Quelque chose?

医療と向き合いながら、毎日少しずつ何かを。

塩田千春展「魂がふるえる」@六本木ヒルズ森美術館

2019-09-21 | アート
仕事で六本木に行く機会があったので、塩田千春展をようやく観てきた。
六本木ヒルズはいつも混んでいそうで(というか実際混んでいるので)なかなか足が向かなかったのだが、連休とは言え、土曜日の夜はさすがに人が少なくて、ゆっくりと観ることができた。
美術館の夜間開館はありがたい。

”「不在のなかの存在」を一貫して追究してきた塩田の集大成となる本展を通して、生きることの意味や人生の旅路、魂の機微を実感していただけることでしょう。”(本展HPより)

「不在のなかの存在」。

張り巡らさせた赤い糸、「外在化された血管」。
弾くものも聴くものもないまま、黒い糸の中に存在する、焼けたピアノとたくさんの椅子。
吊り下げられ、並び、ときに振動するスーツケースの群れは、次第に上空に上がっていく。




ドローイングやインスタレーションを観るうちに、「不在」を実体化したような作品群の中に、何かが「存在」していること、またそれを通して自分の「存在」を問われているような、そんなことを感じられる作品展である。

ベルリンを拠点として広い分野で活躍し、自らの身体を用いたインスタレーションなども展開しながら、流産や癌を経験してきた彼女の、25年間の集大成となる個展。
演出したオペラの舞台装置の映像や模型も展示され、圧巻だ。

「人間の命は寿命を終えたら、この宇宙に溶け込んでいくのかもしれない」。


ちなみに、森美術館では「MAMコレクション」として会田 誠、ユェン・グァンミン(袁廣鳴)、ジョウ・ティエハイ(周鉄海)の作品も展示されている。会田誠が総理大臣に扮しているのであるが、なかなか似ている!
それから森アーツセンターギャラリーでは、バスキア展も始まっている。こちらは森美術館より早く閉館してしまうので、両方見るならバスキアを先にした方がいいかもしれない。

ボルタンスキー展

2019-07-31 | アート
国立新美術館で、「クリスチャン・ボルタンスキー展」を観た。

「ボルタンスキーの活動の全貌を紹介する大回顧展」とのことで、作品を単に年代順に並べるのではなく、展覧会全体がひとつの作品となるような展示となっている。

会場は回遊できるようになっており、入っていくとホロコーストを想起させる写真の列、コートなどの衣類、そして音や光などさまざまなメディアで、ユダヤ系の出自を持つこのアーティストが追求してきた、生命と死・存在と不存在といったテーマを体感できる。
後に残らない芸術を創ろうとしてきたというボルタンスキー。その作品は、我々の記憶の中に残っていくのである。

今回の展示で、例えば「アニミタス」というビデオプロジェクション。全体で10時間以上あるという作品だが、その中では、白い背景の中、また床一面の「シルクペーパーの玉」の上で、星座の形に並べられたという、スズランのような形をした小さな風鈴が、強風に揺れてはかなげな音を奏で続けている。
これは、カナダの北部、厳冬の中で撮影された映像だそうだが、この「風鈴」は既にないという。今我々が手にしているのは、映像の中の音とイメージ、これだけ。このことにより、「ボルタンスキーにとって実際に形のある一つの作品を残すことよりも、神話を作り出すという願望を表している」(本展パンフレットより)のだという。

また、「発言する」という作品は、台の上に掛けられたコートが、その下に立つ我々に話しかけてくるというものだ。コートは、まるで人間が着ているかのように配置されているが、そこにはヒトの形は何もない(例えて言えば、銀河鉄道999の車掌さんのようなものになるのだろうか)。
そして、私たちはその「人」から、どのようにあなたは死んだのか?を問われる。
すなわち、そのコートは、現前する死後の世界なのである。

私も「コート」たちに尋ねられた:「ねえ、怖かった? 聞かせて、突然だったの?」などと。
私はなんと答えればよいのだろう。
いつか、何か答えを得るときが来るのだけれど。

そして私たちは、本展のために制作されたという「来世」の下を通り抜ける。







銀座で、無料アート鑑賞

2019-07-28 | アート
用事があって日比谷に向かうことになり、少し早く出て銀座から歩くことにした。

まずはGINZA SIXのArtglorieuxに立ち寄って、「魅惑のコンテンポラリーアート展」をのぞく。実はGINZA SIXは初めて。なんていうか、インバウンド向けの商業施設なのかな?



ロッカクアヤコの「早生まれ行進曲」や、KAWS、INVADERらの作品。
特に個人的には方眼紙にキャラクターが描かれたINVADERのモザイクアートが面白かった。ていうかこれ、こどもに大人気だろうな。

・・・しかしどれも、お値段を見て現実に戻る。どれもとりあえず手が出ません。

さて、そこから中央通りを少し歩いて資生堂ギャラリーへ。
資生堂ビルの行列の横を通り過ぎて、薄暗い地下に下りていくギャラリー。



「第13回shiseido art egg」今村文展。
"独自のドローイングが形づくる花や虫に囲まれた世界をインスタレーションとして構成"とある。

下の「ぼたん羽虫華蔓」が、入っていくとまず目に入る作品。
純な描画でなく、紙の上に水彩画および繊細なコラージュ(が施されている。ほのかな照明に、少しきらきらと光るようなのは羽虫か。


さらに進むと、そこは花と虫がつくりあげる不思議な「生活空間」。

"今回はギャラリーの中に最も身近な日常生活の場である自身の部屋を持ち込み、その中から花や虫が無造作に増殖し広がっていく小さな庭のインスタレーションとして作品を構成します"(解説より抜粋)。

「見えない庭」というタイトルの寝室。
実際にはありえない花と虫のあるベッドサイドなのだが、今村さんは今回、"庭を作る場所として私は寝室を作りました"と述べている。
(近づいてみるといろいろ細かく手が込んでいて面白い)


「第13回shiseido art egg」、今村 文展は今日が最終日。
この後は、小林 清乃展、遠藤 薫展と続くそうです。

「やなぎみわ展」@福島

2019-07-27 | アート
福島での仕事の後、新幹線で東京に帰る前、これなら時間を作れる!と思い立ち、
福島県立美術館の「やなぎみわ展」に行ってみた。
 
 
やなぎみわ作品、実は演劇オンチなせいもあって今まであまり見たことがなかったのだけれど、今回は過去の代表作から新作までとあり、また福島の桃のシーズンでもあるので(?)良い機会だ。
 
とりあえず、福島駅から飯坂線に乗ってみる。
とても久しぶりに、紙のきっぷに駅員さんのスタンプ。
 

電車写真を撮っていたら、地元らしいおばさんに「良く撮れるねえ」と笑われた。
「飯坂線、初めて乗るんです」と言ったら、「私も初めて」だそうだ。
温泉に向かう電車ということで、車内に「ゆ」の暖簾がかかっているのが面白い。
 
3分ほどで2駅で到着。すぐだ。
駅名は・・・そのまんまである。
 

暑い。

美術館は、駅からすぐの場所。
建物は、さすが県立、大変に立派である。右が図書館、左が美術館。
水面がまぶしい。
 
 
さて、チケットを買って企画展に入ると・・・

・・・他に来場者がいない!?
 
今日は14:30から「神話機械」のデモンストレーションがあるそうなので、おそらく来場者はそれに合わせて来るのだろう(残念ながら、私はそれまでいられない)と思ったが、
それにしても、土曜日の午後なのに。
 
しかしそのおかげで、私は本日、「美術館(ほぼ)貸し切り状態」を満喫!
すごい!!
まるでテレビカメラや相方のいない「日曜美術館」!(違うか。あと井浦新はいても良し)
 
やなぎみわの写真作品、代表作である「エレベーターガール」のシリーズから展示が始まる。
もう20年くらい前の作品だが、昔のいわゆる「エレベーターガール」を知っている世代として(やなぎみわも同じ世代だ)、にこやかに上下を繰り返していた「彼女たち」のポーズがコラージュされた一群の写真に、"切り取られた時代"感を覚える。

「My grandmothers」には、さらに強い印象を受けた。自分は、どのような「老女」になりたいか…そのイメージや願望を「実写化」した作品群。現在と未来、現実と非現実が一体となった不思議な表現。
 
そして、福島市内の果樹園で連続して撮られているという桃の木の写真シリーズ。
タイトルは「女神と男神が桃の木の下で別れる」。
照明を落とした広い展示室に、浮かび上がる桃たち。
イザナギが黄泉の国のイザナミに追われ、黄泉比良坂で桃の実を取って投げつけてようやくイザナミを追い払った、という神話。
神に投げられた桃が、今、福島各地でこのように実って、我々に「神」の意志の存在を伝えてくるかのようだ。

・・ちなみに、ちゃんと桃の品種の説明もあります。あかつき、川中島、まどか、きららだそうです。
 
「演劇アーカイブ」の展示は、資料や映像。その他、ドローイングなども。

そして、神話マシンのフロアの手前の暗室で、ヴィデオ・インスタレーション「桃を投げる」。
息を切らしながらうごめくヒトに、投げられ、握られ、食べられる桃。

そして「神話機械」。
ここだけ撮影可能。

以下、美術館HPより引用:

また本展に向け、京都、高松、前橋の大学、高専、そして福島県立福島工業高校と連携した「モバイル・シアター・プロジェクト」が立ち上がり、マシンによる神話世界が会場に生み出されます。


ただ見るだけでもかなりの迫力だが、この機械は1日3回動くらしいので、時間が合う方はぜひそれに合わせて見に行って下さい。以下引用: 
 
 ★モバイル・シアター・プロジェクト《神話機械》は1日3回無人公演を行います
  公演時間(各回約16分間)
  ①11:00~ ②14:30~ ③16:00~

見たかったな。また来るかな。

福島県立美術館

東京都写真美術館

2019-07-15 | アート
今日は久しぶりに恵比寿へ。
東京都写真美術館(Tokyo Photographic Art Museum)。


開催中の展示のうち、今日のお目当ては二つ。
「世界報道写真展」と、今日まで開催の「宮本隆司 いまだ見えざるところ」である。
「世界〜」は B1階、宮本隆司は2階。二つ以上観るときにはセット券にすると割引になるのであるが、支払いにいくつか特定のクレジットカードを使ったりすると安くなるのであった。今日は、JREカードを使ったので少しおトクになり、得した気分。ふふっ。



まずは、世界報道写真展へ。

毎年開かれているこの写真展は、「世界報道写真コンテスト」の受賞作を紹介するもの。
今回は「129の国と地域から4,738人のフォトグラファーが参加し、78,801点の応募」があったとのこと。すごい規模である。
その中から選び抜かれた写真は、一枚一枚が、見ている者に「今まさに起こっていること、今まさに動いている世界」を克明に、そして深く突きつけてくる。

展示は「現代社会の問題」、「一般ニュース」、「長期取材」、「自然」、「環境」、「スポーツ」、「スポットニュース」、「ポートレート」の8部門に分かれている。順路は特にない。私たちは、テレビや新聞、というより最近ではネットやSNSなどで得ている同時代の情報を、細部まで鮮やかに、大きくプリントされた決定的写真によって、知識としてではなく「体験」として得ることになる。
例えば、中南米からアメリカに向かう「キャラバン」の人々。シリアで傷つくこどもたちの表情。保護され、人間とともに過ごすフラミンゴ。
いつか報道で聞いた内容を、ここで私たちは再構成し、自分たちが今生きているこの地球は、こんなに荒々しく、こんなに危機的なのか、と、安全な東京にいながら思うことになるのである。

8月からは大阪、滋賀、京都、大分に巡回するとのことです。

次は2階の「宮本隆司 いまだ見えざるところ」展へ。

宮本隆司というフォトグラファーについて、これまでほとんど予備知識はなかったのだけれど、どこかでみた「ソテツ」の写真に何か惹かれるものがあり、最終日の今日、立ち寄ってみた。

宮本さんは1947年東京生まれ。多摩美を卒業後、建築雑誌編集を経て1975年から写真家として独立。
今回の展覧会は、「建築の黙示録」や、アジア各国の都市を撮影したモノクロ写真のシリーズと、東京でスカイツリーを撮った「塔と柱」、それに両親のふるさとで、アートプロジェクトの企画に携わったという徳之島での日常やピンホール作品などが展示されていた。

宮本さんの作品は、しばしば「建築」「廃墟」「闇」ということばをキーワードとして解説されるという。今回の展示でも、「建築の黙示録」からの数展や、ネパールの「ロー・マンタン」で撮影された城壁など、光と影、そして時間が建築を変容させていくありさまが写真という形で私たちに提示される。
一方で、後半の徳之島の写真、風に揺れるサトウキビの映像や精密プリントされたソテツの写真などには、鮮やかな色合いに、南国の風が感じられる。穏やかに「シマ」に住まう人々のスナップでは、高齢の方々の、照れたような微笑みが並んでいる。

豊かな自然と静けさ、そして一部に写る頭蓋骨、そういったすべてが、今を生きる「シマ」の暮らしを織りなしているのだろう。