[2020年12月31日編集済み]
遅ればせながら、キム・ジョングクさん、大賞受賞おめでとうございます。
優秀賞、最優秀賞は順調に取って来て、なかなか大賞がとれなかった。
バラエティー歴は長いですが、ランニングマンでバラエティーの主導者として目覚めて10年、どうしても取りたかった大賞だったと思います。本当に良かったです。
「ランニングマン」「アラフォー息子の育児日記」「今日の配送」での受賞です。
芸能大賞は、日本でもKNTVさんでも29日に放送されたようですが、受賞記念に自分なりに私も日本語訳をしてみました。
[動画] 中国向けのSBS公式チャンネルの受賞動画です。
韓国語のみの動画はNaverサイトへ→ [대상] 김종국, 울컥한 수상소감 “예능은 제 삶의 전부”
生放送そのまま収録動画の聞き書きなので、加筆修正まとめもあります。ご理解お願いします。
ジェソク氏が、「受けるべき方が受けました」とのコメントと共に発表してくれました。MCのドンヨプ氏も「本当に沢山の方々が自分の事のように喜んでいます」と言ってくださったように、出席者の方々の送る拍手と笑顔が素晴らしかったです。
以下、キム・ジョングクさん受賞コメント(ジョングクさんの目に光るものもご注目ください)
JK「私が、自分にこんな感情がわいてくるとは知りませんでした。本当にこういうビミョーな(感情が)。私、歌手として大賞(2005。SBS,KBS,MBC)をいただいたんですよ。でも当時は、今のようでは無かったと(受賞の名前を聞いた瞬間、メンバーたちに)言ってました。あの時は、なんだか淡々とした感じで。その後、なんで自分が(歌謡大賞の大賞)を受けたことを楽しめなかったんだろうと言う事について..(メンバーに話していました)」
JK「それだけに(今回の受賞は)自分にとっても価値があったのだと思います。それと周囲から大賞を取った時の受賞コメントを準備しておけと言われたが、(まさか今年受賞するとは思わず)本当に全く準備しませんでした。準備しておいて受賞できなかったら、僕も人間ですから、残念で傷つくかもと思って。」
JK「さっきのプロデューサー賞の発表の時、自分の名前がどうか出ないでほしいと(出なければ、自分が大賞の可能性がある)..。思わず..。はい..。そうして(大賞までに受賞者にならなかったので)本当に(大賞を)受けられるのじゃないかと言われて、それからやっと、これ(受賞コメント)をまとめて出ていかなければないかと大変悩みました。」
JK「そしてまず、受賞の瞬間、賞を(ユ・)ジェソク兄さんにいただいたじゃないですか。そして僕が今や.. 僕は歌手出身です。もうあまり知らない方もいらっしゃるかもしれませんが。歌手として、曲をリリースするときに宣伝のための手段としてバラエティーに出ていたし、宣伝のために出ていながら、(芸人でもないのにわざとらしく)バラエティーに出るのが本当に嫌で、ジェソク兄さんが以前、MCをやっていた番組(キム・ジョングクさんは「スターサバイバル同居同楽」2期(2001)で不細工チームでレギュラー)で、ジェソク兄さんが一人一人に振って来た時、当時は、冗談で無く荒れている頃(事務所独立後の初アルバムが妨害に遭って売れ行きがいまいちだったため)で、画像(?)を見ながら、「どうか(僕)ふらないでください」とそう頼むほどでした。そう頼まなければならない程、ジェソク兄さんは、本当に僕にありとあらゆる事をさせました。」
「そういう具合で、自分がバラエティー人になるとは思ってもみませんでした。人前に立つのもあれで、バラエティー向きでないと思っていました。それが、Xマン(ジョングクさんは3集(2004年)、4集(2005年)時に準レギュラーとして出演)に出演して、ジェソク兄さん、それから、(カン・)ホドン兄さんと言う、素晴らしい師匠に出会い、バラエティー人生を歩むことになり、歌手が本来の人生ではありますが、ある意味、今はバラエティーが僕の人生の全部になりました。」
「まずは、お礼を申し上げないといけない方々は.. SBSを視聴し続けてくださる視聴者の方々に最もお礼を申し上げないと思っています。そして、いつでも応援してくれるファンクラブの皆さん、僕にもファンクラブがあるんですよ、Papitus(파피투스)と言うんです。僕がデビューした時からずっと応援してきてくれたファンクラブの皆さん、ありがとうございました。また、うちの事務所(JKEntertainment。個人事務所)のスタッフたち、みんな20年、25年のつきあいですが、ずっと一緒に支えてくれたヒョンナム兄さん、ウンジョン、それからカプチン。本当に長い歳月、僕から離れずに一緒にいてくれたスタッフのみんな、ありがとう。そして、何より、(SBSの番組)スタッフたちですよね、今日、(授賞式の)会場を見まわしたら、嘘でなく、会ったことの無いスタッフも、名前を知らないスタッフも、一人もいませんでした。一人ひとりの顔を見るたびに本当に温かな笑顔と僕の受賞を心から歓迎の態度を示してくれる姿を見て..、本当に一人ひとりみんな知ってるよ。よく知ってる人たちだ、君たち。よくご存じですよね、皆さん。みんな、とてもありがたい人たちです。心からお礼申し上げます。」
「『ランニングマン』のメンバーたち、実を言うと、ランニングマンのメンバーたちを見て、感情が込み上げてきたのです。本当に苦労ばかりで、変な話ですが、ランニングマンのメンバーたちが僕の大部分なのです。」
「『アラフォー息子の育児日記』、僕がバラエティーをやっていて、両親を仕事場で誰かが面倒を見てくれると言うのは、馴染みのないことです。なのに、(シン・)ドンヨプ兄さんも、(ソ・)ジャンフン兄さんも本当に両親に良くしてくださって(←お母さんがスタジオレギュラー、お父さんもVCRで登場)、本当に感謝しています。感謝の気持ちをこういう場でしか、皆様にお伝え出来ず、して差し上げられることも無いくらいです。本当にありがとうございます。」
「お気づきかどうか、アラフォーチームで、もし賞を受けることがあったら、(タク・)ジェフン兄さん(年は9歳離れているが、歌手としては同期デビューで親しい)に言及しろと.. なんと言ってあげれば良いかと考えたのですが.. ジェフン兄さんは、大賞(KBS芸能大賞)受賞後、(事件を引き起こして)奈落の底に落ちました。なので、(兄さんを反面教師にして)僕は、大賞をいただいてもずっとこのまま、誠実に一生懸命やっていこうと思います(←ネタです)。皆様も(アラフォー息子で再起した)ジェフン兄さんを見て希望を持ってくださいますように。(←ネタです)」
「そして(アラフォー息子の)メンバーたち。どれだけ感謝しても足りません。コロナのせいで、(どの番組も)大変ですよね。でも、今年一年は、当然だと思っていたことが、本当はとても大切なものだと気づかせてくれた一年になったと思います。(コロナが)完全に終息して、生き生きとした世界が戻って来ても、むしろ、今年を忘れずに暮らしていける、良い教訓になった一年になるだろうと思います。」
「皆さん、元気を出してください。そして、僕が一生懸命やる姿さえも、お見せするのが最近はばかばかしいほど大変なのです。僕が出来る最大限の努力で皆様に少しでも楽しさと笑いをお届けできるように、これからも努力し続けます。」
「それから、僕の家族たち、○○無くても○○相応しい兄さん、義姉さん、そして甥姪たち、テヒョン、イウン、愛してるよ、ありがとう。『アラフォー息子』のお陰で、うちの家族の姿を沢山お見せしました。お母さん、ええ、こんな方は、どこを探してもいません。すてきなかっこいい方で、つらくて苦しい事があっても、母親の役割をずっときちんとし続けてくれた、とてもありがたい方です。それから、お父さん、ちょっと変わった方ですが、お父さんは極端な節約家で色んな意味で、独特な方ですが、僕は幼いころからそんなお父さんが、とても誇らしかったです。誰にでも自慢したい、そんなお父さんでした。僕の両親でいてくれたことに感謝します。」
「これからも元気で長生きしてください。」
(以上)
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涙って釣られますよね(涙)。
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歌手として大賞を受けた時の3集アルバム。めったに中古市場にも出ない貴重品です。
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