近年なって夫婦で誕生日を確認(意識)するという事はほとんどありません。いや、ず~っと昔からそんな調子でした。それは、社会全体が貧しくてそんな風習が無かった時代でもありました。だから、何かの書類に生年月日を記載する必要で覚えている程度でだったようです。
以前と違って誕生日を自覚するようになったのは、60歳(還暦)を過ぎてから、子供たちが節目で祝ってくれるようになってからだと思っています。私は2月5日、女房は12月27日で子供達からプレゼントが届くようになって、心のうちで喜びお互いに年を確認し合う感じの晩年です。子供たちの私達親に対する思いは、娘は『きめ細かく』息子は『粗い』感じですが、私はそれでいいと思って納得しています。男には外に役目(家庭を守る)があるからです。
今になって、若い者の家庭のような誕生祝いをすることはできませんが『せめて言葉だけでも!』の思いもしないわけではありませんが・・・ 照れくさくて出来ない感じです。
以前、金婚式を迎えた時に女房が『祝いたいと言いましたが』 『50年ぐらいで・・・祝わはない!』 60年になったら・・・と、強く止めた経緯がありました。
ところが、今年結婚59年を迎えました。正月に来た娘に私の思いを話して、「ダイヤモンド婚」を計画してくれるようです。”私自身この機会に思いっきり感謝の気持ちを伝えたい”娘に伝えた”思いの理念です。
祖母・両親も90代まで長生きだったことが60年まで伸ばした根拠でした。が おかげと2人とも80代にしては元気です。私は(長男)7人の兄弟ですが”まめで生存”しています。妹は、私より年上の旦那を亡くしていますが、あとは共に夫婦でそろっています。親からもらったDNAだと皆口をそろえて感謝しています。
夫婦共に「年金友の会」に入っています。最初からではなかった覚えですが、「誕生日おめでとうございます」のささやかなプレゼントが送られて来ていました。過去ほとんど意識することは無かったですが今回は”思いが揺れ”ました。その小さな小箱を開けずに2日ほど置いてありましたが、明けてみたら{拡大鏡}でした。
「怪しからぬ!まだそんなじゃない!」 「しかし、世間一般から見ると、83歳はそんなお年寄りなんだ・・・」 ここは素直にとりいれて、いただいておこう~必要になった時には使えばいいからーそう思うと気が楽になりました。
拡大鏡を使って2~3枚の写真を撮っておきました。何時になったらこれが必要になるだろう?出来るだけ遅く使うよう眼の健康管理に気をつけます。
八十路の人生は、ある意味控えめの決断(納得)をする道のようです。さみしいことですが大切だと思います。しかし 控えるばかりでは息が詰まります。幸い私には、精一杯打ち込める野菜作りや、パソコンがありますから・・・。
読んでいるうち、ほのぼのとした心温まる気分に包まれました。
家族に感謝の気持ちを素直に伝えることが出来ればいいのですが、なかなか上手く言えないものですね。日本人の悪い癖!ですね。
しかし以後も自分の投稿に没頭して、皆様の投稿文に眼をとめる余裕もあまりなく4年目を迎えました。が昨年暮れごろからその余裕が出てきて(?)出来るだけ皆さんの文を見るようになりました。すると世の中には”素晴らしい人が”多くみえること知り、私が「井の中の蛙」ブロガーであることを自覚しました。
これからも「70代の青春」クイックしていきます。宜しくお願いします。
「70代の私」とトップ争いを続けているとかの「70代ドットコム」を丁寧に読みました。私の率直な感想は「世界が違う」でしたし、「2007年の記事ばかりだなあ~」でした。私の意見としては「ドットコム」さんは温室の花。「私」さんは大自然の中の花、高山植物であり草原の花であり路傍の花だと思います。そしてもちろん尊いのは大自然に中の花です。どんどんこれからも一杯花を咲かせて下さい。私たちのために。
11日から大変なことが起きていますね。私は、未曾有の災難と表現していますが、知恵と力を合わせて乗り切りたいですね。
原発は報道初期の段階から、素人なりに大きい懸念を感じていました。テレビの前で心配ばかりしておれませんから畑に出ています。