死はすぐそこにある。
平和な生活のすぐとなりに潜んでいる。
平和な生活のすぐ近くに隠れていて、唐突に死は姿を現す。
「いつ病気になって、いつ死んでもおかしくない」
頭でわかっているつもりでも、全くわかってなかった。
自分は長生きするタイプではない、と思っていたが、何もわかってなかった。
医療が発達しているから自分が死ぬなんてことは想像できなかった。
でも今思う。
私もいつか確実に死ぬ。
極めて当たり前のことだが、「死」をはじめて本気で意識した。
平和な何の変哲も無い家族に、唐突に「死」は姿をあらわした。
私はすでに3人の祖父母を失っている。
にもかかわらず、今感じている本物の死の影を感じたことはなかった。
3人の祖父母は私にとって日常ではなかったからだ。
しかし、今度ばかりは違う。
死の入り口が私の家族に向けられた。
祖母がガンにおかされた。
生まれたときからずっと一緒に暮らしている、私が愛し尊敬する祖母が死の宣告を受けた。
彼女は私にとって、切っても切り離せない存在だ。
私の心の中に大きく存在しており、私の血であり肉であり、私を構成する要素の一部でさえある。
そんな人に、死が入り口を広げたことが、信じられなかった。
祖母は、80歳にしては元気すぎるほどだ。健康体そのものだった。
それがあだとなった。
本人だけではない。誰もが油断していた。健康を過信していた。
祖母が抱えているそれは、もう結構なものだった。
私たちがしらないうちにそいつは平和な生活の影でひっそりと成長していた。
なんて憎いんだ。なんでもっと早く気づかなかったんだ。
毎日一緒にいながら、祖母の中にそいつがいることになぜ気がつかなかったんだ。
健康を過信していたがゆえに、ガン検診などほとんどしてこなかった。
気づいた時にはもう遅い。本当にドラマかと思った。実感が全く無かった。
「年を越せないかもしれない」
と医師に言われた。意味がわからない。
そういわれる前日まで、祖母は我々の夕飯を作り、うちの黒ラブを散歩させたり、掃除洗濯風呂掃除、元気すぎる80歳だった。頭も声も相当しっかりしている。
そんな人が一年以内に死ぬかもしれないって言われたって理解できません。
それどころかいつ容態が急変するかわからない、という。
もっと大事にすればよかった。元気すぎる祖母に甘えていた。
80にして毎日6人分の夕食を当たり前のように作らせていた我々がいけないんだ。
なんでもっと早く気づかなかったんだ。ただそれだけだ。
でもまだ死ぬときまったわけじゃないんだ。年だからガンの進行も相当遅いだろうし、成長を押さえつけて、むしろちっちゃくすることが出来れば、ガンで死ぬか普通に死ぬかわからないくらいまで持つかもしれない。家族が望みを捨てたらそれこそおしまいだ。俺もこんな文章を書いてる場合じゃないよ。こんないかにも望みが無いみたいなこといってたら本当にそうなっちまうかもしれない。
本人が一番がんばっているのに、家族がダメかもしれないなんて思ったらあまりにひどい。ばあちゃんのことだ、持ち前の明るさと人一倍の元気さで、あんなものに負けるはずが無い。一年以内かもと言った医者を後悔させるほどの回復を見せるに違いない。並みの80歳とはわけが違うんだ!
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