枇杷

枇杷から今度は温州みかんを
無農薬で育てています。
アゲハ蝶を歓迎しながら
あおむしさんを見守っています。

842 秋の風に乗って瀬戸大橋を渡った!ハプニングありの旅行。& 突然の訃報の電話・・生きることとは?

2023年10月17日 | 日々のできごと

2023年10月17日 火曜日 

20240301 ㈮ 再投稿 ↓

入鹿池の喫茶店の横にひっそりと

咲いていた可愛いお花

この日は孫とドライブして

ランチを食べた。注文してサンドイッチが

出来るまでの間に3男ののんちやんは

小学生のお兄ちゃんに教えてもらった

”折り紙で・・こまを・・作ったり・・

おしぼりで・・うさぎさん!を。

作ったり‥楽しいひとときでした。

 

おじいちゃんがもうこの世にはいなくても・

私たちの心の中に生きている。そして。いつも

見守ってくれていること。を感じている。

 

おじいちゃんの。思いを日々、なにげない

行動にて・・伝えてきた。昨年まではかなりの

心配りもできたことを・彼に感謝している。

 

あなたの・・いままでの・・いきかたを・・

いまも・・かれたちに・・むすめにも

むすこにも・・つたえてゆこうと。

 

ひび・・かんしゃの・・きもちを・・。

いだきながらの・まいにちの・・せいかつなのであります・

話はかわります・・

 

携帯電話が鳴り響いたいま!

突然の訃報が・・・実家の姉から・・

母の妹の叔母さまの二男が昨日・他界されたと。

病気での療養中?。まだ70歳前?。ガンの家系でもある。

けれど・・残念である。その二男の母親の叔母さまはガンで

療養されている。なんども高松へ面会に行ったりしているけれど

・その叔母さまは酸素吸入をしながらも意識はあるらしい。

 

今回は姉から帰って来なくてもいいとの連絡。

東京でいたころには。大学生の時にお兄ちゃんと彼と

三人でお食事もしたりした。昨年は東京で音大での生活を

していた。母のすぐ下の弟・叔父様の長女のゆきこ。

ちゃんがやはりガンで他界。それも”会えないままで”

声だけでの最期のお別れとなった。

彼女もその上のお兄ちゃんとも・交流はあった。

 

昨年のお正月過ぎに・突然の訃報・みんな親戚に

迷惑を掛けれないとの気遣いなのかも。遠方でいると

これも仕方がないこと。お互いに会える時には会うこと。

 

それから連絡もできれば・・。今年は1月には娘と実家への

お墓参りに行けた。姉達には会えなかった。みんな忙しい?。

なので・主人の実家だけはいけた。それから娘の願望であった

私の方の実家のお墓参りもできた。それは感謝のお参り。

 

いつも。どんなときにも・お参りは感謝のみである・

人生を病気と寄りそいながら・・奥様や家族に友人に

見守られながら・生きてこられた従弟の

ご冥福をお祈りしよう。また春にお墓参りにも

行きたいと願っている。

 

*久しぶりの高松への旅行の想い出から・・。*

訃報へのブログとなった。

人生とは儚いものかも・それでも・残された・モノたちは

楽しかった日々を心に秘めて生きてゆくのである。

悲しみは突然・やってくる・けれど・その予期できぬことは

日ごろ・いつでも・おこることなのかも・

日々が無事に過ごせている事に。感謝しながら・・

 

時には無事でない!。出来事も起こることを。自覚しながら・

認識しながら生きてゆくことの大切さ。なのである。

時間を大切にすべての出来事を素直に受け入れる勇気も

時には重要なことなのである。

ブログの再投稿 3月1日 上記

842

ここからはもとのブログに ↓

お昼前 時刻は11時40分 室温は24.4度

日中は気温が少しは上昇・それでも真夏のようには

上がらないから。。もう秋なのだ。

 

昨日は家の中のカーテンがなぜか?気になり、春秋ようの

花柄から冬の少し厚めのカーテンに交換した。

 

それも。。夜中に。。もうすぐ冬がくるかも?。

いつも1~2か月は早いかもの。冬支度が始まった!。

 

*金曜日の昼過ぎからお出かけ。新幹線は名古屋を14時半頃?

岡山には16時、着いた。それからマリンライナーで高松へ。

*今年は2度目である。瀬戸内海はいつ見ても穏やかである。

 

*懐かしい会社の造船所が見えた。彼は神戸工場だったから、

坂出では働いてはなかったかも?。それでも彼が喜ぶかもと。

スマホのカメラで☆彡星重工業の名前が見える場所と船・と海・

空・の写真を撮影した。

なかなか・車窓からはうまくは取れないけれど。今回は映す場所が

良かったのか?。秋の空と海。造船所の風景が写せたので

嬉しかった!。

*実家のお墓参り*彼の実家へも行った。それから・・・。

私たちの仲人をしてくれた。。親戚のおば様にも会ってきた。

 

*病気での療養中*それでも今回は5分間の面会ができた。

もう89歳?。母の年齢を超えた。遺伝子で長寿の家系?。

 

母も生きていたら・・。会えたのに?残念である。母は9月9日生まれ。

103歳でもガンでなければ生きていたかも?。

母のすぐ下の妹のおば様は坂出駅のすぐ近くに住んでいる。

*春に従妹のお墓参りの時に会ってきた。もう94歳くらいかな?。

 

*自分の年齢が1月で75歳*みんな平等に年齢を重ねてゆく。

重病であった。のに89歳の叔母さまは命をまだあの世にはお渡しできない。

そんな凄い名誉な勲章?。それは元気なころにお仕事でもいろんな人々との

交流の中で一生懸命に相手を思いやりながら。生きてきたからなのかも?。

 

*いつも私の事を・自慢ではなく・反対の言葉で・

こんな☆彡星このような・”のんきな人はいない”と。

 

そんな風に言われるのは勲章ではなく反対の言葉なのだけれど・・。

実の姉のそして・その叔母さまも人生で何かと苦労をされていたから?。

 

*私は他界した彼とご縁があって・・叔母様の紹介で・・

37年間一緒に過ごせた!。短い人生なのか?長い人生なのかは

その方の考え方により違う。彼はやはり家族のために・・

日々を後悔しないように生きた人。ガンであったから。彼なりに

覚悟していたのかも。もっと長生きできたら・・。

 

*これからも旅行をするつもりだったようである。

私一人では車の運転も??危ういので、交通機関を使っての

旅行となる。それでもいつも一緒に行動をしてくれている?。

そんな気がする日々でもある。感謝!。

 

枇杷:842

彼がどんなときにも見守ってくれているので。

感謝をしながら生きてゆくのである。

12時29分

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