今、懐かしいテープを聴いている。
全日本合唱コンクール全国大会高校の部、東北地区代表、福島県立福島高校男声合唱団(以後福高と略す)の演奏。なんと年度は1982年、私が高校2年生の時のテープである。
23年前にラジオから録音したテープだし、何度も聴いてるので、テープは所々波打って音も飛ぶけど、素晴らしい演奏は変わらない。
演奏曲は自由曲、トーマス・タリス作曲「エレミア哀歌」と言う曲。
クリスチャンになった今だから「エレミア哀歌」は旧約聖書の「エレミアの哀歌」から取った宗教曲だとわかる。けれども高校生当時はラテン語の知識も聖書の知識もなかったので何もわからず聴いていた。けれども、この福島高校が歌う「エレミア哀歌」は非常に心にしみて何度も聴いた。
当時、合唱コンクールは東北地区が圧倒的に金賞を取っていた。
私がいた山形西高音楽部(後は西高と省略する)も、全国大会金賞を取っていた。
だからこそ、私はこの高校に入ったのだから。全国一になるために。
しかし神様は、やはり私の思いを超えておられる。
私は一回も全国優勝を体験できなかった。銀賞止まりだった。
このことはまた後で詳しく書きたい。全国一になれなかった故に得たものの豊かさを書きたい。
話は福島高校に戻る。
当時、東北大会で競っていた者同士、福高と西高は、毎年春に「ジョイントコンサート」をやっていた。
男子高の福高と、女子高の西高が一緒に演奏できるのである。
これで乙女がときめかないわけがあろうか?
当時の福高合唱団は約70名、西高音楽部は約120名。
どうしても混声合唱にするには人数があわない。だから西高は1年生は見学だった。
私が入学した時は、山形でジョイントコンサートがあった。
ここで面白いエピソードがある。ジョイントコンサートは「福島、山形、福島・・・」と毎年場所交換で行われたのだが、その会場の学生が、相手の高校のお弁当を作る」という決まり事があった。
そして、一番の楽しみは(誰も口に出さないが)練習後、本番直前のパート毎の交流会である。ソプラノは第一テノールと、メゾソプラノ上パートは第二テノールと、アルトはベース(バス)と、である。
これはかなりときめいたなあ・・・・。
私のパートのメゾソプラノの下パート(以下メゾ下と略す)は、バリトンと交流会をした。
私が2年生のときは福島が会場だったので、バリトンの男子生徒と、メゾ下の私達が、福島高校の一室で、交流会をした。
17才の私は正直、晩生(おくて)だったと思う。
私を含め、福高の方々も同じだったのじゃないかなあ?とってもなんて雰囲気じゃなくて、ぎこちなかった。
でも、バリトンのみなさんが私達女子高生を笑わせようと、一生懸命バック転をしてみせてくれたり、耳をぴくぴくと動かしてくれたのを今でも鮮やかに覚えている。
そしてお弁当の時間。
私にお弁当が渡ってきた。ドキドキして開けた。
それは、ごく普通の海苔弁当だったと覚えている。
ただお弁当の中身もお弁当箱も、作ってくれたお母さんを想像できるようなあったかいお弁当だった。高校生の私は、なんだか気恥ずかしいような気持ちで、そのお弁当を頂いた。
美味しく頂いた後、添えられていた割り箸の封筒に「ご馳走さまでした。とても美味しかったです」と書いて返した。
それが精一杯だった。
その時ジョイントコンサートで演奏した曲はプーランクの「スターバト・マーテル」(悲しみの聖母)でした。
いつも女声合唱しか歌えなかったけど、このジョイントコンサートで混声合唱の楽しみと、男子高生へのときめきと憧れを覚えた気がする。
高校2年生の私は、まだボーイフレンドもいない。手すらつないだ事の無い、ロングヘアーのセーラー服の少女でした。
その頃の自分を思い出すと、まぶしいようないとおしいような気がします。
全日本合唱コンクール全国大会高校の部、東北地区代表、福島県立福島高校男声合唱団(以後福高と略す)の演奏。なんと年度は1982年、私が高校2年生の時のテープである。
23年前にラジオから録音したテープだし、何度も聴いてるので、テープは所々波打って音も飛ぶけど、素晴らしい演奏は変わらない。
演奏曲は自由曲、トーマス・タリス作曲「エレミア哀歌」と言う曲。
クリスチャンになった今だから「エレミア哀歌」は旧約聖書の「エレミアの哀歌」から取った宗教曲だとわかる。けれども高校生当時はラテン語の知識も聖書の知識もなかったので何もわからず聴いていた。けれども、この福島高校が歌う「エレミア哀歌」は非常に心にしみて何度も聴いた。
当時、合唱コンクールは東北地区が圧倒的に金賞を取っていた。
私がいた山形西高音楽部(後は西高と省略する)も、全国大会金賞を取っていた。
だからこそ、私はこの高校に入ったのだから。全国一になるために。
しかし神様は、やはり私の思いを超えておられる。
私は一回も全国優勝を体験できなかった。銀賞止まりだった。
このことはまた後で詳しく書きたい。全国一になれなかった故に得たものの豊かさを書きたい。
話は福島高校に戻る。
当時、東北大会で競っていた者同士、福高と西高は、毎年春に「ジョイントコンサート」をやっていた。
男子高の福高と、女子高の西高が一緒に演奏できるのである。
これで乙女がときめかないわけがあろうか?
当時の福高合唱団は約70名、西高音楽部は約120名。
どうしても混声合唱にするには人数があわない。だから西高は1年生は見学だった。
私が入学した時は、山形でジョイントコンサートがあった。
ここで面白いエピソードがある。ジョイントコンサートは「福島、山形、福島・・・」と毎年場所交換で行われたのだが、その会場の学生が、相手の高校のお弁当を作る」という決まり事があった。
そして、一番の楽しみは(誰も口に出さないが)練習後、本番直前のパート毎の交流会である。ソプラノは第一テノールと、メゾソプラノ上パートは第二テノールと、アルトはベース(バス)と、である。
これはかなりときめいたなあ・・・・。
私のパートのメゾソプラノの下パート(以下メゾ下と略す)は、バリトンと交流会をした。
私が2年生のときは福島が会場だったので、バリトンの男子生徒と、メゾ下の私達が、福島高校の一室で、交流会をした。
17才の私は正直、晩生(おくて)だったと思う。
私を含め、福高の方々も同じだったのじゃないかなあ?とってもなんて雰囲気じゃなくて、ぎこちなかった。
でも、バリトンのみなさんが私達女子高生を笑わせようと、一生懸命バック転をしてみせてくれたり、耳をぴくぴくと動かしてくれたのを今でも鮮やかに覚えている。
そしてお弁当の時間。
私にお弁当が渡ってきた。ドキドキして開けた。
それは、ごく普通の海苔弁当だったと覚えている。
ただお弁当の中身もお弁当箱も、作ってくれたお母さんを想像できるようなあったかいお弁当だった。高校生の私は、なんだか気恥ずかしいような気持ちで、そのお弁当を頂いた。
美味しく頂いた後、添えられていた割り箸の封筒に「ご馳走さまでした。とても美味しかったです」と書いて返した。
それが精一杯だった。
その時ジョイントコンサートで演奏した曲はプーランクの「スターバト・マーテル」(悲しみの聖母)でした。
いつも女声合唱しか歌えなかったけど、このジョイントコンサートで混声合唱の楽しみと、男子高生へのときめきと憧れを覚えた気がする。
高校2年生の私は、まだボーイフレンドもいない。手すらつないだ事の無い、ロングヘアーのセーラー服の少女でした。
その頃の自分を思い出すと、まぶしいようないとおしいような気がします。