消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

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裁判官の良心とは?!

2018年01月13日 12時06分42秒 | 日記
 袴田事件死刑判決の裁判官、袴田さんと面会!
  どうしたもんかねえ、割り切れぬ思いあり!
   死刑執行されてしまったら、じっと黙ってたんだろうか?

   無罪結論判決を起案するも、三人合議の結論は裁判長主導の「死刑」
   再審の道が開いたことは、まったくの僥倖!
   この左陪席裁判官にも、袴田さんにとっても。
   しかし、右陪席裁判官と裁判長は知らんぷりなわけね!

              すでに鬼籍に入られてるかも知れへんけど。


 袴田さん、死刑判決を書いた元裁判官と半世紀ぶり対面
 1/13(土) 6:59配信 朝日新聞社

 記事には一審当時の裁判官熊本典道さん=2008年 の画像があります。

 1966年に静岡県で起きた一家4人殺害事件で死刑確定後、2014年3月の静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌さん(81)と、一審・静岡地裁で死刑判決を書いた元裁判官の熊本典道さん(79)が9日、福岡市内で対面した。

 2人が対面するのは、死刑が言い渡された地裁の法廷以来、約50年ぶりとなる。袴田さんの関係者が取材に明らかにした。

 熊本さんは07年、無罪の心証を持ちながら死刑判決を書いたとして、朝日新聞などに当時の経緯を実名で告白。袴田さんの再審開始を求める書面を最高裁に提出していた。

 熊本さんは脳梗塞(こうそく)を患うなどし、福岡で入院生活を送っている。「(袴田さんに)会って謝りたい」と希望していたという。

 一方、袴田さんは長年の拘禁生活の影響で精神を病むなどしている。この日は、姉の秀子さん(84)とともに熊本さんの病室を訪ね、ごく短時間の面会が実現したという。

 一審の判決文は熊本さんが起案。当初は無罪の結論だったが、裁判長らとの合議で死刑になったとして、取材にも自責の念を語っていた。
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2 コメント

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Unknown (みゃー大工)
2018-01-13 23:21:46
松田様のリンクも拝見しました。
熊本元裁判官の苦しみの一生と、
袴田さんの苦しみの一生を思うと、もう言葉にならない。

残り2名が普通の人生を全うされたとなれば(>すでに鬼籍に入られてるかも知れへんけど。)
なんか、人の良心のありかたとか、人が人を裁く事が、怖くなります。
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司法の闇 (松田まゆみ)
2018-01-13 16:23:32
こちらの記事を読むと袴田事件の経緯と熊本元裁判官のことがより詳しくわかります。
https://www.orangehoppe.com/hakamadajiken-saibankan-kumamotonorimichi-kokuhaku-kitamurabengoshi/

あの死刑の決定は三人の裁判官の多数決で決まったわけですね。で、無罪を主張していた熊本さんが主任裁判官であったことから自分の手で死刑判決を書かねばならなかった・・・。もし自分が熊本さんの立場だったらどうするだろう、とつい考えてしまいます。

熊本さん、判決を書いてから半年後に罪悪感から裁判官を辞めて弁護士になっているのですね。しかし守秘義務で事実を誰にも話せない彼はアルコール依存症、うつ病、パーキンソン病、家庭崩壊、弁護士の解雇と登録抹消・・・。

袴田さんは冤罪で人生を滅茶苦茶にされたわけですが、一方で熊本さんも壮絶な人生を送ったわけです。当時の裁判長と右陪審裁判官の無責任な判断が二人の人生を暗転させたと思うと、言葉がありません。

日本にはヒラメ裁判官がうじゃうじゃいて原発訴訟もほとんど勝てない訳ですが、自白強要とヒラメ裁判官はこの国の闇ですね。
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