断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉕ やっと理解した。なぜ小説が面白くないのか。
むかし山岡荘八の描く豊臣秀吉と司馬遼太郎の描く秀吉の違いに驚いたことがある。前者は何もないところから領土を切り取り家来を作っていくように描かれ、後者は上司や同僚の間をうまく立ち回り次第に出世をしていくように描かれています。これは作者の生きていた時代と想定される読者の違いがあるからでしょう。山岡さんは昭和20,30年代焼け跡世代の人が裸一貫自分の工場お店を作りそれを大きくしていった世代を読者にし、司馬さんは大きくなった組織の中でいかに敵を仲良くしてるふりをしながら蹴落としまたはゴマをすりまくって出世していくかに腐心する人を読者にした。
してみると時代も変わったことだし、新しい太閤記が新しい筆者によって書かれないといけない時代が来ているような気がする。今度は情報をうまく集めスマートに周囲とぎくしゃくしないで領土を広げていく、それでじたばたして滅んでいく敵は「自己責任」と冷たく言い放つ秀吉像になるだろう。本当の秀吉像はどこにもない、時代の作った秀吉像がその時代時代にあるだけである。時代小説でもコンテンポラリーは必要である。落語でも何でもその場に居て参加しないで録画録音だと面白さが半減どころか五分の一十分の一にも減ってしまうのは、時代と場の共有ができていないからと考えられる。
荷風さんの小説がわたしにとって面白くないのは時代を共有しないからであり、日記が面白いのは単に事実や経験をそのまま正直に記載し解釈は読者にゆだねているからだろう。読者は自分のこと例えば低金利下の生活はどうなるのかの興味あることに引き寄せて日記を読むからである。全体の八割は占めるであろう遊里の話はこういう爺さん居そうだなとか、ひょっとしてあの難しい顔してる爺さんも案外こんなことしてるのかなとか、こんなことすると孤独に陥るという教訓として我がことに引き付けて読むことができる。
大正八年四月六日に「感興年とともに衰へ、創作の意気今は全く消摩したり。………天下の人心に日に日に兇悪となり富貴を羨み革命の乱を好むものの如し。……」とあります。前段は荷風さん創作の井戸が枯れてきたと嘆いているのであり、後段はこういう時代の雰囲気を理解しないとあんたわたしの小説はおもしろくないよと言っていると考えられます。なぜこの殺伐とした時代に荷風さんの軟文学がもてはやされたのかは興味があります。戦争近しの時代に軟文学が好まれたのか、だったら平和で駘蕩とした時代には戦争文学が好まれるのか。(それはきっとないと思う。しかしバブルのころ「一杯の掛けそば」がもてはやされたことがある。)
貧しい時代には領土拡張の武将の物語、大企業の時代には立身出世物語が好まれた。戦乱の時代には平和の物語が好まれる。平和の物語とは、今の自分たちにとってはうまいものをたらふく食って珍しいものを拝見し気の置けない仲間と冗談をいいあうことだと思い込んでいるけど、この時代の平和の物語は遊里に行って疑似恋愛を楽しむことであったのだとやっと理解できた。理解したけど同じ感性にはなれそうにないからやっぱり荷風さんの小説は面白くないとするべきだろう。
人間の感性とは決して普遍なものではなく、このように各時代によってまた個人によっても違うもののようである。