Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 No. 1

2008年07月17日 23時36分05秒 | Weblog
皆さん、その後いかがお暮らしでしょうか?
しばらくブログをお休みしていました。 
まだ、次の寄稿の予定はございませんが、本日は、私のホームページを紹介させて戴こうと思い
このブログへ投稿して見ました。 
と、申しますのは、私は、海外旅行が大好きで、いろいろ旅行先の紹介をして来ましたが、
その原点である「ハワイ・東西センター」を、私のホームページに今までアップロード中の
渡航先へ最近追加したのでした。

URLアドレス:
以下のアドレスをコピーして戴き、Yahooなどのアドレスのところへ貼り付けて
クリックして戴ければ御覧になれる、と思います。

http://www13.plala.or.jp/jimmy119/

Jimmyの旅行アルバム

です。

御覧戴ければ私の後半生が分かりプロフィールにもなっている訳です。
私としては、自分史としても記録として残したかったのですが、結局、自己満足に
過ぎなかったのは止むを得ません。

それを、皆さんへ敢えて御紹介いたしましたのは、皆さんの御感想なり御批評を承りたく、
このブログを利用して皆さんのコメントが戴きたかったからです。

どうか、忌憚のないコメントをお寄せ下さい。
よろしくお願い申し上げます。 お待ちしています。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? 

2007年10月16日 08時09分15秒 | Weblog
平成19年6月22日(金)

その98

宮崎駅へ着いたのは、午後1時過ぎだった。

早速、今夜予約の「ホテルJALシティ宮崎」
まで、歩いて行った。駅前の一番広いメーン
ストリートを12、3分ばかり歩いて、右折
した所にあり直ぐ分かった。

どうやら、JAL(日航)は、全国に日航職員
や乗務員を初め旅行者向けのホテル・チェー
ンを展開しているようだ。

チェックインは、午後2時で少し早かったが、
快く部屋のキーが渡される。

部屋へ入り30分ばかり休憩した後、市街地へ
出て、マスコミで賑やかに報道されている宮崎
県の宮崎県庁へ行くことにした。

宮崎県庁へ行く目的は、言わずと知れた今春当
選した県知事である「そのまんま東」に会えた
ら嬉しいし、会えなくてもどんなところかな、
という好奇心からである。

写真は、県庁舎(本館)正門風景である。 

御覧の通り心配された空模様も雨が断続的に降
り始めていました。

門柱の右側にある表札をよく見ると「宮崎県廰」
の庁が(广+ 聴)となっていて、何故今更難し
い旧漢字が今尚使用されているのか、と不思議
に思っていたら、その理由があとで分かったの
ですが、それは「広く県民の声を聞くという意
味が込められている」のだそうです。中々旧漢
字にはそれぞれ意味が込められているのですが、
国語審議会で簡易体に直されてしまったのだが、
その結果を惜しむ方も多いことだろう。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? 

2007年10月13日 12時25分28秒 | Weblog
平成19年6月22日(金)

その95  

いよいよ、今日はこのホテル四季見ともお別れだ。

朝食を終えて部屋へ戻るとテーブルの上には
おこげのおにぎりが竹の皮へ包んで置いてあ
った。

ほんとに、暖かいこのホテルの心遣いには感激
したものだった。

午前10時にチェックアウトすると、ホテルか
らは送迎用の車で、高千穂バス・センターまで
送って
呉れた。

バスへ乗車すると、二人は延岡バスセンターで
下車して、今度はいよいよ日豊本線で延岡から

宮崎へ向かう。 

写真は、車窓から眺めた日南海岸近くを走る風
景だが、空はかなり暗く雨模様の気配だ。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年09月15日 08時16分53秒 | Weblog
平成19年6月22日(金) その59 

次は、2番目のうずめ鈿女の舞です。

天の岩戸の所在がはっきりしたので、岩戸
の前で面白くおかしく舞い、天照皇大神を
岩屋より誘い出そうとする舞であります。

舞台奥正面に黒色の岩戸が置いてあるので
すが御覧になれるでしょうか?

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月23日 09時44分41秒 | Weblog
平成19年6月22日(金) その29 

この「(あまのやすかわら)天安河原」で私は
数枚写真を撮りました。  これは、岩戸川の
傍に建つ鳥居の回りを写真に納めたものです。

このように、周りは祈願の石積みが無数に重
ねられているのです。 

なんとなく、神々の息吹を感じるのでした。

私のブログを御覧戴いている皆様へお断り!!

私は、本日ハワイへ向けて出発いたします。 

目的は、米国立ハワイ大キャンパス内にある東西センター(EWC)
70年代から現在までのリ・ユーニオン(Reunionと言って同窓生の再会)
に参加するためなのです。 期間は8月23日~9月1日までです。

従って、明日から9月1日までの10間ブログはお休みにいたします
ので、それまで御容赦の程を宜しくお願い致します。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年07月18日 00時08分20秒 | Weblog
平成19年6月20日(水) その4.

熊本城のスケールには圧倒されるが、400年以上前にこれほど大規模な石垣を積み上げた技術にはほんとに頭が下がる。 クレーンも無い時代に人力だけで積み上げたのだから驚いてしまう。 まさに難攻不落な城塞であったものだろう。

人の話では、この築城に際して人柱が埋められていると聞いたがとても私には信じられないが、果たして当時としては真実であったのだろうか?

1601年に築城開始したのは加藤清正であるが、彼は1607年城完成後間もなく1611年には死去し、初めて入城したのは1632年細川忠利だという。

しかし、1877年西南戦争で天守閣が炎上し、1960年に天守閣がまた復元されたようである。

行放談は、今度は何処へゆくのだろうか? P 640

2007年01月20日 10時38分37秒 | Weblog
南アフリカ紀行 最終日  10日目 (最終回) 

2006年3月20日(月)  帰国―その2

最終回にあたり一言:

今回の旅行の目的は、私が年来暖めて来た
アフリカ大陸南端の喜望峰を訪れたいとい
う希望から始まったものでした。

幸い、家内もこの旅行については、「これ
は、貴方の冥土への土産だ」と言って呉れ
て全面的に賛成して貰ったことが大きな支
えになったことは間違いありませんでした。

今、こうしてその希望が叶えられ実現でき
たことを振り返って見ますと、万感胸に迫
るものがあります。

一方、その達成もさることながら、同時に
私の関心事は専ら南アフリカの人種差別を
知りたかったいうのも事実でした。

このブログでも御紹介の通り、1976年の暴
動が契機となり、それまで横行していたア
パルトヘイト(南ア共和国の有色人種差別
政策)関連法が1991年に廃止になり、1994
年には初の全人種参加型の総選挙が実施さ
れ、直後、あの反アパルとヘイト運動家と
して反逆罪で逮捕され長い間喜望峰沖の島
の刑務所に収容されていたた黒人、ネルソ
ン・マンデラ政権が成立したのは皆様御承
知の通りです。

その後、2004年には、既に同じ黒人ムベキ
次期大統領が民主化後既に3回目の再任を
果たして現在に至っていますが御存知でし
ょうか。


時代は大きく変わり、時代の歯車は間違い
無く人間本来の姿に変貌しつつあるのでは
なかろうかと言うのが、このブログを通じ
ての私の結論であります。

皆様、長い間の御清聴を感謝いたしまして
この「南ア旅行」の旅を閉じたいと思いま
す。

さて、私の南アフリカ旅行は、ホームペー
ジでの御紹介に先駆けてこのブログを通じ
て流したものでしたが、途中私のホームペ
ージでも纏めて紹介することが出来ました。

そのホームページも冬眠に入ってそのまま
になっていますが、そのうち更新するかも
知れませんので、もし御関心のある方は、
そちらの方も覗いて見て戴くと有難いです。

ただし、お断りいたしますが、私自身シニ
アの上、HP作成技術が全く未熟で大変拙
いものですのでその点だけは、悪しからず
御了承下さい。


それでは、私のホームページを下記いたし
ます:

URL アドレス:  http://www13.plala.or.jp/jimmy119/index.html/ 
です

さて、「Jimmyの旅行アルバム」について
ですが、これから一体何処へ行くのでしょ
うか?」

しばらくは、このブログも冬眠入りするこ
とに決定いたしました。

どうも、これまでの皆様の御支援誠に有難
うございました

             おわり。

Jimmyの旅行放談は、今度は何処へゆくのだろうか? P 639

2007年01月19日 12時33分29秒 | Weblog
南アフリカ紀行 最終日  第10日目 

2006年3月20日(月)  帰国―その1

遂に、帰国の日がやって来た。

空路は、ヨハネスブルグを離れるとしばらくして
アフリカ大陸ともお別れしてマダガスカル島を一
飛びして、インド洋を超え、更に東南アジアのタ
イのバンコク上空を飛んで一路香港へ向かっていた。

思い起こせば、不安な気持ちでスタートした今回の
ツアーも無事成功し、胸を撫で下ろしながら香港へ
お昼頃の12:15に到着する。

香港空港では最後の出発便までかなりの時間があっ
たのでウインドウ・ショッピングを楽しむ。

と、言っても何か買いたいと思ったのですが、私に
は結構高価な物ばかりで失望しました。

しかも、私の要望していた品物は殆ど見つからず落
胆した。

と、言うのは南アフリカ旅行中あまり土産を買わず
香港で適当な土産を買って帰ろうと考えていたのは
見事外れてしまいました。

結論として、やはり海外旅行する時、「気に入った、
と思う品が見つかったら、思い切ってその時に購入
すべきだ」と言う鉄則を守らないと後の祭りになっ
てしまう、ということです。

香港空港での気温は摂氏22℃で気持ちのいい時候
でした。

香港空港を離陸したのは、定刻の15:25だった。

その後は一直線に東京成田空港へ向かった。到着時
間は、20:15で、機外に出るともうすっかり暗
くなっていた。

こうして、10日間の南ア旅行の旅は無事、楽しく
終了したのでした。

    今日は、ここまで…..。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? P 635

2007年01月15日 08時04分48秒 | Weblog
南アフリカ紀行  第9日目

2006年3月19日(日)

乗り物への挑戦で、私は観覧車へ乗って
見た。 

そしたら、運よく地元の若いカップルと
同じワゴンに乗ることになり、しかも承
諾を得た末、スナップ写真を撮影するこ
とにも成功した。

彼氏がハンサムなら彼女もこの通り美人
だった。

      今日は、ここまで…。