散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

大河ドラマ「いだてん」の時代 

2019年01月20日 | ドラマ
いきなりですが、「なんとなく見たくない」作品です。積極的に見たい理由がないわけです。ということで「早送り」で一応見てます。

なんとなく見たくない理由

1、そもそも金栗四三、田畑政治なんて知らない。
2、オリンピック商法に乗せられたくない。国策ドラマか!とか思う。
3、朝ドラの大河版のような気がする。

となります。

さらに見たくない理由は「時代背景」でしょう。

たぶん金栗四三の幼少時代、1900年頃から東京オリンピック1964年までを描くのでしょう。明治30年代中頃から昭和39年までです。

時代的には日露戦争→日韓併合→大正デモクラシー→軍部の台頭→日中戦争→第二次世界大戦→朝鮮戦争→高度成長の始まり、ということになります。

たぶん「時代の暗黒面はさほど描かない」でしょうから、日露戦争の興奮、ストックホルム五輪、そして大正の雰囲気を明るく描き、戦後復興を描くということになるのかな、と思います。

日露戦争の「勝利?」から日本はちょっとおかしくなり、日韓併合を経て、軍部の台頭となるわけです。「強大な軍隊を持ったので、戦争せざる得なくなった時代」です。戦争が起きる理由は色々ですが、一つの有力な説として「軍人と軍隊が強大となると、使わないわけにいかなくなる」という説があり、これは説得力を持っていると僕は考えています。むろん主原因は「経済」です。

1910年から1945年までの日本を司馬さんは「別国」と呼びますが、そんな時代です。

目をそむけてはいけないけれど、そむけたくなる時代、というのが個人的イメージです。後半は戦後復興でしょうが、「昭和復興伝説」も僕はあまり好きじゃありません。

あまり見たくない最大の理由は「そもそも金栗四三、田畑政治なんて知らない。」ということですが、「いだてんの時代」がどうも僕は苦手です。

メゾン・ド・ポリス感想 近藤正臣さん・野口五郎さん・角野卓三さん・小日向文世さん・西島秀俊さん・西田尚美さん

2019年01月20日 | ドラマ
日本の刑事ドラマはほとんど見ないのですが、配役に惹かれて、「メゾン・ド・ポリス」を見てみました。

主役は高畑充希さんですが、本当の主役は「引退したおっさん刑事」でしょう。

近藤正臣さん・野口五郎さん・角野卓三さん・小日向文世さん、それに事情があって引退したらしい西島秀俊さんです。

新米で所轄では相手にもされていない刑事の高畑さんが、おっさんたちと組んで事件を解決します。

なぜ「おっさんと組めるのか」というと近藤さんが「元警視副総監」だからです。もちろん実際には元警視総監でも「事件資料」なんて見られるわけありませんが、そこは「ドラマ」です。

高畑さんが「浮いていない」のがよいと思います。美人過ぎることもなく、背も低い。「こんな美人刑事いるもんか」という感じが全くありません。たとえば美人の北川景子さんだったら、相当浮いた感じになるでしょう。

野口五郎さんは俳優として実に魅力的で、たとえば「ケイゾク」などでは準主役です。アサクラ役ですね。もっと彼を使うべきだと思います。

近藤さんの演技は実に安定しており、味もあり、超一流でしょう。角野さんや小日向さんも超一流です。

西島さんは「相変わらず西島さん」という感じですが、主役ではないので、肩の力も「少しはとれて」、いい演技をしています。

個人的にはもう一人の主キャストである西田尚美さん。非常に好きな女優さんなので、彼女が出ているだけでも見ていられます。

西田さんは高畑刑事に質問します。「なんで刑事になんかなったのか」。高畑さんはこう答えます。「ドラマをみて憧れて」

「じゃあ、あれか、ストロベリーナイト、竹内結子か」
「いえ、沙粧妙子・最後の事件」
「なんだー、浅野のゆう子かよー」
「温子の方です」
「どっちでもいいんだよ」

西田さんの魅力全開です。もっとも彼女、こうした男まさりの演技だけでなく、「白夜行」で見せたような「情念の演技」もできる人です。それにしても「沙粧妙子・最後の事件」の名が出たのにはびっくり。1995年ですから、高畑さんが産まれた頃の「素晴らしい作品」です。高畑さん、1991年生まれみたいですから、正確には4歳。

キャストを考えた人は「よく考えたなー」と思います。高畑さんの相方が「名前も知らないイケメンの若手」だと、いっきに見る気もうせるのですが、そうはなっていません。唯一のイケメン担当が木村了さんみたいですが、若手でもないし、そんなにイケメンでもありません。

事件は「日本の刑事物らしく」、「まあ簡単な構造」ですが、それでも人々の感想など見ると「凝っている」という人もいる。私には多少「わかりやすすぎて」というところです。私が基本日本の刑事ものを見ない理由はこの「簡単すぎる」という点ですが、それでも「日本のドラマとしてはそこそこ複雑」なのでしょう。

実際、犯人が誰かなんてどうでもいいのです。そもそも「ゲスト犯人制度」ですから、ちょっと有名な俳優さんがゲストなら、その人が犯人です。ストーリーはあまり気にしません。ただキャストたちの演技を見ているだけで楽しめます。

補足 第一回のゲストは手塚里美さんでした。12歳ぐらいの時から知ってます。役の設定もあるのですが、年取ったなーと思いました。

近藤正臣さん・草刈正雄さん・メゾンドポリス・イノセンス

2019年01月20日 | ドラマ
近藤正臣さんと草刈正雄さんが新しいドラマに出演しています。それぞれメゾン・ド・ポリスとイノセンスです。

ただし草刈さんは「特別出演」で、数分しかシーンがありません。

近藤正臣さんを知ったのは、たぶん「柔道一直線」です。有名な?足でピアノを弾くシーン。なんとなく覚えています。

しかしその3年後には「国盗り物語」で明智光秀役。当時たぶん30歳ぐらいです。多少遅咲きですが、いっきに知名度を上げました。大河ドラマには10作品で出演。最近の真田丸でも家康参謀の本多正信役。家康の内野さんと並び準主役級の演技をみせています。

あまり日本のドラマは見ないのですが、メゾン・ド・ポリスは見ました。近藤さんは引退した副総監役で実にいい味を出しています。たぶん75歳ぐらいだと思います。

素晴らしい俳優さんです。

草刈さんはモデル出身ながら大成した俳優さんです。

若い頃の代表作は「風と雲と虹と」、映画では主役をつとめ「復活の日」「汚れた英雄」

さらに準大河ドラマである「真田太平記」では主役の真田幸村を演じました。(正確には主役は兄の真田信幸ですが、どうみても幸村が主役です)

最近の「真田丸」では「ほぼ主役」で、真田昌幸を演じました。丹波哲郎さんがよみがえったような演技で、若い方を驚かせたようです。丹波さんは俳優としては超一流です。ただの天界おじさんじゃありません。

私が最初に魅かれたのは「風と雲と虹と」。玄明(はるあき)という「人間離れした」「浮世ばなれした」人物を演じました。

イノセンスでは特別出演で、エリート検察官、「えらいさん」の役です。数分しか出ませんが、存在感が飛びぬけています。

大河ドラマと松坂慶子さん

2019年01月19日 | ドラマ
1973年ですから、45年前ですね。45年前の「国盗り物語」。松坂慶子さんは、そりゃー美しかったと思います。

私は小学校高学年程度のガキでしたが、美醜はわかります。ただし自分のことは分からないもので、自分の顔がブサイクだと悟ったのは中三ぐらいです。この顔でよく女子に「ブス」とか言っていたと思います。失礼なガキでした。

さて松坂慶子さん。今はNHKご用達という感じがしますが、むろん民放にも出ています。

大河ドラマには9作品もでています。初期の作品である「国盗り物語」や「草燃える」で人気を博し、初期大河を支えました。NHKへの「貢献大」なのです。

一時は「美人女優」と言えば「松坂慶子さん」という感じであったと思います。

さらに彼女は女優魂があって、ヌードOKでした。

「映画でヌードになれないようでは女優ではない」という嬉しいような悲しいような「女優精神論」が昔はあったのです。

1997年の「毛利元就」にも出演されています。1952年生まれですから、45歳でしょうか。明るいおばちゃんキャラに変化していました。

ふるい作品ですが、「江戸を斬る」の紫頭巾の役も何故か心に残っています。

さらに古くなりますが、「奥様は18歳」では主人公のライバルの近眼の女性。ウルトラセブンではミクロ宇宙人に体を支配される「少女」でした。

2018年の「西郷どん」にも西郷の母として出演されています。まさに「大河ドラマの申し子」です。

昔の大河「濃姫の自分」を見て、「本当に綺麗ね」と言ってました。自分のことです。45年前でも一応自分です。どうやら天然みたいです。

犬神家の一族 2018 軽薄な金田一 スケキヨはまあまあ。

2019年01月02日 | ドラマ
年末に録画しておいた「犬神家の一族」2018を観てみました。TVドラマです。

TVドラマでゴールデンだからこの程度に「ライト感覚なのはしょうがないか」、、、なんて思いません。何やってんだろという感じです。

まず金田一がひどすぎる。渋谷鉄平みたいな加藤シゲアキ?セリフは学芸会レベル。深みも味もなにもない。しかも演出がひどい。金田一が軽薄にも「自分の推理を自慢げに披露」します。

そうじゃないだろと言いたくなります。金田一は「事件を未然に防げない」探偵なのです、全て後手後手に回り、事件が終わってから「カラクリに気が付く」のが金田一です。

「僕がもう少し早く気が付いていれば」が口癖です。まあホームズだってそうですが、事件を未然に防ぐことはできず、本人もそれに気が付いており、だから「カラクリの解説」もどこか恥ずかし気に行う。自分の推理を自慢げに披露するなんてこと絶対にやらないし、やる資格もないわけです。そして、そこが金田一の魅力です。

さらに根本的な問題は、珠世が犬神佐兵衛の「孫」として設定されていないということで、この段階で、すでに横溝作品の本質を捨て去っています。

野々宮珠世が実は「犬神家の一族」であることが、全ての惨劇の始まりであるはずです。その設定をなくしてしまって、単なる「恩人の孫」としてしまっては、「もはや犬神家の一族でもなんでもない」ということになるはずです。

どーして珠世が犬神家の全財産の相続人となるのか、説明がつきませんし、このTV版しか観ていない人には分からないはずです。恩人の野々宮大弐と犬神佐兵衛が男色関係。しかも大弐の妻の晴世と犬神佐兵衛は大弐公認のもと性的関係にある。で、晴世の孫の珠世は、実は佐兵衛の孫でもある。だから珠世が全財産の相続人とされた。そのドロドロをなくしてしまっては横溝作品とは言えないと感じました。

そのせいか、犬神佐兵衛がどこかユーモラスで、いいお爺ちゃんみたいな感じなのです。「違うだろ!」としか思えません。

「はる」は誰なんだろうと思ったら、平祐奈さんです。旅館の女中さん。でも坂口良子さんのようなインパクトはありません。天真爛漫さが不足している。しかも名前は「はる」ではなく、「美代」です。どうして?

スケキヨはまあ合格点です。ただし「かぶりものが可愛い、特に目が可愛い」のはいただけない。コント、スケキヨ君みたいな「かぶりもの」です。

役者は賀来賢人さんというらしい。名前は知ってましたが、はじめて演技を見ました。さすがに俳優さんです。加藤なんたらとかいうタレントとは演技の質が全く違います。

TVドラマだから仕方ない、、、なんて思いません。映画は「日本映画史に残る作品」なんだから、TV版とは言え、もっと真面目に作ってほしいものです。

終戦のエンペラー・昭和天皇の戦争責任・統帥権の独立・マッカーサー

2019年01月02日 | ドラマ
映画「終戦のエンペラー」は不思議な作品です。一番不思議なのは「日本語吹き替えがない」ことです。

さらに不思議なのは「日本人の企画」だということ。監督は米国人。原作は日本人。アメリカで公開。当然こけた、全く人気なし。日本でもさほど話題になりませんでした。

「何の為に作られたのだろう」と実に不思議です。

さて終戦の昭和天皇。マッカーサーのかなりウソくさい回顧録にはこうあるようです。

「陛下はまず戦争責在の開題を自ら持ち出され、次のようにおっしゃいました。これには実にびっくりさせられました。すなわち「私は日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運命について、貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分にとって問題でない。構わずに総ての事を進めていただきたい」これが陛下のお言葉でした。

これを聞いてマッカーサーは「非常に感動した」と書いているようです。

まず怪しいのは「政治家の行為」について責任をとると昭和天皇が言うか、という問題です。

天皇は明治憲法下にあっても「政治的権力が制限された立憲君主」です。「制限されていても責任がある」と言われればそうかなと思いますが、一般的には責任はさほどないはずです。「政治家の行為」が何を指すのかはあいまいですが、「国会」ということなら、さほど責任はないでしょう。「詔勅」に対し責任があるというなら、まあ分からないでもないですが、「詔勅」も内閣が製作するものですから、やっぱり第一の責任は、内閣と国会にあるはずです。

というと昭和天皇を擁護しているように感じるかも知れませんが、「政治家の行為」についてはさほど責任はないだろうと言っているだけです。

その前の「軍事指揮官、軍人」の行為について「責任がある」というのは「全くもってその通り」です。これは「憲法上その通り」なのです。

明治憲法には「統帥権の独立」という項目があり、軍隊は直接天皇に属していることになっていました。そして、ここが肝心なのですが、東条は実際毎日のように参内して、軍事行動に関する許可を天皇から得ていました。拒否権がなかったなんても伝説で、サンパン陥落、さらにインパールの大失敗というか「自国兵の虐殺」で天皇は東条を切り捨てます。「東条にだまされた説」もありますが、そんな「バカ殿」でもありません。ちなみにインパールにおいて独断撤退をした師団長、佐藤幸徳は「大本営、総軍、方面軍、第15軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」と言いましたが、そのインパール作戦だって昭和天皇は「ちゃんと東条の説明を聞いて許可」しているのです。

内閣は軍事行動に関する予算権を持つのみでした。矛盾だらけです。権力が3つもある。内閣国会・陸軍・海軍です。で総理大臣と陸軍の軍事行動の決定者を「同じ人物にする」ということになり東条が総理になります。それでも東条すら海軍の軍事行動には口出しできません。海軍のトップは東条の子分でしたが、それでもできないことも多かったようです。

明治憲法では、憲法上「軍事行動は天皇の支配下にあった」わけです。だから「軍人の行為の責任は私にある」と昭和天皇が言ったとしても「当然のこと」をただ言っているだけということになります。

西郷どん 45回 西郷立つ 感想  翔ぶが如くとの比較

2018年12月03日 | ドラマ
西郷どん 45回  西郷立つ  大河「翔ぶが如く」と比較しながら書いてみようと思います。

大まとめの感想としては「史実通りに描く必要はない。ウソも許される。しかしもっとリアリティのあるウソをついてくれ。あれ史実なのかな?と思わせるようなウソをついてほしい。見た瞬間に、ありえないだろ!と思うようなウソはやめてほしい。時代劇だから嘘も許される。しかしそれに甘えてはいけない。史実を踏まえてウソをつくとか、もっとうまくやってくれ。何が重要で、何が重要でないのか。ついていいウソとダメなウソの境界線はどこか。最低限、それぐらいは考えてほしい。あと若僧に明治国家の大官を演じさせるのはやめてくれ。」となります。

1、西郷は家にはいない。

西郷どん、では、西郷は家にいて家族を大切にしています。でも家にはいなかったはずです。吉田村にいたと思います。鹿児島中心部(都市)にいると、暴発士族に「かつぎだされる」心配がありましたから、いません。だからあんな風に家族と幸福な日々を過ごしたりはしていません。

2、廃刀令

廃刀令に関して桐野が大山に「食ってかかって」ました。明治9年に刀を差していたのでしょうか。「るろうに剣心」じゃあるまいし。

大河「翔ぶが如く」では、、、もちろん桐野たちは刀など差していません。「すでに刀なぞ差してはおらんぞ」というわけで、「いまさら廃刀令もないもんだろ」という感じで受け流します。
明治9年ですからね。刀なぞ普通の生活においては差していないでしょう。村田新八なのかな。誰が誰か分からないけれど、洋装で刀二本を差している人物もいて笑えました。
そりゃ西南戦争の「戦時においては」、差していたかもしれません。日常の生活を送っているのに、明治9年か10年段階で洋装二本差しって。いたとしても「ちょっと痛い人」扱いでしょう。

3、密偵「中原」を拷問したことで西郷どんは怒り爆発「これは国家への反逆じゃ」

なんで一人の薩摩人を拷問すると「国家反逆」なのか。中原はポリスとして活動していたわけもないないし、1人の薩摩人をいじめたぐらいで国家反逆罪にはなりません。

翔ぶが如くでは、史実通り、西南戦争の直接のきっかけは、薩摩私学校生徒が、政府の「弾薬撤去」に抵抗し、「弾薬掠奪事件」を起こしてしまったから、となっています。弾薬掠奪事件は明らかな国家反逆です。国家反逆を行った私学校生徒を、政府に渡すことができなかったため「やむなく立った」とされています。

西郷どんでは、密偵事件→弾薬掠奪事件となっています。これは逆です。時系列でいえば、弾薬掠奪事件が先にあり、その後密偵の摘発が行われます。西南戦争のきっかけは、私学校生徒が起こした国家反逆事件である弾薬掠奪事件なのです。戦争の大義を得るため「西郷暗殺計画を作り上げた」という説もあります。「シサツ」が「刺殺」なのか「視察」なのかも、この作品に限ってはもうどうでもいい気がします。真面目に考えることを「放棄させる」力をもった作品。それが「西郷どん」です。ウソばっかりです。

4、桐野や村田新八は何をしていたのか。

薩摩の不満士族を「私学校」という集団に属させ、暴発を防ごうとしていました。しかし彼らは農民生活をしており、普段は鹿児島中心部(都市)にはいません。桐野があんな風にギャーギャー騒ぐドラマを初めて見ました。ウソが多すぎて泉下で桐野も泣いています。

5、大久保はどう対応したか。

それにしても瑛太の大久保の「威厳のなさ」「小者感」はどうにかならないものか。

西郷どんでも翔ぶが如くでも「薩摩に行って西郷に会う」と言います。しかし周りにとめられます。西郷どんでは「止められておわり」です。

「翔ぶが如く」では大久保はこう言います。

「自分が何のために鹿児島に行って殺されたのか。西郷も大久保が死にに来たと分かってくれるはずだ。そうすれば私学校から離れて、脱出するか(または死んでくれる)に違いない」

6、桐野が大久保を「大久保」と西郷の前で呼び捨てにしていた。

ありえません。先輩です。それこそ「西郷激怒」です。陰でならともかく、西郷の前で、そして人々の前で、大先輩である大久保を呼び捨てにするわけがありません。「大久保さー」です。

「桐野、年かさの一蔵どんを呼び捨てにすっとはなんごとか!いつからお前はそんなに偉くなった。二度と許さんぞ」と西郷は叱るはずです。



翔ぶが如くを見た人間からすると、「西郷どん」は漫画に毛がはえた程度の作品です。どうしても悪口が多くなります。

西郷どんの主役は最初堤真一に依頼がきました。が彼は断りました。(一応、子供が生まれるからとかいう理由が取り沙汰されています)

でも「出たくなかった」のだと思います。

ある程度シナリオができていて、どんな作品かも分かり、だから断ったと思います。堤真一は大河「翔ぶが如く」後半で重要な役を演じています。彼にしてみたら、翔ぶが如くというA級の大河で準主役を演じた自分が、どうしてこんなC級の大河で主役をしないといけないかと思えたことでしょう。

西田さんや鹿賀丈史さんは「翔ぶが如く」では主役そのものでした。彼らの「西郷どん」への出演は「NHKに拝みたおされて、仕方なく」というところだったと思います。

映画「関ヶ原」再考 「石田三成は十分に成功した」はずなのに。

2018年12月03日 | ドラマ
小説を映画にしても、「小説を上回る」ことは少なく、どうしてもみたいわけでもなかったのですが、レンタル料も安くなってきたのでやっと「関ヶ原」をツタヤで借りて見てみました。

いきなり淀とか寧々が「変な殿上眉」(ひたいに眉を書く、貴族風の眉)をしていて、「キモチわる」と思いました。映画「清州会議」も同じでしたが、見る者にわざと違和感を感じさせるため、そういう「悪意」をもって、こんなことをしているのでしょうか。

たぶん「リアリティ」の追求なんでしょうが、空回りしています。後半は全部戦闘シーンなんですが、ここでも足軽が槍で「叩きあって」いました。槍は本来「突く」ものではなく「叩くもの」という説を採用したんでしょう。当然のことながら戦闘シーンは美しくなくなり、泥くさくなります。運動会の棒倒しのように、わいわい集まって騒いでいる感じです。それとやたらと大砲の砲弾が「爆発」している。リアリティを追求するならあれはない。当時の弾は「爆裂弾」ではなく「金属のかたまり」です。着弾しても「爆発はしない」のです。

その他「人買い」のシーンを登場させたり、つまり「戦国本当はこうだった」的な描き方をするわけですが、一方で「忍者」を登場させたりもしています。リアリティを追求したいのか、それともしたくないのか。うーんどうも中途半端、惜しいと思います。

とはいうものの、

この映画には原作に忠実に作られた部分も多く存在します。語りが「そっくりそのまま司馬さんの文章通り」だったりもします。

「少なくとも原作を忠実に再現しようとする気持ちはあるのだろう」

ということは分かります。

しかし重要なところでは、2つの点が変更されており、どうもその変更(つまりこの映画オリジナルの部分)が成功しているとは思えないのです。

1,初芽が忍者にキャラ変更されている。しかも「私は拾った犬とでも思ってください」という言葉を繰り返す。自虐的というかドMである。有村架純にドM言葉を言わせるのは「監督の趣味なのか」と思われて気持ちが悪い。さらにこの頃の有村さんは「朝ドラの主人公で、田舎娘を演じていたため、故意に太っている」。だから「ぽっちゃりドM女忍者」になってしまっている。

2,裏切り金吾中納言、小早川秀秋が「悩める純粋な青年」となっている。「家臣団」が家康に調略され、秀秋の意図に反して裏切ったとなっています。そのことを最後に小早川秀秋は石田三成に詫びます。→こういう設定だと三成の「裏切り金吾中納言の名は、人の世が続く続く限り語りつがれる。わしが鬼となって後は、おぬしを地上に生かしてはおかぬ」という「三成最後の名シーン」がなくなってしまいます。実際なくなっている。実に惜しいと思います。

文句は実はたくさんあるのです。小説のファンなのでどうしても文句が多くなります。

・宇喜多秀家、細川忠興、黒田長政などが「その他大勢」扱いになっており、はっきり区別できない。あれ黒田長政はどの人物だ?という感じです。

・声がこもっていて、何いってるか分からないシーンが多い。

・時間制限でもあるのか、登場人物が家康を除いて「異常なほど早口」である。その為、言葉に「重みも、わびもさびも」なくなってしまっている。

・戦闘シーンと忍者の格闘シーンに力を入れ過ぎている。アクション映画みたいである。

そして最大の文句が、小説における最後の、そして最も重要な「三成観」を示した部分が「ばっさりカット」されていることです。

カットされた文章が「コレ」です。

(黒田如水の心の声として)
秀吉の晩年、もはや大名から庶民にいたるまで、その政権が終わることをひそかに望んでいたにも関わらず、あの男(三成)は、それをさらに続かせようとした。すべての無理はそこにある、と如水は言いたかったが、しかし沈黙した。かわりに
「あの男は、成功した」
と言った。ただ一つのことについてである。あの一挙(関ケ原)は、故太閤へのなりよりもの馳走(贈り物)になったであろう。豊臣政権のほろびにあたって、三成などの寵臣までもが、家康のもとに走って媚びを売ったとなれば、世の姿は崩れ、人はけじめを失う。かつは置き残していった寵臣からそこまで裏切られれば、秀吉のみじめさは救いがたい。その点からいえば「あの男は十分に成功した」、と如水は言うのである。

これが原作の「三成観」なわけですが、ばっさりカットです。

ちなみにTBSドラマ「関ケ原」ではカットされていません。ただしそう言ったのは黒田如水ではなく、本多正信です。本多正信はこの作品(小説)のサブ主人公でもあるのです。映画「関ケ原」でも、謀略の友とはされていますが、どうも動きが軽すぎて、本田正信らしさがありません。

TBSドラマ「関ケ原」は、語り手を原マルチノにした以外は、ほぼ原作を踏襲しています。従って素晴らしい作品となりました。人間も描かれていて、誰が誰なのか、ハッキリと分かります。映画「関ヶ原」は原作に忠実であろうと「努力」はしているようです。ただ肝心な点を変更したり、カットしたりしているように感じられ。そこがいかにも「惜しい」気がします。

ウルトラQ・4KウルトラQ・総天然色ウルトラQ・ウルトラQカラー版・2020年の挑戦

2018年12月02日 | ドラマ
ウルトラQ、1966年ですから52年前に作られた「伝説の特撮番組」です。モノクロでした。TV局はTBSです。

NHKが4Kリマスター版を放映するようです。うまいところに目をつけたものです。50代、60代の人間なら「思わず見たくなって4Kチューナーを買う」かも知れません。
ただし私はまだ「4Kに飛びつく必要」を感じていません。チューナーが必要です。8Kともなると「新しいアンテナ」も「たぶん」必要です。
4Kチューナー単品なら一万円以下で買えます。録画用となるとアイオーデータが最安でしょうが、それでも三万円ぐらいです。

それに4K独自の番組はまだほとんどないはずです。「4Kだけで」で「かつて大河ドラマ」を次々と放映するというなら、今すぐ飛びつきますが、そんな気配はありません。

さて「ウルトラQ」。伝説の番組だけあって、色々なリマスターが存在します。ハイビジョンリマスター版、それに色をつけたカラーリマスター版。

色をつけたカラー版のウルトラQが「総天然色ウルトラQ」です。WOWOWで前に放映されたので、その時だけ契約して録画しました。あの番組に色がついているのです。さぞ大変な作業だったでしょう。

脚本は主に故金城哲夫さんでした。凄い才能だと思います。

思いつくままに、記憶に残ったタイトルを挙げてみます。

1、2020年の挑戦 
人々が「なんかの液体」で次々と消えるやつです。2020年のケムール人の仕業となっていました。未来からの攻撃です。で、2020年の挑戦、内容から言えば「2020年からの挑戦」です。天才すぎる(半ば狂人扱いの)博士が作った装置で、東京タワーから電波を発信して倒しました。
2020年の挑戦、なんともうすぐ2020年です。びっくりです。

2、悪魔っこ
父親に催眠術ばかりかけれていたサーカス団の小さな女の子が「幽体離脱」を起こす物語です。幽体の方が、本物の方を「線路に誘導して殺そうとする」というもので、シリーズの中でもっとも「怖い」作品です。一の谷博士が作った装置によって幽体は消えます。どんな装置なんだ。その後父親は催眠術をやめ、ピエロに転進します。ピエロってのも結構怖い。

3、東京氷河期、ペギラが来た
「冷凍光線」を発する怪獣ペギラが東京を襲い、東京のみが氷河期になります。ある種のコケから抽出されたペギミンHによって撃退されました。伝説の0戦パイロットで、今は酒びたりとなり、犯罪者に落ちぶれている中年男性が登場し、その男が「特攻攻撃」で自らを犠牲にして退治します。その男(父親)を捜して東京にきた男の子が最後は遺骨を抱いて故郷に帰っていきます。単なる怪獣ものではなく、「もの悲しく切ない」物語に仕上がっています。

4、鳥を見た
田舎の孤独な少年がかわいがっていた小鳥が、実は古代の怪獣だった(巨大化する)という物語です。それでも男の子にとってはその鳥だけが「友達」なのです。これも切ない少年ものです。一度見ると「鳥を見た」という短い言葉が妙に心に残ります。鳥を見た、鳥を見た。

5、ガラダマ、ガラモンの逆襲
一度見たら忘れられないような「容姿」を持った怪獣「ガラモン」が登場します。実は怪獣ではなくロボットです。頭脳は別にあって、その頭脳から発する電波をとめると「なぜか泡を吹いて」活動停止となります。これはカラー版で見るより、白黒版で見たほうがいい気がします。

6、マンモスフラワー
ビルを突き破って、古代の巨大草花が出現します。なぜか根っこが「吸血」なのです。一の谷博士は「掃討」を主張しますが、別の科学者は「保存」を主張し、口論となります。

7、バルンガ
宇宙開発によって、地球に「バルンガ」がやってきます。空に浮かんで「すべてのエネルギーを吸収する」のです。病院も活動停止となり、大怪我をした「一平くん」が危機に陥ります。空に人工太陽を作って、宇宙に誘導します。それによりバルンガは「本来の食べ物」に気がつきます。本来の食べ物とは「太陽そのもの」です。明日空の太陽を見てください、それはもしかすると太陽ではなく、バルンガなのかも知れません、と石坂浩二さんのナレーションが入ります。

その他富士山噴火に着目したタイトル、過剰な人口増加に着目したタイトル、金銭第一主義に着目したカネゴンが登場するタイトル、と「現代社会の問題をえぐる」ような作品が並びます。とても子供向きとは思えませんが、僕個人としては「あれこそ子供向き」と思っています。幼稚さだけが子供の特徴ではないからです。我々が思っているほど、「子供」とは幼稚でもなく、シンプルな頭を持った存在でもありません。十分に考える力は持っています。




司馬さんの「城塞」 千年生きてもこんな作品は書けない

2018年11月26日 | ドラマ
考えてみると司馬さんの小説を「読み直す」のは久しぶりです。

特に「城塞」は数回しか読んでいない本で、本当に久々に読み直しました。

なんと書けばいいのだろう。サリエリがモーツァルトに感じたのはこんな感覚なんだろうなと思います。

全ての凡庸なるもの(私とかです)は、この作品の前に「ひれ伏すしかない」と思います。

誤解して欲しくないのですが、「全てが史実だ」なんて考えていませんし、小説なんだからフィクションです。

そのフィクションのリアリティの前に、少なくとも私は「ひれ伏すしかない」と思います。

司馬さんらしく色々な古書からの引用があります。多くは知らない本です。司馬さんの面白さは、こういう資料すら「ウソ」であることもないわけではない点です。

例えば「十一番目の志士」には「天堂晋助年譜」というのが登場しますが、そんなものはありません。あるわけないのです、天堂晋助という人物そのものが架空の存在だからです。

「ひれ伏す」などと書くと、司馬オタク、司馬マニアと言われるかもしれないし、それは事実かも知れません。

ただこの本の「濃密さ」を別の表現で言うことはできません。

千年生きても、こんな作品は書けません。

山本兼一さん 「信長死すべし」

2018年11月26日 | ドラマ
最初の方を読んで、ちょっと戸惑ってしまい、最後の100ページを読んでみました。

「なんだこれ?」とむしろ不思議な気持ちがします。思いっきり悪口を書きたくなって調べてみると、山本さんは若くして亡くなられたようで、故人です。

故人なので、悪口をなるべく慎みます。

「火天の城」もこの方のようです。あの映画(映画しか見ていません)、驚くほどつまらなかった。これは映画の脚本家への悪口です。驚くほどつまらない。

さて「信長死すべし」

正親町天皇が光秀をたきつけたということになっています。

信長も何故か死ぬ時、「光秀ごときにできるわけない。正親町の野郎の差し金だ」

とか考えます。ちなみに設定では、信長は「本能寺の次の日に」正親町と公家を「焼き討ち」して皆殺しにすることになっています。しかもそれを「光秀は知らない」のです。(なんだそれ?)

ところが、まだ秀吉の「大返し」も分かっていないのに、正親町は光秀を見捨てます。

で天皇親政とか1秒ぐらい考えますが、2秒後には無理だと言われてやめます。

光秀は光秀で、正親町に騙されたと考え、あの野郎と公家たち、みな殺しにしてやろうかなどと考えています。

摩訶不思議といおうかトンデモとしかいいようのないストーリーです。正親町黒幕説としても「稚拙」過ぎます。でも作者が故人なので、この辺りにしておきます。



大久保利通死後の薩摩閥

2018年11月22日 | ドラマ
長州閥は恐ろしいことに「現代まで続いている感じ」があります。佐藤栄作、岸信介、安倍晋三。もっとも安倍さんは選挙区こそ山口ですが、東京生まれの東京育ちです。

対して、薩摩閥というのは明治・大正でだいたい尽きた、というイメージがあります。

大久保利通死後の薩摩閥ですが、

西郷従道
大山巌
松方正義
黒田清隆
山本権兵衛

などが支えました。東郷平八郎も一応薩摩です。

このうち松方は優秀でしたが、大山ほどの人望はなかったようです。また黒田は酒乱で、たびたびトラブルを起こしており、そのせいか、大河ドラマ等においてもほとんど登場しません。

従って、大久保利通亡き後の薩摩閥はまず「大山巌・西郷従道」が支えたと言っていいと思います。二人のうち大山は大正まで生きます。

結論から書けば、大山巌が引き継いだ、と言っていいでしょう。しかし彼は総理になることを拒みました。それは西郷従道も同じです。

大山を引き継いだのは山本権兵衛かと思います。

したがって大久保利通→西郷従道・大山巌→大山巌→山本権兵衛(昭和8年没)と考えていいのかなと思います。黒田や松方の位置は微妙です。

東郷平八郎は軍人であって、政治家とは言えません。晩年は「神様扱い」だったようですが、私の中のイメージとしては「老害老人」です。




「真田丸」を見直してみると

2018年11月19日 | ドラマ
外付けHDDにバラバラに保存してあった「真田丸」を一つにまとめて、さーと見てみました。

で気が付いたことですが、

1、やっぱり主人公は真田昌幸(草刈さん)である。

2、自分に知識が不足している前半部分が面白い。後半は知ってることばかりだし、あまり面白くない。

3、三谷作品は嫌いなんだが、この作品における人物の描き方は面白い。特にいいのが真田昌幸、北条氏政(高嶋さん)あたりである。

高嶋さんの怪演がいいと思いました。戦国北条氏は「知っているようで知らない」ので余計そう感じるのだと思います。ここまでち密に北条氏政を描いた大河は他にありません。

遠藤さんの上杉景勝。この作品における上杉景勝は「幸村の引き立て役」で、「信繁は、わしがなりたかった理想の武将じゃ」てなことを言わせたりします。ちょっとかわいそうです。

寧々、鈴木京香さん。ゆるやかで、私のイメージとは非常によくあっています。ちなみに、功名が辻の浅野ゆう子さんは「やたらときつい女」でちょっとイメージとは違います。

秀吉、なんだか最近秀吉の「自分の中でのイメージ」がはっきりしないのですが、それでも「陽気で冷酷」な秀吉がよく描かれています。陽気で冷酷な秀吉、緒形拳さん以来かなと思います。

戦国史は「家康の上洛」まででいい。

「いい」というより「面白いのは家康の上洛まで」かなと思います。

それ以降は秀吉もおかしくなってしまうし、家康も残忍になっていく。「老いと滅びを描く」ことになってしまいます。

この作品も「家康の上洛まで」が面白く、それ以降は「不幸話」が多くて、どうも楽しく見ることができません。

2021年の大河ドラマ 「麒麟がくる」の次を予想してみると

2018年11月19日 | ドラマ
3年後を予想してもなーとは自分でも思うのですが、

1、男女主人公大河はもうやめるだろう。すでに女性主人公のネタが切れている。
2、普通に考えれば、戦国(麒麟がくる)の次は、幕末か鎌倉か、室町ということになる。
3、大河ドラマで最も古い主人公は平将門、平安時代。源平時代を除いて平安を描いた作品は2つだけ。基本平安は描かないし、飛鳥・奈良時代とかもまずありえない。

NHKは単発で「大化の改新」「聖徳太子」「大仏開眼」とかを作ってはいますが、「皇室ファンがうるさい」し、「衣装も大変だし」、ということで平安以前を描くことはまずないと考えます。
天皇を主人公にすることもありません。天皇が主人公格(副主人公)になったのは、「太平記」だけです。ちなみに後醍醐天皇です。

そうなると鎌倉、まあ源平時代ですが、これを「源氏側」から描く。いまさら「義経」もないだろうから、となると北条義時ということになります。つまりは「草燃える」のリメイク版です。

次に室町、純粋に室町時代(戦国を除く)ということなら、足利義満が残っています。

足利義満はさんざん「皇室を圧迫」した人間なので、ちょっと無理かな。

ということで無難なところでは「北条義時」です。というより坂東武者、北条とか三浦とか和田とか。つまり坂東の武者軍団、、、群像劇として描いていく。

幕末だと「長州」でしょうか。桂小五郎、高杉晋作、吉田松陰、村田蔵六、伊藤博文。松陰から伊藤まで描くなら幕末から明治末期までになります。

ということで「つらつらと」考えてみると、

1、北条義時と源頼朝と北条政子(大河では二回目)
2、足利義満(初めて、だがまずありえない。同時代に義満の他に有名人がいない)
3、長州人
4、河井継之助(主人公になったことはない)
5、さらに戦国をさかのぼるなら「北条早雲」(主人公になった、というより登場したこともない)

蛇足
2018年の段階で「予想」しました。「麒麟がくる」の次は渋沢栄一で明治ものです。私が予想した「北条義時」は2022年の「13人の鎌倉殿」の主人公です。

長篠の戦い 逆転の日本史をさらに逆転する

2018年11月19日 | ドラマ
とにかく「通説を崩す」ということに「やっきになって」いる人たちがいます。

長篠の戦いの場合

1、3000丁の鉄砲という数が怪しい→せいぜい1000丁だ

2、整然と三段撃ちを行うことは無理である

3、そもそも武田騎馬軍団なんてない→実践では降りて戦う。当時の馬はポニー程度の大きさしかない。

なんてことが言われます。なんでもかんでも「逆転させれば」いいという感じがします。

その「逆転をさらに逆転する」と、

簡単なのは「3」で、まず当時の馬はポニーじゃありません。ポニーより一回り大きく、体はがっしりしています。現代の木曽馬で実験すると、現代人を乗せて、サラブレッドに迫るスピードで走ることができます。当時の人間は身長が150センチぐらいですから、体重も軽いわけです。現代人が甲冑を着ていても木曽馬なら走れます。

また、「馬を降りて戦う」は関西のやり方で、関東では乗ったまま戦いました。と簡単に「逆転を逆転」できます。

3000丁か1000丁か、ですが、これは1000丁の方にもさしたる根拠はありません。が1000丁だとしても、そして「整然とは撃たず」、「用意ができた者がバラバラに撃った」としても、準備時間は30秒程度なので、250丁は稼働可能です。

つまり1000丁としても250発+弓の矢が飛んでくるわけです。大変な威力です。銃はたとえ一発でも怖いものです。

すごく簡単に書いたので、アラはありますが、それでもこのように「逆転を逆転する」ことが簡単にできる場合もあります。

なんでもかんでも「逆転すればいい」というものではないし、それは時に史実に反する結果を生み出します。