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2024/07/17 名古屋市守山区「大森の歴史を訪ねる」法輪寺

2024-08-03 | 尾張文化の会

2024/07/17 名古屋市守山区「大森の歴史を訪ねる」
散策コース
名鉄大森・金城学園前駅、交通安全地蔵、法輪寺、斎穂社、白龍社、郷蔵、大森・金城学園前駅。

名鉄大森・金城学園前駅
1,交通安全地蔵
昭和23年(1948)、名古屋鉄道瀬戸線旭前から大森間で急行列車が脱線転覆し、死者35名、負傷者154名となった。犠牲者の冥福を祈るため、「交通安全地蔵」を建立した。
 
交通安全地蔵尊と殉難之碑(右の菱形

〇急カーブ改良工事前の「鉄橋の跡」
 
瀬戸市方面 名古屋方面

2,法輪寺(ほうりんじ)佛日山 曹洞宗
当寺は人皇五十六代清和天皇の貞観二年大森城主尾開勘八郎が天台宗の尼寺を建立正宗菴と称していた、文治三年後白川天皇の御代奥州額田郡黒石村信夫の城主佐藤正司勝信の室の源義経の家臣嗣信忠信二子の戦死を知り菩提の為本堂庫裡等新規建立し「運慶作の本尊釈迦牟尼佛文脇佛として文珠菩薩普賢菩薩の三尊像を安置」した。
その後、天文三年赤津雲興寺七世大雲永瑞和尚再県曹洞宗となり普香山正法寺と改号する。
後、佛日山法輪寺と改称する。
天正十二年安土桃山時代長久手合戦の時又々兵火に罹り焼失す、江戸時代時の大老酒井忠次 公秀信公にて寛文三年より貞亨四年にわたり殿堂を新創せり現今に至る。
当寺は元々、矢田川の畔にあり、水害で現在地に移転した。

石柱 

山門

本堂

ほうりん聖観世音と本堂

寺の由緒

供養塔(佐藤兄弟と母)
 
豊稲吒枳尼眞天

3、斎穂社(さいほしゃ)
天武五年(676)、新嘗祭の斎田が尾張国山田郡渋川に設けられ刈り取った稲を集める場所として建てられた稲穂神社が、斎穂社の由来とされる。
祭神は大年神、御年神、御食津神、事代主神、大宮売神の5柱と伝える。
千手観音堂の千手観世音菩薩(石像)は享保二年(1717)に建立され、滅罪除病の功徳が有ると伝える。

石柱 鳥居

祠(中央に斎穂社、左に天王社、右に熱田社)

千手観音堂 
 
千手観音

検藤流之碑(昭和6年建立、大森地区に棒の手を伝えた碑)

4,白龍社(はくりゅうしゃ)
水の神である龍神を祀る祠。

石柱
 
祠 龍神碑(自然石)

5,大森中之島郷蔵(ごうくら)
江戸時代に地区ごとに作られ、年貢米や備蓄の穀物などを入れておく蔵は郷蔵と呼ばれている。

郷蔵 

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