袴田事件死刑判決の裁判官、袴田さんと面会!
どうしたもんかねえ、割り切れぬ思いあり!
死刑執行されてしまったら、じっと黙ってたんだろうか?
無罪結論判決を起案するも、三人合議の結論は裁判長主導の「死刑」
再審の道が開いたことは、まったくの僥倖!
この左陪席裁判官にも、袴田さんにとっても。
しかし、右陪席裁判官と裁判長は知らんぷりなわけね!
すでに鬼籍に入られてるかも知れへんけど。
袴田さん、死刑判決を書いた元裁判官と半世紀ぶり対面
1/13(土) 6:59配信 朝日新聞社
記事には一審当時の裁判官熊本典道さん=2008年 の画像があります。
1966年に静岡県で起きた一家4人殺害事件で死刑確定後、2014年3月の静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌さん(81)と、一審・静岡地裁で死刑判決を書いた元裁判官の熊本典道さん(79)が9日、福岡市内で対面した。
2人が対面するのは、死刑が言い渡された地裁の法廷以来、約50年ぶりとなる。袴田さんの関係者が取材に明らかにした。
熊本さんは07年、無罪の心証を持ちながら死刑判決を書いたとして、朝日新聞などに当時の経緯を実名で告白。袴田さんの再審開始を求める書面を最高裁に提出していた。
熊本さんは脳梗塞(こうそく)を患うなどし、福岡で入院生活を送っている。「(袴田さんに)会って謝りたい」と希望していたという。
一方、袴田さんは長年の拘禁生活の影響で精神を病むなどしている。この日は、姉の秀子さん(84)とともに熊本さんの病室を訪ね、ごく短時間の面会が実現したという。
一審の判決文は熊本さんが起案。当初は無罪の結論だったが、裁判長らとの合議で死刑になったとして、取材にも自責の念を語っていた。
この記事はこちらから
【関連記事】
•袴田事件「みそ漬け7年」DNA抽出実験 弁護団が再現
•死刑囚の執行、選んだ理由は黒塗り 法務省の公開文書
どうしたもんかねえ、割り切れぬ思いあり!
死刑執行されてしまったら、じっと黙ってたんだろうか?
無罪結論判決を起案するも、三人合議の結論は裁判長主導の「死刑」
再審の道が開いたことは、まったくの僥倖!
この左陪席裁判官にも、袴田さんにとっても。
しかし、右陪席裁判官と裁判長は知らんぷりなわけね!
すでに鬼籍に入られてるかも知れへんけど。
袴田さん、死刑判決を書いた元裁判官と半世紀ぶり対面
1/13(土) 6:59配信 朝日新聞社
記事には一審当時の裁判官熊本典道さん=2008年 の画像があります。
1966年に静岡県で起きた一家4人殺害事件で死刑確定後、2014年3月の静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌さん(81)と、一審・静岡地裁で死刑判決を書いた元裁判官の熊本典道さん(79)が9日、福岡市内で対面した。
2人が対面するのは、死刑が言い渡された地裁の法廷以来、約50年ぶりとなる。袴田さんの関係者が取材に明らかにした。
熊本さんは07年、無罪の心証を持ちながら死刑判決を書いたとして、朝日新聞などに当時の経緯を実名で告白。袴田さんの再審開始を求める書面を最高裁に提出していた。
熊本さんは脳梗塞(こうそく)を患うなどし、福岡で入院生活を送っている。「(袴田さんに)会って謝りたい」と希望していたという。
一方、袴田さんは長年の拘禁生活の影響で精神を病むなどしている。この日は、姉の秀子さん(84)とともに熊本さんの病室を訪ね、ごく短時間の面会が実現したという。
一審の判決文は熊本さんが起案。当初は無罪の結論だったが、裁判長らとの合議で死刑になったとして、取材にも自責の念を語っていた。
この記事はこちらから
【関連記事】
•袴田事件「みそ漬け7年」DNA抽出実験 弁護団が再現
•死刑囚の執行、選んだ理由は黒塗り 法務省の公開文書