自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

ロッテ・オリオンズ オリジナルTシャツ

2017-04-18 00:05:00 | 自作Tシャツ
NPBに興味を持ち始めた小学生の頃、違和感のあるユニフォームが2つあった。

横浜大洋ホエールズとロッテ・オリオンズ。共通点としてホーム用ユニフォームにニックネームが表記されていない球団であった。

横浜大洋ホエールズはホーム用ユニフォームに「YOKOHAMA」と地域名表記。当時はものすごく違和感があったが、MLBでも(2017年では)TEX、MIAが、インシャル表記ではNYY、DET、WSHがホーム用ユニフォームに地域名を採用しているのを考えれば、地域密着を全面に押し出し、今では前衛的なユニフォームであったと考えを改めざるを得ない秀作であった。

※PHIはホーム用ユニフォームにニックネームである「Phillies/フィリーズ」表記ではあるが、そもそも「Philly/フィリー」自体がフィラデルフィアの略称およびフィラデルフィア市民の通称であるため、こちらもホーム用に地域名表示と考えてもいいかもしれない。

もう一つ違和感があったのがロッテ・オリオンズのホーム用ユニフォーム。ホーム用ユニフォームにも関わらず、企業名のみ表記、商業主義丸出しでコンセプト最悪のユニフォームであった。(※1)当時はユニフォームのコンセプトを理解できていなかったので違和感程度だったが、年月を重ねるとともに嫌悪感すら感じるようになった。

(※1)【ロッテ・オリオンズ ユニフォーム概要】
①1969年~1972年:株式会社ロッテがスポンサー(1969~1970年までは今でいうネーミングライツ。1971年から正式な親会社)となり、球団名がロッテオリオンズに改称。ユニフォームは東京時代のスタイルを踏襲(ただし、紺→青になる)。ホーム、ビジター用共胸番号が消え、赤の「LOTTE」だけのシンプルものになり、「Orions」のロゴは左袖に移る(色は青)。背番号(赤色)はオリジナル書体。また帽子のマークがLとOとの組み合わせと★のマークがついたものになる。

②1973年~1991年:金田正一の監督就任に伴い、ユニフォームを一新。帽子・アンダーシャツが青から紺に代わる。また、金田のアイデアを取り入れたニット素材の特徴を生かし、肩、袖、パンツからボディにかけて、両サイドを紺で挟む赤の太ラインが入る。「LOTTE」の胸ロゴは紺色に赤の縁取りのゴシック体(背番号も同様)となり、「Orions」のロゴは消滅(基本ユニフォームとなるホーム用にも企業名のみを表記)。また、背番号の上に選手名が入り、胸番号が復活する(胸番号・選手名は紺)。帽子のLOと★マークに、赤の縁取りが入る。


ロッテ・オリオンズのキャップ購入に伴い、それに合わせるロッテ・オリオンズのTシャツを自作することにしたが、上記の理由から「LOTTE」表記のTシャツは作る気にはならなかったので、実際には日の目を見る事がなかった「Orions」のロゴを配したTシャツを自作してみた。

ロッテ・オリオンズ+「Orions」ロゴTシャツ


毎日、大毎、東京時代の「Orions」のロゴと比べ、多少のマイナーチェンジ(※2)はあるものの基本的な書体は球団創立以来から引き継がれているので、毎日オリオンズのキャップとも組み合わせ可能である

(※2)字体の変更はマイナーチェンジ程度だが、大きな変化は「i」の点が「★」に変更(東京時代中盤~)と「O」の形状(ロッテ時代の球団旗から)の変更

#3 榎本喜八(東京時代)



毎日、大毎、東京時代から受け継がれた「Orions」のロゴがロッテになりユニフォームから消滅してしまったことは残念としか言いようがないが、当時のパ・リーグの状況(不人気による慢性的な赤字経営)を考えればオリオンズを引き取ってくれたロッテが企業名を前面に押し出して広告展開するのも仕方ないか。更に言えば、ロッテはパ・リーグに現存する6球団では最長となる46年間(2017年現在)球団を保有し続けている。その事実に対しては、いち野球ファンとして素直に敬意を払わなければならない。

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