本の感想

本の感想など

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉒ 残したかったのは文体ではないのか

2022-11-12 10:53:12 | 日記

断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉒ 残したかったのは文体ではないのか

 荷風さんは、奇人変人けちん坊として知られている。けちん坊は別にして世間の人は、これをアートに生きる人はこう人が多いとしてしているようだけどそうではない気がする。この時代は商品を芸能人を用いて売ることが無かったので、芸能界というものが無いに等しく、ごくわずかの目立つ集団でのゴシップが今の週刊誌やテレビでのゴシップと同じ働きになっていたと考えられる。かろうじて作家の書く小説が全国に読まれたので、これが全国版のゴシップの提供になった。作家は今のゴシップ提供の芸能人を兼ねていた。そこでこの人、自分の文名を盛り上げるためにこういう自作自演の挙に出たのではないか。自分の仲間内でも変人ぶりを発揮し、日記にもこれを書く。人々はゴシップを読む楽しみのためにその本や日記を読む。

 それが世間から付き合いを拒まれるほどになってはいけないから、適当なところで抑える必要はあるけど、こうすると自分の日記が売れる。さらに後世の読者をもつかむことができる。後世多くの荷風研究家が出てそれぞれ本を書いてまたそれが読まれているところを見ると荷風の狙いはあたったとすべきである。アートに生きる人は自分の人生を賭けて、たとえ芳しくないうわさが流れようとも自分のアートを遺そうとするもので人生そのものがアートになるとはこのことかと思う。奇人変人ぶり(日記)と華麗な恋愛のオトコブリ(小説)をアートにしようしたと考えられる。(ただしそれはそうしないと読んでもらえないからであって、本当に読んでもらいたいのは自分の文章または自分が開発した文体であったと思われる。)制作も監督も役者も撮影も編集もみな一人でやっているようなもんである。ただ相手役になる役者さんの好みが激しくてよいヒトに巡り合わないと、気分が落ち込んで遺言を書いたりする。正直にそれを書いてまたそれが良いことと評価されたりする。しかし荷風さんのやりたかったことは、その内容ではなく自分の文章または文体が残ることであったと思う。

 紫式部は、道長の権力闘争の一翼を担わされるために文章を書いたと想像される。(式部は中宮彰子のブレイン。)闘争の一翼を担うために書いていることは十分理解してそれでもなお書いたのは自分の開発した文章文体を世に広めたい残したいの気持ちからではないか。(この意味では、源氏物語を現代語訳で読むのは式部さんの気持ちには沿わないことで、式部さんは中身は読むな文章を読めとおっしゃるかもしれない。)

 長谷川等伯は、秀吉の権力を荘厳するための障壁画を描いたと想像される。それを引き受けたのは、自分や弟子や家族を食わすということではなく、自分の開発した画風を世に問て長く残したいがためではないか。

 してみると、荷風さんの小説や日記も中身を読まずに文章を読むべきであろう。しかし、そんな器用なことはできないから、わたしは日記はともかく小説の方はとても読めないのである。