うどんやラーメンなどの食べ歩きと旅のブログ2

国内・海外問わず旅が好きです。以前のブログが、無料容量限界に達したのでその続きです。

刺身「ゴンドウクジラ」(巨頭鯨)

2024年11月15日 | 食べ物一般

 こないだスーパーに行ったら、ゴンドウクジラの刺身が売っていた。ちなみにゴンドウクジラは、比較的小型の鯨で「巨頭鯨」と書きます。鯨を食べると言うと、海のシェパード(仮称)が暴れるかもしれませんが、N村が小学生時代の給食では毎週鯨肉が出ていました。鯨の竜田揚げとか鯨ステーキなど、「また鯨かあ」という声が聞こえるほどでした。豚肉・牛肉が高価で給食には提供できない時代の鯨肉は、貴重なたんぱく源でした。

 あと、当時は牛乳ではなく「脱脂粉乳」でした。多くの人は「不味い・いやだ」と言っていましたが、N村的には「そこそこ美味いじゃないか」と思っていました。(味は好みがあります)

 その後、鯨類の過剰なほどの保護活動が世界中でブームになり、鯨捕鯨国は窮地に立たされます。欧米の捕鯨は基本油を取るためなので、鯨肉は不要です。一方、日本は「鯨は捨てるところがない」といわれるほど鯨のすべてを利用します。鯨の油が不要になった欧米が捕鯨をしなくても、痛くもかゆくもないのは当然です。

 鯨資源を適切に管理するという目的で発足したIWCは、いつのまにか鯨を取ることは一切禁止するという路線になってしまいました。日本が南氷洋や北大西洋で行っていた調査捕鯨も非難され、シー犬(仮称)の犯罪的妨害も頻発するようになります。

 鯨資源を管理する目的を失ったIWCから日本が脱退したのは致し方ないと思います。むしろ、長年にわたる日本たたきに良く耐えていたとさえ思います。日本はIWCを脱退しましたが、議決権のないオブザーバーとしてIWCの会合には出席しています。日本の負担金が無くなったため、IWCの資金は不足気味ということです。今後、日本たたきが行えなくなったIWCはどこに向かうのでしょうか。日本が調査捕鯨を行っていたため、鯨の生息数も把握できていたものが、日本の資料が無くなってしまったので、全体的な把握は難しくなってしまったと考えられます。IWCにとっては、保護すればいいという考えなので、大きな問題にはならないかもしれませんが、すでに資源を管理するという目的は完全に失われてしまいました。残るは感情論だけになります。

 IWCからの脱退により、公海上での捕鯨はできなくなったので、現在は排他的経済水域(EEZ)での捕鯨のみとなっています。海犬(仮称)も、日本のEEZ内の捕鯨については、過激な妨害活動をしていないようです。(知っている限り)

「鯨がかわいそうなら、牛やカンガルーは食ってもいいのか?」と言う気はありませんが、適切な資源管理の上での捕鯨(魚資源もそうですが)はいいのではないかと、個人的には思います。もちろん、種の絶滅は絶対に避けなければなりません。どこかの大陸の国のように「魚は無限にある。いくら取っても枯渇することはない」と言いながら、自国の近隣では魚を取りつくし、遠くの外国の沿岸まで進出して根こそぎ漁をするのは如何なものかと思います。

 以上は、個人的な感想です。そういうことで、子供時代鯨を食べまくった世代としては、あまり有難がる食べ物ではなかったのですが、調査捕鯨時代にはかなり高額になっていました。調査捕鯨といっても、捕獲した鯨肉は無駄にすることなく、市場に出回っていました。これは、命は無駄にしないという考えで至極妥当なことだと思います。

 店で鯨を食べたのは、もう20年くらい前のことだと思いますが、渋谷の鯨専門店に行って食べたのが最後のような気がします。鯨料理は、そこそこお高かったようですが値段は忘れました。

 昨年スーパーで「汐くじら」を見つけて買ったのですが、汐抜きが上手にできなかったせいか、しょっぱくて「だめだこりゃ」となってしまいました。

 という前振りがあって(前振りなのか)スーパーでお得価格な刺身用クジラが売っていたので、1パックお買い上げです。通常でも鯨肉は売ってはいるのですが、そこそこお高いし昔は嫌という程食べたので、無理して買わなくてもいいかと思っていました。

 生姜と醤油で、美味しくいただきました。久しぶりのクジラだぁ。魚とは違うのだよ、さかなとは‥


島原に「坂本竜馬」みたいな巨大な像を見た(島原復興アリーナ)長崎県島原市

2024年11月14日 | 旅行

 こないだ(2024年1月9日)長崎県島原市に行ったのである。普賢岳噴火時の火砕流・土石流についての展示館「がまだすドーム」を見学後、すぐ近くに「坂本竜馬」みたいな巨大像があることに気が付いた。

 なんじゃこりゃああ!! どう見ても「坂本竜馬」がサッカー日本代表のユニを来ているようにしか見えないのであ。それに右足は、どう見てもサッカーボールのようだ。

 再度、なんじゃこりゃああ!!

 この敷地は「島原復興アリーナ」と表示があります。これは、普賢岳噴火災害復興のためのシンボルとして建設された多目的複合施設で、屋内スポーツ施設があるとのことです。

 近づいてみると、説明の看板がありました。それによると「2010年6月に南アフリカで開催されたサッカーワールドカップで決勝トーナメントに進出し、世界ベスト16入りを果たした日本代表は、日本国民に勇気と感動を与えてくれた。この日本代表の活躍を国民と共に支え、サポーターを盛り上げたのが・東京国立代々木競技場「サムライブルーパーク」に建てられた「サムライブルー竜馬像である」と書かれています。

 なるほどー!! そうだったのか。なんで、代々木の像がここに?

「島原は、坂本龍馬と歴史的なゆかりの地である・・」と続きます。以下略

 ということで(見にくいけど看板見てね)ここに寄贈されたとのことです。

 坂本竜馬って遠くから見ても、なんとなく「坂本竜馬」って分かるんだよね。

 長崎県島原市平成町2-1 Pあり


和生菓子「淡雪赤」宝屋菓子舗(長崎県南島原市)

2024年11月13日 | 食べ物一般

 こないだ(2024年の正月明け)に、ちょっと遅れて初詣に行ったのである。スーパーではすでに初売りが始まっており、年末の正月用に仕入れたと思われる商品が、一部安売りになっていたのである。電車で行ったので、そう沢山買っても持って帰るのが大変なので、ぶらぶら見て回っていたら「淡雪」があったので1個お買い上げ。(ほぼ半額)

 半額というくらいなので、証拠期限が近いのであります。生菓子なので、早くいただきましょう。製造は、長崎県南島原市の「宝屋菓子舗」です。

 淡雪というぐらいなので、雪のようにふわっふわなのであります。口に入れるとふわっととろける感触と、ほどよい甘さでお茶に合います。それにしても、2024年の正月は北陸地震や羽田空港の航空機事故など、さんざんのスタートでありました。

 淡雪赤:参考価格 580円+TAX


せんべい「久助」(有)まるせん米菓_茨城県桜川市

2024年11月12日 | 食べ物一般

 こないだ少し離れたスーパーに行ったら「せんべい久助」(きゅうすけ)を見つけた。「ああ、真空パックのせんべいね」と思ったのだが、良く見ると「マツコ&ありよしのかりそめ天国」で紹介されたというポップが付いていたのである。

 そんなに押すならと、1袋お買い上げしました。(かりそめ天国は見ていない)

 茨城県桜川市の「(有)まるせん」が製造しています。「桜川市」というのは馴染みがありませんので調べてみたら、2005年10月1日に「西茨城郡岩瀬町」「真壁郡真壁町」「真壁郡大和村」が合併して誕生したとのことです。(昔は関東住まいだったが、福岡に移住したので平成の大合併時に誕生した市は馴染みがありません)

 真空パックを開けて、早速実食です。あれ、パリパリの煎餅ではなく、銚子電鉄の「ぬれ煎餅」のような超しっとり感でもありません。なんというか、その中間みたいな食感です。最初は少しサクッと感があるのですが、すぐにふにゃと感に変わります。醤油味のサクふにゃ煎餅が不思議と美味いのです。

 東京の古めの商店街では、まるっこい大きな瓶に入って個別売りしている煎餅とかあるけど、あれって固い煎餅だったように思います。密閉度が悪いと、かっちんこっちんの煎餅が湿気ってふにゃっという感じになりますが、これは最初からこういう食感を狙って製造されている煎餅です。不思議な食感で、うまさ確定です。


諫早湾干拓堤防道路「雲仙太良シーライン」長崎県雲仙市吾妻町⇔長崎県諫早市高来町

2024年11月11日 | 旅行

 こないだ長崎の雲仙に行ったのである。往路は、佐賀のメイン道路となる国道34線を通り、島原半島に入りました。(カーナビさまの言うとおり)

 首尾よく雲仙・島原観光を終わって帰路についたのであります。(いつもカーナビ様のいうとおり)それほど急ぐ旅でもないので、一般道の走行です。

 だいたい復路も同じようなコースだよな、と思ったら海の上を案内するのである。えー、なんでどうしてこうなるの? フェリーでもあるの? まあ、ショートカットではあるような。

 半信半疑で走っていたら、次々に車がカーナビさまの示す方向に進んでいくのである。その車に付いて走っていたら堤防道路に出ました。オーマイガー!道があーるじゃありませんか。

 ちなみに「駐停車禁止」になっているので、停まって写真を撮ってはいけません。(停まりたい気持ちは分かる)少し走っていたらPAがあったので、滑り込みました。(唯一停まれる場所)

 あ、ここは諫早湾干拓のためにできた水門(いわゆるギロチン)のところを車が通れるようにしたんや。そういえば、水門を開けろとか開けないとかで裁判をやっていたな。「ムツゴロウ」が主体となって訴訟を起こした人がいたが、「ムツゴロウは当事者能力を認めることはできない」として却下されたと記憶しています。知識としては知っていましたが、通るのは初めてです。カーナビさまに感謝であります。

 トイレもあるので、少し休憩というのもいいかもしれません。しかし釣り等は禁止です。

 歩道橋からの眺めです。雲仙普賢岳方面です。

 こっちは、帰路の佐賀方面です。

 干拓地方面です。堤防の内側は、すべてが陸地ではなく調整池があります。

 おまけで、外洋方面です。

 調整池側から水を排出していますね。

 ということで、佐賀方面に向かいましょう。そこそこ交通量はありますが、渋滞するほどではありません。通行無料です。


島原市北上木場町と千本木展望所_長崎県島原市

2024年11月10日 | 旅行

 こないだ長崎の雲仙に行ったのである。「がまだすドーム」⇒「道の駅ひまわり」(土石流被災家屋保存公園)⇒「大野木場監視所」(砂防みらい館)⇒「北上場町」と行きました。

 この北上場町は、普賢岳の火砕流で多くの被災者を出した「定点」の近くになります。砂防みらい館から「定点」は、対岸に見えていたので近くまで行けないかと思って行ってみました。(普賢岳がどういう感じで見えるのか確かめたかった)

 定点までの道は良く分かりませんでした。たぶんここから下って、さらに水無川上流ではないかと思いますが、先がどうなっているか分からないので、ここまでにしました。

 定点近くから見た普賢岳です。頂上からは、少し噴煙が上がっているのが確認できます。ここからだったら「まあ、大丈夫じゃね」と思うのも無理からぬことかなと思いました。(個人の感想です)

 次に、そのまま真っすぐに走って眉山方面に行くと、千本木展望所があります。

 ここからも、普賢岳山頂は離れているように見えます。

 しかーし、最大級の火砕流が流れた時は、千本木地区まで飲み込まれました。当時の写真を見ると、赤丸内(千本木地区)が、ちっぽけに見えて巨大な雲が迫ってきているのが分かります。事前に避難していないと、100Kmで迫りくる800℃の火砕流からは逃れられないでしょう。

 火砕流は、思ったより巨大で足が速く高温です。後世に伝えることが大事と思います。

 長崎県島原市北上木場町


展示館「大野木場監視所」(大野木場砂防みらい館)長崎県島原市

2024年11月09日 | 旅行

 こないだ、長崎の雲仙に行ったのである。(2024年1月8日~9日) 温泉を堪能した後、「がまだすドーム」⇒「道の駅ひまわり」(土石流被災家屋保存公園)⇒「大野木場監視所」(大野木場砂防みらい館)を訪れました。

 普賢岳は、現在も噴煙が上がっている活火山なので監視がされています。監視所部分は立ち入り禁止ですが、一般開放部分については入ることができます。入館無料です。

 昔、使われていた観測機器などの展示があります。おー、PC-9801とNECのパソリンク(50GHz)があるではないですか。懐かしいなぁ。活火山の近くは危険なので、こういう機器を使ってデータ伝送していました。パソコンは、フロッピーディスクの時代です。

 がまだすドームほどではありませんが、こちらでも普賢岳噴火の資料を見学することができます。

 ここから水無川を挟んだ対岸が「定点」です。ここで、多くの人が火砕流で犠牲になりました。

 ここから普賢岳が見えますが、思いの外離れているように見えます。噴火地点から距離的に、マスコミが集った「定点」とさほど変わらないので、この距離で危険があるとは感じなかったのではないかと思います。もちろん、この場所も被災したのですが、地図で見る感じと実際の場所に立っている感じとは、だいぶ違うなと感じました。

 

 すぐ隣にある「旧大野木場小学校」も火砕流に飲み込まれました。児童たちは、すでに避難していたため人的被害はありませんでしたが、校舎は焼けただれました。

 コンクリート製の建物は残っており、ここで保存されています。(内部の立ち入りは禁止)

 二宮金次郎さんも焼かれて多少焦げがありますが、ご無事なようでした。(そうか?)

 普賢岳は活火山なので、いつ活動が活発化するか分かりません。そういうわけで、こうした監視施設が常時火山活動を監視しています。

 長崎県島原市南下川尻町7-4 Pあり


道の駅「ひまわり」長崎県島原市(土石流被災家屋保存公園)

2024年11月08日 | 旅行

 こないだ(2024年1月8日~9日)長崎の雲仙に行ったのである。温泉を堪能した後、「がまだすドーム」で、普賢岳噴火の展示を見たのち、道の駅ひまわりに向かいました。

 ネットで調べてみたら、2023年7月28日にオープンしたばかりの新しい道の駅のようです。

 佐世保バーガーありまっせ。もちろん、店内には産直の野菜などが売られています。

 ここを訪れた理由は、隣接して「土石流被災家屋保存公園」があるからです。普賢岳の噴火では、大規模な火砕流が発生しましたが、その後の降雨で土石流が発生し水無川近くの海岸付近まで飲み込まれました。その時、被災とした家屋が保存されています。

 1階部分は、ほぼ埋まっています。

 一部の家屋については、建屋の中で保存されていて自由に見学できます。

 自然の力は凄まじいものです。

 これらの建物については残念ですが、事前に避難をしてたいため人的な被害が無かったことは幸いと思います。

 長崎県南島原市深江町丁6077


展示館「がまだすドーム」長崎県島原市

2024年11月07日 | 旅行

 こないだ、長崎の雲仙に行ったのである。温泉でゆっくりした後、島原半島を散策してみましょう。事前に「がまだすドーム」を調べていたので、カーナビにセットして向かいます。海岸沿いに、めっちゃ立派な建物がありました。

 駐車場から普賢岳(左)と眉山(右)が見えます。徳島には同じ漢字で「びざん」がありますが、こちらは「まゆやま」です。歴史に残っているだけで、1663年に溶岩流出で死者(30余名)を出しています。その後の1792年溶岩が噴出し、また大地震により眉山が崩壊し有明海に流出し津波が発生。島原・肥後(対岸)で死者1万5千名という大惨事が起こりました。これを「島原大変肥後迷惑」と言われています。

 その後も、たびたび群発地震・噴火を繰り返しているので、元気な活火山ということです。1991年の火砕流と土石流により、マスコミ・消防団員・タクシー運転手・住民44名が犠牲(不明者含む)になったのは記憶に新しいところです。

 がまだすドームは、そういう歴史を後世に伝えるための記念館です。

 当時の被災地を再現されています。ジープは火砕流発生後、陸上自衛隊が現地で監視を行った際に使用されたものです。運転席には乗車可ですが、荷台は不可となっています。

 火砕流は、約800度の熱で100Kmほどの速度で流れるので、通り道にいたら助からないでしょう。

 なにもかも、焼けただれています。

 絶望的な光景です。

 被害が大きかったのは、テレビ・新聞社等のマスコミが定点と呼ばれる火砕流の通り道で取材活動をしていたためといわれています。火砕流を正面から見える場所はいい絵が撮れるので、各社はそこで取材活動をしていました。危険があるといわれても他社が撤退しないかぎり、スクープは持っていかれるだけなので、どの社も引きませんでした。まさか、そこまで(定点)まで火砕流が到達するとは思ってもみなかったのでしょうが、過去の噴火の歴史を鑑みれば絶対に安全な場所まで引くべきでした。(結果論にはなりますが)

 当日も、退避勧告が出ましたがマスコミは抵抗し、それに引きずられてタクシー運転手・消防団からも多くの犠牲者を出してしまいました。警察もマスコミの公共性に忖度して、強くは出なかったということです。

 1991年5月29日は、運命の日になってしまいました。先にも書きましたが、火砕流は時速100Km程度で迫ってきます。通り道にいたら、気が付いた時にはもう逃げる術はないでしょう。

 安中消防団(当時の)喜多さんがおっしゃっていますが「まさか仲間が亡くなってしまうとは思ってもいなかった。当時、北上木場町では報道陣が避難した住民の住宅に無断で入り、電話や電気を使用する問題が起こっていた。それだけではなく、当時は空き巣も多く注意を払っていた。やっぱり何が原因かというと、自然の驚異に対する人間の認識の甘さが災害を大きくした。まさか火砕流がここまでこないだだろうという思いがあった」とあります。まさに、その通りと思います。東日本大震災時、東北地方を襲った津波も大昔、同様の被害が起こっていました。ある地方では「ここから下には住むな」という碑があったという報道もありました。人は数百年たつと、過去の大災害を忘れてしまいます。(まあ、大丈夫じゃねみたいな)

 雲仙普賢岳も過去の大災害があって、その文献が残っているにもかかわらず、数百年たったら危機感が薄らいで「まあ大丈夫じゃね」となってしまった結果と思います。それと、マスコミ間の過剰な報道合戦が、それに拍車をかけました。

 がまだすドームは、そういった人間の認識の甘さを後世に残す貴重な施設と思いますが、数百年後の人間は賢くなっているのでしょうか? この施設も永遠ではありませんからね。

 がまだすドーム 長崎県島原市平成町1-1 Pあり無料 

 入館料:大人1,050円 がまだすドームのHPからアンケートを提出して、「割引券」を印刷して持っていくと2割引き。またJAFの割引もある。(併用不可)


海中鳥居_佐賀県藤津郡太良町

2024年11月06日 | 旅行

 こないだ長崎の雲仙に行くのに一般道を使ったので、太良町の海岸を走っていたら、なにやら観光スポットのような場所を見つけた。(たまたま発見)ぎゃっと駐車場に滑り込んだら、海中鳥居がありました。海中といっても訪問時は干潮だっため、海岸線はずっと先です。みんな歩いて行っているので、行ってみましょう。ちなみに、どこかへ行く場合時間の余裕があれば一般道を優先して使います。道すがら、いろいろな発見がある場合があり、楽しいからです。(お金がかからないということもあるが)

 鳥居の先にお賽銭か?と思ったら、なんと卵が入っているではあーりませんか。なんじゃこりゃああ。観光客が面白がって写真を撮っているので、こっちも1枚撮ってみました。有難い鳥居なのでお賽銭は分かるとしても、なんで玉子なの? 熱湯が湧き出る所だったら、温泉卵という可能性あるのだろうが、潮が満ちたとしても普通の海水だよな。なんか、ここだけ熱水が湧き出るとか?(考えにくいが)まあ、誰か面白がって置いたのかもしれませんが不明です。

 海岸線ぎりぎりまで行ってみました。潮が満ちてくるといけないので、すぐに引き返します。(歩きづらいし)

 なんで海中鳥居?と思ったら、この鳥居の先は「沖ノ島」ということです。調べてみたら有明海には3基の海中鳥居があるそうです。これは「大魚神社の第二の鳥居」とのことで、伝説があるようです。詳しくは「太良町」のHPに説明があります。

 https://tara-kankou.jp/spot/post-18.html

 広い無料駐車場があり、そこに「ゾンビランドサガ」のカラーマンホールがありました。(これもたまたま見つけました)

 佐賀県藤津郡太良町多良1874-9先 Pあり


餃子ラーメン「ホワイト餃子」佐賀県武雄市

2024年11月05日 | 食べ物一般

 こないだ(2024年1月8日祝日)武雄の「ホワイト餃子」に行ったのである。そういえば以前訪問するとき、カーナビが住所も電話番号も認識しなかった覚えがある。その日も「該当の住所がありません、付近の地図を表示します」とか言うのである。オーマイガー! 行けば分かるだろう(ほんとうか?)

 なんとなく「〇〇病院」の近くという記憶を頼りに向かいました。祝日なので混んでいると判断し、13時過ぎを目指したところ到着したら激混みでした。(まだ昼近くだわ)名前を書いて待ちます。

 待っている間に、メニューで表で検討します。約50分待ちで呼ばれました。

「餃子2つと、とんかつラーメンお願いします」

「はい」

 しばし待つと、ネコ型ロボットが運んでくれました。

「青いく光っているところから取って下さいにゃ」

「分かったにゃあ」(それは言わんでいいやろう)

 まるっこい形の餃子が名物です。にんにく効いてて美味いっす。

 ラーメンは、ロボットだと危険なのか店員さんが持ってきてくれました。

 スープは豚骨で、麺は不思議なストレートです。なんとなくそうめんを太くした感じかな。つるつるしてます。カツは揚げたてで、あつあつです。

 腹いっぱいですにゃん(もう、ええっちゃうねん)

 佐賀県武雄市武雄町富岡12509-1 Pあり

 14時過ぎたら、待ち時間が20分程度に短くなっていました。

 迷ったら、新武雄病院とJR長崎本線のあいだくらいにあります。


温泉ホテル「湯快リゾート雲仙東洋館」長崎県雲仙市小浜町

2024年11月04日 | 旅行

 2023年の12月だっただろうか、湯快リゾートから1通の葉書が届いたのであります。「閑散期にお得に泊まれるプランがあります」とのお知らせです。湯快リゾートはユーザー登録しているので、メールなどでお得情報が送られてきます。

 コロナ禍前だとお得感があったので湯快リゾートは何度か訪れましたが、ちまたの値上げの波もあり湯快リゾートも、そこそこの値段になってしまったので(それでも、他に比較するとお得ではあると思うのですが)訪問する機会も減ってしまっていました。それが、ほぼ値上げ前の価格で泊まれるということで、雲仙を訪れたのであります。

 前回は湯快リゾートの送迎バスを利用したのですが、今回は自家用車で行きます。(周辺の観光もしよう)

 2回目なので旅館はだいたい分かります。部屋は古い感じがするのは否めません。なんと、18畳の和室でした。(広いわー)広くていいのですが、暖房が効くまでに時間がかかります。(まあいいのですが)

 大浴場があるので、部屋風呂はありません。

 ウォシュレットに改修されています。

 ひととおり揃っているので、問題なしです。

 風呂は写真が撮れないのですが、展望風呂は男女別で地下の大浴場は男女入れ替え制です。閑散期なので、たぶん20組程度の宿泊数ではなかったのかと思います。風呂もほとんど一人でしたし、バイキングもゆったりです。客は少ないのですが、料理は豊富にあります。(有難いなぁ)

 第一回戦スタートします!! (揚げ物多いぞ大丈夫か?)し、しまったぁー目測を誤りました。(なんのこっちゃ)ぐ、ぐるじーです。デザートまでたどり着けませんでした。

 朝は反省して、ヨーグルトとシリアルをメインにしました。(揚げ物あるやないかーい)

 昨晩アイスクリームを食べたかったのですが、たどり着けませんでした。アイスクリームは夜だけの提供なので諦めていたら、ソフトクリームはOKとのことで頂きました。

【教訓】

 もう思ったほど食えないということを自覚しろ

 湯快リゾート雲仙東洋館 長崎県雲仙市小浜町雲仙128


地域猫だらけ「雲仙地獄」長崎県雲仙市小浜町

2024年11月03日 | 旅行

 こないだ(2024年1月8~9日)雲仙に行ったのである。雲仙は昔の賑わいは無くなっており、メイン通りの大きな廃ホテルが景観を損なっていたが、星野リゾートが跡地に進出したことによって、だいぶ感じが良くなっていました。(まだ廃墟はあるとは思うのだが)

 星野リゾートみたいな高級ホテルには行けないので、湯快リゾートを利用しました。閑散期割引があって、正月休み後だとお得価格になるということで、訪問したものです。

 近くに「雲仙地獄」があるので、歩いて行ってみます。以前訪問した時は地域猫が沢山いたので、猫を愛でに行こうと思います。湯快リゾートからだと、徒歩5分程度です。

 けむりもくもく、地獄に突入です。ちなみに六文銭は不要です。

 地獄の奥の方に進入します。

 猫が集結しているのは、温泉卵を販売しているあたりです。(当日は6割以上が韓国語)

 地域猫はたくさんいて、フレンドリー猫やそうでない猫もいます。フレンドリー猫は撫でると嬉しそうにしていてかわいいのですが、自己責任とのことです。(そりゃそうだ)

 地獄といっても地熱で地面は暖かいので、冬でもぽっかぽかです。猫にとっては天国みたいなものかもしれません。それでは、地域猫さんさちに登場していただきます。

 テーブルに乗っていたり、人に近づいてくる猫は人なれしているのでおさわりOKですが、人から距離をとっている猫は警戒心が強いので、近づかない方がいいでしょう。

 雲仙地獄 長崎県雲仙市小浜町雲仙 入場料無料 駐車場は有料


袋ラーメン「サッポロ一番しょうゆ味_酸辣湯麺風」サンヨー食品(株)

2024年11月02日 | うどん・らーめん

 こないだスーパーに行ったら「酸辣湯麺風」という袋ラーメンを見つけたので、1袋お買いあげ。「4000 Chinese Restaurant 菰田氏監修」と書いてある。知らないのでググってみたら、南青山の完全予約制のレストランということです。(あまり縁のない地域なので、知りませんでした)

 同梱物は、乾燥スープと「仕上げの小袋」です。小袋にはスパイスが入っていて、これが「爽やかな酸味と辛み」を引き立てているようです。

 普通に作りました。やはり仕上げの小袋を入れると、ぐっと香りが立った気がします。少しとろみがある、醤油系のスープが美味いです。スープまで完食しました。


乾麺そば「幌加内そば」藤原製麺(株)北海道旭川市

2024年11月01日 | うどん・らーめん

 2023年6月北海道旅行に行った時、旭川周辺のスーパーだか道の駅で、幌加内そばを買ったのである。幌加内町といったら、そばが有名である。わが町の某祭りの時にも、趣味の蕎麦打ちの会の皆さんが「幌加内そば」を作って売っていたりする。蕎麦自体は美味しいのだが、素人さんの集まりのためオペレーションがいまいちで、注文したのが出てこないとか、飛ばされて忘れられているということがあったので、それから横目で見ているだけになった。

 この乾麺そばは、幌加内産のそば粉を使って、旭川の「藤原製麺」が作ったものです。藤原製麺と言えば、ラーメンも多くの種類を作っていて、麺の美味さには定評があります。

 2023年12月31日 大晦日の「年越しそば」として作ってみました。海老天は、スーパーで買った出来合い品です。あ、ピントがずれた…

 そういえば「東筑軒※」で貰った箸があったので、添えてみました。

 ストレートのコシのある麺が、かなり美味いです。スーパーで売っている、そんじょそこらの袋に入った生蕎麦とは比較にならないくらいの美味しさと思います。侮れんな、幌加内そば。

 テレビからは、ごごごーんと除夜の鐘の音が流れています。雨が降っている地域が多いようで、こりゃ初詣も大変だぁ。(当地も雨だす)

※東筑軒 北九州を中心に、駅の立ち食いうどんや駅弁を販売している。本社は北九州市八幡西区(折尾駅近く)

     東筑軒の「かしわめし」は有名で、折尾駅には昔ながらの立ち売りの人がいる。