平成19年6月19日(火) その3.
この墓地の、直ぐ上の高台には「U城址」がある。 残念ながら、U城にあったU櫓は、のち熊本城城内へ移転されたと言われている。(後で熊本城見学の様子を御紹介する時、詳細は説明することにします。)
この広いU城址には小西行長の銅像と野原の一角にあるトイレ以外は何も無く、都会の子供達にとっては惜しまれる遊び場と思われるが、私が見た時は人影一つ見あたらなかった。
さて、このU城と小西行長との関係を少し説明させて下さい。
小西行長は、堺(大阪)の商家に生まれ、12歳になったころ、豊臣秀吉に家来として召し抱えられ武士になったのでした。
その後、数々の手柄を立てて出世し1588年には加藤清正と共に肥後国(これは旧国名で、今の熊本県)へ入り、宇土24万石(宇土、増城、八代、天草の四郡)の領主となったのです。
行長が宇土の領主であったのは僅か13年程でありましたが、U城初め現在のU市街地の基盤はこの時に形づくられたものと言われています。