徳山ダムの帰路、横蔵寺へ寄りました。確か30代後半(四十数年前)2回ほど訪れた覚えがあり、郷愁みたいな思いが足を向けさせたと思います。”紅葉が綺麗でミイラ寺”という印象でした。やはり 広い駐車場に車一台なく、人っ子一つの影もなく、静寂と独占の散策・参拝になり、喧騒なこの時代貴重な体験をしました。
四十数年は、風景の記憶はほとんど消えておりすべてが新鮮でした。
横蔵の地は、中山道赤坂の宿から七里(約30㌔)北に位置し、横蔵街道という巡礼街道があり、一里ごとに薬師を祀っていました。
平安・鎌倉じだいには、この辺りを本山として学問や文化の中心として栄えたようです。本堂裏の山頂近辺には、多くの僧坊跡があり、記録によれば、薬師堂、三重の塔、楼門、政所をはじめ三十八の僧坊があり多くの僧が修行していたようです。
戦国時代には次々寺領を侵略されて、元亀の法難には織田信長に全てを取り上げましたが、慶長年間に再建されて、現在に至っています。
もみじが平野よりも少し遅れて、若芽の時期でした。秋の紅葉の時は素晴らしい美しさを予想されました。
宗派 天台宗 開山 伝教大師 延歴二十年(801) 桓武天皇の勅願寺
伝教大師自作の薬師如来を本尊としています。
妙心上人の舎利仏(ミイラ)
上人は天明元年(1781)横蔵に生まれ、両親の没後仏道修行のため巡礼にでます。西国、坂東、秩父の三十三観音、四国八十八ケう巡り、やがて信濃善光寺の万善堂で受戒されました。その後富士大行者を名乗り、山梨に住み。、文化十二年(1815)御正体山の洞窟で断食し入定されました。上人の遺体は村人によって祀られていましたが、明治二十三年出生地の横蔵寺に祀られました。
私の歳では、よほどの縁がなければ二度と訪れることはないという思いの旅になりました。しかし 若い時と違って今は、こうして投稿をしますから簡単に忘れることはなく、永遠に記録は残るかも知れませんね。
徳山ダムと横蔵寺の写真を集めてみました。
徳山ダム