Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月23日 09時44分41秒 | Weblog
平成19年6月22日(金) その29 

この「(あまのやすかわら)天安河原」で私は
数枚写真を撮りました。  これは、岩戸川の
傍に建つ鳥居の回りを写真に納めたものです。

このように、周りは祈願の石積みが無数に重
ねられているのです。 

なんとなく、神々の息吹を感じるのでした。

私のブログを御覧戴いている皆様へお断り!!

私は、本日ハワイへ向けて出発いたします。 

目的は、米国立ハワイ大キャンパス内にある東西センター(EWC)
70年代から現在までのリ・ユーニオン(Reunionと言って同窓生の再会)
に参加するためなのです。 期間は8月23日~9月1日までです。

従って、明日から9月1日までの10間ブログはお休みにいたします
ので、それまで御容赦の程を宜しくお願い致します。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月21日 09時43分47秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その27

この写真は私にとって忘れることの出来ない
貴重な記録写真となりました。 

真っ暗な中で鳥居前でフラッシュを焚いて撮
った写真です。 

たしかに、ここなら適当な広場になっていて、
多くの神々が集まって神議がなされたと言わ
れても、そんなに違和感は感じられませんで
した。

その参道脇には数え切れない石積みが(ほこら)
祠に向かって、山のように置かれているのです。

石を積むことによって祈願が達成されるという
言い伝えがあって善男善女が積み重ねて行った
ものでしょう。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月20日 08時24分47秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その26

大通りの入り口から約15分近く歩くと遂に念願
の目的地[「(あまのやすかわら)天安河原」]へ到
着しました。驚いたことには、目的地[「(あまの
やすかわら)天安河原」]には洞窟まで見られたこ
とでした。 

そのあたり一面は、昼間でも真っ暗でした。 

その洞窟前には鳥居が薄ぼんやりではありますが、
建立されていました。

先に「天岩戸神社西本宮」で拝見した「天岩戸」
が、この「(あまのやすかわら)天安河原」にも
見られたことは、私には、驚異の的でした。

人はこの洞窟を[「(ほこら)祠」と呼んでいるよう
でしたが、私にはこの「(ほこら)祠」こそ
「真の天岩戸」と呼んでも構わないような気がし
ました。

この洞窟は後で、間口が30m・奥行き25mだとい
うことがチラシに書いてあるのを見ました。 

そこで、私は神話と言うものは人間の理性では通
じないものだな、と言うことを身を以て体験した
次第です。

そう言えば、長野県に「(とがくし)戸隠神社」と
言うのが有りますよね。

この戸隠神社は、天岩戸開きの神話になぞらえ、
神々が(あまてらすおおみかみ)天照大神がこもる
岩戸の前で楽を奏で、踊りを踊ったことから鼓の形
をしているようですし、「(とがくし)戸隠」の名
前の由来も「(あめのたぢからおのみこと)天手力
雄命」が力一杯引いた戸がこの山まで飛んできたこ
とから、[「(とがくし)戸隠」]となった、という伝
説もあるようですが、兎に角、神話となれば、
「なんでも不可能なことを可能にする」と言うこと
が許されるのだな、と身を以て体験した次第です。

ともあれ、この(ほこら)祠に向かって祈願の石積
みが無数に続いているのも私には驚きでした。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月18日 08時20分53秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その24

それにしても、私にとっては、今までずっーと
天岩戸と(あめのうずめのみこと)天鈾女命が踊
ったという場所が同じ場所だと私が小学校へ入
学してから長年信じて来ていたものですから、
神話と事実の間には、大きな相違を知り、私と
しては大発見したことになりました。

少し疲れも出て来たのですが、今度こそ、その
[「(あまのやすかわら)天安河原」が確認出来る
のだという期待感の方が勝り足取りも軽くなり
ました。 

山道だったのですが、そんなに困難な山道でも
無い。

そんなことよりも自然に厳粛な気持ちとやや冷
気を味わいながらのウオーキングで、神々しい
気分になれたから不思議なものでした。

写真にも見られるように風情のある太鼓橋を渡
って岩戸川の渓流沿いに進むのです。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月17日 08時23分45秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その23

うきうきした心を躍らせながら、足が自然にその
念願の目的地へ向かったのは、言うまでもありま
せん。

ところが、途中に「行く先の標識が立っているか
ら誰でも直ぐ分かるよ」、と言われていたのです
が、その標識[(あまのやすかわら)天安河原入り口]
というのが下の「入り口」だけ残されて肝心な
「(あまのやすかわら)天安河原」の文字がテープ
を貼って消されていたのでした。

そのためつい、私も見過ごして本通りの方を5分
ばかり行過ぎてから間違っていることを知り、ま
た後戻りして近くの民家を探して立ち寄り尋ねた
挙句、ようやく正規のルートを辿ることが出来た
次第です。

ここで、その理由を調べる暇は無かったのですが、
地元観光協会などに抗議を申し込みたいと思った
のは私一人だったでしょうか? 

甚だ不親切で大いに疑問に思いました。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月16日 00時42分45秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その22

これが、天岩戸神社本殿正面前である。

ここで、神主が参拝者が2,30人位のグループ
になると、私達参拝者のためにガイドになって、
15分ばかり、この神社の由来とか天岩戸を案内
して説明がされる。

天岩戸の現場はこの神社の裏側にあった。 

本殿横の戸びらを開けて裏へ回る。 

残念ながら、ここは神域になっていて、写真撮影
は一切禁止されていた。 

それを知った瞬間、私にとっては大きな期待が見
事破られてしまってショックを受けたが、どうし
ようも無い。 

なんとか、この貴重な記録を画像に残したいとい
う夢は無残にも消え失せてしまったのである。
 
とにかく、参加者の心に刻むしか他ならないので
ある。 

私のブログ御覧の皆様には、一口に申して、この
神社裏は昼間でも薄暗く山の間に一つの大きな割
れ目が出来ていた、と言うことしかお知らせする
ことが出来ません。 

その大きな割れ目は、元洞窟であったようですが、
今は殆ど塞がれている状態になっていました。

天変地異のため塞がれた、ということでした。 

その天変地異というのは、阿蘇山噴火に依るものだ
と説明していました。 

私の目には、その山の割れ目とその山の麓を流れ
る岩戸川の白く躍っている川の水が見られるのみ
でした。 

神話にある、その洞窟前の広場なぞ全く見付ける
ことは出来ませんでした。

それもその筈、洞窟前で大勢の神(800万の神々
とも言われている)が神議なされた、ということ
が神話に載っていますが、その場所は、この洞窟
から約15分歩いて岩戸川渓流沿いの上流に位置
している、と言う事をここで初めて知りました。

これは、私にとっては、貴重な発見でありました。

その岩戸に隠れた(あまてらす)天照(おおみかみ)
大御神を迎え出す方法を神々が話し合ったその場所
というのは、正式名を「(あまのやすかわら)天安
河原」と呼んでいることも知りました。 

兎に角、「天岩戸」とその前で神議がなされた広場
と言うのは、同じ場所では無いと言うことがはっき
りしました。 

そして、その広場のことを誰かが「(あまのやすかわら)
天安河原」と命名したのでしょう。

でもその時、 私がとても嬉しかったのはその
「(あまのやすかわら)天安河原」だけは、写真撮影
が自由なんだ、ということを耳にしたことでした。

ここで、注意せねばならないのは、この西本宮という
のは、普通の神社とは違い、神様そのものを祀るので
は無く、この神域だけを特定し、ただ拝殿のみの社で
あることも分かりました。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月15日 00時12分32秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その21

これは、天岩戸神社西本宮内にある手水舎
(ちょうずや)である。

神社には手水舎があって、参拝に先立って
身を清めるための場所とされている。

普通、ここで手を洗ったり、口を漱ぐので
ある。

古くは神前に流れる川の水や湧水が利用さ
れていたようだ。 

伊勢神宮の五十鈴川(いすずがわ)の御手
洗(みたらい)はその好例である。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月13日 08時57分25秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その19

遂に、念願の「天岩戸神社」へ到着した
のである。

入り口には案内図が架かっていた。

ところが、この地図を良く見ると、この地図
から「天岩戸神社」には本社と言って(あまて
らすすめおおかみ)天照皇大神の祀ってある
「東本宮」と天岩屋戸(あまのいわと)周辺を
神域として、それを御神体として祀ってある
「西本宮」の二つがあることを知る。

そこで、私はあの天岩戸の前で(あまのうずめ
のみこと)天鈾女命が踊ったと言われている現
場のある西本宮の方を先に選んで足を進めたの
でした。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月11日 07時32分07秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その17

高千穂神社本殿正面右手前には社務所が
あります。

そこで、交通安全の御札を購入しました。

本殿脇の掲示板の最後のところには、
「天孫降臨、神武天皇ゆかりの高千穂神社は、
今日では国運の隆昌と、縁結び、交通安全、
厄除けの神さまとして広く信仰されている」、
と記されていました。

それにしても、まだ私の念願の「天岩戸」
へ直行していないのに気付きました。

Jimmyの旅行放談は「こんどは何処へゆくのだろうか?」 

2007年08月10日 00時14分15秒 | 旅行(特に海外旅行)
平成19年6月22日(金) その16

雨の降らない内に観光地を早く回らなければならない
と、急いだ。 

間もなく私の最も訪れたいと思った目的地で、今回の
九州旅行でもっとも超目玉商品となる「天の岩戸」訪問
へ向かうのである。 

胸がワクワクして来た。15分も経たないうちに、到着
したのは、先ず「高千穂神社」だった。

この高千穂神社には、(たかちほすめがみ)高智保皇神と言
って、この地に宮居をさだめた天孫(ににぎのみこと)瓊々
杵尊、この(はなさくやひめ)木花開耶姫以下三代の神々を
お祀りしてあるのだ、と言う。 

これは千百余年前に編纂された六国史(りっこくし)にも記
されているようです。 

日本人は、人のみならず自然の木とか石までしめ縄を取り巻
いたりして神仏化する傾向がありますが、神話では色々な神様
(読むのにかなり難解な漢字の神様の人名が沢山出て来て戸惑
います)が登場するのは至極当然なのでしょうね。

ところで、この高千穂宮の前直ぐ横に貴重な杉の木を発見しま
した。 これは、源頼朝が畠山重忠を代表として多くの宝物を
奉納したことがあるそうですが、その時重忠手植えの秩父杉が
現在も社頭高くそびえているのには感銘して帰りました。

この秩父杉は幹周7.5m高さ55m樹齢約800年となっています。

しかも、傍に立てられた皇室関係の掲示板を見ますと、皇族の
方々も沢山参拝されているのを知りました。

大正十四年秩父宮(おなり)御成をはじめ十数家の皇族の御参
拝がありました。ここで、「おなり」というのは皇族・摂家・
将軍などの外出・来着の尊敬語であることを知りました。