国立新美術館で、「クリスチャン・ボルタンスキー展」を観た。
「ボルタンスキーの活動の全貌を紹介する大回顧展」とのことで、作品を単に年代順に並べるのではなく、展覧会全体がひとつの作品となるような展示となっている。
会場は回遊できるようになっており、入っていくとホロコーストを想起させる写真の列、コートなどの衣類、そして音や光などさまざまなメディアで、ユダヤ系の出自を持つこのアーティストが追求してきた、生命と死・存在と不存在といったテーマを体感できる。
後に残らない芸術を創ろうとしてきたというボルタンスキー。その作品は、我々の記憶の中に残っていくのである。
今回の展示で、例えば「アニミタス」というビデオプロジェクション。全体で10時間以上あるという作品だが、その中では、白い背景の中、また床一面の「シルクペーパーの玉」の上で、星座の形に並べられたという、スズランのような形をした小さな風鈴が、強風に揺れてはかなげな音を奏で続けている。
これは、カナダの北部、厳冬の中で撮影された映像だそうだが、この「風鈴」は既にないという。今我々が手にしているのは、映像の中の音とイメージ、これだけ。このことにより、「ボルタンスキーにとって実際に形のある一つの作品を残すことよりも、神話を作り出すという願望を表している」(本展パンフレットより)のだという。
また、「発言する」という作品は、台の上に掛けられたコートが、その下に立つ我々に話しかけてくるというものだ。コートは、まるで人間が着ているかのように配置されているが、そこにはヒトの形は何もない(例えて言えば、銀河鉄道999の車掌さんのようなものになるのだろうか)。
そして、私たちはその「人」から、どのようにあなたは死んだのか?を問われる。
すなわち、そのコートは、現前する死後の世界なのである。
私も「コート」たちに尋ねられた:「ねえ、怖かった? 聞かせて、突然だったの?」などと。
私はなんと答えればよいのだろう。
いつか、何か答えを得るときが来るのだけれど。
そして私たちは、本展のために制作されたという「来世」の下を通り抜ける。