 『だくだく』
3113 神経病
 
「明治の精神」の真意は、俗語としての「神経衰弱」だ。
 
<石坂公歴にとっては、維新以後、日本民族の国家は、ひとときも安らいだ気持で見ていることのできない不安と危険な存在であったろう。つまり恒常的な危機意識――いつまでも民族の独立の完全な達成がえられないという焦燥感(中江兆民のいう外患に対する「神経病」)がかれらを苦しめ、一種の強迫観念としてかれら明治人の心を激しいものに駆りたてていたのであろう。それはじっさいに植民地化の危機があったか、なかったかという問題を越えた衝迫であったろう。
(色川大吉『新編 明治精神史』)>
 
同書によれば、中江兆民は「余も亦神経病者の一人なり」と書いていたそうだ。
 
<中枢神経系の機能障害をきたす病気のほか、解剖学的には異常の認められない神経症、精神病をも含めていうこともある。
(『日本国語大辞典』「神経病」)>
 
次は素朴な印象。
 
<乃木大将の自死には多くの議論がありますが、少なくとも『こころ』の中の「先生」は乃木大将に象徴される自死を“ブーム”と捉えて、それに乗っかっていたのではないでしょうか。乃木大将には、忠義や義理などといった“かっこいい”日本人男性のイメージがあります。それを自分にもちゃっかり投影させようとしているように思うのです。
 
「先生」は、ブームの先頭を走る自分を学生である「私」に見せつけ、「俺はイケてるだろう」といった具合にマウンティングしたのではないでしょうか。
(手塚マキ『裏・読書』>)
 
Sが「乗っかって」いるのではない。「乗っかって」いるのは作者だ。
『こころ』の作者は、「明治の精神」について、理解するのではなく、感得するよう、読者に要求している。作者は読者に対して「マウンティング」を仕掛けているのだ。
 
<「N閣下などはどうだろう?」
青年の顔には当惑の色が浮かんだ。
(芥川龍之介『将軍』)>
 
「N閣下」は乃木希典のこと。
明治四十年頃の「青年」は殉死を蔑んだ。『軍国美談と教科書』(中内敏夫)参照。
 
 
(3110終)
 
 

空しき願い

2021-05-07 11:33:38 | ジョーク
   空しき願い
 
Oh baby
俺の負けだ
諦めよう
巣籠りの日々なんて
もうたくさんだ
誰のせいでもありゃしない
みんな みんなが悪いのさ
STAGEが落ちるのを
何もせずに待っている
路上飲み 咎められ
それでもGAMANをしろか
Oh baby
Oh baby
もう それ以上 近寄らないで
辛子明太 俺だけに
なぜか 味気ない
誰のせいでもありゃしない
みんな みんなが悪いのさ
無理は承知の初めから
空しき願いの日々だった
(終)
 

夏目漱石を読むという虚栄 2550

2021-05-05 11:36:21 | 評論
   夏目漱石を読むという虚栄
2000 不純な「矛盾な人間」
2500 明示できない精神
2550 「主人(あるじ)」
2551 「父」と「叔父」とK

Sは父性に対して矛盾した思いを抱いている。

<――私は実際あの電報を打つ時に、あなたの御父さんの事を忘れていたのです。その癖あなたが東京にいる頃には、難症だからよく注意しなくっては不可(いけな)いと、あれ程忠告したのは私ですのに。私はこういう矛盾な人間なのです。或(あるい)は私の脳髄よりも、私の過去が私を圧迫する結果こんな矛盾な人間に私を変化させるのかもしれません。
(夏目漱石『こころ』「下 先生の遺書」一)>

「あの電報」は「ちょっと会いたいが来られるか」(中十二)といったもの。
「忘れていた」のだから、普通の意味の矛盾はない。

Ⅰ Pは死にそうな父のために実家にいるべきだ。
Ⅱ Pは死にそうなSのために上京すべきだ。

矛盾めいた考えがあるとすれば、〈Ⅰの物語とⅡの物語に近縁性がある〉と考えねばならない。つまり、PにとってPの父とSが代替可能であるばかりでなく、Sにとっても代替可能だと考えねばならない。Pの父が病んでいることを聞いて、Sは「私が代られれば代って上げても好いが」(上二十一)と言った。SはPの「本当の父」になりたがっているのだ。ただし、それは〈死ぬべき父〉だ。

<この位私の父から信用されたり褒められたりしていた叔父を、私がどうして疑が(ママ)う事が出来るでしょう。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」四)>

「この位」がどの「位」でも構わない。異様な語気が感じられたら十分。「父から信用されたり褒められたりしていた叔父」は、おかしい。「〈兄から「信用されたり褒められたりしていた」自分〉という〈「叔父」の物語〉がないからだ。ここは、〈「父」が信用したり褒めたりしていた「叔父」〉と語るべきだ。しかし、このように語れば、「父」の責任を問うことになりかねない。「私がどうして疑う事ができるでしょう」という質問は、父へ向けられたものだ。ここで語り手Sは亡父に対して恨み言を並べている。勿論、その自覚はない。この「私」は〈成人しても「父」を「疑がう事」ができない「私」〉の略だ。「叔父」に対するSの疑いは、「父」に対する疑いの再発だ。Sが父を本当に信じていたのなら、叔父に対する自分の疑いを疑ったはずだ。不都合でも「叔父」の言いなりになったことだろう。Sが「叔父」を疑ったのは、幼少期から「父」を疑っていたからだ。「叔父」は「父」の代理だ。「父」を疑うことは不孝なので、積年の恨みを「叔父」に向けたわけだ。
Sは誰かの「本当の父」になることによって「父」に復讐しようとした。自覚できない「父」との確執が、不十分な「叔父」との確執を経て、Kとの確執として実現した。






2000 不純な「矛盾な人間」
2500 明示できない精神
2550 「主人(あるじ)」
2552 倭文子と静子と静

『こころ』の作者が隠蔽した物語は、次のようなものだろう。

<相手の女性は、かれらの双方に無関心ではなかった。だが、いつまでたっても、はっきりした選択を示さないのだ。かれらはほとんど一時間ごとに、あまいうぬぼれと、胸をかきむしるような嫉妬(しっと)とを、交互に感じなければならなかった。今はもはやこの苦痛に耐えがたくなった。相手が選択しなければ、こちらで決めてしまうほかはない。どちらかが引きさがる? 思いもよらぬことだ。では、決闘だ。昔の騎士のように、いさぎよく命がけの決闘をしようではないか。と、ふたりの恋愛狂人の相談がなりたった。笑えない気違いざたである。
(江戸川乱歩『吸血鬼』)>

相手の女性の名は「倭(し)文子(ずこ)」という。
SとKは、静の前で「いさぎよく命がけ」の対決をすべきだったのだ。ただし、Sの考えでは、〈静が「どちらかを選ぶ」〉という問題は成り立たない。

<日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に気兼ねなく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。
(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」三十四)>

一般論をやって何になろう。「日本人」には当然〈「日本の若い」男〉も含まれる。男であるSも、男女関係において「習慣の奴隷(どれい)」(下十七)だったはずだ。「そんな場合」がどんな場合か、不明。「日本の若い女」は、〈プロポーズをしても握手をしてくれない〉というだけではなかろう。SとKのどちらに対しても、〈ごめんなさい〉さえ言ってくれないらしい。
本文は、次のような真相を隠蔽しているはずだ。

〈「日本人、ことに日本の若い」男である私は、「そんな場合に、相手に気兼ねなく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけの勇気に乏しいもの」だった「のです」〉

江戸川乱歩の最高傑作である『陰獣』の男女関係は異様だ。寒川と春泥(しゅんでい)は静子を取り合う。「しゅんでい」は、中国語の〈兄弟xiongdi〉の洒落か。
春泥は実在しないのかもしれない。春泥の正体は、静子かもしれない。そういう解釈を寒川がしたくなるように、春泥が仕組んでいるのかもしれない。『陰獣』は推理小説の枠を超え、幻想文学の趣を呈している。寒川は二重人格で、春泥は寒川の別人格かもしれない。
Sは、恋敵を必要とした。ところが、その自覚がない。Kは、実在しなかったのかもしれない。彼はSの「もう一人男」かもしれない。Kという男が実在したとしても、下宿にはやって来なかった可能性がある。勿論、そうした解釈を作者が望んでいる様子はない。
『吸血鬼』と『陰獣』は『こころ』の異本みたいだ。





2000 不純な「矛盾な人間」
2500 明示できない精神
2550 「主人(あるじ)」
2553 ナオミズム

Sは三角関係を必要とした。だが、同時に、忌避した。だから、Sは「矛盾な人間」を自認するわけだ。「矛盾」の真意は〈不純〉だろう。
彼は、自分自身の不純な「罪悪」としての欲望を自他に対して隠蔽し、〈「神聖な」「本当の愛」の物語〉を捏造し、その主人公演じようとした。そして、失敗し続けた。
Kを排除せずに「恋」を継続すれば、次のような物語になる。

<主人公河合譲治は(かわいじょうじ)は美少女ナオミを自分の思い通りに教育しようとするが、ナオミは毒々しいまでの美女に変身し、譲治を振り回す。「美しき強者」としての女性とその前に屈する男性という関係を描いた悪魔主義の代表作。大正期のモダニズムがふんだんに取り入れられており、ナオミはモダン・ガールの典型と見なされ「ナオミズム」という流行語まで生まれた。
(『近現代文学事典』「痴人の愛」)>

「ナオミズム」が〈大正の精神〉なら、「明治の精神」は〈マゾヒズムに憧れつつ恐れる「矛盾な人間」の異様な精神〉などと総括できよう。

<女と一所に草の上を歩いて行くと、急に絶壁(きりぎし)の天辺(てっぺん)へ(ママ)出た、その時女が庄太郎に、此(こ)処(こ)から飛び込んで御覧なさいと云った。底を覗(のぞ)いて見ると、切(きり)岸(ぎし)は見えるが底は見えない。庄太郎は又パナマの帽子を脱(ぬ)いで再三辞退した。すると女が、もし思い切って飛び込まなければ、豚に舐(な)められますが好(よ)う御座んすかと聞いた。
(夏目漱石『夢十夜』「第十夜」)>

〈昭和の精神〉だと、エロ・グロ・ナンセンスかな。

<二人の男性からされて、真美はすごく感じちゃった。それから、主人に体をもたれ(ママ)かかりながら、Kの手をピシャッと叩いてはずさせたの。そうするとKが真美のアソコを舐めるにはおすわりして舌だけうんと伸ばすしかないでしょ。奴隷にはその方がふさわしいと思ったのよ。その代り舐めやすいようにもっと股を開いてあげたわ……
(下川耿史『レター・セックスの快楽』)>

Sは、Kを排除するのではなく、「奴隷」にしたかった。自分が「主人(あるじ)」(下十六)になるために、Sは「奴隷」を従属させる必要があった。なぜなら、Sは自分自身をおぞましい「奴隷」として空想していたからだ。静の義務は、Sが「奴隷」ではないことを証明することだった。この仕事に静は失敗した。Kが死んだら元も子もない。
「明治の精神」に確かな意味はない。それは、複数の矛盾した〈自分の物語〉の主人公を演じようとしてしくじり続けながら、しかもそのしくじり具合を明示できない精神状態を、必死で隠蔽しつつも、ちょっとだけ露呈してしまった造語だ。夏目語。
(2550終)
(2500終)
(2000終)





夏目漱石を読むという虚栄
第二章 目次
2000 不純な「矛盾な人間」
 寺村輝夫『王さまきえたゆびわ』
2100 冒頭から意味不明
1 「私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた」
 「私(わたくし)」は意味不明/「その人」と「常に」/「呼んで」は二股
2 「先生」は意味不明
  「先生先生と呼び掛けるので」/「若々しい書生」/「先生先生というのは一体誰の事だい」
3 夏目宗
  若者宿/「見付出したのである」/最上級の尊称
4 「此所(ここ)」はどこ? 
  「ただ先生と書くだけで」/「受け入れる事」/「自分で自分の心臓を破って」
5 「本名は打ち明けない」
  「先生」はあだ名/「名もない人」/P的人間
2200 不自然な「自然」
1 第一段落を読む
  「世間を憚(はば)かる遠慮」/「筆を執っても心持は同じ事」/「呼び起すごとに」
2 不確かな「記憶」
  「記憶のうちから抽(ひ)き抜いて」/夢のような「記憶」/「ところがその晩に」
3 「良心」
  「私の自然を損なったのか」/「良心の命令」/「自然」と混乱
4 「私の自然」
  「平生」と「自然」/意志系/自然派と写生文
5 「記憶して下さい」
複数の「その人の記憶」/「こんな風に生きて来たのです」/見捨てられそう

2300 「恋は罪悪ですよ」
1 姦通罪
  『厭世詩家と女性』/不義はご法度/『みだれ髪』
2 「先生のいう罪悪という意味は朦朧(もうろう)として」
  「冷評(ひやかし)」/「恋の満足」/「黒い長い髪で縛られた時の心持」
3 「恋」
  「たとい慾を離れた恋そのものでも」/『ロミオとジュリエット』/『男組』
4 被愛願望
  女性崇拝/『罪と罰』/被愛妄想的気分
5 「本当の愛」
  「罪悪」かつ「神聖」/『近代の恋愛観』/「信仰に近い愛」
2400 「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」
 1 文豪は悪文家
   「向上心が」「精神的に」「ない」/立身出世/「精神的に」しか「向上心のないもの」
2 「馬鹿」の含意
  「さも軽薄もののように」/「恋の行く手」/「単なる利己心の発現」
3 「馬鹿」と「軽薄」
  「人間のどうする事も出来ない持って生れた軽薄」/死刑宣告/文豪は「馬鹿」だった
4 「ぐるぐる」
  不合理な二者択一/ドラマティック・アイロニー/「子供扱い」
5 継子いじめ
  『弱法師』/母性喪失症候群/『摂州合邦辻』
2500 明示できない精神
1 謎めいた『こころ』
  「自由と独立と己れ」と「明治の精神」/「家庭の事情」と「オタンチン、パレオロガス」/『ペ』
2 明治はまだ終わっていない
  「天皇に始まり天皇に終わったような気」/死ねば? /ボッチの夢
3 和魂洋才
  言文二途/分裂病的/造語
4 「継続中」の「精神」
  「どうかこうか生きている」/「外発的」/「不安」
5 「主人(あるじ)」
  「父」と「叔父」とK/倭文子と静子と静/ナオミズム