Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年07月31日 00時26分45秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その5

高千穂峡のある岸辺に、このような大きな石があった。

この大きな石を「鬼八の力石」と言って重量200トン
もあると言う。 立て札に曰く「高千穂神社の祭神三毛
入野命は弟の神武天皇とともに大和に行かれますが、
伝説では再びお帰りになり、高千穂郷一帯で悪行をはた
らいていた鬼八を退治し、この地を治めたと言われてい
ます。 

この時、鬼八が三毛入野尊に投げ、力自慢をしたといわ
れています。」 と、説明が加えられていました。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年07月28日 00時03分58秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その2  

これが、有名な高千穂峡である。 

どうも、撮影技術が悪くて一番大事な険峻な情景がよく
撮れず相済みません。

それにしても、国内の旅行会社や各JRとか私鉄などの
構内でPR用のポスターが、良く見かけますよね。

その写真を見て思うのですが、実際の現地と比較する
時、ポスターの方は逆に大分出来過ぎだと感ずるのは
私だけでしょうか。

兎に角、ここではプロのカメラマンには完敗で脱帽で
あります。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年07月27日 08時02分58秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その1

今日は、いよいよ念願の日本のふるさと山峡のまち宮崎県高千穂
へ向かうことになる。 

熊本からは1本のみの運行で、JR熊本駅近くの熊本交通バスセ
ンターを午前9時10分発とのことだった。 バスセンターまで
家から車で送って貰って随分助かった。 

途中熊本空港を通過し、アスファルト道路の広い山道を抜けて所
要時間2時間38分の正午前11時48分には目的地高千穂バス
センターへ到着する。心配されたお天気もなんとか曇天だったが、
雨は降っていなかったので安堵する。

早速、バスセンター前には客待ちの一台のタクシーを見つけて
3時間一万円という契約で乗車することにする。もっとも、タク
シーについては私の地元東京でJTBを通じて事前に2時間一万
円という契約でタクシー会社へ既に支払っていたのである。 

話し合いの結果、 あと5千円の超過分を払えば良いということ
で、観光コースを3時間で回ることにする。

最初に訪問したのは、高千穂峡だった。 バスセンターから5分
位で、二人は下車した。 

20分ばかり川に沿って歩いて自分達で高千穂峡を観光しなさい、と
ドライバーから指示された。 

ドライバーの方は先回りして上流の「おのころ茶屋」で待ってい
るからと告げられる。
 
地蔵小屋のような建物に出会う。 どうやら、「神橋久太郎水神」
であることが分かる。 その由来は省略するが、なんでも霊験あ
らたかで人々それなりの願いを込めてお参りすると、念願が叶え
られるとか…。
その水神前には入れ物がありその中には高千穂焼きの「まがたま」
が沢山入っていた。 柱に書かれた文章を読むと、「このまがた
まの売上金は、高千穂峡保存管理等に使わせていただきますので
記念にお買い上げ、ご協力下さい」、と書いてあった。 終わり
の但し書きには更に「古代日本人が使った装身具の一つ、ヒスイ
やメノウなどを半月形につくり、糸を通して使った。 これは、
日本独特のもので古墳から沢山掘り出される。 縄文時代にもつ
くられたが、弥生時代、古墳時代に特に多い。」とも書き添えて
あった。
 

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年07月26日 08時52分05秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月21日(木) その11.

金峰山山頂からは晴れていれば鮮明に見える筈だったが、それでも左前方には
天草地方や右の方を見ると有明海や雲仙天草国立公園などが遠望出来た。 

手前左端の鉄塔はNHK中継所鉄塔の一部である。

こうして、熊本巡りの一日は終わり、程よい疲れの後、帰ると出前の中華料理に
舌鼓を打ったのであった。

さ、いよいよ、墓参りも終えて明日は宮崎の方へ移動することになるのである。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年07月25日 09時19分36秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月21日(木) その10

熊本城見学の後は山へ登ろうと言うことになった。

最初、温泉に行かないかと聞かれたが、昼間なので断ったのである。 私達二人は、ガイドに任せていたので、結局車で山頂まで行けるかトライして見ようということになったのである。

ガイドになっている友人は運転歴も長いし中々運転もうまい。 およそ1時間あまりで遂に山頂へ登ることが出来た。

山道は整備されたアスファルト道路だったが、狭く「九州自然歩道」と名づけられていた。 標高は665メートルで「きんぼうざん(金峰山)」という名前がついていた。 

この金峰山は二重式火山の中央火口丘跡で二の岳、三の岳が回りにあったがそれらは金峰山の外輪部分らしい。

また、この金峰山は県立自然公園に指定されていた。 また、山頂にはNHK、民放放送の中継所になっていて、技術者も常駐していた

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年07月24日 08時20分15秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月21日(木) その9.

見事な宇土櫓で、こんな櫓は見たことが無い。

中へ入ると見事な城大工が建てたオール木造で廊下は塵一つ見られず、ピカピカに光っていた。 

聞けばこの宇土櫓は加藤清正に依って1607年に完成した、と言う。

そうすると、前に宇土城址で話した宇土櫓が小西行長の手に依って造営された、という話と矛盾するのである。 

従って、移転説はどうやら嘘のようである。

この宇土櫓の件は長い間論争が続いていて、どうやら後者の方、即ち熊本城内に元からあったと言うことに落ち着いているらしい。

長い間、論争の末、決まったことなので私には分からないが、課題が残りそうな話ではある。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年07月18日 00時08分20秒 | Weblog
平成19年6月20日(水) その4.

熊本城のスケールには圧倒されるが、400年以上前にこれほど大規模な石垣を積み上げた技術にはほんとに頭が下がる。 クレーンも無い時代に人力だけで積み上げたのだから驚いてしまう。 まさに難攻不落な城塞であったものだろう。

人の話では、この築城に際して人柱が埋められていると聞いたがとても私には信じられないが、果たして当時としては真実であったのだろうか?

1601年に築城開始したのは加藤清正であるが、彼は1607年城完成後間もなく1611年には死去し、初めて入城したのは1632年細川忠利だという。

しかし、1877年西南戦争で天守閣が炎上し、1960年に天守閣がまた復元されたようである。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか? 

2007年07月17日 08時18分21秒 | 旅行(特に海外旅行)

平成19年6月20日(水) その3.
 
写真は、「首掛石」を正面から摂って見ました。

この首掛石というのは、「横手五郎の首掛石」とも呼ばれていてこの巨石は、怪力の横手五郎が首に掛けて運んだと言われている伝説があるらしい。

しかし、そんなことなんか私には信じられる由も無い、只唖然とするばかりである。