弁護士美和のブログ つづりまとめ

 弁護士 美 和 勇 夫

令和2年 年賀状です, 今年もよろしく!

2020-01-02 12:38:40 | Weblog
 
 

信長 “ 俺も、生かされている中で生きている、ということに気がつかなかったから、
      明智光秀にああいう目にあったのだ 
 


  

地獄から よみがえった 家康、秀吉, 信長 “ 


     < ユウチュウブ です>

https://www.youtube.com/watch?v=BmZN1mZAt1o



         

去年は多治見市虎渓山、森の家で、講談をやりましたが好評

 でしたので【信長の反省】を年賀状にしたてました。



① 徳川家康は・・・三代将軍・家光が、家康を奉ってくれている「東京上野東照宮」へ
  地獄から里帰りして,ご機嫌よく桜見物に興じていました。


  
②  そこへ、 秀吉があらわれて、家康に対し 

 “俺は、おぬしに 愛する息子『秀頼』 と 『茶茶』を大阪城

  で焼き殺され、おかげで成仏が出来ない
” と 責められます。



③  すると、信長が 地獄から登場。 信長の跡目を継いだ秀吉による「織田家の

    処遇」に怒ります。

   “ 秀吉! 家康にえらそうな口をきくお前は、俺の子孫を

     一体どうしてくれたか
? ”

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・









   関ヶ原の合戦の元兇にされた、京都 方広寺の釣り鐘です


    釣り鐘に書かれた、この8つの文字に家康が、

         ‘【国家安康】とはなにごとか!’ 

    “ 家康という文字のなかにという字をいれて、家康を分断し、釣り鐘をたたい

      て家康を呪っているのはけしからん!
 ”

        と 豊臣に難癖をつけ、関ヶ原合戦においこみます



     秀吉は、「信長の跡目」として、京都二条城で光秀に殺された【長男】

     信忠の子供、三法師(3才)をかつぎます。

     信長の【二男】を跡目と主張する、織田家・筆頭家老、

      柴田勝家
と対立します。 <賤ヶ岳の戦い>

     


     秀吉は、関白太政大臣となって天下をとり、三法師を家来として岐阜城へ

     追いやります。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする