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柳橋新誌(成島柳北)を見る③ 解説者の解説に異議あり

2022-11-24 09:56:13 | 日記

 柳橋新誌(成島柳北)を見る③ 解説者の解説に異議あり

 「嗚呼、人情の翻覆する、唯だ金のみ。金や能く痴を変じて慧と為し、醜を化して美と為す。」(349ページ)また「柳橋今日の盛を致す所以の者は、即ち是れ転の一字に頼るのみ。」(転とは転び芸者の意味、芸を売るのではなく転びによって柳橋は栄えるようになったとしている。)(354ページ)を、解説者は、二十四、五歳の青年が世の中の現実に幻滅したとしているがここには大きく異議ある。

 この2文の前後を詳しく読んだが、成島さんはカネが万能の薬であって、はしため(女へんに卑しい)に妓がカネを渡すと途端に(はしためが)愛想良くなって妓のために便宜を図るさまや、本来(妓の)技を聴くための場であるのに、(客に中に)転を楽しむものが増えてきたのでそれに応じることによって柳橋は栄えるようになったと淡々と書いてある。

 決してそれはいけないことだとの文脈ではない。ただし転びによって柳橋が栄えるようになったのは望ましいことではないとの文脈で読めるが、絶対けしからん許せないとまでは言っていない。笑ってこれも時代の変化ですなーという気持ちではないか。聖人の教えだけではなく稗史も含めてあっちこっちから様々な引用をしているから様々な知識がこの人にあった。当然人情その他についても成熟した見方をしていたはずで、今の二十四、五歳の青年とは全く違うのではないか。当時の武士の家庭教育はだれがどのようにしたのかは知らないが、今のようにできるだけ遅くナイーブに育てることをしなかったと考えられる。人は早くに亡くなることが多かった。現に成島さんも十八歳で家督を継いだ。武士の子はゆっくり育てるわけにはいかなかったとみられる。

 画家としても有名な柳沢き園(きはサンズイに基)は、1700年代前半のヒトで二千石の家老職を七歳で継いだというが、その二十歳の時に書いた「ひとりね」という随筆には、「世の中のたのしみというもの知らずにくらし、やがて白髪にあたまの成りてから残念がるも、いと口おしからずや」とある。(わたしは、高校の古文の教材にこのひとりねを使うべきだと本気で思っている。人生の楽しみを先送りさせると人生そのものをついには失う。今の社会制度は楽しみを先送りすることがとても良いことだとの前提でできている。学校の先生はこの道徳を説いている。ではその先生は人生楽しんでいるのか、それがいいことだと本気で思ってるのか。山のような登校拒否が起こる原因はここにあると思う。)この人の人生に対する成熟した見方は、江戸時代を通じて少なくとも武士階級の一部にはあったと思う。もちろん庶民にもあったのではないか。この時代の人は旗本退屈男だけではなかった。

 解説者はご自分の二十四、五歳の頃はどう考えていたかを参照して成島さんは世の中の汚さに幻滅したのでこれらの言葉がでたとお考えだと思う。わたしは、成島さんはすでに書物のうえの知識ではあるが世の中の裏表に通暁しており、やっぱりそうであったと確認のために、また読者にも確認してもらうためにこの言葉が出たと思う。

この前篇を書いた時期はまだ将軍侍講を仕事にしている時期で、遊ぶカネがどこから出ていたかわからない。(後篇は幕府の要職を歴任したあと、それでも前篇のときに2000両(今の一億数千万円か)を費やしたという。もらった賄賂が積みあがっていたのか。)ここが知りたいところである。