申 叔舟(シン・スクチュ、しん しゅくしゅう、1417年(太宗17年)~1475年(成宗6年))朝鮮王朝初期の政治家。字は泛翁。号は希賢堂あるいは保閑齋。諡号は文忠。本貫は高霊。wikipediaより
臨終のとき成宗に対して「願わくば国家,日本と和を失うことなかれ」と述べ,日本との交隣の重要性を遺言したという。漢詩文も得意で,その詩文は死後『保閑斎集』としてまとめられた。世宗の訓民正音(ハングル)の制定にも寄与している。 (コトパンクより)
http://kotobank.jp/word/%E7%94%B3%E5%8F%94%E8%88%9F
室町時代中期の人物。朝鮮王朝前期の政治家。
現在のハングル語にあたる、訓民正音を提唱した一人でもある。(この時代に、漢語はあったがまだ、ハングル語は生まれてはいなかったのである。日本にはかな文字があった。)
1443年に、日本の京都に通信使として渡来している。1462年(世祖8年)には朝鮮王朝の最高官職である領議政となった。
このような人物が日本との和を失うことなかれと言われていたということに、(現在のかの国のあり方をみるにつけ)驚きを感じぜずにはいられないのだ。