ゴールデンウイークも好天に恵まれて終りました。私の場合今年は、短い時間もありましたが、連日畑に出ました。明日は、来客があるから仕事をやりこしておこうーという無理はせず、孫たちの半数が結婚して、5人のひこ孫が来ました。勿論会う事は楽しみですが、大きいおじちゃん、大きいおばあちゃんの立場をわきまえて、対処したつもりです。自分のことは、自分でできて、小さな会話が出来る老後でありたいとおもいました。
近くに由緒ある曼陀羅寺があり、この時期「ふじ祭り」が行われており、今年は是非写真を撮りに行きたいと念願しておりました。6日(土曜日)この日しかないと、しかも早朝日の出に合わせるように出かけました。自転車で数分の距離です。
曼陀羅寺の由来 正中元年(1324)創立の浄土宗の古刹で尾張北部における最も格式の高い霊場です。江戸時代には山内に14ヶ寺寺院を有し、現在も9ヶ寺の寺院(塔頭)が現存しています。
開山天真乗運上人は、藤原師継(ふじはらもろつぐ)氏の8男で、後醍醐天皇の御母檀天門院の弟に当たる方です。帝の隆盛を祈り、北条氏の調伏を祈祷するため寺院を建立するよう詔勅を賜り、乗運上人によって開かれた「後醍醐天皇勅願寺」です。元弘3年(1333)北条氏は滅び、「建武の中興」は成りましたが、足利氏の反逆にあい室町幕府は成立します。しかし、当寺は後醍醐天皇勅願寺故に足利氏家臣で、尾張国代斯波氏の、上人拉致(殺害説あり)・寺領没収の弾圧にあい80年間の無住時代が続き荒廃していきました。
やがて第2世召運上人によって寺運も上昇に転じ、 安土桃山時代は、信長・秀吉の庇護を受け、江戸時代に入ると徳川御三家尾張藩の庇護を受け、幼少期塔頭本誓院に学んだ阿波国守蜂須賀家政公より本堂再建の寄進を受けている由緒ある寺院です。
昭和45年に市の管理のもとに境内の一部を曼陀羅寺公園として整備され、多くの品種の藤が植えられ、50年近く経って多くの観光客が訪れるようになりました。本堂は解体修理中です。
公園の「シャクナゲ」が目に留まりました。
日中の人混みを避けて早朝5時過ぎに訪れました。朝陽に輝く!を期待しましたがうす曇りでした。
曼陀羅寺公園のふじ祭り
勝手なお願いでコメントではありません。お許しください。メールにすべきだと、もう一人の自分が自分を叱っていますが、つい、甘えております・
早朝曼陀羅寺に着いてみると、雲っていて薄暗い感じでした。雲が切れて日差しがある時もありましたが、明るい写真が撮れませんでした。