阪神の西岡選手は、藤山直美をお母んと呼ぶ間柄。
乳がんの手術後、麻酔から醒めようとする時、西岡選手が「お母ん、大丈夫か?」と何度も声をかけていた。
麻酔から醒めた藤山直美は、「お前こそ大丈夫か?」と突っ込んだという。 . . . 本文を読む
NHK「オイコノミア」最終回の視聴メモから ─10代のみんなに伝えたいこと─
経済学では、「幸せ」を”便益”と呼び「不幸せ」を”費用”と呼ぶ。人間にとって不快なものすべてが費用だと考える。この番組では、難しいと思われがちな経済学を、身近な話題に置き換えてやさしく解説していた。その最終回の視聴メモである。その中でもっとも印象に残ったことばは、「経済学は過去を見ない。今から何ができるかを考える」である。 . . . 本文を読む
NHK「世界の哲学者に相談」視聴メモから
後悔の念の起こるのは、自己の力を信じすぎるからである。 西田幾多郎
人間は、哀しみと喜びを比較する。純粋経験(ありのままに経験する) 悲しみは純粋に哀しみだから素直に悲しみなさい。それを自分がどうにかしようと思うから悩むのだ。折に触れ、物に感じて思い出すのがせめてもの慰藉である。死者に対しての心づくしである。 . . . 本文を読む
神田橋條治 先生のことばより 対話の場の主役はコトバだが、内省の場の主役はイメージである。コトバやイメージは、一見したところ、ヒトのこころに対して強い支配力をもっているように見えるが、じつは、その力の源泉は実体験の情報の確かさである。実体験に裏打ちされていない言葉は空疎である。実体験が薄い時はイメージも淡い。人の生を支える力をもちえない。言いかえると、コトバは、実体験や実体験に由来するイメージの「目次」であるにすぎない。 . . . 本文を読む
5月4日、世界卓球2018スウェーデン大会での女子準決勝戦。韓国と北朝鮮が突然合同チームを編成すると発表した。この想定外の「コリア」との試合で勝利した日本代表女子。その3選手へのインタビューの中で、平野美宇選手のコメントに、その強さの根っ子を見つけたような気がする。 . . . 本文を読む
大学の授業で、「私はゆとり世代に自信をもっています。何かあればすぐに『ゆとり』だとバカにされるけど、そんなゆとり教育を作ったのもなくしたのもこの日本なのに、どうしたいんだろうと思います」という学生の声を聞いた。年代的に最後の”ゆとり世代”である。
私は、38年間の中学校教員としての経験をふまえて、「”ゆとり教育”の世代は、私にとって最高の教育ができたと思える。ゆとり教育を受けた皆さんは自信をもっていい。もし、”ゆとり教育”がだめだと言う教師がいたら、その人自身が、自由に使える時間をもてあますような、創造性や教育への信念をもってない教師なんだろう」と語った。学校の自由裁量時間が削られていく昨今の流れに、心を痛めているのは私だけだろうか。 . . . 本文を読む
帰宅途中の愛車の中で、ふと走行距離が気になった。いつもは燃費がわかるよう、ガソリンを満タンにしてからの距離を表示できる画面にしている。信号で停車した折、オドメーターに切り替えた。すると、「88857」と出た。自宅まで約30キロ。途中で8が揃うぞと期待に胸が躍った。
数字が揃ったら、路側帯がある所で車を止めて写真を撮ろうと、わくわくしながら車を走らせた。「88880」やがて、見慣れた景色になり、 . . . 本文を読む
いじめを理由とした哀しい報道が続いています。
中学生と長く関わってきた教員として、身につまされることばかりです。
ここしばらく、投稿する余裕がなかったにもかかわらず、多くの方に見ていただいていることを申し訳なく思いながら、いじめ問題について思うことを述べてみます。
私が学級担任をしていたクラスにも、いじめの問題は必ずありました。
年度が替わっても、必ずといっていいほど次々と出てきました . . . 本文を読む
「自学ノート」は、呼び方を変えた「宿題帳」なのか。もしそうでないとすれば、その違いはどこにあるのだろうか。
いつ頃からか、職員室で「自学ノート」という言葉をよく耳にするようになった。私が以前勤務していた中学校でも、その前の学校でもよく使われていた。 生徒たちは、毎日「自学ノート」を学習係に提出し、担任が目をとおした(?)後、本人に戻されるようであった。「自学ノートの見本」として、優秀なノートを . . . 本文を読む