私の70代

愈々90代に足を踏み入れ、人生の最終ラウンドに入った想いです。野菜作りとパソコンにも向き合っていきます。
 

転倒を振り返る

2019年01月07日 | 老いの道

 正月4日目で一応予定していた来客も終わりました。そう云う意味では。5日6日は本当に静かな日を送ることができましたが、女房は「何もしなかったのに?疲れたー」と横になって”うとうと”して居ることが多い感じです。私は、5日午後から散歩してくるから・・・と木曾三川公園の一つ「フラワーパーク」に行ってきました。自転車で15分ぐらいの距離で季節がら花は目立ちませんでしたが、メインの建物は、鉄筋4階建て位の高さの、総ガラス張り三角形状の建物です。6日も暖かくて、畑に仕事をさがして2時間ほど出ました。鈍った体を動かすため・・・と云った感じでした。

 今朝は(7日)マイナス3.5℃ちょっと冷えこみましたが、ガラス戸も水道も凍てついていませんでした。約束の?転倒事故と検査入院について振り返って見たいと思います。
 この件については、今迄に2回小文で投稿していますが、転倒当日を今一度ふり返ると、風呂に入る前の転倒で倒れて直ぐ起き上がりました。「おれ倒れたんだ!」「だけど立ち上がってみると何ともない!風呂へ入りゃなきゃ」そんな感じでした。但し入浴時間を少し短くした覚えです。部屋へ帰り女房に「今風呂で倒れたけど顔色はー」と聞くと「普段の顔色です」でした。血圧をはかりました。151/82 脈拍66は普段よりもちょっと高めですが、危険とは感じませんでした。翌日24日25日と連休で・・・年末私の担当の家の外回りの掃除をして過ごしました。

 26日(火)朝一番にホームドクター(血圧の薬を戴いている)を訪ねて上記の状況を話し、総合病院で検査を受けたいと思いますから紹介状を戴きたいと話しました。その時左手はどうでしたか?と聞かれました。すぐそばに確りした”手すり”があったのに掴めなかったのを後で気が付きましたと話しました。その紹介状を持って直ぐ総合病院へいきました。
 病院の診察では、まず早い段階で今日は一人できましたかと聞かれました。「ハイ、一人で大丈夫と判断して・・・タクシーできました」と、倒れた時の状況を話すと、「脳梗塞の疑いがあり、入院する事になりますが・・・脳梗塞と云う前提でこれから検査していただきます」でした。血液・小便・心電図・CTでその結果は、異常なしでした。がその席で私の家族について話になりました。どうもこの状況で90歳と11か月の老人が一人で診察を受けに来たのが先生には??だったようです。女房がいる事と総勢7人家族であることを話しました。これも珍しい事のようで、以後入院後に担当医師・介護師さんから話題にでました。どうも先生にしてみると、入院という事になると、家族と話しをしておきたい心情が強い事を感じました。この2回目の診察面談の席での結論は「この検査では問題ありませんが、最後にMRA検査を受けた結果で判断しましょう」でした。(CTよりも、より詳細で明細な画像が得られる検査)
 MRAの検査が終わったのは午後4時近くなっていました。そして結果は、「専門の先生にも見てもらいましたが、脳の血管にも異常は見られません」でした。しかし「このままあなたを返すと又脳梗塞おきて入院という確率高いですから、1週間の予定で入院して頂きます」でした。素直に従う事にし、「一度家に帰ってから又すぐ来ます」も取り下げて、息子を呼びました。息子にも上記の経過を丁寧に説明されていました。

 病室に落ちつくと直ぐ”血液さらさら”の薬を呑みました。(ネキシウム20mg・バイアスピリンジョウ100mg)朝晩の血圧・脈拍・体温・瞳孔・対光反射の検査がありました。病人ではない訳ですから日常の生活の習いを少しでも取り入れて・・・起床は5時半で布団はたたんで朝晩は院内の散歩を心掛け、日中は談話室で過ごすようにしていました。28日午後頸部動脈のエコーを受けて約1時間後担当の先生が見えて、エコーの結果も良いようで明日(29日)退院しても良いですよ!と告げら、朝一番に退院しました。入院診断では、病名「一過性脳虚血発作」症状「一過性脱力」(転倒)です。

 短い入院でしたが、良い体験が(勉強)が出来たと思っています。先ず先生の対応が暖かさ(真剣)を感じました。検査でMRAまでやって異常ないのに何故入院を勧めてくれるのだろう?素直に従いましたが・・・。転倒して救急車で運ばれて検査の結果異常がないと帰って来て・・・その後再発して車椅子生活になった人の話しを聞いた事があります。いや他人の話じゃなしに、2日前の6日弟夫婦(84歳と78歳)が来てくれました。ちょうど私がパソコンを開いていて、仏壇に参ってから私の部屋座り込むわけですが、先ずブログの私の転倒記事を読んでもらいました。炬燵に入って老後の生き方を話題にしょうと云う算段でした。二人が覗き込むように真剣に読んでいました。そして炬燵に座ると誰も口を開かない前に弟の嫁がマスクをとりました。私もやりました!!と云う感じです。顔半分が紫色で、これでも良くなったほう!でした。びっくりで開いた口がふさがらない感じでした。
 事故が起きたのは12月20日で私が23日でした。自転車の転倒事故ですが、買い物の帰り交差点で信号で止まり、確り降りればいいのに片足ついて止まったら倒れ込んだというお嫁さんの言い分。弟は普段と違ってミカンを一箱買った重さが原因の不注意が原因という判断でした。病院へは行きましたが、CTで異常がなかったので安心しているようでした。 

 気を付けていれば防げる事故もありますが、自分の意識に関係なく突然おきる脳梗塞もあるようです。それを念頭において老後の道を考えようという話になりました。

 

 

 

 

 


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2 コメント

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新年の挨拶 (齊藤直一)
2019-01-08 22:55:14
何時もブログを拝読し感銘しております。年末にはつまずいて倒れられて 脳梗塞の疑いで2 3日入院されたとの事。90歳ともなれば何時入院するか判りません。これまで元気すぎた身体、神様が少し休ましてやろうと思って入院さしたのだと思う。
小生も生まれつきは少し身体が弱かったそうですが、成長するにつけて丈夫になって 85歳で白内障の手術で3日入院したのが、初めてでした。
87歳で「太郎と花子」に入所。毎日することが無い、三食昼寝つきの高価なホテルのような場所。春夏秋冬冷暖房に聞いた部屋で毎日 ボサーとして暮らすのは良いのか悪いのか、子供に居住費を助けていただいての入居。あの世に行く準備期間だと思い、毎日準備をしております。
ブログを読ましていただき、この処、寒い朝は零下5度になって 水道が凍てついて水が出ないと言う文を読んで、江南市は何をしているのかなと、太平洋側は常に暖かいので、水道に冬用の準備をしなくても良いのかなと思いました。小生の里、日本海側の京都府舞鶴では零下になっても水道が凍って水が出ないと言うことは、何時からか忘れましたが、絶対にありません。地下から家に入るまでの外部の水道のパイプには断熱材が巻いてあります。又名古屋は自動車生産の元締めなので、車の多いことは判っていますが、自動車事故の多い事、相変らず日本一で困ります。
小生の舞鶴で食料品の移動は販売をしている時、冬季には 大江山の麓まで行くと1メートルの積雪になりましたが、商売は一日も休まず4駆の自動車で(タイヤチエーンは巻きません)頑張りました。
正月は家族団らんで羨ましい光景を想像しました。熊沢様は7人兄弟で全員元気とまではいきませんが、正月には会えると羨ましい光景。小生は87歳までは盆 正月に子供 孫たちが舞鶴の我が家に集まり 小生の手作りのご馳走を食べて、里の味を楽しんで頂いたが、「太郎と花子」に入所して、家族の団欒ができなくなった事、時代の流れで致し方ありませんが寂しい正月でした、それでも小生の家族、子供男子のみで3人でしたが、嫁 孫8人曾孫8人合計28人の大家族になりました。小生が逝ったときには 本当の家族葬が出来ると微笑んでおります。正月の挨拶と致します。

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遅ればせながら (takezii)
2019-01-09 11:15:58
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
昨年末は 大変でしたね。
「一過性脳虚血発作」、「一過性脱力」、
検査入院するも 特に異常が無かったということで 良い経験になりましたね。
なんだか 私等も 有りそうな状況、病状、症状、
参考になります。
今年も 自分の身体に合わせて 油断することなく マイペースで 暮していきましょう。

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