ということで『2019キャンドルナイトinモネの庭〜ひと夜の煌めき〜』だ。
こういっちゃあなんだが、そして自慢じゃないが、日本一のモネの庭ウォッチャーだなんだとうそぶきながら、夏の大人気イベントである「キャンドルナイト」へは未だ行ったことがなかった。つまり、はじめての「キャンドルナイト」である。
これまで、女房殿や娘からは「あれいいよー」と再三再四にわたって薦められながら拒否してきたのは、別にヘソを曲げているわけでも生来の天邪鬼ゆえでもなく、単にわたしにとっての興味の埒外にあったからで、「ふむふむそうかそうか、そのイベントをやることでお客さんがたくさん来てくれるならばけっこうなことじゃないか。ぼくはいかないがね」てなもんだった。
それゆえに、「今年は行く」という心持ちになったのも、「ではちょっとのぞいてみようかね」ぐらいの軽い気持ちであり、たいそうな決意があったわけでもなんでもない。
という、面倒くさく、かつ、まわり持った表現をすること自体が、どう見ても宗旨替えをすることに対しての言い訳なのだが、そこのところは見逃していただくとして、さて初「キャンドルナイト」はどうだったか。
結果、わたしのココロはほとんどといってよいぐらい動かされなかった。
やはりアレは、わたしにとっての「モネの庭」からは対象の外にある。
とはいえ、行けば行ったで貴重な発見はあり、結論は「行ってよかった」である。
なにが発見だったのか。
あれは「祭り」なのだということがわかったのだ。
「夏よさようなら、秋よいらっしゃい」という祭りなのである。
「祭り」に灯りはなくてはならないアイテムだ。
闇と灯りが表裏一体のセットとしてないと、祭りは「祭り」として成り立たない。
であるならば、池に浮かんだキャンドルと、その灯りを中心に置いたイベントは、いわば祭り界の王道だ。
してみるとアレは、あのキャンドルは大きくて不恰好だなとか、一つひとつのキャンドルがどうとかこうとかという類のものではなく、ましてや、コレのどこが幻想的なんだ、なんて感想を口にするのは野暮以外のなにものでもなく、アノ風景と雰囲気に身を置いて、それらを丸ごとセットで「祭り」として楽しまなければならないものなのだ。
あらあら、そう考えが至ると、俄然わたしのココロと身体が「祭りモード」に入った。
こんなステキな祭りを持っている村人たちなぞ、日本全国探しても、そうそういるもんではないぞ。
そう思えてきたのだから、まったくもって軽薄、調子がよいことこのうえない。
となると・・・
よし、これでいい。
これが祭りだ。
などと独りごちながら、中岡慎太郎先生顕彰会がつくった「ゆず胡椒マヨで食べる揚げたこ焼き」を肴に、「手作りパン工房」本日限定の生ビールを一杯一杯またいっぱい。
うん、来年もまた来よう。
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