ここで、皆さんへお断りとお許しを頂きたい
と思います。
それは、いままで、昔のことと言っても紹介中
の私のブログでの旅行は8年前の1997年8
月の出来事だったのですが、何ら手元に日記も
資料も一切見つからず,有るのは写真だけを頼り
に、しかも頭もボケて来たせいか、一部ルート
が間違っていたのです。
実は、昨夜無いと思っていたその日記が発見さ
れ、その間違いが発見されたのです。
大変失礼して申し訳なく思っています。お許し下さい。
間違っていたルートというのは、スイスのツェ
ルマットで登山電車でマッターホルンへ登って、
それからの足取りをスイスからオーストリアの
ウイーンとしていましたが、そうでは無くて目
的地がドイツのフランクフルト駅だったのです。
そこから、ライン下りを経験した後、フランク
フルト空港からオーストリアのウイーンへ飛ん
でいました。
ウイーンではヨハン・シュトラウスのオーケス
トラ演奏会を楽しみました。演奏会では「青き
ドナウ」等を初め軽快なワルツのリズムに乗っ
て、軽いユーモアのあるオペレッターあり、と
結構変化があって音楽に疎い小生にも楽しませ
てくれました、と記してありました。
ところで、この欧州旅行の日程ですが、1997年
8月4日に成田を出発して南回りのシンガポー
ル経由でスペインのマドリードへ行き、帰国が
8月26日までの23日間なのだから個人旅行
としては3週間以上にもなるのでかなり長期間
の個人旅行だったと思っています。
さて、元に戻りますが8月18日オーストリア
空港からは滞空時間1時間半足らずで英国ロン
ドンのヒースロー空港まで飛んで行きました。
空港からは地下鉄でダウンタウンのラッセルス
クエアで下車してホテル・プレジデントへ投宿
することにした。
翌19日はバッキンガム宮殿を訪れたが、既に
観光客が一杯で午後2時半の入場券をやっと貰
うことが出来た。それまでは構内の芝生で長い
休憩時間を過ごす。予定通り、2時半には入場
できたが、エリザベス女王は北側棟に住んでい
る、と警備員の話だった。
丁度衛兵の交代式を横目に、中の建物であるギャ
ラリーへ入った。屋内では謁見の間とか色々の部
屋が紹介され、天井や壁に掛けられた名画を初め
装飾品の数々、宝石をちりばめた各国の王冠、金
製の大型盆、ピッチャー等を見学する。
その後は、時間を気にしながら地下鉄でロンドン
塔(Tower Hill)へ行く。ここでは、昔の要塞が
生々しく見られた。
翌日の8月20日はオックスフォードツアーに参
加する。
写真はオックスフォード大学のキャンパス・ストアー
傍の像の前である。
2度目の訪問だが、このオックスフォードには37の
単科大学がり、その中の最も古い大学を中心に、中庭、
食堂等を見学する。各大学には必ず教会があり、すべ
ての学生が少なくとも朝の礼拝は欠かすことは出来な
い、という。奨学制度も当然あり、普通の学生は年1,000£、
留学生は年1,100£を払っているのだ、という。
このオックスフォード大学へ入学するためには、成績
が上であれば多少B~Cの成績であっても入学出来るが、
も一つ東の高名なケンブリッジ大学は、Aステューデント
(優等生)でないと入学が許可されない、という。学生
は極めて自由で、生徒も教授もキャンパス外の寮では
一緒になって勉強し、夏休みは3ヶ月以上(6月~9月)、
10月初めに勉強が始まる、という。
試験さえ通れば進級、卒業できる。
また面白いことに、7年在学していれば誰もが修士の称号
が授与されるという。
今日は、ここまで。