Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-7、P1

2005年05月31日 08時01分06秒 | Weblog

 第6日目 1月2日(水)

 午前8時にはシベリア鉄道終着駅のウラジオストック駅に到着。

 列車を降りるや否や、現地ロシア人、背の高い男性ガイド、イーリアさん
が手を振って挨拶をすると同時に私の特大のサムソナイトの旅行スーツケース
を軽々と受け取って呉れて助かる。


                     今日はこれでおしまい…。

 写真は、ウラジオストック商業港をバックに記念撮影。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-6

2005年05月30日 07時56分58秒 | Weblog

 第5日目 正月元旦 (火)

 こうして、思い出を胸に、ホームスティは無事終了。

 今日は正月元旦、2001年(平成14年)1月1日だ。

 午前7時過ぎ起床。村長宅で、洗顔もしないまま、紅茶とケーキを朝食に
して、村を8時に出発。一路ホテルへ向かう。

途中、信号もなく只広野を突っ走るのみ。ホテルへ立ち寄ると、荷物はすで
にポーターの手でバスに積み込まれていた。団員は、昼食を取ると、駅へ向かう。

 途中、ハバロフスク市の建物を見収めと思い、バスでよく眺めて見ると、
すべて鉄筋か石積みによる建造物ばかりだった。

 ただその中の1つに、あの建物は第2次世界大戦直後ソ連に抑留された元日本
兵捕虜によって石を積み重ねて作ったとされる建物だ、と知らされた時は、
万感胸に迫るものがあった。60年間という月日だけがアッという間に流れてし
まったのであるが…。

 ハバロフスク駅へ到着すると、シベリア鉄道『オケアン号』にて、ウラジオス
トックまで約800km、約15時間の旅をすることになる。

 トイレの話ばかり申して恐縮だが、シベリア鉄道の列車も未だに黄害トイレで
垂れ流しのようだった。寝台列車だったので、すでにベッドはセットされていて、
二段式ベッドに横たわると早めに就寝する。列車はゴトンゴトンと音を立てて目
的地ウラジオストックへ向かう。
                     今日はここまで…。

 写真は、丘の上から眺めたウラジオストックのロシア海軍々港の風景である。
私が10年前に中国海軍旅順軍港を訪問した時は、撮影禁止で今でもそうだと自身、
解釈しているのだが、ロシアの場合はかなり開放されていて、現地ロシア人ガイド
の話ではここは自由だよと説明された。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-5、P5

2005年05月29日 08時26分54秒 | Weblog

第4日目 12月31日(月)続き-4

 今日も前回の続きです。

  途中、家内がトイレへ行きたいというので、尋ねたら外にあるという。案内された方角は、男性トイレが直ぐそばにあるのに、女性用だけが何故か、かなり遠方にあって母屋から30mも離れたような所に有り、凍った靴跡を探しながら畑らしい場所の1番奥まで案内したが、トイレはまるで青空トイレの如く、ただ囲いのある掘っ立て小屋に薄い戸板があり、しかもその戸の上下がガタピシと開いていて風がビュービューとおかまいなしに吹き込んでくるのである。

 さすがに、家内も「どうしてこんな所で用足しをしなければならないの?」と泣きつかれた。私もつい「ご免なさい!」と平謝りするしか術が無かった。 外気の温度を聞いて見たら零下40度という極寒で、生まれて初めての体験だった。寒いという感じは全く無く痛さを感じるのである。吐く息だけが白く靄のように漂うのみである。

 外で待っている間、ホテつく天空を眺めていると星が燦然と輝いていた。ふと、思った…この同じ星を日本で眺めているところだったのだが、いまこの極東で眺めてると思うと、別世界にいるような気がして宇宙船にでも乗っている感じだったし、世界は一つの青空でつながっているのだという一体感も感ずる妙な雰囲気を味わったのである。

 でも、また直ぐ現実に戻って、このような極寒の地にも耐えて生き続けている人も沢山いるんだなと思うと、今の自分の幸せを噛み締める今日この頃である。

 さて、パーティーでは、何回も新年祝賀の乾杯をして、午前一時半頃散会となる。
 家内とホスト役のお父さんは固いお別れの抱擁の末、再会を期待しつつ、また村長宅へ戻る。村長宅では私たち二人だけが幸運にも極上のベッドに寝かせられとても有り難かった。

 写真は、ホストと私の家内の記念のツーショットである。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-5、P4

2005年05月28日 09時00分49秒 | Weblog

第4日目 12月31日(月)続き3

 さて、前回の続きです。
 ホスト役になったお父さんは、花火まで用意していて、厳寒の夜空へ向けて祝賀の花火を3人に一人ずつ打ち上げさせて貰ったのには感動した。

 ハバロフスク市内では、木造家屋は決して見られなかったが、こうして郊外の村へ来ると、殆どの家屋が木造家屋だった。

 パーティーが開かれた部屋中央には、2m近いクリスマスツリーが飾られ、壁には、聖母マリアとキリストの画像が貼り付けられていた。それを見た瞬間、私は今まで抱いて来たロシア人に対するイメージが悉く崩れてしまった。

 長テーブル二つの上には一週間かけて用意されたという御馳走の山が築かれていた。お父さんが近くの池で釣ったという鯉の刺身まで色とりどりの料理が用意されていた。でも、丁度その時、私には全く空腹感が無かったので、料理に殆ど手が出ず残念至極だった。

 暖房は、薪ストーブだった。冷蔵庫は勿論、床下が天然冷蔵庫である。
                             
                             今日は、ここまで…。

 写真は、ホームステイでお世話になったホスト家で、お正月を迎えたクリスマスツリーを背景に撮った記念写真です、中央の男性がホスト、右端からホストの息子、隣が娘である。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-5、P3

2005年05月27日 22時20分28秒 | Weblog

第4日目 12月31日(月)続き2

 村の集会所での楽しい親睦会は、11時過ぎ終了して、そこで三つのグループに分かれる。そして、いよいよロシアの家庭でお正月を迎えるのである。

 村民が用意していた車で、私たちのグループ3人は農民の家へ案内される。ホスト役のお父さんと、娘のオーラさん、息子のジェミー君の3人家族だった。母親はこの秋、他界されたと聞き、まだ悲しい余韻が残っているのは否めない。その中にあって、親子3人が私たち3人を暖かく迎えてくれたのには感激した。従って、ともすれば話題も専らその方へ向かったのであるが。なんでも胃癌で、日本の国立癌センターへ2度もお世話になったというのである。日本の皆様にはとても親切にして頂いていつまでも感謝している、とのことだった。

 こんなロシアの田舎まで日本の血の通う救援活動が働いていて、日本への信頼感が強く、好日家も多いのだなと知り嬉しかった。 ま、そんな雰囲気だったので、そんなに談笑する訳にも行かなかったが、娘、息子の二人は一生懸命私たち三人を厚くもてなしてくれた。二人とも大学生で勉強中と聞いた。娘のオーラさんは、家族を切り盛っていて、料理も専ら専属のようだったし、母代わりをこなしながらの勉強を続けている訳でそのけなげな姿には圧倒された。同時に、ロシア人の向学心もひしひしと感じられた。

 お土産に持参の風呂敷をガイドも含めて1人ずつ1枚あげたらとても喜んでくれた。先方からも記念に手細工の壁掛けを頂戴する。
                                今日はこれまで…。

写真は、二つの長テーブルに所狭しと御馳走の山!

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-5、P2

2005年05月26日 10時45分52秒 | Weblog
第4日目 12月31日(月) 続き-1

部屋でホームスティの準備をして、ランチを食べたあと午後3時には出発する。

雪道を走るので、今度はトヨタのマイクロバスで一路郊外のタイガの中の小さな村へ向かって市内から車で約4時間の旅を続ける。途中2~3度休憩を取るが、バス停にあるトイレは氷の穴だったので、男性はトイレの外の周りで放尿する。

 目的地へ到着すると、先ず村長宅へ寄り紅茶をすする。宅ではロシアビスケットを貰ってかじりながら、村長父子で射止めたという見事な鹿の角を拝見する。この村長宅で、私が幼児時代(私は、中国東北地方安東で出生し、幼稚園まで現地で過ごす。)経験したペチカで暖を取りながら談笑。ペチカの燃料は安東では石炭だったが、ここハバロフスク郊外では薪オンリーだった。

 いよいよ、10時を告げると村民との楽しい親睦会を開くために近くの集会所へ赴く。集会所では3~40人の若者が既に集結して私たちの訪問団を暖かく迎えてくれた。しかも、この日をターゲットにクリスマスの寸劇を初め、福笑いゲーム、ダンスパーティーなどいろいろ面白い企画が用意され、何時までも思い出に残る親睦会だった。福笑いゲームでは、私が優勝して賞品にキャンデーを貰う。

 また、ダンスパーティーには心憎い程のプログラムが用意されていた。

先ず、ペアはロシア側と日本側でくじ引きを引き、同じ数字の札を取った人がペアに決まるのである。幸運にも私は絶世のロシア美人(高校生位かな?)とペアになり踊りまくるのである。しかも、楽屋から流れる曲が終わる度にライトが5秒位消灯され二人だけの世界を演出してくれたのには驚きと感動の連続だった。

 確かに、ロシア人は背が高く、スリム、美肌で、美人が多く、白人という名にふさわしかった。

 この時、私はふと「このような出会いは、最初にして最後の機会」と捉えたのも無理はない。自画自賛したのは当然だ。

 写真は、ロシアの絶世の美人と仲良く手を取り合って踊る筆者です。

                    今日は、ここまで…。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-5、P1

2005年05月25日 21時35分32秒 | Weblog

第4日目 12月31日(月)

 今日は2001年最後の日である。いつも通り、午前9時に朝食。
 朝食後は、午前中外へ出る。先ず、ロシア正教の教会を見学する。ヨーロッパやアメリカの教会とは大分異なるようで、屋根の形が面白く、一般的に「ねぎ坊主」と呼ばれていて、由来が火炎の形のようだからだという。また、教会内には信者用の椅子も無ければ、ステンドグラスで飾ることも無いのが特徴のようだった。女性はスカーフで頭を覆い、信者は立ったまま神父の言葉に耳を傾けるのだという。
 教会を見学した後は、アムール川へ出向いた。各自アムール川の氷上を歩く。あちこちで穴を掘り、ワカサギ釣りをしている風景が見られた。このアムール川はホテルから歩いて5分位歩けばよい近さにある。このアムール川で今日は、珍しい「お神渡り(おみわたり)」を見て来た。
 「お神渡り(おみわたり)」については、先に御紹介してあるので、省略いたします。

 このアムール川の源流はモンゴルに発し、最も長い流程は4,400kmにも達すると言う。日本列島の3,500kmよりも長い訳である。
 
冬季は、この氷結したアムール川は格好の重要な輸送路にもなっているようだ。なにしろ、氷が解けてしまったら、水上航路に変身する訳で輸送船が要るが、冬季は貨物をそのままそり式で輸送が出来るからである。

 アムール川を散策して、ホテルへ帰る途中、広場でサッカーを楽しんでいるロシアの若者達に私たち団員のM君がチームに加わって参加したので応援する。

 こうしてロシア人は氷結した地面でも広場さえあればどこでもスポーツを楽しんでいるんだな、と貴重な光景を見て、思わずオリンピックでロシア・チームの活躍の原動力を垣間見た感じがした。

ホテルへ帰還後は、いよいよホームスティの準備だ。

                    今日はこれまで…。

☆訂正とお断り: アムール川で初めて「お神渡り(おみわたり)」を見た、という記事は、後で良く調べて見たら12月29日(土)ではなくて、12月31日(月)の誤りでした。記事をコピーした後削除して、12月31日(月)に貼り付けて修正いたしました。ここに、訂正と共にお詫び申し上げます。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-4, P5

2005年05月24日 21時04分41秒 | Weblog
第3日目 12月30日(日)続き-4

  今夜のホテルでの夕食には,つぼ焼きが出て、実にこれが美味しかった。
 夕食後は、ロシア民謡を楽しんだあと、カラオケで4曲程歌った。

 今夜は特別ショーがあると聞いて一人150ルーブルのテーブルチャージを払ってロシア舞踊を鑑賞したが、私には期待した程の面白さは無かった。

 しかし、そうは言っても、やはりロシア人の舞踊は体に柔軟さとしなやかさがあって、それは絶品で、女性ダンサーは当然だが、男性も素晴らしいと思った。

 写真は、舞踊ショー終了後のダンサーと一緒になって貰って記念撮影。

                                今日はこれまで...。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-4、P4

2005年05月23日 10時08分35秒 | Weblog
 第3日目 12月30日(日)続き-3
 
 ホテルへ帰還後、着替えしてバザールへ出かける。

 ホテルから5分ばかり歩くと、トロリーバス乗り場があって目的地バザール
へは10分足らずで行ける。

 バザールはかなり大きく体育館のような建物で二階に仕切られていて、真ん中は吹き抜け
になっていた。生鮮食料品ならなんでもある。キムチに至るまであらゆる食料品が割安で売
られていた。

 ここで、蟹缶を初めとする土産物を仕入れる。バザール市場の外でも結構露店が沢山並ん
でいた。ところが、音楽関係のCDを買おうとしたが中々希望の曲が相手に伝えられず、仕方
なくロシア民謡のCDを3曲程購入した。

 丁度その時、私の腹部に急変が起き、トイレへ行きたくなった。さ、大変!実は、バザール
へ来るとき、ガイドからバザールにはトイレが無いので、呉々も注意するよう言い渡されていた。
 私の顔は真っ青になったが、どうすることも出来ず、途中急遽、家内と二人だけでホテルへ
帰還したのだが、今思うとゾットするおぞましいハップニングとして、胸の奥へしまっている。

 あとで、聞いたらバザール内にもあるにはあったらしいし、近くのデパートにもあるのだが、
言葉が通じなかったのでどうしようもなかった。これまで世界を旅行していて、どこでも大体
英語で通じていたからコミュニケーションで不自由をしたのは今回だけだった。

 写真は、夜、ホテルの特別ショーでのロシア舞踊の模様。 

                                  今日はここまで…。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-4、P3

2005年05月22日 13時56分45秒 | Weblog

 第3日目 12月30日(日)続き-2

 写真は、サウナ館入り口である。

 『友好の森』訪問後は、フィンランド系サウナへはいる。ロシアでのサウナへはいるのは初めてなのであまり批評は出来ないが、中はかなり暗く日本のように華やかなものでは無かった。燃料も不足気味なのか地方のせいかは分からないが残材を使っていたし、サウナ自体、余り熱いという感じがしなかった。あとで分かったことだが、それがロシア風呂の特徴だったのだが…。
 日本だったら80度位で私の場合10分位がせいぜいだと思うのだが、このロシア風呂は摂氏40度位の蒸気が充満した割りと広い室内で入浴し、冷水を浴びる、これを繰り返すというのがどうやらロシア風呂の特徴のようだ。
 
それにしても、このサウナは一つしか無いし、男女交代で入浴する訳で、全員が揃っての昼食前とあって、約30分以内という制限もあったものだから、私のような風呂の熱好きな者にはとても合わなかった。

 昼食は、そのサウナで取った。食堂自体は殺風景だったが、出されたメニューの牛のバーベキューは、特大の金串で1本1本づつ焼いた本格的なもので味も実に旨かった。(日本で食べるような竹串にさした小さな肉片とは丸切り違っていた。)
                  今日は、これで…..。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-4、P2

2005年05月21日 22時52分23秒 | Weblog
 第3日目 12月30日(日)続き-1

写真は、私たち「むさしの・多摩・ハバロフスク協会 設立5周年記念冬季体験団」が
持って来たバナーを広げて記念碑前での記念撮影の写真である。

 3年前の1998年に植林した日本のチョウセンゴヨウ(朝鮮五葉)の育成振りを雪をかき分けながら
観察したが、残念ながらあまり伸びていなかった。それもその筈、地下は凍土で根を張ることが出来ないのである。しかし、この小さな植林プロジェクト、「平和の森」を通じて日露の友好の架け橋になっている意義は大きい、と考えています。
 
 ここで、憚りながら皆様に「むさしの・多摩・ハバロフスク協会」のPRをさせてください。

協会事務所は、東京都武蔵野市吉祥寺北町5-11-20、武蔵野総合体育館内(2F〉にあります。

   電話&FAX:0422-37-8585 E-mail: mtxa@parkcity.ne.jp
   URLアドレスは、http://www.parkcity.ne.jp~mtxa/bosyu.htm

 会員になるには、個人1人年会費¥2,000 家族1家族¥3,000何れかを選びます。
会員になると、年4回発行される会報《プリローダ》が送られてきます。私もこのツアー体験談を投稿しているのですが、今、どうしてもそれが見つからず昔の日記を出して思い出しながら纏めているのです。
 また、ロシア語を勉強したい方も会員になりますと、中級講座まで受講する資格が得られます。 

最後に、会員募集HPの文面を借りますと、以下のようになっています。

  こんな方をお待ちしています:

 シベリアの大地で野外体験をしたい、針葉樹、寒帯林や地球規模の環境保護、野生生物の保護活動などに関心のある皆さんが「むさしの・多摩・ハバロフスク協会の核です」

 と言う文面で、結ばれています。

           では、今日は、会のPRで終わりました、それでは次回まで...。






http://www.parkcity.ne.jp~mtxa/boshyu.htm

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-4, P1

2005年05月20日 23時24分52秒 | Weblog
 第3日目 12月30日(日)
 
 今日はハバロフスク市郊外、ワロニシ地区の『友好の森』を訪問する。

 写真は、『友好の森』記念碑である。碑文は良く読めないが、日露友好を記念して植林した旨の言葉が刻まれていた。
 何とか、読んでみると以下のようだがどうだろうか...?

          平和の森

                この友好の森は
                むさしの・多摩
               ハバロフスク協会と
              ハバロフスク市民が協力
              して植林したのである。

                    1998年5月2日

                 この友好の森は日本
             国緑の義捐寄付金による支援事業である。





    

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-3

2005年05月19日 23時28分10秒 | Weblog
 第2日目 12月29日(土)
 
 やはり此処シベリアは、北極へ近いせいか冬は夜が長い。日の出も8時頃で、9時の朝食時でやっと外が明るく見え始める。午前10時にホテルを出発してアムール川が見える高台へ行ってビデオ撮影する。そのあと、昨夜紹介のレーニン広場で開催中の「氷の祭典」、氷の彫刻を見学する。

 お昼近くになると、ハバロフスク市庁舎へ表敬訪問し、副市長(女性)とツアー全員が面会し、団長のY氏とロシア人U氏の通訳を介してハバロフスク協会の植林事業に具体案を提示し団員の見守る中で淡々とビジネストークを終了、最後に土産としてロシアのチョコレートを頂く。帰りに市庁舎のトイレを借りたがあまり綺麗では無かった。

 ランチは外のレストランでロシア料理に舌鼓する。蓋付きのボルシチ(ボルシチュウというのかスープ)は殊のほか美味しかった。食後は一旦ホテルへ戻り、午後は自然保護区へのツアーへ参加する。

 途中、家内の生誕地、中国北東部にあるスイフンガ近くの塔が、アムール川の向こう岸に見え、さすが感激したようだった。

 自然保護区では保護区の管理人のガイドの説明を聞きながら散策した。
管理事務所が自然博物館になっていて、実に質素で簡単な展示物が置かれていて殺風景だったが、只、大きなシベリア虎(白色)が、飼っていて格好の見世物になっていた。

 ツアーも終わってホテルへ帰還すると、小休止して、夕食はハバロフスクの一般家庭でホームパーティーに参加する。一般家庭と言っても、集合住宅2DKのアパートだった。夕食では、地元のウオッカを飲ませて貰ったが、さすが40度だけあってかなり強かったが、旨かった。

 午後9時前にはホテルへ帰還。早速フロア・マネジャーに頼み、二人はロシアのマッサージを体験する。中々上手で、体の疲れをホグシて呉れた。米ドルで20ドル(50分)という触れ込みだったが、実際は30分位で、1,200ルーブルとられる。床に就いたのは深夜すでに12時を回っていた。

 写真は、アムール川氷上にて。 耳はちぎれる程痛いという感じ!

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-2

2005年05月18日 23時03分44秒 | Weblog
 1時間遅れで16:30新潟空港を離陸したが、ダリアビア航空の飛行機は離陸時、かなりの轟音を上げていた。急に私が現役時代、出張時東京から沖縄へ飛ぶ時、横田基地からのノースウエスト航空のDC-9型旅客機へ搭乗した時のことを思い出した。というのはその飛行機は貨物・人員輸送の軍用機で天井も無く爆音をもろに受けるため、乗客には耳栓を貰っての搭乗だったのである。ハバロフスクへの飛行機も天井は当然あったけれども急上昇の時は少し気分を悪くした。
しかし、機内食に新幹線のお弁当が出たのには驚いた。そして赤ワインと紅茶を貰って楽しい食事をする。

 このツアー参加者は団長を含め10名だったが、たまたま団長と同席し雑談にふけったが、団長がこの旅行にはかなりの神経を使っているのが良く分かった。ハバロフスクへは、19:15到着する。日本との時差は+1時間で、単純計算では3時間近いが、実際の飛行時間は、2時間近い飛行距離である。生まれて初めて(旧)ソ連の外気に接したが、1年前、ソウルでクリスマスを経験しているせいか予想していたほど体感温度は左程寒くは感じられなかった(あとで、直ぐ分かったがやはり現地はかなり寒かったくせに…)。
 
 空港ではハバロフスクのソ連ガイドが待っていて、バスに乗車すると、20分位のところにある5ツ星のインツーリストホテルを案内される。乗車中ガイドの説明では現地の気温は零下20℃~25℃と聞かされる。丁度、クリスマスシーズンではあったが、ホテルでは夕食の食事をしながらホールでダンスの乱舞を見学したが、あまりの賑やかさには圧倒されてしまった。

 写真は、ホテル付近にあるレーニン広場で開催中の氷の祭典風景だが、ビル近くのアムール川の水で作ったという氷の祭典風景が見えるでしょうか?  今日はこれで…。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-1

2005年05月17日 22時08分15秒 | Weblog
 ロシア訪問は、私にとっては初めての訪問であるが、なんとか実現できたのは下記のように長い名前のツアーに参加したからである。

 東京、武蔵野・多摩・ハバロフスク協会設立5周年記念冬季体験団、
 ハバロフスク タイガの中の小さな村でのお正月体験と冬のシベリア鉄道・
 ウラジオストクで芸術鑑賞 7日間
 旅行期間:平成13年12月28日(金)~平成14年1月3日(木)

というツアーである。この協会事務局は、東京都武蔵野市にあって広報のチラシに応募しての参加である。この協会は「日ロ交流」に熱意を以ってハバロフスク市と親善交流を深め、その一つの事業として、ハバロフスク市の郊外ヴォローネシと呼ばれるツンドラ地帯に1988年、日本のチョウセンゴヨウ(朝鮮五葉)の苗が植えられて「友好の森」が誕生したのである。朝鮮五葉というのはマツ科で五葉松(ごようまつ)の仲間で、耐寒性、耐乾性に富むが、松枯れ病には弱いと言われている。後で、紹介の予定ですが雪をかき分けながら苗の生長を見たのですが残念乍らあまり伸びていなかった。でも、アムール河を見渡せるとても美しいところにあった。

 では、このツアーの7日間の旅を紹介したい。

第1日目: 東京駅新幹線で東京発10:12で新潟へ向かう。新潟には12:17着。路線バスにて空港へ。
ハバロフスクへは直行便のダリアビア航空だったが、1時間遅れで16:30出発。空港では
時間が十分あったため、空港レストランでランチを取る。このランチでいまだに忘れられないのが定食、近海で獲れた鯛の刺身も美味しかったが、殊にその米のご飯がとてもうまかったことだ。国内旅行で以前、JR大阪駅近くで食べたご飯はとてもまずかったのである。やはり新潟のこしひかりは天下一品だ。
 今日は、ここまで…。