断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む㉗ スペイン風邪
大正九年一月十二日スペイン風邪にかかって一か月余り闘病生活を送りました。その間でも毎日日記は書いています。ただし一行あるかないかで、これが二十日くらい続いてそれから回復したと見えてだんだん量が増えていきます。亡くなる前は一行あるかないかで、文字数がだんだん減っていきます。ここが亡くなる前と違うところです。元気を少し取り戻したところで「おかめ笹」を書いて二月二十六日に脱稿したとあります。
この間の記載を見て異様に感じるのは、周囲への感謝が無いことなのです。普段傲慢な人でも病気中はしおらしく感謝の念を抱くと思うのですが、例えばこんな風です。「お房の姉おさくといへるもの、・・・・・・・四谷にて妓家を営める由。泊り掛けにて来たり余の病を看護す。」ここにあるお房とは、荷風さんの家の女中さんですが一人看護では難しいから呼びよせたのかそこは不明ですが、この人に対してこの書き方は無いだろう。さらにお房さんは、病気が移ったのでしょう三月三日「はしためお房病あり。暇を乞いて四谷の家に帰る。」とあります。ここにはしためとは、女へんに卑しいの字を書いています。今は使わない文字です。
永井家は代々の旗本の家で、維新の頃にうまく立ち回ったのでしょう明治政府に潜り込みさらにいわゆる天下りをして栄えていったお家と見えます。これじゃもう庶民は牛猫の扱いじゃありませんか。明治維新から五十年以上よくこんな気風でやっていけたものだと呆れる。
ということは荷風さんの小説(私は一冊しか読んでませんがもう退屈で退屈で仕方なかった。)の中に出てくる疑似恋愛は、激しい蔑視感情を伴っているものではないかと想像できます。読みにくいのは、時代がちがうだけではないのです。そこに流れている感情が時代の変化以上の変化を遂げ全く今と異なるもであるからと考えられます。昔、源氏物語を読まされた時に感じた強い違和感と同じです。あれを日本語の文章のリズム、繊細な語感を勉強するためというならまだいいのですが、文章の中身は役に立たない阿呆なことの連続です。荒唐無稽なことならそのつもりで読みますが、高校生が源氏を読んでこのような気分でないといけないなんて思い込んだらなにもかもがダメになってしまいます。よくあんなものを教科書に採用するものだと感心します。
どうやらごく小さいころに刷り込まれた人に対する見方は生涯抜けることが無いようです。戦後の小学校低学年の教育でやっとここが是正されたんじゃないか。しかし、その是正は社会階層を取り払ってみんなで競争させようという戦後政府の方針によるもので、蔑視はなくなっても今度は競争の結果に対する蔑視が始まっていそうなところがある。
わたくしは競争のない社会がいいなと思っていたが、社会が固定化されていて荷風さんのような他の人大衆を人と思わないような人が出てきたらちょっとやってられない。何事もほどほどにしてもらわないと。荷風さんが奇人変人と言われたのは、この身に着いたお殿様の態度にあったと想像される。本人はきっと死ぬまでなんでみんな俺のことを奇人変人と呼ぶんだろうと思っていたに相違ない。荷風さん時代にだんだん取り残されていたのに、いや俺は本場のフランスもアメリカも知ってるぞ、フランスからアメリカに渡ったときか愛人が追いかけてきたんだぞと思っているのだろう。本人にとっても周りにとっても迷惑な話である。本人はわからないだろうけど時代錯誤の人であった気がする。