散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

昨日見た夢を漱石風にアレンジしてみる

2019年05月30日 | 日記
気がつくと僕は女をおぶって歩いている。香水の香りがする。どうやら若い女らしい。背中に豊かな乳房の重みを感じる。でも女は顔を僕の首筋にぴったりつけているので顔も見えないし、誰かもわからない。
「バラが綺麗ね」と女が突然言う。
まわりは暗闇である。バラが見えるわけはない。と思って見てみるとまっくらな闇の中でバラの赤い色だけがはっきりと見えている。
バラを見ていたら是非とも女の正体を確かめなくてはいけない気がしてきた。たしかめないとこの先生きてはいけないような気がしてきた。
「君は誰だい」と僕は聞いてみた。
「誰って、わかってるじゃないの。あなたは精神科医でしょ」と女は言う。
「精神科医だってなにもかもがわかるわけじゃない」
「ふーん、そう」と言ったきり女は黙っている。
しかたないから僕は女をおぶったままバラの咲く道を歩き続けていった。
「明美だったんじゃないの。あたしは。」と女はまた突然言う。
そういわれると明美のような気持ちになってくる。
明美は友人の紹介で出逢った女だ。たしかIT関係の会社で営業をしているとか言っていた。凄く綺麗な子で、話が面白かった。
「精神科の医者なんかやってると自分もおかしくなるでしょ」
と女は急に変なことを言い出した。
するとだんだん不安になってくる。僕は正常なのか。異常なのか。判然としなくなってくる。
とにかくおかしな女だ。
きっと明美じゃないのだろう。だから。
「君は明美さんじゃないだろ。嘘をいってはいけないよ」と僕は言った。
「嘘って、嘘をついてるのはあなたじゃない。あの時は傷ついたのよ。物凄く。」と女は静かに言う。
こうなると、たまらなく女がこわくなってきた。早く目的地について女を降ろしたいのだが、自分がどこに向かって歩いているのかもわからない。前を見ると小さな光があって、道の周りのバラは今度は黄色い色に変わっている。
「いったいいつになったらこの道は終わるんだい」と僕は聞いた。
女は首筋のあたりで、にやりと笑って、その後少しすすり泣いた。
それから首をぐいと伸ばして顔を僕の正面に向け、あの女の声でこう言った。
「終わるわけないじゃない。まだはじまったばかりなんだから」
するととたんに、女の体がふっと軽くなった。と思ったら、すぐにズンと重くなって、僕の罪が全て分かった
僕は限りない哀しみに涙をながしながら、重く切ない女の体を背負って、今度は紫色に光始めたバラの咲く道を、どこまでも永遠に歩き続けていた。

小学生の時の不思議な体験・火の玉

2019年04月02日 | 日記
私には「霊感めいたもの」はありません。昔は「怪談」が好きでしたが、今はそうでもありません。「不思議な体験」なんて「ほぼない」と言っていいでしょう。

ただ小学生の時に、というより最終的には中学生の時に、一つだけ不思議な体験があります。

「お墓で火の玉を見た」から始まる話なんですが、そんなもの不思議でもなんでもありません。燐光だったかも知れないし、「見間違い」かも知れません。

本当の不思議は「後日談」なのです。

でもまずは火の玉の話から。

近くのお寺には広大な「公園」があって、その頃は野球もできました。小学5年だと思います。その「公園」から自宅に帰る場合、「お墓の横の急な階段」を利用すると便利なんですが、薄暗くて物騒なので、学校から「使用禁止」とされていました。

でもまあ無視です。私を含め4人の友人と、夕方、その階段を降りていたわけです。すると墓の向こうで、明らかに不自然な光が光っています。「火の玉だ」(人だまだ)、誰かが言い、私たちは「転げ落ちるように階段を降り」、走って逃げました。やっと明るい所に出て、相談しました。火の玉の話をすると、「使用禁止の階段を使った」ことがばれる。これは秘密にしておこうと。

次の日、学校でまた4人が集まり、家族にも話していないことを確認しました。私は家に帰り、自宅の壁の下のほうに、えんぴつで、凄く小さな字で「火、ひみつ」と書きました。

4年が経ち、中学3年生です。「火の玉」のことなんかすっかり忘れていました。「火、ひみつ」の文字も見返したことなんかありませんでした。

卒業も迫り、廊下で他のクラスの生徒と話していました。ふと気がつくと「例の4人」になっているのです。それぞれ別のクラスです。私は「あっ」と思いました。火の玉を見た4人だなと思ったのです。

もう4年も経っています。それで「あの時は怖かったな」と話を切り出しました。すると3人は「きょとん」としています。

「そんな経験はしていない」というのです。「夢と現実を混同しているのだ」と笑われました。わたしはぞっとしました。

家に帰って壁を確かめると、薄くはなっていますが確かに「火、ひみつ」の文字があります。

可能性は2つです。
すべて私の夢で、夢をもとにして「火、ひみつ」の文字まで書いた。
現実だったのだが、何故か3名が完全に忘れている。

前者なのかも知れませんが、その時の私は後者だと思いました。あれだけの体験を、なぜか3人が完全に忘れているのです。

今でも、これだけは不思議です。

令和・発音しにくい・言いにくい・そう書いたらアクセスが増えて困惑

2019年04月01日 | 日記

ブログのこのタイトルで、要クリック

新元号「令和」について、色々悪口を書きました。そしたらアクセスが1000PVとかになって「困惑」しています。

 あんなに苦労して作った「麒麟がくる・キャスト予想」(要クリック)だって、せいぜい日に20PVぐらいなのに、「なんでだろう」と「大困惑」です。

で、グーグルで「令和 発音しにくい」で検索かけたら、上から2番目でした。「なるほど」と思いました。

そんなに滅茶苦茶なことは書いてませんが、5分ぐらいで「仕上げた」ブログです。「粗雑な点」も多いのは確かです。

1、ラ行は発音しにくいこと。発音障害がある方も少ないないこと。

2、令という漢字は「どうしたって命令のイメージ」があること。

3、巧言令色などと言う場合、「令色」は「相手に気にいられようと(忖度して)、顔色をうかがうこと」で、いい意味にはならないこと。

4、令嬢という場合、貴族主義的な響きがあること。(これは人により感覚が違うでしょうが)

5、めでたいという意味があることを知っている、または知っていた国民は皆無に等しいこと(今は皆無じゃないでしょうが)

などを書きました。

おそらく一番問題なのは「誰でも気が付く発音の問題を、有識者が指摘しなかったこと」で、これは「機能不全」を表しています。「もう既に決まっていて、文句を言える雰囲気がなかったこと」を意味します。

「皇室の問題」となると、特に「天皇の問題となると」、「まあ、およろしいこと」と「言っておけばすむ」という風潮がメディアにはあります。

そのくせ「マコさんの婚約者が気に食わない」と攻撃する人々もいます。完璧な人間なんていないのだから、放っておけばいい、大人なんだから二人で考えるでしょう。それに「結婚すればマコさんは皇族ではなくなる」のです。

またネット上では、次の天皇(浩宮)やその奥さんへの「悪口」も少なくありません。

「令和」への批判を「撤回」するつもりはないし、撤回しろという人もいませんが、少なくともわたしは「人格攻撃」はしていません。

「令和」の向こうに見え隠れする現総理大臣の影にはすぐに気がつきましたが、総理攻撃もしていません。

ただ自由に思ったことを書いただけです。誰にも忖度してないし、強い政治的主張もしていません。

とは言え、私のブログなど「ほそぼそとしたブログ」だから「自由に書いていたのに」、急にアクセスが増えて困惑しました。

 どうせ「今日一日の問題」なんだから、まあ気にする必要もないのでしょう。とにかく驚きました。こちらも参考にしてください。

追記
他の候補は「英弘(えいこう)」「広至(こうじ)」「万和(ばんな)」「万保(ばんほ)」 だったそうです。万和(ばんな)がいいけど、「和」を「な」と読むのはきついかな。大阪の陣の後の元和(げんな)は日本史ファンの間では有名ですが。英弘は栄光につながり、派手過ぎる。となると「広至(こうじ)」だけど、意味がつかめません。となると「万保(ばんほ)」、これまた発音しにくい。どれも、うーん?という感じです。

新元号・「令和」・「令」は「上の者の言うことは聞け」という字・ラ行は発音しにくい。

2019年04月01日 | 日記

令和」、、ラ行は言いにくいな。

研究者によって調査の結果にバラつきはありますが、たとえばサ行やラ行の音などは、5歳を過ぎても、まだまだ多く子ども達が発音できるようにはならないという研究があります。


大人でもラ行は発音障害の方も多い。

つまり「ラ行」は難しいのです。「レイワ」と発音してみてください。人によりますが、「ショウワ」より難しい。ラ行採用なんて考えられない。

だいたい「令」という漢字は、

①いいつける。命じる。いいつけ。「令状」「命令」
②のり。きまり。おきて。「訓令」「法令」
③おさ。長官。「県令」
④よい。りっぱな。「令色」「令名」
⑤他人の親族に対する敬称。「令室」「令嬢」

というわけで「命令」の令ですから、「上の者の言うことを聞け」という「いやな字」であり、「令嬢」で分かる通り「階級的な字」でもあります。


 

④よい。りっぱな。「令色」「令名」 


「巧言令色すくなし仁と」の「令色」ですね。


「他人に気にいられようとして顔色をうかがうこと」です。


 

他には、
禁令(キンレイ)・訓令(クンレイ)・号令(ゴウレイ)・司令(シレイ)・指令(シレイ)・辞令(ジレイ)・政令(セイレイ)・勅令(チョクレイ)・伝令(デンレイ)・法令(ホウレイ)・命令(メイレイ)・律令(リツリョウ)

一部の政治家は大好きなんでしょうが、「ろくな字じゃ」ありません。ホント、やめてほしい。どこのバカがこんな「令」なんて漢字を言いだしたのでしょう。


ちなみに出典は万葉集の「令月」とのこと。
れい‐げつ【令月】
1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」
2 陰暦2月の異称。


国民は「令月」なんて漢字を使った「経験」を持っているでしょうか。「めでたい」なんて意味があることを知っている「一般国民」は「いた」でしょうか。

 「令」は
1、過剰に道徳的な字である。上意下達を連想させる。
2、貴族主義的な文字でもある。令嬢。(ただし人により感覚の違いはあるでしょう)
3、上の者の言うことは聞けという「圧力的な文字」である。
4、そもそもラ行は発音しにくい。発音障害の方も多い。それを有識者が「指摘できなかった」ことは問題である。
5、現総理大臣の政治姿勢の影響がみられる。



というわけで、とてものこと「素直に賛成」なんてできません。でも役所は元号主義ですから、「使わない選択」は国民にはないのです。気持ちが暗くなりました。昭和、平成は使ってきました。でも令和は本心から「使いたくない言葉」です。こちらも参考にしてください。


私のフランソワーズ・サイボーグ003

2019年03月18日 | 日記
私のフランソワーズ、、、ユーミンの歌の題名です。今調べて初めて知ったのですが「フランソワーズ・アルディ 」というフランスの歌手のことのようです。

今ここで(たぶん短く)書こうとしている「私のフランソワーズ」はサイボーグ009の003のことです。

大昔のアニメで「一番素敵だった女性は誰だろう」と考えたら、003=フランソワーズ・アルヌールだなと思ったというだけのお話です。

さすがに今はアニメは見ませんが、009の「最新版だけは」、ちょっと興味があって見てみました。3D仕様になってます。

フランソワーズ・アルヌールたちは「争いから離れ」、ひっそり暮らしています。

でも国連から「私設軍隊」として敵視されたり、「新たな敵」が現れて、結局戦うはめになります。

そこで003=フランソワーズ・アルヌールはこう「叫び」ます。

「もう戦いたくない。いつまで戦えばいいの。私たちはもう50年も戦っているのよ」

そう、、50年戦っているのです。

003は「見た目は若い女性」です。でもサイボーグ化したのは18歳ぐらいの時です。

つまり「見た目は少女、若い女性」でも「68歳のおばあちゃん」なのです。なんか面白いなと思いました。あくまで「誕生した50年前からの継続性を維持」しているのです。

ユーミンの太古のお話

2019年01月02日 | 日記
むかしむかしのお話です。

バブルに乗って、CMやドラマ主題歌とタイアップして、派手に売ってきたイメージがあるユーミンですが、「太古の昔」、初期はもちろん違いました。

アルバムで言うと最初のアルバム、1973年の「ひこうき雲」から1980年の「時のないホテル」ぐらいまではさほどタイアップはなかったはずです。

それにしても1972年のデビューです。日本最古の「現役で売れているシンガーソングライター」の1人でしょう。中島みゆきや井上陽水と並んで。

小田和正さんも70年代初期から活動していますが、売れたのは数年のちです。サザンオールスターズは1978年のメジャーデビューです。

72年と78年、この間の6年は、フォークからニューミュージックの移行期です。フォークの旗手が拓郎さんとかぐや姫、中島みゆきなら、ニューミュージックの旗手がユーミンでした。

陽水さんも「フォーク」ですが、フォークともやや違っていて「陽水の音楽」というジャンルに属していたように思います。

また、サザンオールスターズはニューミュージックという言葉を破壊して、全く新しい音楽として登場した。個人的にはそう思っています。ただし、陽水さんとサザンは共通してビートルズの影響を大きく受けていました。ただし僕はビートルズに詳しくないので、その詳細を書くことはできません。拓郎さんはボブディランでした。

さてユーミン、「時のないホテル」まで9枚のアルバムを出しています。

・ひこうき雲
・ミスリム
・コバルトアワー
・14番目の月
・紅雀
・流線形80
・オリーブ
・悲しいほどお天気
・時のないホテル

どれも素晴らしいアルバムです。この中で一番「悲し気」なのは「紅雀」で、その後のユーミンと比べてみれば「CMやドラマ主題歌とタイアップ」して売った80年代のユーミンとは「別人とは言わないものの」、「かなり違うこと」が分かります。むかしむかしのお話です。

小室哲哉さんを「是非に及ばす」応援したい気分

2018年12月15日 | 日記
この3か月ぐらい、どうも「歌詞のある音楽」を聴く気になれなくて、車では「語りもの」とか「ドラマの音声のみ」とかを聴いていたのですが、今日は久々に「歌詞のある音楽」を聴きました。

本当に久々に「マイレボリューション」を聴き、小室サウンドはやはりいいなと感じました。「是非に及ばす」応援したいと思います。「是非に及ばず」は信長最期の言葉です。私は「あの光秀が計画を立てて謀反した以上、逃げることはできまい。もはや善悪を言っていても仕方がない」という古くからの解釈を「だんぜん支持」します。

小室哲哉さんに「是非」があることは知っています。ただもはや是非を言う必要はないと感じます。

私は介護の言葉では言い尽くせない厳しさをよく知っているので「ケイコさんを介護していなければいいな」と思って、調べてみました。今はケイコさんは大分の自宅で介護を受けているようです。つまり小室さんは介護していない。それはそれで家族としては罪悪感があって辛いのですが、それでも「共倒れ」になるよりはましです。

小室さんの引退会見で、一番心に残ったのは「もはやこれまで」という言葉です。彼自身がウィルス性肝炎だったと思います。自分が病気を抱えて介護するというのは自殺行為で、彼が「もはやこれまで」と思った気持ちはよく理解できます。

「大人の女性と話がしたかった」とも言いました。彼ほどの人物の周りに「そういう大人の女性」がいないということにも驚きましたが、やはり心に残ったのは「もはやこれまで」という言葉です。

復活してほしいとか、元気になってほしいとは思いません。無理なことは無理なのです。

ただ思うことは「肝炎なら病気を治してほしい」ということです。病気は心をむしばみます。病気を治せば、「もはやこれまで」という気持ちが、「まだほんの少しはやれるかも知れない」という気持ちに変わるのでは、と思います。

とにかく、是非に及ばす、応援したい人の一人です。


ツービートの破壊力、ぼんち、のりおよしお、の衝撃 M1グランプリ

2018年12月10日 | 日記
今のマンザイは「いろいろ制約がある」ように思います。「差別」「ハラスメント」「スポンサーいじり」「番組いじり」、そういったものができないわけで、そういう制約のもとで「破壊力」を求めるのはかわいそうかと思います。

「差別をしろ」とは言いません。「差別というより」、こんな感じのやりとり。

たけし「こいつは山形出身ですから」
きよし「いいじゃないか、いいところだぞ」
たけし「山形では、こいつのおじいさんの代ぐらいでやっと二足歩行をはじめたんですから」
きよし「やめなさい」
たけし「お父さんの代でも土器と石器を使っていたんですよ。こいつなんかいまだに紅茶キノコ飲んでるんですから」
きよし「よしなさいよ」

まあ「こんな感じの」やりとりをしていたと思います。それを聞いて客もゲラゲラ笑っていた。今ならすぐに苦情でありましょう。

さらにスポンサーにもコマーシャルにも「容赦がありません」でした。

たけし「なんだあの山口百恵のチョコレートのCMは。親しい人へのおもてなしとか言いやがって。おもてなしにチョコレートなんか出す馬鹿どこにいるんだ」
きよし「やめなさいよ」

たけし「CMなんてウソばっかりですからね。あの洗剤のCM。全温度チアーって何だ。ほら真っ白って。最初から汚れてないシャツ洗っているだけじゃねーか」
きよし「よしなさい」

これなんかは「スポンサーの理解」があれば今でもできると思いますが、それでも「不快に思う人」がいるのでしょう。「やりにくい」と思います。

ツービートの「破壊力」は群を抜いていました。紳助竜助というのは「意外と正統派に近い漫才」でした。「のりお」も「おさむちゃん」も凄かった。馬鹿なことやっているだけでしたが、とにかくしつこく「馬鹿をやって」いました。「おさむちゃんです」と言うことだけに20分ぐらいかけていた。「のりお」の「ホーホケキョ」とか「ツッタカ坊や」「冗談はよせ」とか、「何やってるかよくわからない」という点で衝撃でした。

漫才ブームの「漫才」は「あの当時」だからできたもので、今はできるとは思いません。ただし「おさむちゃんですに20分」は一応今でも可能でしょう。

M1グランプリは「なんとなく見た」だけですが、ほぼ「くすりとも笑えない」ものでした。彼らが悪いわけではない。上記のような「破壊力をもった漫才」つまりは「ナンセンス」で育った私は、今の漫才を笑う「感性」がないのです。ナンセンスがなく、優等生の漫才です。全てのグループが「古典芸」をやっているようでした。「おれ〇〇やるから、お前は〇〇やれ」。漫才ブームの頃、こんな古典芸をやっているのは「やすしきよし」ぐらいでした。

少し毒舌を吐きます。

多くの漫才師が「意味なくうるさい」、「ミキ」とかうるさい、「霜降り明星」もうるさい。「和牛」は「ただお上手なだけ」。

少し笑ったのは「かまいたちの客いじり」とジャルジャルの「ナンセンス芸」だけです。そして一番面白かったのは「審査員のナイツのはなわ」です。ただし「なんとなく見た」だけの人間の意見です。

根拠は書きませんが、審査員としては上沼恵美子も松本人志も巨人も志らくも礼二も「要らない」と思いました。「富澤」と「塙」の二人でやればいいと思います。これも単なる個人の意見に過ぎません。あなたも「そう思え」と言う気はさらさらありません。ちなみに「とろサーモン久保田」は上記の審査員以上に「苦手」です。M1グランプリは「とっとと和牛とミキを優勝させて」、「それで終わり」でいいかと思います。

宇崎竜童さんの歌、想い出ぼろぼろ、硝子坂、とまどいトワイライト

2018年08月16日 | 日記
BSの音楽番組で、宇崎竜童さんの特集をやっていました。ご本人も出ていて、何曲か歌っていました。

「へい、竜童、いまさら言うのも変よね、歌いなさい」

とこう書いて、これがサザンの桑田さんの「歌詞」だと分かる方は、なんというか、桑田さんのもの凄いファン、もしくは「年寄り」です。なにしろ3枚目のアルバムの歌です。

そういえば一時歌いませんでした。山口百恵さんのプロデューサーのようなことをやっていた時代、歌っていなかった気がします。

「さよならの向こう側」とか「横須賀ストーリー」とか「プレイバック」とか名曲が「くさるほど」あります。

でもそういうメジャー過ぎる曲だけではなく

あとになって「宇崎竜童、阿木燿子作品だ」と分かったという名曲がいくつかあります。もちろん「私が知らなかった」だけです。

想い出ぼろぼろ、硝子坂、とまどいトワイライト

などがそういう作品です。

想い出ぼろぼろ、は内藤やす子さんです。妙にいい曲で妙にいい歌詞なのです。が宇崎作品だと知ったのはずっと後になってからです。

「いいわけ繕うその前に、優しさ装うその前に、聞いておきたいことがある。だけど。想い出ぼろぼろ、崩れるから瞳こらして闇ん中」

「だけど」の部分がたまりません。「瞳をこらす」なんて歌詞も、今の歌にはないだろうなと思います。

硝子坂は高田みづえさんです。とてつもないアイドルであったわけでも、伝説のアイドルであったわけでもありません。

だけど、この新人の若い少女のデビュー曲を「夜のヒットスタジオ」で聴いた時、「なんだこれは」と感じました。とてつもなくいい曲なのです。

しかも微妙に演歌風でもありました。少女の姿と歌が全然あってない。でもとてもいい曲なのです。随分とあとになって宇崎竜童、阿木燿子作品だと知りました。

「とまどいトワイライト」は最もマイナーでしょう。歌手の豊島たづみさんのことは何も知りません。さっきユーチューブで見て、初めてお顔も分かりました。

誰が歌っているのかもわからない曲、なのに「とてつもなくいい曲」なのです。しかもさほどヒットもしませんでした。でもいい曲で、僕はずっと聴いてきました。

これも宇崎、阿木作品です。30年後ぐらいにそれを知りました。

以上の体験のみで断定するのも変な話ですが、宇崎竜童、阿木燿子さん、物凄い才能だと思います。

夏休み、教師はもっともっと休むべきだ。

2018年07月24日 | 日記
中学高校の教師による部活指導は基本やめるべきです。やるのなら専属の指導者を雇用すべきです。

あまり難しいことを書いてもしょうがないので、簡潔に結論から書くと、教師は平日は定時で帰宅し、土日はなるべく体を休めて疲労をとり、「教育や授業の質を上げなくては」いけないからです。

電車の運転士は「人の命を預かる大事な職業」です。しかし、電車の運転士は特別な職業ではなく、普通の労働者である、と書いても誰も反対しないはずです。なぜって労働者だからです。

電車の運転士は滅私奉公すべきだ、と書けば、誰もが「違う」と思うはずです。

学校の教師は「人を育てる大事な職業」です。運転士と同じ大事な職業です。ところが「教師は特別な職業ではなく、普通の労働者である」と書くと、反対したり違和感を覚える人がいます。

まず教師の中にそう感じる人が少なくない。また保護者も「?」と思うでしょう。昔は「聖職」などと言われていて、その悪い「名残り」「因習」みたいなものが残っているせいであるとか、理由は色々と考えられます。

教師は滅私奉公すべきだ。昔よりはそう考える人は少なくなったでしょうが、まだ「そんな間違った考え」にこだわっている人もいます。

部活の指導の「ほとんど」は「サービス残業」なのですが、教師自身がそう考えない傾向があり、なかなか改善されません。しかし、近年になってやっとその「弊害」が指摘されるようになりした。

一歩前進ですが、「遅すぎる」というべきでしょう。

「部活指導によって生徒との信頼感が生じる」とか「生徒の理解が進む」「親も部活指導に熱心な先生を評価する」「部活がないと生徒が泣く」とかいう人もいます。それはその通りかも知れません。でも「全生徒が部活に属しているわけでもありません」し、

そもそも「サービス残業であり、教師を疲労させ、結果教育や授業の質を下げる」ものですから、そういう「もっともらしい理由」がいくらあろうとも、認めるべきではないものです。部活は部活専門の指導者を雇用して活動すればいいのです。その費用がないなら、部活自体廃止すべきです。いくら生徒の為になろうとも、労働者にサービス残業を強要するような制度は民主国家において存在を否定されるべきものです。

全ては「教師は特別な職ではなくサービス労働者である」ということを「再確認」するところからはじまります。

校長や副校長、教頭などの管理職は「特別な職である」という世間の間違った考えを「利用して」、過剰な労働を教師に押し付ける場合が多く、これは実に「たちが悪い」ことだと思われます。

また教師自身がそのような考えにとらわれたり、そういう考えをする先輩教員に遠慮したりするのも「正しいあり方」とは言えません。

教師はもっと休まなければいけません。質の高い教育をしたいなら、あらゆる因習を乗り越えて、休まなくてはいけないのです。現実的にそれがいくら難しくとも、その方向を目指すべきで、自己犠牲の陥穽にはまりこんではならないのです。

男女交際としての「肝試し」、稲川さんの「怪談芸」

2018年06月23日 | 日記
20才前後の時の「きもだめし」はなかなか興味深い儀式です。

定番としては男女が組になります。それで男は女の子が抱きついたりしてくれないかと期待するわけです。たいていは抱きついたりはしません。
抱きつかれるだけでも、20歳であれば楽しいのです。そこから何かが「発展すれば」もっと楽しい。でも普通は発展しません。

でもなにかと抱きつく子もいました。脅かし役の男がその子のことが好きで、自分で脅かしておいて、別に男に抱きつくのを見て、本気で怒っていました。「やってられるか」とか言っていた。「やらなきゃいいじゃん」と思っていました。とにかく本気で妬いていたわけです。若い頃は「マジ」が多い。楽しい思い出です。

O君は不思議な友人でした。ある研修施設で男だけの肝試しをしたことがあります。。男だけだから本格的なのです。ずらっとならんだ無人の研修室の一番奥の部屋に「わら人形もどき」を置いて帰ってくる。次の人はそれを持ってくる。無人の研修室は40もあったでしょうか。あの廊下は本当に怖く感じました。

ところがO君が帰ってこない。でみんなで探したのです。

結局O君は研修室のひとつの部屋にいました。

「物音がした。怖いから原因を探して、ひとつひとつ部屋を見ていた」と言います。

O君の方がよほど怖い。どういう精神構造していたのでしょう。あの怖い無人部屋をひとつひとつ探索して回るなんて、ありえない話です。

と思うとK君も凄い。

2,3日大学に来なかったので、「何してたのか」と聞きました。

「僕は臆病なので、臆病を治すため、首吊りのあった木の下に行って、寝袋で2日泊まった」と平然と言っていました。

狂人の領域です。存在がオカルトです。

私は、 オカルト系は一切信じませんが、「怪談」は好きです。稲川さんの限定で好きです。

「あれは落語的な高等話術で、芸なのだ」と僕は思っているのですが、さほど賛同してくれる人はいません。寡黙な賛同者は大いにいるに違いないと密かに思っています。

落語の怪談が「芸」なら、「それに匹敵するほどの話芸だ」と私には思えてならないのです。

職場ストレス解消法を懐疑的に評価してみる。パート2。

2018年06月19日 | 日記
ストレスに強い人は、こんな人らしいのですが、

1、自分の思い通りにならなくても「まあいいか」と受け流せる性格
2、嫌なことがあってもくよくよせず、すぐに切り替えられる
3、何でも自分に都合良く解釈するポジティブさがある
4、困った時はすぐに人に頼れる
5、趣味を持っていて、現実逃避が上手

「1」と「2」は「ストレスに強いと同じ意味」です。同じことを別の表現で書いているだけ、意味ありません。「3」は「何でも自分に都合よく」では生きている上でもっと困った事態に陥るのではと心配です。「4」「5」は評価できると思います。

逆にストレスに弱い人とは、

1、まじめで、細かいことにもこだわる几帳面
2、一度言った自分の意見は譲らない頑固者
3、自分の意見があるのにはっきり言えず人に合わせる
4、頼れる人が周りにいないと考えて悩みを溜め込みがち
5、すぐに他人の失敗を責め立ててしまう

「3」は他の要素と矛盾しているように見えますが、まあいいか。「5」が面白いですね。他人を責めるとストレスが溜まる。そういえばそうです。

で、解消法なんですが、

1.体を動かす

そりゃそうでしょうね。のんびりと自転車でも漕いで。でもどうやら「有酸素運動」のことらしいのです。忙しくて泳いだり、サッカーしているヒマないわ!と言われたらどうするのか。まあウォーキングなんかは「いい」のでしょうね。でも真面目な人間は「ウォーキングしなくちゃ」がストレスになる場合も多いと思います。文句言ってますが、「体を動かす」には賛成です。

2.泣ける映画、ドラマを見る

「泣ける」が気になりますが、「感動できる」ぐらいなら分かります。実際泣けるシーンを見て「昇華」(精神の解放みたいなことを)することは有効だと思います。全部見るのは大変なので、そのシーンだけ見るのです。

3.紙に書いてみる、できたら客観的に振り返る

紙はやだな、と思います。PCを使いたい。匿名の愚痴日記ブログとか有効。書いても「下書き」にすれば公開されず、あとで「後悔」もしません。でもネットにつなぐと流失があるから、自分のPCのメモ帳かオフィスにでも書けばいいのです。紙は重要ではなく、書くことで自己認知をしたり、認知の仕方を変容させたりすることが大切だと思います。

4.紙をビリビリに破く

ものを壊すという意味でしょうね。有効な感じも受けますが、「紙をビリビリに破っている自分が嫌だ」という気分になりそうな気がします。ということで今実践してみました。特になんということもない気がします。有効かな?

5.仲のいい人と時間を過ごす

そんな時間はない人が多いのでは。仲がよくても、だからこそ「何でも言えるわけではない」場合もある。相手も忙しい。だから「仲がよくなくても、何でも言える人と時間を過ごす。またはメールする」が現実的かと思います。「何でも言える人は仲がいい人だ」ということになると、じゃあ賛成です。

6.家を掃除する

これはそうだと思います。体の運動にもなります。ただ「家を掃除する」のは大変です。終わりがない。だから「他の部屋を倉庫にしても自分の部屋だけは片づける、小綺麗にする。」ぐらいが現実的かと思います。「他の部屋」を犠牲にできない場合は「家を掃除する」しかないと思います。

7.大声を出す、騒ぐ

ライブの応援とかを指しているようです。金がかかります。「カラオケ」ならさほど金かかりません。「大声で歌う」がいいかと思います。できれば一人で。他人がいるとなかなか「バカほどの大声」は出しにくいものです。

8.ぼーっとする

有効かな?私の場合、寝てる時、寝た状態に近い時以外は「ぼーとすること」ができません。絶えず何かをやっているか、考えている。だから「ストレスたまるんだ」と言われても、「できないことはできない」のです。

9.湯船につかる

こりゃまた非常に平凡で、でも「有効な手段」です。「なんとかの湯」とか入浴剤に「こる」のも楽しいと思います。


なんやかんやで私は「非指示的な(うるさいこと言わない)理解者を得る」ことが一番重要と思うのですが、「5」だけですね、それに触れているのは。前も書いたけど、「非指示的な理解者」って意外と「いない」ものなんです。

ヴォラプチュアスな表情に富んでいる女優さんは誰か。

2018年06月15日 | 日記
私は漱石の主人公では「三四郎」の美禰子さんが一番好きである気がします。「気がします」というのも変ですが、全部の登場人物を並べて比べたわけではありません。

「それから」の三千代さんは、いささか「儚げ」過ぎる感じです。

「三四郎」の中で美禰子さんの表情はこう描かれています。多分有名な部分だと思います。


二、三日まえ三四郎は美学の教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学の教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶なるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪えうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。しかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。


調べてみると「三四郎」は1961年と、1974年にTVドラマ化されているようです。見てません。美禰子は「八千草薫さん」「篠ひろ子さん」が演じているようです。なるほど。

ヴォラプチュアスな表情は「官能に訴える艶なるもの、残酷なもの」のようです。

今の女優さんなら、誰がいいでしょうか。「いい」というより「演じることが可能」でしょうか。

といってもまあ「好き嫌いの問題かな」とも思います。

一番に思いつくのは「石原さとみさん」ですが、なんかちょっと違う気もします。綾瀬はるかさん、健康的過ぎますね。だいたい現代日本には「官能に訴えるような女優さん」が少ないのですね。

壇蜜さん、ではちょっと美禰子は不可能でしょう。北川景子さんは美しいですが、あまり官能的とは思えません。

趣里さん、というかブラックペアンの猫田看護士さん。ヴォラプチュアスな「目つき」をしているように僕には思えますが、完全に「好き嫌いのレベル」ですね。要するに個人の好みで「いい目つきだな」と思うのです。

この方、全然知りませんでしたが、水谷豊さんと伊藤蘭さんの娘です。目が伊藤蘭さんにそっくりです。

自分でも何書いてるか分からない感じになってきましたが、要するに美禰子さんと猫田さんは「いいな」というお話です。




関ヶ原の復習 三中老とは何か

2018年05月06日 | 日記
豊臣政権はさして体制の整ったものではなく、権力は秀吉に集中していましたが、五奉行、五大老制はよく知られています。もっとも「制度」として確立していたかは疑問のあるところです。

この二者のいわば「仲介役」として「三中老」というものがあったという人もいます。「徳川実記」などにも出てくるようですが、徳川実記は19世紀前半の成立ですからあてにはなりません。

この「三中老」説を「一応信じる」として、それが誰かと言うと、

生駒親正、堀尾吉晴、中村一氏の三名です。それぞれの生まれ年は、1526年ぐらい、1543年、中村一氏は不明ですが、1540年ぐらいかなと(勝手に)考えます。

五奉行は「彼らより若い」と考えがちですが、浅野長政は1547生まれですから、そんなに違いません。

生駒親正は讃岐高松藩17万石初代藩主です。この藩は4代目でお家騒動を起こし、転封。実質改易です。出羽矢島に移され、生駒氏はやがて旗本寄合となって、明治まで存続します。

堀尾吉晴はドラマでは「茂助」とよく呼ばれています。遠江浜松城主12万石、豊臣姓も下賜されています。堀尾家は東軍だったため、戦後は出雲松江24万石までのぼりつめます。
しかし、三代目に嗣子がいなかったため改易。堀尾氏の一族は生き残りますが、堀尾吉晴直系は三代で終わりです。

中村一氏の幼名は孫平次。駿府付中14万石。がやがて改易される点では堀尾氏と同じです。改易されますが、氏族には人が多く、それぞれ主君を得て氏族そのものは存続します。

堀尾吉晴は「功名が辻」では生瀬勝久さんが演じました。中村一氏はロンハーの敦が演じた。生駒親正は嶋崎伸夫さんが演じたようですが、記憶にありません。あのドラマでは堀尾、中村、山内一豊の3名が「中老格」を演じていたので、生駒親正は出番が少なかったのでしょう。

ドラマ化、小説化の視点でみるならば、

中老という制度は「たぶんなかった」でしょうが、彼らが古くからの秀吉配下であったことはたしかです。それなりの発言権はあったと思います。

一番面白いのは堀尾家でしょう。二代目は堀尾忠氏で、関ヶ原には「この若者」が参戦しました。「家康に城も領地もあけわたす」という有名な山内一豊の発言は、「本当は堀尾吉晴の発案であったが、息子の忠氏が気後れして迷っているうちに、山内一豊にその功績をとって代わられた」とされています。

が、違うでしょう。ともに具申したに違いありません。なぜならさしたる武勲もないにもかかわらず、堀尾忠氏は松江で24万石という大封を与えられているからです。それに対して一豊は土佐一国とされますが、当初の幕府の計算では、その石高はせいぜい十万石に過ぎません。堀尾家が明治まで存続したなら、堀尾家の「功名物語」も作られたでしょうが、江戸初期に無嗣により改易されてしまいます。改易さえなければ、高名な戦国大名の一人になっていただろうし、一部では今でも堀尾茂助は有名な大名です。

ちなみに岩国織田家の出身でもあります。信長に滅ぼされた岩国織田家。その点からもドラマになる家かと思います。




天皇制への雑感

2018年01月27日 | 日記
平成も31年で終わるようです。どうせならキリのいい30年と思いますが、色々難しい側面があるのでしょう。

天皇制というものは、私にとってはかつては好悪の対象でした。が、今はそれほど好悪はありません。あくまで「考える対象」です。

私は学者じゃないので研究対象とは書きませんが、まあそんな位置に天皇制は存在しています。

天皇は「世界で唯一のエンペラー」です。他国に領土を持たないエンペラーなんて存在しえないと思いますが、とにかくエンペラーです。

天皇制ができたのは、うーん、天武朝の時代でしょうか。天武が天皇号を使った最初の人物というのは定説化しつつあるようです。7世紀後半ですね。

6世紀最末期または7世紀前半、推古朝、厩戸王の時代だという説もありますが、証拠になる木簡の信頼性は高くはないようです。

とにかく天皇号ができた7世紀、まあその前から、日本は「小帝国」を目指していました。中国への対抗です。

といっても他国がない。仕方ないのでエミシとかハヤトを日本の外の存在として、彼らを他国として、皇を名乗りました。

それから江戸まで、日本はずっと帝国じゃなかったのですが、それでも天皇でした。

個人的には、かつては存在する必要はない、と思っていましたが、今は「存在してもいいじゃないか」と思っています。

象徴天皇である限りにおいて、実際の政治に対する「一種の重し」にもなっているでしょう。

今のように権力志向が強い人間が総理の場合、その暴走を「暗黙のうちに」多少なりとも抑える役割はあると思います。

「神がかり」的に天皇制を考える人がいますが、彼らの思考も「研究対象」というか「面白いな」と思います。どう育つとそうなるのだろ。

まあ「神がかり」さんの半分ぐらいは商売右翼でしょうが。ネットの場合でも「自分の意見に賛成してもらえる」というメリットがあります。

私なぞは「別に賛成は求めません」という立場なので、商売右翼をする必要は全くないのです。

1980年ぐらいまでは明治大学の前には「天皇制打破」という大きな看板があったように記憶していますが、今は共産党すらそんなことはいいません。

時代は動いていくものです。