〈佐川一政氏死去〉
「彼女がとてもおいしそうだったから」
日本人留学生が女性の遺体を食べた“パリ人肉事件”とは何だったのか
12/2(金) 17:42配信
1981年、パリの大学院に留学中に「パリ人肉事件」を引き起こし、その後に作家として活動していた佐川一政氏が肺炎で亡くなっていたことがわかった。73歳だった。 【写真】「パリ人肉事件」を起こした当時の佐川氏 事件当時、パリ在住のジャーナリスト・広岡裕児氏はパリのサンテ刑務所で服役中の佐川氏と40通を超える手紙のやり取りをしている。そこで、佐川氏が明かしていた“事件の動機”とは――。「 週刊文春 」掲載の特集記事を再公開する(初出:「週刊文春」2014年3月20日号 年齢・肩書き等は公開時のまま)。 ◆◆◆
「私にとって性的欲望は、食人願望と同じでした」
1981年6月、パリの大学院に留学中の佐川一政氏(当時32)が、自宅へ招いたオランダ人の女子留学生ルネさん(同25)を背後からカービン銃で撃って殺害。切断した遺体を捨てようとして見つかったことから、逮捕された。 その後にわかった衝撃的な事実は、屍姦ののち、遺体の一部を生のまま、あるいは焼いて食べていたことだった。 花の都で猟奇事件を起こした佐川氏の心の闇に、日本中の関心が集まった。 パリ在住のジャーナリスト・広岡裕児氏は、逮捕されてサンテ刑務所に拘留された佐川氏と面会し、40通を超える手紙のやり取りをした。佐川氏は広岡氏を信頼し、さまざまな依頼をするようになった。 「グレース・ケリーを特集した雑誌や少女ヌード写真集の差し入れを頼まれたり、粘土で作ったルネさんの塑像をオランダの遺族に届けてほしい、という頼みごともありました。フランスの刑務所は洗濯をしてくれないので、持ち帰って洗濯して届けたりもしましたね」 「週刊文春」1983年4月28日号の「ついに今あきらかになる――佐川一政が書いたパリ人肉事件の真実『彼女を殺したのは食べるため……とてもおいしそうだったからです』」は、佐川氏からの手紙を紹介している。 〈私にとって性的欲望は、食人願望と同じでした。若い女性をみると、たちまちそういう気持になるのでした。 この欲望は私だけのものだとは決して思いません。愛の行為、より正確にいえば性行為というのは、この欲望の変形ではないでしょうか。男が性交する時どう振舞うでしょうか。男は女の体のあらゆる部分をなめつくします。このとき、男は女を食べてしまいたい、無意識のうちに、むさぼりつくそうと思うものです。私はこの胸のうちにある欲望を実行してしまった。それだけのことです。(中略) 一つ、プランがあります。『カニバル』というタイトルの雑誌を出しませんか〉 イギリスの成人雑誌の発行人に向けて、こんな提案をしている。企画の内容は具体的だ。
毎月(月刊誌にします)、『今月の料理』というのを載せます。つまりは『今月の女性』ですね。女性の体の『最高の部分』を分析しながら紹介するのです。更に、この『料理』についての私へのインタビューを載せるというのはどうでしょう。オリジナルなエロチシズムを満喫するための『人肉食い』の方法について語るのです〉
14カ月ぶりに精神病院で面会したときの「顔つき」
1通目の手紙で佐川氏は、 〈ルネが忘れられません。ルネが好きです。愛しています〉 と書いていた。それが5カ月後には、 〈ルネを殺したのは、食べる為、彼女がとてもおいしそうだったから、食べたくて殺したのです。それだけは本当です〉 へと変わった。広岡氏の印象に残るのは、 「14カ月ぶりに精神病院で面会したとき、確信犯的な顔つきになっていた」 ことだという。 「時間がたつにつれて、『カニバリズムの権威だから事件を起こしたんだ』と自分を正当化、あるいは無意識のうちに追い込んでいったのかもしれません。刑務所で会ったのは事件の半年後でしたが、自責の念や反省が感じられたんです。『食べたかった』とか『殺したかった』とかいう言葉は出ませんでした。 本当に、食べるために殺したのか。殺してしまったあとで、食べようという衝動が起こったのか。いまとなってはわかりません」 佐川氏は、心神喪失状態だったとして保安処分となり、精神病院に入院したのち帰国。事件の詳細を自ら綴った『霧の中』と題する告白小説を出版している。
「週刊文春」編集部/週刊文春 2014年3月20日号