韓国時代劇「根の深い木」の主人公はイドです。第四代王世宗。ハングルの創設者として有名です。というか朝鮮王朝最高の名君とされています。
で、このハングル創設をめぐるドラマが「根の深い木」なんですが、ほぼ全てフィクションです。が、フィクションの割には「考えさせられる」面も多く、僕などは大好きな作品です。
韓国では70年代あたりから、基本的には「漢字教育をしない」ようになりました。漢字廃止とか禁止ではないのです。「教育をしない」のです。でもそうなると、ハングルしか「読めない世代」が増えていきます。そうなると本や新聞もハングル化していきます。で、今は漢字廃止に近い状況にあるようです。
ハングルは表音文字ですから、つまりは「ひらがな」(カタカナ)です。「全てがひらがなの文章」なんて日本語では読めません。
記者が汽車のニュースを書き終えて、貴社を帰社した時間は何時ですか。
きしゃがきしゃのニュースをかきおえて、きしゃをきしゃしたじかんはなんじですか。
漢字がないと、記者、汽車、貴社、帰社の区別はつかないでしょう。韓国語は事情が違うということであり、文脈から区別がつく、らしいのですが、「全て区別がつく」とは思えません。
ということで韓国においても漢字復活論はあるようですが、なかなか復活しません。すると裕福な家庭などは「塾で漢字を学ばせる」ことになります。貧富の差が「漢字力」の違いになってしまうというのも「どうかな」と思う事態です。
もっとも他国のことですし、ナショナリズムとも密接な関係があるようなので、僕などが軽い気持ちで論じることではないのかも知れません。ただ、漢字を捨てるのはいかにも「惜しい」気がします。
日本語はもともと「難しい言語」です。その上、表記が、漢字、ひらがな、カタカナの3つ。英語を合わせると4つ。携帯発の国産文字といえる「絵文字」を合わせると5つです。実際メールなどではこの五つを使ってコミュニケーションをとっていると思います。しかもその「使い分け」に特に法則はありません。つまりは「いい加減」なんですが、それでも漢字廃止に向かうことはないでしょう。
だたし「日本の漢字」の将来像については、不確定要素が多い気がします。実際私なども「急速に漢字が書けなく」なっています。漢字を書く機会がないのです。パソコンの発達で「書く機会」がほとんどありません。日本の漢字は、今後「書けなくても読めればいい」という方向に向かっていくような気がします。
それでも教育現場において廃止される可能性は考えられません。廃止する「有力な理由がない」からです。日本における文字使用の法則はきわめて「いい加減」ですが、裏を返せばナショナリズム等に影響されない「良い加減」ともいえると思います。
で、このハングル創設をめぐるドラマが「根の深い木」なんですが、ほぼ全てフィクションです。が、フィクションの割には「考えさせられる」面も多く、僕などは大好きな作品です。
韓国では70年代あたりから、基本的には「漢字教育をしない」ようになりました。漢字廃止とか禁止ではないのです。「教育をしない」のです。でもそうなると、ハングルしか「読めない世代」が増えていきます。そうなると本や新聞もハングル化していきます。で、今は漢字廃止に近い状況にあるようです。
ハングルは表音文字ですから、つまりは「ひらがな」(カタカナ)です。「全てがひらがなの文章」なんて日本語では読めません。
記者が汽車のニュースを書き終えて、貴社を帰社した時間は何時ですか。
きしゃがきしゃのニュースをかきおえて、きしゃをきしゃしたじかんはなんじですか。
漢字がないと、記者、汽車、貴社、帰社の区別はつかないでしょう。韓国語は事情が違うということであり、文脈から区別がつく、らしいのですが、「全て区別がつく」とは思えません。
ということで韓国においても漢字復活論はあるようですが、なかなか復活しません。すると裕福な家庭などは「塾で漢字を学ばせる」ことになります。貧富の差が「漢字力」の違いになってしまうというのも「どうかな」と思う事態です。
もっとも他国のことですし、ナショナリズムとも密接な関係があるようなので、僕などが軽い気持ちで論じることではないのかも知れません。ただ、漢字を捨てるのはいかにも「惜しい」気がします。
日本語はもともと「難しい言語」です。その上、表記が、漢字、ひらがな、カタカナの3つ。英語を合わせると4つ。携帯発の国産文字といえる「絵文字」を合わせると5つです。実際メールなどではこの五つを使ってコミュニケーションをとっていると思います。しかもその「使い分け」に特に法則はありません。つまりは「いい加減」なんですが、それでも漢字廃止に向かうことはないでしょう。
だたし「日本の漢字」の将来像については、不確定要素が多い気がします。実際私なども「急速に漢字が書けなく」なっています。漢字を書く機会がないのです。パソコンの発達で「書く機会」がほとんどありません。日本の漢字は、今後「書けなくても読めればいい」という方向に向かっていくような気がします。
それでも教育現場において廃止される可能性は考えられません。廃止する「有力な理由がない」からです。日本における文字使用の法則はきわめて「いい加減」ですが、裏を返せばナショナリズム等に影響されない「良い加減」ともいえると思います。