散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

麒麟がくる・実際のキャスト・キャスト予想・生没年付き

2019年12月30日 | 麒麟がくる
☆印だけが「2019年12月末日時点」で分かっている「本当のキャスト」です。したがってその他は「予想キャスト」です。

カッコ内の「人物解説」は「一般的な説明」です。「麒麟がくるの設定」ではありません。

齋藤道三の死去は1556年・桶狭間の戦いは1560年・信長の上洛戦は1568年・義昭追放は1573年・本能寺の変は1582年・関ヶ原の戦いは1600年


主人公・明智光秀関連
☆明智光秀(1528-1582 道三に仕え、道三死去後、信長と盟友となる、諸国を遍歴、乱世収拾の道を探る)・・・長谷川博己
☆明智煕子(没1576 あけちひろこ、光秀の妻)・・・木村文乃 ちなみに煕子という名はおそらく史実とは違います

妻木(実在未詳・明智煕子の妹か、信長側室とも言われる)・・・土屋大鳳
☆明智牧(史実では名前不詳、光秀の母)・・・石川さゆり
明智光慶(史実を変更)(あけちみつよし、光秀の長男、学説では死んだ時まだ14歳であるため、それを24歳と設定する。光秀と信長の連絡係として活動したことにする)・・・神木隆之介
☆明智光安(1500-1556 美濃明智城主、明智家家督、道三正室の兄)・・・西村まさ彦

明智お岸(史実では名前不詳、光秀の長女、荒木村重室→明智光春室)・・・山本美月
明智宝子(史実では名前不詳、光秀の四女、信長のおいである津田信澄の正室)・・・橋本環奈
☆明智左馬助光春(1536-1582 明智秀満 光秀の女婿にして重臣)・・・間宮祥太朗
明智珠(1563-1600 あけちたま 光秀の三女、細川ガラシャ、細川忠興正室、関ヶ原の混乱の中で死去)・・・広瀬アリス
齋藤利三(1534-1582 光秀腹心の部下、春日局の父)・・・藤本隆宏
溝尾庄兵衛(1538-1582 溝尾茂朝 光秀重臣、光秀と共に討ち死)・・・斎藤工
☆藤田行政(1582没 光秀の古参の重臣)・・・徳重聡
☆細川藤孝(1534-1610 細川幽斎、はじめ光秀とともに足利義昭擁立に尽力する。のち織田信長に仕え、光秀の与力武将となる。古今伝授を受けた歌人)・・・真島秀和
細川忠興(1563-1646 細川幽斎の嫡子、細川ガラシャの夫、関ケ原で功を立て、肥後細川家の基礎を築く)・・・溝端淳平
京極高次(1563-1609 衰退した北近江の守護家に生まれる 本能寺後光秀に協力 のち許され豊臣家→徳川家 妻は淀殿の妹である初、妹は秀吉側室)・・・勝地涼
上泉信綱(1508-1577 柳生新陰流の祖、諸国を遍歴して、槍術、剣術を広めた。一時美濃に滞在し、光秀に槍術剣術を指南、将軍義輝の剣術信南、光秀と義輝をつなぐ)・・・真田広之
☆三淵藤英(細川幽斎の異母兄・足利義昭重臣)・・・谷原章介

☆伊呂波太夫(いろはだゆう)・・・尾野真千子、架空の人物・私の予想はあまり当たりません。しかし「架空の女性」を山崎屋いろは、と予想しました。「いろは」だけ当たっています。

齋藤道三関連

☆齋藤道三(1494-1556 斎藤利政、美濃国主、土岐頼芸より美濃を奪取した。天下取りの野望を光秀と信長に託す)・・・本木雅弘
長井新左衛門尉(生没年不詳、ながいしんざえもんのじょう、道三の父。はじめ京都妙覚寺僧侶、還俗して京の油屋山崎屋に入り婿し、その財力を背景に国盗りを目指して美濃土岐家の家臣となる)・・・松重豊
お万阿(架空の人物)(おまあ、道三父の京都の妻、道三の母ではない。京都の豪商、油屋山碕屋の女主人)・・・井川遥
土岐里子(架空の人物)(土岐家支流の娘、道三の母)・・・黒木瞳
☆深芳野(みよしの、道三の側室、もとは土岐頼芸側室、斎藤義龍の母)・・・南果歩
☆小見の方(1513-1551 おみのかた、道三正室、明智光安の妹、濃姫の実母)・・・片岡京子
竹中半兵衛(1544-1579 天才的軍略家、幼少時は道三の薫陶を受ける、神童と言われ12歳で道三の軍略を受け継ぐ、斎藤家家臣→信長家臣、秀吉の与力)・・・志尊淳
☆齋藤義龍(1527-1561 道三の子、実は土岐頼芸の子とされることもある、長良川の戦いで道三の首を奪う)・・・伊藤英明
赤兵衛(架空の人物)(元妙覚寺の寺男、道三の父の最古参の腹心、道三にも仕えた)・・・(華丸大吉の華丸)
☆稲葉一鉄(1515-1589 西美濃三人衆の一人、土岐家→斎藤家→織田家→豊臣家、娘は斎藤利三室、春日局の祖父)・・・村田雄浩
猪子兵助(1546-1582 いのこひょうすけ、道三の小姓、道三没落後、織田信長に仕える)・・・濱田岳
☆土岐頼芸(1502-1582 ときよりよし、もと美濃国国主・道三により尾張に追放される)・・・尾美としのり
日運上人(1484年生、美濃常在寺住職、長井氏出身、道三の父とは妙覚寺で同学)・・・温水洋一

織田信長関連

☆織田信長(1534-1582 初めは道三とは対立、が濃姫と婚姻後、道三と手紙で交流、道三の野望を受け継ぎ天下人を目指すことになる)・・・染谷将太
信長については「保守的、中世的側面を強調、経済政策に優れていた点も強調される」とNHKが発表している。
☆織田信秀(1511-1552 信長の父、京都志向がある教養人にして強き武人、道三と幾度も戦うが結局美濃を奪うことはできなかった)・・・高橋克典
織田信定(没1538 清州織田家に仕えた奉行、織田信秀の父、信長の祖父、信秀の尾張制覇の野望に賛同できぬものの黙認、隠居する)・・・大和田伸也(たぶん信定は登場しない)
☆帰蝶(1535生誕、没年不詳 斎藤帰蝶、濃姫、信長正室、道三の娘、母は小見の方、幼き頃は光秀に淡い恋心を抱いていた)・・・川口春奈
お市(1547-1583 信長妹、浅井長政正室、淀君の母、お江の母、豊臣秀頼、徳川家光の祖母、長政没落後、柴田勝家に嫁ぐ)・・・清原果耶

☆土田御前(没年1594 信長の母、息子である織田信行の謀反を心配している)・・・檀れい
織田信忠(1557-1582 信長の嫡子、幼名は奇妙丸、織田家家督を継ぐ、本能寺の変にて討ち死)・・・竹内涼真
生駒吉乃(1528-1566 いこまきつの、信長側室、信忠、信雄、徳姫の実母ということになっている、穏やかな性格で濃姫との関係も悪くない)・・・満島ひかり(吉乃は登場しない可能性が高い)

☆織田信勝(信行)(没年1558 信長弟、信長と家督を争い、謀殺される)・・・木村了
織田長益(1547-1622 おだながます、織田有楽斎、信長弟、信秀の11男、茶人、東京都有楽町は彼に由来するとかしないとか)・・・坂東巳之助
☆柴田勝家(1522-1583 織田家重臣、通称権六、織田家家督に信行を推した過去を持つ)・・・安藤政信
☆木下藤吉郎(1537-1598 後の豊臣秀吉)・・・佐々木蔵之介
木下寧々(1548-1624 秀吉妻、のちの北政所)・・・貫地谷しほり
☆前田利家(1539-1599 織田家家臣、柴田勝家の与力武将、秀吉とも親しく、のち加賀前田100万石の当主となる)・・・入江甚儀
前田まつ(1547-1617 前田利家正室、芳春院、「加賀100万石は芳春院でもつ」と言われた)・・・瀧本美織
森蘭丸(1564-1582 信長小姓、信長より5万石を与えられた、本能寺にて討ち死)・・・加藤清史郎
丹羽長秀(1535-1585 織田家方面司令官の一人、秀吉政権で一時は120万石、その後減俸、子孫は二本松藩主となり、明治まで続く)・・・塚本高史
滝川一益(1525-1586 織田家方面司令官の一人、関東担当、秀吉と戦うも、のちお伽衆となる。子孫は江戸幕府で旗本)・・・甲本雅裕
☆佐久間信盛(1528-1582 織田家司令官の一人、本願寺担当、のち信長に追放される)・・・金子ノブアキ
池田恒興(1536-1584 織田家重臣、信長とは乳兄弟、子の輝政は初代姫路藩主)・・・山田裕貴
☆平手政秀(ひらて・まさひで)・・・上杉祥三(信秀を支える織田家老臣。信長のもり役)
☆織田信光 信長のおじ  木下ほうか
☆毛利新介  桶狭間で今川義元の首をとる 本能寺の変まで生きた  今井翼


戦国武将・その他
武田信玄(1521-1573 52歳で死去、甲斐の戦国大名)・・・草刈正雄
山本勘助(半ば架空の人物、甲陽軍鑑や古資料にみられるが、完全なる確証はない、信玄の軍師として高名)・・・荒川良々
武田信虎(1494-1574 甲斐国主、息子の武田信玄によって今川に追放された。信玄より少し長く生きた)・・・角野卓三
上杉謙信(1530-1578 48歳で死去、越後の戦国大名)・・・ディーンフジオカ
上杉景勝(1556-1623 67歳で死去、上杉藩初代藩主、越後→会津→米沢、関が原により120万石から30万石に減俸)・・・犬飼貴丈
☆今川義元(1519-1560 41歳で死去、駿河の戦国大名、領地経営に優れていた、桶狭間の戦いで戦死)・・・片岡愛之助
☆太原雪斎(たいげん・せっさい)・・・伊吹吾郎 
☆三好長慶・・・山路和弘
☆細川晴元・・・国広富之

北条氏康(1515-1571 56歳で死去 相模国の戦国大名、後北条氏三代目当主、謙信・信玄と互角に戦った)・・・鈴木浩介
北条氏政(1538-1590 52歳で死去 相模国の戦国大名 後北条氏四代目当主、東国の覇者 秀吉に最後まで抵抗する)・・・市川猿之助
浅井長政(1545-1573 28歳で死去、北近江の戦国大名、お市の最初の夫、のちに信長と対立、豊臣秀頼、徳川家光の祖父)・・・賀来賢人
☆朝倉義景(1533-1573 40歳で死去、あさくらよしかげ、越前の戦国大名、光秀は信長と謀り、越前の状況を探るべく、一時義景のもとに身を寄せていた)・・・ユースケサンタマリア
六角承禎(1521-1598 77歳で死去、六角義賢、近江の戦国大名、信長上洛戦にて敗退、その後も信長と交戦、晩年は秀吉の保護を受ける)・・・要潤
本願寺顕如(1543-1592 一向一揆の総本山石山本願寺住職、浄土真宗本願寺派宗主、10年以上信長と激しい戦いを繰り広げる)・・・伊勢谷友介
三好長逸(1573年前後に死去か、みよしながやす、将軍義輝を暗殺した三好三人衆の一人、畿内で三好政権ともいわれる勢力をほこった。信長上洛で逃亡するが、その後も本願寺と連携、信長と戦う)・・・松田龍平
波多野秀治(没1579 八上城城主 光秀の丹波攻略時の敵将)・・・相島一之
荒木村重(1535-1586 信長家臣、信長より摂津一国の経営を任される。光秀の娘と村重の息子は婚姻関係にある。のち信長に謀反して失敗、しかし生き延びる)・・・六角精児
筒井順慶(1549-1584 大和国大名、のち信長に臣従、光秀の与力となる。妻は信長の娘である)・・・柄本佑
ルイスフロイス(1532-1597 ポルトガルの宣教師、足利義輝、織田信長の保護のもとで布教、著書「フロイス日本史」を残す)・・・ピーターフランクル(数学者にして大道芸人)
☆松永久秀(1508-1577 69歳で死去、畿内を実質的に治めていた三好家の重臣、やがて主君を上回る力をつけていく。信長以前に天下統一を夢みた梟雄。)・・・吉田鋼太郎
☆足利義輝(1536-1565 29歳で死去、足利幕府13代将軍、三好三人衆によって御所で暗殺される、剣豪でもあり、多くの寄せ手を斬り殺した)・・・向井理
☆足利義昭(1537-1597 60歳で死去、足利幕府15代将軍、信長が将軍に擁立、のち信長と対立。信長包囲網の中心人物となる。晩年は秀吉の保護を受けた)・・・滝藤憲一
雑賀孫一(史実不詳)(さいかまごいち、紀州雑賀衆の頭目、またの名を「尻くらえ孫一」)・・・オダギリジョー
☆近衛前久(1536-1612 関白、太政大臣、信長と親交があった)・・・本郷奏多
☆徳川家康(1543-1616 73歳で死去、三河遠江の戦国大名)・・・風間俊介
☆松平広忠・・・松平元康つまり徳川家康の父・・・浅利陽介
正親町天皇・・・中川大志
今井宗久(1520-1593 堺の豪商、会合衆、信長の経済戦略の要となった人物)・・・高橋一生
☆朝比奈親徳 今川家武将 山口馬木也

☆望月東庵(もちづき・とうあん)・・・堺 正章
京に暮らす医師。今は落ちぶれているが、朝廷や各地の戦国大名などに不思議な人脈を持つ。生涯にわたって光秀を導く存在になる。大の双六好き。架空の人物です。
☆駒(こま)・・・門脇 麦
光秀が京で出会う娘。医師・望月東庵の助手をつとめている。戦災孤児で、伝説のいきもの・麒麟の存在を信じている。架空の人物です。
☆菊丸(きくまる)・・・岡村隆史
光秀が美濃で出会う三河出身の農民。神出鬼没で、敵か味方かわからないが、常に光秀の危機を助ける。

☆印は本当のキャストですが、あとは「予想キャスト」です。

上杉謙信のイメージ・戦国武将総選挙2位なのはなぜか

2019年12月29日 | 上杉謙信
戦国武将総選挙で「上杉謙信が2位」でした。武田信玄は7位です。

謙信を主人公にして圧倒的に人気のあるマンガでもあるのかなと思ったのですが、そうでもないようです。ただし「雪花の虎」という作品はあるようです。謙信女性説に基づくみたいです。

順位をみると「大河ドラマの影響が強い」ことが分かります。あまり描かれない島津とか長曾我部は20位以内に登場しません。一方、上杉景勝が20位です。真田丸の影響でしょう。

上杉謙信は60年代に「天と地と」で、「一回だけ主人公に」なりました。これは映像がほぼ残っていないので、この作品の影響は大きくはないでしょう。ただし「天と地と」は小説としては読まれていますし、映画にもなりました。海音寺さんです。

その後80年代の終わりに「武田信玄」で準主役となります。柴田恭兵さんでした。

しかし「2位になった理由」としては、何と言っても「風林火山」のガクトさん。そして「天地人」の阿部寛さんの影響が大きいでしょう。とにかくカッコいいのです。

大河「風林火山」をどう評価すべきなのか。「昔の大河ドラマ」を意識して作られています。コメディ要素やホームドラマ要素はかなり減っています。主人公は山本勘助でカッコよくない。最後のほうは隻眼の上に丸禿で、まるで丹下段平のようです。

「シリアスな作り」は評価すべきなのかなと思います。ちなみに武田信玄もカッコよくない。そういう中にあってガクト上杉謙信だけが圧倒的にカッコいいのです。僧形にもなりません。ずっと長い髪です。

阿部寛謙信はラオウのごとき勇者です。ガクトさんとはだいぶ違いますが、軍神そのもので、やはりカッコいい。

その大河の影響に加えて、「公平や義を重んじる」というコンプライアンス遵守の姿勢が、現代に受け入れられているのかも知れません。さらに「あの織田信長に手取川で勝った」ことになっている影響もあるかも知れません。これはたぶん「勝ってはいない」のですが。


ここ以下は蛇足、今までも蛇足みたいなもんですが。


小説の方の「天地人」の冒頭で、直江兼続が「川中島は無駄だった」と思うシーンが出てきます。越後の龍と甲斐の虎が争っている間に、天下は織田のものになってしまったではないか、と考えるわけです。徳川幕府のもとで、家康の終生のライバルだった武田信玄は、その実力がデフォルメされ、信玄のライバルだった謙信もデフォルメされます。織田は、浅井とか朝倉、六角といった「弱い大名と戦った」から勝ったが、神君家康は「武田信玄や謙信を相手にしてたんだぞ」というわけです。そういうカラクリを知ってしまうと、どうもごく普通の感覚で「信玄や謙信をあがめる」気持ちにならなくなります。

謙信は領土拡大の野心を持たなかったと言いますが、これも実に怪しい。「持たなかった」のではなく、それほどの権力がないために「持てなかった」のではと思います。つまり国人の領土安堵が精一杯で、自らの領土するほどの権力は持っていなかったのでは。

このあたり、各学者さんはどういっているのか。少し勉強したいと思います。

上杉謙信というのは「おもしろそうだな」とは思うのです。軍神で越後を強大な権力でまとめていた、なんてことはないようです。「家臣が争いばかりなので逃げ出した」なんてのは有名なエピソードです。「小田原城を囲んだ」わけですが、これも不思議です。越後にいるのです。それが甲斐を迂回して相模に行く。でも小田原城をおとせません。で引き上げてしまう。味方した関東衆は「ふざけんなよ長尾」と思ったようです。気まぐれなのです。ということで色々「人間的弱点が多い人」で、そこは「おもしろそうだな」と思います。

本郷和人の本「天皇はなぜ万世一系なのか」

2019年12月29日 | 天皇
この本は「天皇はなぜ万世一系なのか」という題名です。「天皇は万世一系なのか」ではありません。

天皇は万世一系じゃない、、、と書いているわけではありません。一応「万世一系なのかも知れないが」という前提に立っています。

天皇が「万世一系か、そうではないのか」というのは「むなしい議論になっていく」しかないところがあります。天皇が「天皇を名乗る」のは天武あたりからで、7世紀の終わりです。それから1300年の間、「男系で万世一系であったか」は「科学的には確かめようもない」ことです。「一人でも不倫の子がいたら終わりで、性におおらかな日本で、そういう子がいなかったとは思えない」のですが、それも「科学的に証明できる」わけでもありません。古代や中世の天皇の骨が見つかったというニュースは聞いたことがありません。仮にもしそういうものがあったとしても、DNA鑑定なんて宮内庁が許すわけもありません。

だから本郷さんがここで展開しているのは、「どうして万世一系とされているのか」という点です。

話は実は単純です。

日本では「世襲が重要視されてきたから」というものです。

本郷さんの問題提起は「社会のリーダーは世襲であるべきか、才能であるべきか、いやそのどっちでもないのか」ということです。

明治になって世襲が否定されたわけですが、現在の政界や経済界を見れば、いわゆる社会的リーダーに世襲はごろごろいます。一方で「才能でのし上がった」人間もいます。

でも世襲主義にも才能主義にもそれぞれ問題がある。

で、筆者の結論は「世襲でも才能でも、徳を備えることが必要」というものです。ちなみに天皇制に関していえば、女系天皇でも全く問題はなく、「象徴天皇制として続く」のがよいのではないかというものだと思います。つまり「天皇制そのものはまあ、どうでもいいけど」という感じになっています。

筆者が書きたかったのは「日本社会では伝統的に世襲、才能、徳のどれが重んじられてきたか、その歴史」のようです。

麒麟がくる・すべての武将が英雄であってはいけない

2019年12月24日 | 麒麟がくる
「葵徳川三代」、、、初放映時には「なんかコントみたいな大河」だと思っていました。「コントみたい」なのは再放送でみてもそうですが、評価できるのは、

徳川家康を偉人として描いていない、秀忠も家光も偉人じゃない、という点です。

その反面、石田三成や前田利家などは「そこそこの人物」として描いています。

また徳川家康による朝廷の圧迫、その原因となった「朝廷や皇室の腐敗ぶり」もきちんと描いています。

韓国に「大王世宗」という作品があります。ハングルを作ったイドを描きました。「出てくる人物がみんな英雄」で、間違った方向に流れた作品だと思います。つまらない。人間が描けていない。

「麒麟がくる」も私の予想では「出てくる武将、全員英雄」となると思います。織田信長だけが「少し変人」で、あとは信秀も道三も義元も、松永も「みんな英雄」とされる可能性があります。

そうなると「つまらない作品」になってしまいます。愚人がいてこそ「リアルを感じる歴史になる」からです。

13代将軍「足利義輝」なぞ、とにかく素晴らしい人間として描かれると思います。実態は「流浪将軍、剣術好き」です。そして彼を殺した「松永久秀」も梟雄とされる。どう「つじつま」を合わせるのでしょう。(直接殺したわけではありません)

まあ松永久秀は「ワルが売り」なので、だからこそ「梟雄」なので、「そのまんまワル」であるというか、よりグレードアップした「ワル」として描かれるのかも知れません。


戦国もので今まで愚人とされることが多かったのは「今川義元」(最近は愚人として描かれない)、「朝倉義景」「今川氏真」「六角承禎(小説において)」あたりでしょうか。

すでに書きましたが、今川義元は最近は、というか「武田信玄」以降、愚人とはされません。「おしろいを塗ってお歯黒で、馬にも乗れない」、と描かれることはないのです。「風林火山」の谷原さんなんぞは「そこそこまともな人物」として演じていました。「おんな城主」の春風亭さんは言葉を発しないので、よく分かりません。

今川氏真は「おんな城主」では「弱虫なりに大活躍」だったと思います。実際この人、今川の血を江戸時代まで残します。

六角承禎は「そもそもドラマに登場しない」ので、愚人とも愚人じゃないとも描かれません。麒麟がくるでも「ほとんど」登場しないと思います。

昔から愚人で「今でも愚人」なのは「朝倉義景」です。「麒麟がくる」では今のところキャスティングされていません。これはおかしな話で、美濃脱出後、光秀は朝倉を頼った、というのが今までの描かれ方だったからです。「光秀もの」なので、登場するでしょう。さてどう描かれるのか。

足利義昭は、実はそんなに愚人として描かれはしません。ただし功名が辻では愚人でした。今回は「すごいやつ」として描かれると思います。

日本史には英雄がいません。織田信長の評価なぞ最近はそりゃ低いものですし、秀吉もそうです。家康もしかり。

あえて言えば、よく英雄とされるのは「武田信玄」「上杉謙信」ですが、それは彼らが「敗者」だからで、実際はたいした武将でもありません。石高が大したことないのです。あれだけやって、たいしたことない。それで謙信は商業で儲けたとか、信玄は金を掘ったとか、つまり「石高以上に有能」とされるのです。商業や金は嘘じゃありませんが、石高はとにかくたいしたことはありません。


英雄がいない日本史に「無理やり英雄を作る」必要はありません。明智光秀は優れた人物であった、とは思いますが、かといって英雄ではありません。

麒麟がくる・帰蝶は大河ドラマにおいてどう描かれてきたか

2019年12月24日 | 麒麟がくる
帰蝶は濃姫の名で有名です。織田信長に嫁いだ後のことは、ほぼ分かりません。生きていたのか、死んだのか。

ただし時代劇においては超有名で、1973年の「国盗り物語」で大河ドラマに「本格的に登場」(太閤記でも登場)して以降、織田信長が登場する大河ドラマのほぼすべてに登場してきました。

例外は大河「秀吉」で、帰蝶が登場せず、吉乃がメインだったと記憶しています。あるいは少しは登場したのかも知れません。

大河「秀吉」は1996年の作品で、このころになると「帰蝶の人生はほぼ分からない」ということが定着していましたし、「信長が本当に愛したのは吉乃だ」ともされていました。このうち「愛したのは吉乃だ」は、今では「怪しい」ともされています。「麒麟がくる」では今のところ吉乃はキャスティングされていません。今後どうなるかは分かりません。

さて帰蝶(本当の名は分からず)と信長の関係、大河ドラマにおいてどう「描かれて」きたか。むろん史実とは関係ありません。

1973年の「国盗り物語」
総集編が残るのみです。帰蝶は若き松坂慶子さんが演じました。司馬遼太郎さんの作品ですから、夫婦仲はよい。司馬作品は「夫婦は仲良し」が基本です。
高橋英樹さん演じる織田信長は史実通り。延暦寺を焼き討ちしたり、一向一揆をせん滅したりしますが、夫婦仲は別に揺らぎません。

帰蝶が嫁ぐとき、父である斎藤道三は小刀を託して「信長が本当にうつけならば、これで刺せ」と言います。
「この刀はあるいは、父上様を刺す刃となるかもしれせぬ」と帰蝶は応じる。道三は「それでこそ道三の娘」と笑います。

これは帰蝶の最も「有名なシーン」ですが、「麒麟がくる」ではどうなるのか。まあ「ある」と思います。特にカットする理由もないからです。「麒麟がくる」ではたぶん「夫婦仲良し」とはならないでしょうが、それでもこのシーンを排除する理由が見当たりません。排除する理由があるとすれば「古い帰蝶像だから」ということでしょうか。

明智光秀とは「いとこ」とされ、淡い恋もあったとされます。本能寺では信長とともに死にます。これがこれ以降の時代劇のベースとなります。

1983年の大河「徳川家康」における帰蝶

藤真利子さんが演じました。「夫婦基本的には仲良し」です。信長の傍若無人ぶりにも理解を示す「賢妻」として描かれていました。それでも松平信康を謀略をもって殺そうとする信長には「多少いやなものを感じる」という風に描かれました。

2006年の「功名が辻」

和久井映見さんが演じました。織田信長の「悪行」に対しては「はっきりと批判的」です。夫婦仲もよくはない。それでも本能寺ではともに死にます。「殿は地獄、私は極楽、これでは死に別れでございます」という名セリフがありました。

なお「信長」では菊池桃子さんが演じました。あまり記憶にないのです。途中で堺に行ってしまったと記憶しています。


大河ドラマが「戦争」を描く場合、「男は戦乱を望み、女は平和を願った」とされることが多い。多いというかほとんどがそうです。日野富子でさえ平和を願っていた。北条政子は多少戦闘的ですが、基本的には平和主義者です。なにかと勝負を口にするのは「淀殿」ですが、真田丸においてはその淀殿も「戦争の外」に置かれていました。

さて今回も帰蝶は「平和をひたすら願っていた」とされるのか。沢尻さんを起用したことから考えると、もうちょっと「ひねる」可能性もあるでしょう。

帰蝶の「地位」も、信長の付属品みたいな立場から「対等もしくは同等」ぐらいに引き上げられると予想しますが、さてどうなるでしょう。

麒麟がくる・人物がどう描かれるかを予想

2019年12月15日 | 麒麟がくる
どうせ一か月後には放送されるわけですが、前もって、人物像を予想しておきます。

ベースは間違いなく「国盗り物語」です。が、人物は相当違った感じで描くでしょう。もっともその大本はといえば、いうまでもなく「明智軍記」です。

・斎藤道三

親子二代で国盗りをしたことになります。これは六角氏の文書で示された新説です。でも親父については名前ぐらいしか分からず、個人的にはそう簡単に旧説を変えていいのかなとは思います。とにかく親父と二代で美濃をとったことにされます。

もっとも「盗った」ことにされるかどうかも分かりません。斎藤道三は「明智光秀の師匠であり育ての親」です。それなりに「美化」されるでしょう。悪漢小説というものがあり、悪は魅力的なんですが、善人として美化されてしまうかも知れません。少なくとも外見は美化されます。「まむし」ではなく、本木さんが演じるのですから。

具体的にどう「美化される」かというと「崩壊寸前の美濃を救った英雄」とされる可能性があるということです。

・明智光秀

史実としては本当に源氏の土岐氏出身かは怪しいところなんですが、、、。

まず血筋が美化されるでしょう。源氏の名門、土岐氏の一族、明智氏。素晴らしい青年として登場するでしょう。でも「幕府を重んじる」「天皇を重んじる」点においては保守的と描かれるでしょう。なにしろ信長さえ「保守的に描かれる」そうですから。

最終的には「それまで幕府や朝廷を重んじていた織田信長がそうでなくなった」から「本能寺を起こす」とされるでしょう。たぶんそういう単純な論理になる。

比叡山の焼き討ちなんぞがどう描かれるか。光秀も積極的に加担したし、その功で城持ちになるのですが、今までは「反対していた」ことにされていました。

・織田信長

保守的な人物だそうです。最近の流行です。

・織田信秀

信長の親父です。「経済力」と「朝廷重視」が強調されるでしょう。「尾張の国主じゃない」わけです。今までは尾張の国主みたいに描かれてきましたが、そこは丁寧に描かれるでしょう。

・帰蝶

濃姫です。「国盗り物語」では信長と夫婦円満。「徳川家康」では「やや批判的」。「功名が辻」では「はっきりと批判的」でした。いずれも「信長が主で帰蝶は付属物」みたいな感じがありました。
今度は「帰蝶の物語」がちゃんと描かれるはずだったかも知れません。川口さんへの交代でどうなったか分かりませんが。
「光秀と結婚する可能性があった」とされるでしょう。そうなると「準主役」です。おそらく準主役的扱いです。
史実おいては全く資料がない人です。いやな予感がするのは「本能寺は光秀と帰蝶が起こした」とされるのではないかということです。

・足利義輝と義昭

変に立派な人と描かれるはずです。特に義昭は一流の人物として描かれるでしょう。一流というか「一流の策謀家」。

・豊臣秀吉と徳川家康

光秀の「友人」でしょう。つまり「明智光秀の遺志を継いで、天下の平和を創造した」とされると思います。「金ケ崎」あたりで「友情が芽生える」のかも知れません。

・正親町天皇  過剰に美化されるでしょう。信長も光秀も「尊王、尊王」。アホらしいことになりそうです。


☆信長と光秀の関係

「盟友」だそうです。美濃において既に信長と面識がある。乱世をおさめるため盟友となる。道三没落後は「信長と話し合って幕臣となる」、幕臣として朝倉にも出向するが、家臣ではない、「あくまで幕臣」、だから美濃脱出後は「京都にいる」ことなる、と予想します。

☆信長と斎藤道三の対面

光秀が演出したことになるでしょう。信長に対する道三の「価値評価」を変えたのも光秀。「斎藤家は信長と同盟して乱世をおさめる」ことを目指すが、その方針を巡って家臣団と対立。やがて義龍とも対立。それが道三に死をもたらす。と予想します。

☆光秀と帰蝶の関係

帰蝶はこだわっているが、光秀には細君がおり、光秀としては帰蝶への思いは断っていると予想します。理由は単純で「不倫が描けない」からです。

☆誰の前に麒麟が現れるのか。

そりゃ光秀です。でも、天下の平和を実現したのは、徳川家康なわけで、そこをどう「こじつける」かでしょう。

天海あたりを光秀の友人として、光秀の遺志を継がせるやり方もありますが、今もって天海のキャストが発表されていないので、天海はなしかも知れません。

そうなると、架空の人物である、望月東庵、駒、菊丸の役回りが重要となるでしょう。光秀の「遺志」はこの三人によって実現される。どう持っていくのかは分かりませんが。


考えてみると、この十年の大河ドラマ。まともに見た作品が少ないのです。「いだてん」は全く見ていません。「江」「花燃ゆ」はほとんど見てません。「おんな城主」「平清盛」「西郷どん」もちゃんとは見ていません。実は八重の桜もまともに見てません。きちんと見たのは「真田丸」ぐらいでしょうか。「軍師官兵衛」は見ましたが、さほど面白くなかった。

「麒麟がくる」は見ますが、「文句ばかりを書く」ことは予想できます。「アホらしい新解釈」が多いと予想されるからです。それでも見ます。「いだてん」は計30分も見ていない。再来年の「渋沢栄一」も見る気になれない。寂しい限りです。「明治もの」は勘弁してほしいと思います。室町を描いて欲しい。





夜警日誌と「もののけ姫」・チョン・イルと東方神起ユンホ

2019年12月10日 | 韓国ドラマ


夜警日誌という韓国ファンタジー史劇は、2015年の作品のようです。

「なんでもあり」の作品で、ぶっ飛んだ感じが面白い作品です。「もののけ姫」のような、ジブリの登場人物みたいな少女が登場します。夜警隊の一員となる「ヨハ」です。写真のように完全なるへそ出しルックです。へそはでてませんが、胸はバンドのみです。

この格好で朝鮮王朝の都を闊歩するのです。まあ普通なら捕まります。

廃された世子が「妖怪ども、鬼神」と戦うというのがストーリーで、彼は最後の最後には「王」となります。そして「奴婢の解放」とか言い出します。これ、朝鮮王朝では絶対あり得ないことです。

そもそも「ありえない話」なので、史実にこだわる必要はないのですが。

がいた、のは民主韓国にとっては「恥そのもの」ですから、否定したがる気持ちは分かります。でも百年前までがいても、今いないなら、別に恥じる必要もない。

日本には江戸時代、はいなかったわけですが、農奴に近い人間ならいたはずです。別にそれは恥ずかしくはない。そういう「水のみ百姓」が解放されるのは、戦後の農地改革で、1945年ですが、それも別に恥ずかしくはない。歴史的事実に過ぎないと思います。

さて「夜警日誌」、配信には珍しく「吹替」があります。で、つい見てしまいました。ファンタジー史劇として見れば、別に悪い作品でもありません。

でも長い。33話もあります。ちょっとした大河ドラマです。

俳優さんが、「なんか見たことのある顔」です。

主演のチョンイルは「ヘチ王座への道」の主人公ですから、最近になって「見たことある」顔です。ヘチと同じように、物語の冒頭では「遊び人の王の息子」として登場します。

東方神起ユンホは野村宏伸に似ています。ソイェジはなんか池脇千鶴みたいな顔です。そしてヨハ、コソンヒは「優香の年の離れた妹」みたいな顔をしています。

作中では繰り返し「儒教の国なのだから、幽霊を語るな」というようなセリフが出てきます。幽霊は作中では「鬼神」です。

孔子は「怪力乱神を語らず」と言っていますから、なるほど儒教はオカルトを廃します。ただし民間信仰としては「幽霊」は存在したはずです。が、私は朝鮮王朝におけるオカルトの扱いをよく知りません。

さほど面白くはありませんというか、深みはありません。がそれなりには面白い作品です。

「屋根裏のプリンス」とハンジミン

2019年12月10日 | 韓国ドラマ


韓国の女優さんの名前はほとんど覚えないのですが、シンセギョンだけは分かります。それとハンジミン。これは最近覚えました。

ハンジミンは、お人形さんのような女優さんですが、調べてみると37歳。結構な年です。

「イサン」は11年前の作品ですから、26歳だった計算になります。

「イサン」のハンジミンはちょっと「お人形さん感が強すぎたかな」と思います。活動的ではない。トンイなどに比べると、あまり魅力的ではありませんでした。

最近になって「屋根裏のプリンス」をザーと見ました。ザーと、とは早送りのことです。「配信」だと、日本語吹き替えがないので、ちゃんと見ると目が疲れます。

この作品は7年前なので、30歳。それにしては若い。相変わらずの「お人形さん顔」ですが、非常に活動的な役で、 タンカを切るようなセリフも多く、魅力的な人物となっています。

朝鮮王朝はほとんど描かれません。世子が現代にやってきて、舞台はほとんど現代です。

時代は分かりませんが、300年前と言っています。すると18世紀初頭。景宗がモデルではないかと言われています。「ある意味有名な王様」です。

刑死したチャンヒビンの息子。トンイが「守ったことになっている世子」です。たぶん守ってませんが。

つまり粛宗の長男。次男がヨニン君、ヘチ王座への道の主人公。「ヘチ」でなんとなく頼りない小太りな王として登場するのが、景宗です。

4年の在位で亡くなってしまうので、「屋根裏のプリンス」の最終回で、「現代に住み続ける」ことになっても大丈夫というわけです。その後は、ヨニン君、英祖が継ぎます。英祖はトンイの息子です。

ザーと見ただけなので、詳細は書けませんが。ハンジミンは「屋根裏のプリンス」においては、泣いたり叫んだり怒ったりと、極めて「人間的」で活動的な魅力的な女性に仕上がっています。

「イサン」でも、こんな役にしておいたら、もっと良かったのでは、と思えます。

韓国ファンタジー史劇では、タイムスリップは「当たり前」の設定です。むろんリアル感はありませんが、それなりによくできた脚本の作品も多い。

「イニョン王妃の男」なんぞも、私は楽しめました。

ハンジミンの相手はアイドルのようです。相手とはプリンスで、たぶん景宗です。どっかで見た顔だなと思ったら、シンセギョンの「匂いを見る少女」にも出ていました。

韓国ドラマ、特に現代劇はほとんど見ないのに、どっかで見た顔が多くでてきます。



韓国ドラマ「根の深い木」「トンイ」「ヘチ王座への道」・イドについて

2019年12月06日 | 根の深い木
主に「根の深い木」について書きます。

韓国時代劇というのは「ギリギリ、イサンまで」かなという気がします。イサンは22代国王・正祖です。「イサン」は正祖の名前です。「イ」が名字で、「サン」が名前。

治世は24年間で「1800年の夏」に亡くなります。これ以後は19世紀です。安東金氏が政治を壟断し、また日本をはじめとした外国の圧力も強まり、政局が混乱。「ろくな時代じゃない」ということになります。イサンの息子は純祖ですが、純祖でドラマは作りにくいと思います。

イサンの「じいさん」が英祖で、「ヘチ王座への道」の主人公です。その英祖の母が「トンイ」です。トンイは歴史上は淑嬪崔氏(スクピンチェシ)です。1670年に生まれ、1718年に48歳で亡くなります。

あまり史料がないようで名前は「トンイ」でもいいし、まあどうとでも設定できる人です。

この人は英祖の実母ですが、英祖の「公式の母」は「仁元王妃」(イヌォン王妃)です。仁元王妃は英祖の父の三番目の王妃です。一番目はイニョン王妃で、有名です。二番目はチャンヒビンでさらに有名です。

「トンイ」を少し見返してみたのですが、むろんファンタジー史劇です。ただ史実に基づく部分もあります。トンイ役の女優さんが明るく、ジメジメした官僚の対立も、ジメジメ感が薄らぎます。

こういった人物の「おおもと」が誰かというと、むろん朝鮮王朝を作ったイソンゲであり、イバンオンです。三代目王イバンオンの息子が「イド」で、これが高名な世宗です。ハングルを作りました。

イド、世宗が主人公のドラマはそう多くはありません。「あまりに偉人扱い」のため、ドラマになりにくいのです。彼の息子の世祖なんてのは「悪役」「かたき役」ですから、ドラマになりやすい。父のイバンオンも「とんでもないやつ」なのでドラマになりやすい。たとえば「不滅の恋人」の「悪役の王」のモデルは世祖です。本当の主人公はアンピョン大君で、まあ本当は情けないやつです。なんで「アンピョン大君やねん」とでも言いたくなります。

話を戻すと「イドは聖人過ぎて」、面白みがないのです。在位は1418年から1450年です。日本だと応仁の乱が1467年です。

そのイドが実に魅力的に描かれているのが「根が深い木」です。むろん半ばフィクションで、実在しない秘密組織「ミルボン」との闘いが主要テーマとなります。

このイド、「弱虫で泣き虫」です。前半生は強大な父、イバンオンに頭が上がりません。後半生も「王はつらい」と思っています。「世が太平なのは、王の心が地獄だからだ」ということになります。

このイドに比較して「揺らぐことがない」のが「民出身の女官ソイ」と「ハンジ村のトルボク」「武人のムヒュル」です。この三人に支えられてイドも揺らぎながらも自分の道を貫きます。

父親が死んだ時、泣け叫ぶ家臣の中にあって、イドは茫然としています。彼は父のやり方に反対でしたが、それにしても巨大な父過ぎるからです。そして考えます。

「イバンオンがいない朝鮮がはじまる」、、、さほどにイバンオンのやり方は苛烈でした。これは史実でもあります。

ハングルを作ることを誓ったイドですが、担当者が次々と謎の死を遂げます。ここでもイドは弱音ばかり。それに対してソイが「王の責任ではない」と書きます(彼女は口がきけません)。

イドは怒ります。「お前などに何がわかるか、朝鮮で起きることは、花が枯れても、雷が落ちても、すべて王の責任なのだ。そのつらさがお前にわかるか」

それでもソイは揺らがず「王の責任ではない」と書き続けます。イドは最後は泣き崩れます。

イドは「怒り、文句を言い、泣き、そして誇る」人間です。つまりは「悩める人間」なのです。

大王世宗を「偉人過ぎる人間」として「描かなかった」ことで、この作品は実に奥の深い作品となっています。



NHKBSドラマ「ヘチ・王座への道」感想・英祖について

2019年12月02日 | ヘチ 王座への道


ヘチ王座への道、の主人公は朝鮮王朝21代国王・英祖です。ただし王になる前を描いていますから、英祖の名前はヨニン君です。ヨニングンと読みます。くんではなく、ぐんです。王の正室の息子だと「大君」(てぐん)ですが、側室の息子だとただの「君」です。

在位は1724から1776年。日本では徳川吉宗・家重の時代です。

ヨニン君ですから「ヘチ」ではない。ヘチとは司憲府(サホンブ)という治安のための役所です。「民を幸福にするのは名君とは言えない。法とその公正な執行機関が民を幸せにする」という発想が底を流れているのが分かります。韓国の今の社会を反映しているし、今の日本にも最も必要な「公正」が主人公ということです。

さて主人公である英祖。「トンイの息子」です。父親は粛宗です。トンイではなかなかの王様であったこの粛宗、実際にも「王権を強化した」とは言われています。ただし朝鮮王ですから、官僚の党派対立にはいつも悩んでいます。そしてそれを利用もします。

粛宗、王妃を廃して(党派の問題で)、チャンヒビンを王妃にしたと思ったら、前の王妃を復位させ、最終的にはチャンヒビンを殺してしまう。この過程はトンイでも描かれます。

そもそも王妃の権力が強すぎるのです。徳川将軍家では将軍の生母でも権力はたいして持ってはいません。少しは持っています。将軍の生母で有名な人はいません。「江」ぐらいでしょうか。ちなみに将軍を生んだ「正室」は江だけです。

さて、チャンヒビンの息子は世子のままで、そのまま王になりますが、病弱で死亡。「身分の低い女から生まれた英祖、イグム」が王となります。

トンイではこの最後の過程は描かれず、時代が飛んで、英祖が即位したところで終わっていました。その時は粛宗もトンイも亡くなっています。

そして「イサン」、これは英祖の「晩年」から始まります。英祖の孫が「イサン」です。

ヘチはその中間を描きます。つまり英祖が「王になっていく過程」とおそらく「王になってからの苦闘」を描くのです。そして英祖は「公正な王であった」となると思います。主人公は「公正」なので、公正の為に尽くす様々な人物もまた主人公各となるはずです。いまのところそれはパクムンスとヨジによって代表されています。

英祖の時代、まあ、その前から少論派と老論派が対立。実際は老論派も一枚岩ではなく、老論派内での対立もありました。英祖はそれらを政治的に利用します。そして50年以上の在位です。

感想

今は4回目まで放映されています。

ヨニン君のキャラが一定しないかな。政治に無関心の自然体人間かと思ったら、そうでもない。俺は無用者だと嘆いてみたり、颯爽とふるまったり、キャラがまだ揺れています。

悪人は英祖の初期に反乱を起こすミルプン君です。なぜか「俺は王になる」と言っていますが、王には男子が3人いますから、その可能性はないはず。とにかく「とことん悪人」ということになっています。

ヨジという女性役人が大活躍。あまり美しくない。韓国では有名なのかも知れないけど、なんか美しくない。

パクムンスという役人も大活躍。たぶん王としての英祖を支えていくのだろう。クォン・ユルが演じている。ボイス2では「とんでもないサイコパス」を演じていた人である。

英祖を知っていると。それなりに楽しい作品です。そして韓国史劇ファンならみんな英祖は知っていると思います。息子を悲劇的に殺したりと、いろいろ話題の多い人物です。

本郷和人・「承久の乱」を読んで

2019年11月30日 | 本郷和人
本郷和人「承久の乱」、、、いろんな意味で「おもしろい」のです。

・筆者の「買ってくれ」アピールがおもしろい。

・筆者の「構想20年」という意気込みの「空回り」がおもしろい。

・内容もそれなりにはおもしろい。


そもそも学会の異端児(師匠が大家で、自身も東大教授なのに、少数派)で、「口が滑る」ことも多そうな人です。「令和」問題では、「なんじゃ令和って」という本音をTVで話し、そして炎上し、「私みたいな無名の学者が炎上した」と言って喜んでいました。実際に喜んでいたのか、韜晦したのかは分かりません。

同時進行で磯田道史氏の本なども読みましたが、「スキが多い」という点で本郷和人氏の本のほうが私にはおもしろかった。まして呉座氏の「やたらと細かいだけの」「応仁の乱」あたりとは比較にならないほど面白い。

本郷さんは五味さんや石井さんの弟子で、東国独立国家論の立場です。最近の保守ブームの中では、学界すら学者の姿勢を失い、なんでもかんでも尊王であり、東国独立国家論は少数派になります。私は断然支持しますが、学界では少数派のようです。むろん私には学会の話など関係ありませんが、若い学者の一次史料原理主義的な「なんの面白みもない歴史論」を見ていると、日本史学会は随分と「不健全な組織だな」とは感じます。だから少数派の本郷氏の方が正しいと思います。

この「おっさん」は「平清盛」の時代考証をやって「諸行無常はじまる」とかいう表現を黙認した人で、最初は悪い印象でした。でも本を読むとおもしろいおっさんです。

鎌倉幕府とは何か。それがこの本のテーマです。結論は簡単。

・武士のよる武士のための政権

・源頼朝とその仲間たち、から北条義時とその仲間たちに権力が移行した政権

「こういうのって単純そうに見えるけど、思いつくまでにはもの凄く時間がかかるし、苦労してるんですよ。コロンブスの卵というやつです」

なんて「あとがき」に書いてますが、「うそ」です。なぜなら本郷氏は大河「草燃える」を「きちんと見ている」からです。

すでに大河「草燃える」において、上記の2つははっきりと「セリフ」として表現されています。

映像を見返していないので、記憶で書きますが、「草燃える」において松平健演じる「北条義時」はこう言います。

「今になって、この年になって、おれは死んだ兄貴が源氏をかついで何をやりたかったのかがはっきりと分かってきた。源氏の旗揚げ、あれは源氏の旗揚げではなかった。あくまでも源氏は借り物。あれは俺たち東国武者の旗揚げであった。だから東国武者のうちの最も強いものが頂点に立ち、幕府を運営していくのは当然のことなのだ。源氏など借り物に過ぎなかったからだ。」

はっきりとこういう「意味のこと」を述べています。「強い衝撃」を受けたのでよく覚えています。鎌倉幕府をみる私の歴史観はこのセリフによって形成されました。中学の時だと思います。

本郷氏も「草燃える」をきちんと見ている以上、このセリフを知らないわけはありません。DVDの総集編にだって収録されています。

つまり本郷氏の「発見」は氏の発見ではないのです。すでに遠い昔に大河ドラマで言われていたのことなのです。

それをすっとぼけて「自分の発見」にしてしまう。この軽薄さが「おもしろい」、というか微笑ましい。

なぜ後鳥羽上皇が「敗けた」のかに対する氏の説は単純ですが、「そうだろうな」という説得力は持っています。

・後鳥羽上皇は「反北条の守護」は抑えたが、「守護」に「国内の武士を総動員する力がない」ことを見抜けなかった。国司は国を統べるという古い観念で守護をとらえてしまった。

・西国の守護は「鉢植え」であり、実力を伴っていなかった。東国の守護は地に足をつけており、動員力、戦意とも西国守護をはるかに上回っていた。

というものです。そして承久の乱を契機に朝廷の時代が終わり、武士の政治となり、やがて民の政治に移行していく。そういう意味で承久の乱こそ日本史のターニングポイントである。

その通りだと思います。

馬鹿にするようなことも書きましたが、私は本郷氏を支持しており、「おもしろい」し、余裕もあるし、正直だし、「なかなかに素晴らしい歴史学者」だと思っています。



麒麟がくる・尊王の織田信長なんて見たくない

2019年11月30日 | 麒麟がくる
沢尻さんの降板とかいろいろありますが、それでも来年1月の終わりには「麒麟がくる」が放映されます。

「保守的な信長」を描くそうです。最近の「史料の表面しか見ない浅はかな信長研究」の成果です。なにしろ「手紙」とか「相手がいるから相手に合わせて書いている」ものを、「そのまんま本音だと解釈」してしまうのです。

そりゃ誰でも彼でも「保守的、尊王的」になるでしょう。「建て前表現」をそのまま真実と解釈したらそうなる。アホです。権門体制論とか実にばかばかしい。

信長は天下=畿内の静謐を願っていた。足利家も天皇家にも尊崇の念を持っていた、らしいのですが、

☆じゃあ、どうしていきなり越前の「朝倉」を攻めるのだ。畿内じゃないぞ。

☆足利義昭と戦って「天皇のおひざ元である上京を焼き払い、計画では下京だって焼き払う」はずであった。どこが尊王だ!何が天下静謐だ!


というのが私の意見です。「将軍に命じられたから朝倉を攻めた」とか、、、おかしいではないか。とにかく「天下静謐」なんだろ。「天下静謐を乱すなら将軍にとて意見した」のだろ。

それを将軍のいうがままに朝倉を攻めたら天下静謐というウソが崩れてしまうではないか。そもそも将軍の命じゃないし。形式上そういう形をとっているだけだし。

信長は「天皇にも将軍にも神社にも」、さして尊敬の念は持っていませんでした。「貧乏天皇」と「流浪将軍」、、、、どうやったら尊敬できるのか。できるわけない。どうしたら尊敬するような人間になれるのか。むしろそっちに興味が湧くほどです。

手紙では「尊敬しているようなふり」もするでしょう。手紙は相手があるからです。公文書も同じ。でも本音は「行動によって分かり」ます。

信長の行動から判断するなら「保守的な信長」「尊王の信長」なんて全てうそです。そういうウソに依拠した作品は、将来の歴史の評価に耐えないものとなるでしょう。

豊臣は本姓か・源平藤橘・徳川次郎三郎源朝臣家康

2019年11月30日 | 鎌倉幕府
日本の本姓は源平藤橘の4つであると、私は「間違った知識」を持っていましたが、調べてみると色々あります。「菅原、紀、清原・小槻」、ほかにも色々あるようです。

紀貫之が「きつらゆき」ではなく、「きのつらゆき」なのは紀が本姓だからということになりそうです。

もっとも本姓など、すでに戦国期において「ほとんど意味のない」ものとなっていました。豊臣秀吉は「本姓みたいなもの」を政治的に利用し、豊臣という姓を源平藤橘を無視する形で、いろいろな人間に配ります。源だろうが藤原だろうが「とにかくお前は豊臣だ」というわけです。

これは極めて変則的でしたから、その後、また意味を持たない本来の状態にもどります。

ウィキペディアなどを見ると、司馬遼太郎さんさえ「秀吉が姓を羽柴から豊臣に変えた」と「間違ったことを書いている」などという記述があります。

なんでもかんでも司馬さんの足をすくうことを考えているアホな歴史学者が記述しそうなことです。

そもそも「本姓」が形骸化しているので、豊臣が「本姓か名字か」は微妙です。豊臣という姓を天皇からもらったのは本当だから「本姓」でいいという人もいるでしょう。

すると「おかしなこと」が生じます。

秀吉は「羽柴藤吉郎豊臣朝臣秀吉」、「はしばとうきちろう、とよとみのあそん、ひでよし」ということなります。

すると「豊臣政権」は「豊臣政権ではなく」、「羽柴政権」と言わなくてはいけなくなります。

徳川家康の名乗りは「徳川次郎三郎源朝臣家康」です。そして我々は「源幕府」「源政権」とは言いません。「本姓」は使わないのです。足利政権だって同じです。足利の本姓は「源」です。

この法則に従うなら、「豊臣政権」という呼称はおかしく、「羽柴政権」ということになります。

でもそうは言わない。すでに「本姓と名字の区別など形骸化」していることを知っているからです。だから「羽柴から豊臣に変えた」というのは「完全な間違いでない」、どころか、学者はみんな「豊臣」を「名字扱い」してきたのです。

さて、徳川家康。

最初は「藤原」を名乗っていました。本姓なんてどうでもいいのです。どうとでもなる。新しく豊臣という「本姓みたいなもの」を創設だってできる。実にいい加減です。朝廷のいい加減さに即して、いい加減になっているのです。

政権をとった段階では「源」でした。そして「将軍は源氏しかなれない」という間違った説が流布します。「藤原将軍」「親王、天皇の子供将軍」だっていくらでもいます。

そもそも「幕府は源氏しか開けない」という表現が変です。「幕府」なんて言い方、当時はしてないからです。一般的になるのは江戸も相当後期になってからです。

つまり「幕府を開くぞ」という表現が「ありえない表現」なので、「幕府は源氏しか開けない」という表現も「当然成立しない」のです。「幕府」という呼称を使っていなかったからです。

朝廷なんて実にいい加減な組織なわけで、原理原則なんてあった言う間に覆してきました。そんな朝廷を前提にして「幕府は源氏しか開けない」なんてのは変な話です。「開けない」わけないし、「そもそも幕府を開く」という概念がないし(例えば足利幕府の人間が、自らの政権を幕府と呼称したことはない)、百歩譲って「源氏しか開けない」なら、「源氏になればいい」だけの話です。簡単です。「源氏だ」と名乗ればいいのです。秀吉は源氏になれなかったから幕府を開かなかったわけではなく、幕府を開くという考えもないし、幕府という概念が一般的ではなかったし、開く必要もなかったから開かなかっただけです。

「オクニョ 運命の女」の面白さ

2019年11月05日 | 韓国・朝鮮
オクニョ、運命の人は韓国時代劇で、16世紀半ばを描いています。もっとも史実性は薄い作品です。

明宗の時代ですから、1545-1567ですが、最終回でユンウォニョンという歴史上の人物が死にますから、最終回は1565年ということになります。

この時オクニョは30才ぐらいの設定でしょうか。

オクニョは刑務所で産まれますが、母親は囚人ではありません。たまたま逃げてきた女性です。実は女官で、王の子を身ごもっています。母は死にますが、女の子が生まれます。これがオクニョ。

つまり王の娘ですから王女です。が、彼女はずっとそれを知らないし、知ってからも王女にはなりません。

で、何になるかというと、最初は「商団の主」です。これをヘンスと言っています。

で、最後に何になるかというと「弁護士」です。むろん弁護士という言葉はありません。が、弁護をする人ですから、弁護士です。

刑務所で育った名もなき女性が弁護士になる、、、というお話。というとまたちょっと違います。弁護士を目指すのは最後の方で。あとはずっと「悪人と戦って」いるわけです。

この「悪人」が大妃の弟である、ユンウォニョンとその妻。この二人は実際に存在した人物です。

この二人と大妃が組んで、王である明宗の政治を邪魔する。明宗はオクニョの兄なのですが、そうとは知らず、知り合いになり、王と親しくなり、、、、。

ここでまた解説が必要なんですが、無論、王とは知りません。従って彼女は彼女の戦いをするわけです。別に王のためではない。でも結局は王の為になり、知らず知らずに王と組んで戦うという構図になっていきます。

ここで「王に見出されて側室となり」だと「トンイ」の構図になりますが、そうはなりません。だって王とオクニョは兄弟だからです。兄弟と知らずに変な関係にならないよう、オクニョには「想い人」がいることになっています。幼馴染で、ユンウォニョンの庶子です。この庶子、途中で権力欲に取りつかれた感じになりますが、結局はオクニョたちの元へ戻ってきます。

韓国時代劇というのは、「リアル」に描くと、重くなりすぎます。朝鮮王朝実録がありますから、かなり「リアル」に描くことも可能なのです。

「龍の涙」なんかがそういう作品です。家臣をどんどん殺していくという悲惨な作品になります。

オクニョは、彼女の設定自体が完全なるフィクションです。明宗も出てきますが、リアルではありません。

オクニョは、イメージとしては「現代の活発な女性」です。ジメジメした感じがない。恋愛もなんだかドライです。そこがいいですね。そしてやたらと強い。武術の達人です。さらにやたらとデカイ。167センチありますから、でかいのです。

ストーリーはお決まりの、最後はオクニョが勝つというものですが、負けるユンウォニョンもなんだかかわいそうです。徹底的な悪ではないのです。むしろ多少ユーモラスに描かれています。とにかくオクニョが「圧倒的に強い」ので、悪人がなんだかかわいそうにも見える、そんな作品となっています。


さて、

時代は明宗の時代です。彼もオクニョも中宗の子供です。

韓国はイソンゲという男が作りましたが、彼の5男がクーデターで王権を奪取します。イバンオンです。徹底的に政敵を殺していきます。次の王が「イド」、これがハングルを作った大王世宗です。15世紀初めの人。

この大王世宗、後継ぎ選びに失敗し、病弱の長男が王となり、でも死んでしまいます。すると世宗の息子同士の戦いが起こり、勝利するのが世祖です。甥を殺して王となるので、かなり評判が悪い。

世相の次の時代に、インス大妃などの政治があり、結局、燕山君というインス王妃の孫が王となりますが、こいつが徹底した悪政を行い、臣下に殺されます。まあ実際は遠流地での死です。

で、彼の弟の中宗が王となりますが、ほとんど実権はなかったと言われています。

この最後の数行は、明宗とオクニョの父である「中宗」とはどんな人物かの解説です。


でもオクニョは史実にこだわりを持っていないので、かなり明るい作品となっており、面白いと思いました。





血統主義の陥穽と「ボイス2」

2019年09月24日 | ボイス
韓国ドラマ「ボイス2」は、なんとも嫌な終わり方をします。「ボイス1」は非常によい終わり方をするのに。

ボイス1では、チャンヒョクもイハナも肉親を死を乗り越え「前を向く」と言って終わります。チャンヒョクは死んだ妻にこう言います。「いつまでお前を放してやれずに済まなかった」。死を乗り越えられないことを、放してやれなかったと表現するわけです。実にいいセリフだと思います。

ところが、ボイス2になると、刑事役が変わり、その刑事そのものがサイコパスの遺伝子を持っていると設定されます。したがってボイス2は刑事の破滅を予感させて終わり、ボイス3では実際に破滅めいた方向に進むようです。

「サイコパスの遺伝子を持っている」という設定は良くありません。人間がある程度遺伝子で決定するのは真実でしょうが、性格や社会性は主に後天的要素が強い。性格が親に似るのは親が育てるからで、他人が育てたらきっとその他人に似ると思います。

血統主義、、、だと思います。法律用語として血統主義とは違いますけれども。

たとえば「日本人」をDNA的に規定することは「ほぼ不可能」です。日本人は様々なアジアの遺伝子を持った集団だからです。

しかしそこに幻想が入るとろくなことにはなりません。日本では血統はあまり言われませんが、天皇に関してだけは言われます。万世一系で尊い血筋とか。宗教の問題とも言えますが、皇国史観につながるので私はむろん批判的です。そこは妥協できません。そんな間違った考えをもてば、自然、極端なナショナリズムと排外主義へといきつくのがオチです

韓国は日本より苗字へのこだわりが強いと言われます。今はどうなのか知りません。でもそうだとすると、血統主義を採用しやすい土壌はあることになります。
(ただし幸か不幸か、天皇に相当する存在はいません。いまさら李氏を持ち出すこともないでしょう。)

DNA決定論は、少なくとも「すべてDNAで決定する論」はまやかしです。しかもそういう「まやかし」は害が大きい。人を血統で規定することになります。

「ボイス」はドラマですが、ドラマの影響力は強い。そこにDNA決定論を持ち込むのは、邪道というか、公益性を損なう行為のような気がします。