断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉚ ニューヨークのウォール街
ヒトとさるとの違いは、おカネを扱うのと美しいものを見て感激するかどうかにあるのだそうです。社会生活をするのにおカネはその手段としては欠くべからざるもので、美しいものは社会生活をなすのに緊張した神経を休め同朋意識を高めるのに必要なものだそうです。ある周波数の音を聞かせると神経が休まり仲間との連携がとりやすくなるとの研究をするところがあるらしい。そんなら戦場でその周波数の音を流したらどうなるのかとか、スーパーや百貨店でその音を流したら売り上げが上がるのかとか、劇場や映画館で流したらお客が増えるのかとか疑問は尽きない。
おカネを上手に扱う能力と美しいものに感激しさらにはそれを作り出す能力両方を同一人物が持っていることもあれば、どっちか片方の場合もあれば両方ともダメという人もいるようです。ただ両方あるからと言って幸せとも言えないのではないかというのが、荷風さんのお父さんで官界で名をなし実業界でも名をなし漢詩文の世界でも名をなしたヒトのようです。しかし、息子には様々なコネを使って銀行員にしようとするも失敗。長男荷風さんはその家(来青閣)を大正7年12月5日に二万三千円(現在の価値で吉野俊彦さんの算定では2億円以上、私は一億数千万円と思います。)で売ってしまいます。そのほか書画や家具什器も今の値段で数千万円にはなったようです。これは弟と義絶したためいたたまれなくなったためでしょう。明治四十一年には、横浜正銀の頭取に談じ込んで息子を銀行員にねじ込むほどの力があったのにです。たった10年のことでこんなにも変わってしまうとはヒトの運命とはわからないものです。
吉野俊彦さんの本によれば、荷風さんは銀行員をしていたからおカネの取り扱いはうまかったと書いておられたが、そうは絶対思えない。戦後財産税を払う段には40万円余り(今の価値で一億数千万円)になったのですから減らしてないじゃないかというかもしれないが、途中円本がバカ売れして年収が一億円の年がいくらもあったし、景気の良い時は配当金も沢山あったはずと考えられます。すべて現在価値で換算して生涯で数億円おそらくは十億円に近いくらいのおカネを散じていると考えられます。途中空襲に遭っていることを考えに入れても、今のサラリーマン三人分の年収を美の世界に投じたことになります。
もっとも、ここから昭和34年4月に亡くなるまでに数億円増えているようですが、これは放蕩な生活から足が自然と抜けかつ印税が入ったからで、確かにおカネを運用はしているようですがそれで増えたのではないと考えられます。
ニューヨークのウォール街で銀行員を数年したのはなんの役にも立ってない。もっともここは美の世界ひいては放蕩の世界はそれだけおカネを吸い取る世界であるとも言えます。荷風さんの日記を読んでそこかしこに江戸情緒を感じます。しかしここまでおカネをつぎ込むほどの値打ちが「美」にあったのか。おとなしく家庭を営む生活がなぜできなかったのか。不思議な人格の持ち主です。