東大寺周辺を徘徊…いや、散策に
わが国最大の山門 『南大門』
門内には運慶、快慶作の金剛力士像が安置されています
あまりの大きさにワクに入らないっ
南大門周辺は観光客も多いですが、鹿も多いですっ
鹿せんべいをもらいに寄ってきます
野生ですが、人なつっこく可愛いですが
子鹿を守る母鹿や角の伸びた牡鹿は、時々突進してくるので注意が必要です
中門の塀に沿って… (↑白とびしてら~)
大仏殿には入らずふらふらと
うろうろと…
「お前、迷ってんじゃねーか?」
「ち、ちがうわいっ」
過去記事「華厳宗東大寺」も見てちょんまげ~ ←古っ!
前回の「巨大チュッパチャップス」の正体…
奈良に春を告げる行事 『東大寺二月堂 修二会』 の「お松明」で使われる
「籠松明」 です~
修二会は毎年3月1日~14日の二週間行われ(前行を入れると一カ月近く)
天勝勝宝4(752)年から一回も途絶えることなく行われ
今年で1261回目を迎えます
写真のチュッパ… 籠松明は長さ8m重さ60kgにもなり
火を点けた松明を童子が担いで二月堂の階段を上がり舞台を通っていきます
この時の火の粉を浴びると無病息災の御利益があると言われ
毎年たくさんの人が訪れます
この狭い階段を松明を担いで通って行きます
(ネット画像より)
舞台に松明が並んだ写真
ニュースで見たことがあるんじゃないでしょうか?
毎年、一日3~4千人、3月12日の「お水取り」の日は
2~3万人が訪れるビッグイベントです ←法要です
二月堂の大きな提灯
奥に見える建物が
奈良の大仏さんがいる金堂(大仏殿)
舞台から見た景色
大仏殿の向こうは平城の都が一望できます
「修二会」の詳しいことは『東大寺HP』を見てね
さぁ~て、これは何でしょう?
魔法のホウキ?
巨大チュッパチャップス?
いえいえ、
古都奈良にとっては大事な、大事なモノ
これが無いと春が訪れません~
この、大きな竹を使います
3/1からのために着々と準備が進んでいます~
って、これはね…
つづく…
赤くておっきなおしり
吊られているのは 『身代わり猿』 です
庚申さんの使いの猿をかたどった魔除けで
「奈良町」のあちこちの家の軒先に吊られています
厄災を代わりに受けて
家の中に災難が入ってこないためだとか…
背中に願い事を書いて吊るすと願いが叶うとか…
それにしても愛らしいお猿さんです
過去記事 「ならまち庚申堂」 も見てウッキーッ
天気は良くないですが、急に温かくなった今日この頃
先週の寒波はどこへやら…
梅の花もチラリホラリと咲き始め
急に春の足音が聞こえてきました
「盆梅展」が開催されてましたので見学に
盆栽のことなんか全く知らない私でも
梅の花の香りと盆栽の美しさは楽しめました
東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな (菅原道真)
道真さんも愛した梅の花は
今も変わらず、私たちの目と鼻と心を満たしてくれます
春よ来い~
来月、3月21日で
このブログ「なんてことはない」が満4年になります
初めは、日常のことを書いたり
テレビや新聞のニュースを話題にしたり
お菓子や料理のことも記事にしたり
身近なことばかりで、行動範囲が狭かったこのブログ (下の子がまだ保育園でしたので)
そのうち
写真を撮る楽しみができて
いつしか写真がメインのブログになってしまいました
実は…
来月からフルタイムで働くこととなり
おそらく…きっと…ほぼ…
ブログの更新なんか出来ないだろ~なぁ~
と、思っております (今でさえ不定期やし)
迷ってます
これからどうしようか…
前回の高天彦神社から南東へ1.5キロほど行くと 『高鴨神社』 があります
「カモ」と言うと
京都の上賀茂、下鴨神社が有名ですが…
高鴨神社は、それら鴨(加茂)社の総本宮で、弥生中期前より祭祀を行う
日本最古の神社の一つです
また、鴨一族発祥の地で
加茂、賀茂、賀毛として全国の郷村名として残ります
『高鴨神社』 (たかかもじんじゃ)
主祭神 阿治須岐高日子根命(アジスキタカヒコネノミコト)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
阿治須岐速雄命(あじすきはやおのみこと)
下照姫命(したてるひめのみこと)・天稚彦命(あめわかひこのみこと)
延喜式では最高の社格の名神大社
「カモ」は「カミ」と同源であり、「カモす」という言葉から派生し
「気」が放出している様を表すそうです
この神社の地下には鉱脈があり
多くの「神気」が出ていると言われています
「気」は身体によく、この地は長寿多いとか…
また、夏場に参拝すると涼しいそうです
高鴨神社の紋は 『菊水』
楠木正成が天皇家から下賜された菊花の紋の下半分を
水が流れる「菊水紋」としました
神社には正成の銅像も建っています
鈴のお守りに書かれている絵は
お馴染み三本脚の烏 『八咫烏(やたがらす)』
「日本書紀」によると…
神武東征の際、鴨族の祖先の八咫烏が
神武天皇を熊野から大和へ道案内したことが記されています
そして、神武・綏靖・安寧の帝は鴨族の主長の娘を后とし、葛城王朝の基礎を作りました (神社HPより)
八咫烏は高皇産霊尊の曾孫である賀茂建角身命(カモタケツノミノミコト)の化身であり
鴨族の祖となります
また、天孫降臨の神話では、ニニギノミコトとともに鴨族の神々も語られることになります
なんとも神秘的なものを感じずにはいられない
杉の古木が立ち並ぶ参道を進むと…
『高天彦神社』 (たかまひこじんじゃ) が見えてきます
御祭神 高皇産霊神(たかみむすびのみこと)
大和朝廷に先行する葛城王朝の祖神高皇産霊神を奉斎する名社
神話では天照大神の御子の天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)に
本社の御祭神の娘の栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)が嫁がれ
その間にお生まれになった瓊々杵尊(ニニギノミコト)が高天原からこの国土に降臨されます。
延喜式では最高の名神大社として、月次・相嘗・新嘗の祭りに は官幣にあずかってきた古社であります
(パンフレットより)
残念ながら葛城王朝は神武天皇から開化天皇に至る九代で滅びてしまいますが
平群、巨勢、蘇我氏へと栄えていきます
参道にはなかったのに
なぜか神社内に入ると雪が積もってました
社殿は明治十年建築
その後方の山、「白雲岳」を御神体としています (前回の写真の山です)
この地に住んでいた葛城族は、この山を「神々の住む山」と信じ
『高天原』と呼び、神話として伝えていったのでしょう
弥生時代中期には、葛城族は御所市柏原に移り住み
葛城川流域の鴨族と部族国家を形成しました
神武天皇が橿原宮で帝位につかれたのも、柏原の地なんだそうです
神社は小さくて寂しい感じがしますが
その歴史と成り経ちには
神秘的なものを感じずにはいられない場所です
さぁ~ここはどこでしょう?
って、わかるワケないないですよね… (ただの山ですもんね)
ここの地名は奈良県御所市「高 天」(たかあま)
そうここは、古事記などの神話に記されている神々が住む天上界
『高天原』(たかあまはら、たかまがはら)の伝承地です
神話の時代
高天原にはたくさんの神々(天津神)が住み
天照大神の孫ニニギノミコトが日向の高千穂に下り(天孫降臨)
葦原中国(地上)を治めることになったといわれています
「高天原」の場所については諸説あり
他に宮崎県高千穂や茨城県多賀郡など各地にありますが
ここ高天のある金剛山は
昔、高天山とよばれ
大和朝廷以前、この辺りは葛城氏による「葛城王朝」があったと言われています
先日、その葛城氏の祖神が祀ってある
『高天彦神社』に行ってまいりました
ちょうど、写真の左端の建物ですが…
長くなりそうなので、次回に続く…
バイチャ~
最近…と、言うか
少し前からですが、ある方の写真ブログが好きで
更新の度に、UPされる写真を見るのが楽しみ
ん~
どう、楽しみかと言うとね
「芸術的」なの
構図やら色合い、背景から何やらかんやら…
思わず見とれてしまうホド
スゴイっ!と、思う反面、自分の感性の無さを感じてしまうことも…
このブロガーさんのような写真を撮りたいっ!
と思いつつシャッターを切るのだけれど
その方の足元にも及ばないキョリ
写真をきれいに撮ることはできても
「芸術的に撮る」ってことは難しい…
その方の感性が欲しいと思う今日この頃です
真言宗豊山派総本山 長谷寺~
立派な仁王門は1885年に再建されたもの
長谷寺の大額の文字は、後陽成天皇の御宸筆だそうです
この門をくぐると…
百八間、三九九段、上中下の三廊に分かれた登廊がつづきます
登廊を上がっていくと本堂が見えます
本堂からの五重塔
春には桜、秋には紅葉で彩られ
美しい眺めです
初瀬山の中腹にあるため寺内は階段ばかりで歩くのにタイヘン…
平たい形の長谷型灯籠と仁王門の龍
いくたびも 参る心ははつせでら
山も誓いも 深き谷川 (御詠歌)
万葉集では「隠国(こもりく)の伯瀬山(はつせやま)」と呼ばれたこの地は
奈良・平安時代に人々の信仰を集めたくさんの人が訪れます
「源氏物語」や「枕草子」「更級日記」「蜻蛉日記」などにも登場する
超有名スポットだったようです
過去記事「長谷寺」も見てね→(☆)
少し前の話ですが…
冬ぼたんを見に、奈良県桜井市にある 『長谷寺』 へ行きました~
真言宗豊山派の総本山
全国に末寺三千余ヶ寺、檀信徒は約三百万人という
ごっついお寺です~
「花のお寺」としても有名で
四季を通じて色とりどりの花が楽しめるお寺です
本堂まで続く399段の登廊を歩きながら
冬ぼたんが見ることができます
ちなみにこれが本堂まで続く登廊
長谷提灯が吊られて情緒たっぷりっ~
…が、本堂までけっこう、シンドイ
當麻寺は1300年以上前の白鳳時代に創建された由緒あるお寺です
日本で唯一、奈良時代からの東西二塔がそろっています (詳しくは過去記事も見てね→『葛城市 當麻寺』)
中之坊は、創建時に役の行者に開かれた道場で、住職の住房「中院御坊」として成立しました
奈良時代に建てられた三重塔(東塔)です
中之坊にある庭園 『香藕園(こうぐうえん)』
大和三名園と賞される池泉回遊式兼鑑賞式庭園 ←
極端に低い土塀、心字池に映る三重塔が美しい庭園です
この庭園は、江戸時代に後西天皇を迎えるため片桐石州によって改修、造築され
大きな円窓が見事な茶室「丸窓席」や
二畳中板の名席「知足庵」があります
詳しくは過去記事 「當麻寺 中之坊」 をご覧あれ~
最後に…
當麻寺のおみくじ
かさ型おみくじ~
結んで帰るより、家に飾りたくなります