平成24年7月から、私の町の氏神「白山社」の「平成の大修理」と名付けられた、祭文殿・拝殿・社務所の大修理が始まりました。その折拝殿の屋根裏から29枚の棟札が出てきました。
最も古いもので元和9年(1623)で、今から391年前の徳川幕府初期に当たり、白山社創立を表している棟札と考えていいものでした。
本来、平成の大修理の役員でなかった私に声がかかり、急きょ写真班として仲間入りすることになりました。
役目の内容は、この29枚の棟札の記録と出来たら解明、工事の進捗状況の記録と理解して、足しげく白山社へ通うようになりました。
(写真は、拝殿屋根の銅板葺き替え工事です。)
「平成の大修理」は、起工式2012年7月、完成式は2013年3月の9ケ月にわたりましたが、拝殿軒下四面に12体の彫刻があるのに気が付いたには、起工式後1ヶ月位の早い時期でした。ところが、この拝殿には、12体の彫刻の他に南面と北面の切り妻に、彫刻があり南面の彫刻に気が付いたのは約2ケ月後、北面の彫刻に至っては数ヶ月後と云った調子でした。 全く不慣れというか、しろう人と云うか 、本殿から祭文殿に多くの彫刻があり、それに気付き認識するまでには月日が必要でした。
拝殿と祭文殿をつなぐ渡り廊下が後世造られ、彫刻が隠れていたり、本殿の北側(裏)の彫刻は地上から高く、且つ見えにくくて月日が掛かりましたが、次の2点について考えるようになりました。
(1) 白山社は、社格でいうと「村社」に当たる低い社ですが、彫刻の多さは類を見ないもので、且つ貴重
である事。
(2) 彫刻が置かれた年代は、明治時代後期から昭和初期の時代と推測されます。その時代は決して
豊かでなく、百姓多かった時にその由来について解明する事でした。
此処で紹介する白山社の全ての彫刻を、地域でも 知る人は皆無にひとしく、また伝承も無かったと言えます。私も十数年前、計4年間にわたり氏子総代を務めましたが、式次の追行に追われて彫刻を認識することは出来ませんでした。
歳月が流れて、OA機器の普及 してくると自分達で調べることが出来て、地域の皆さんに氏神白山社に、立派な彫刻があることを知ってい頂くことを目的に、このアルバムを編纂しました。
白山社の彫刻
白山社の彫刻 その2
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