散文的で抒情的な、わたくしの意見

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田中角栄と日中国交正常化・中国にかけたご迷惑

2019年04月03日 | 政治
1972年2月、米国のニクソン大統領が大陸の中国を訪問します。予告はされていましたが、当時としては「考えられない」ことだったので「ニクソンショック」と言われました。なおニクソンショックは金融面でも起きました。

これを受けて、1972年の7月に総理になったばかりの田中角栄が9月には訪中し、「日中国交正常化」を行います。

ここで「わりと有名な」事件が起きます。

田中は「わが国が中国国民に対して多大のご迷惑をかけたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」 と言ったわけです。

そして「日本側の通訳」が、「迷惑をおかけした」の部分に「添了麻煩(ティエンラマーファン)」という中国語を用いました。迷惑は中国語だと「麻煩」となるようです。

それまで割と穏やかだった雰囲気が一変します。「麻煩」は「あっ水こぼしちゃった。ゴメンね」の「ゴメンね」ぐらいの意味しかないからです。うっかり迷惑をかけるという意味です。

例えば「広島・長崎に核爆弾うっかりおとしてゴメンね」なんて言われたら、日本人だって怒ります。(怒らない人もいるかな)

これは日本側が中国語をよく知らなかったせいだと私は思っていましたが、少なくとも「迷惑」という言葉を使おうということは田中と外務大臣大平らでよく「練った」そうです。

でも中国語訳である「麻煩」の意味まではどうもきちんと田中・大平に伝わっていなかったようです。なぜなら証言としてその夜「大平外務大臣は頭を抱え込んでいた」というものがあるからです。田中は大酒飲んで酔っていたそうです。

「迷惑をおかけした」の部分に、違う訳を使えばよかったのです。せめてもう少しまともな謝罪の意味を表す訳を使うべきでした。「多大のご迷惑をかけた」という田中の表現は、日本語では深い反省の意味を表現しているわけですから、それに見合う訳が必要だったわけです。それなのに「迷惑」という言葉を直訳風にしてしまった。

「うっかり迷惑かけて、深く反省します」では前と後ろの表現がつながりません。

田中は「日本では申し訳ない、もうしないといった非常に強い気持ちなのだ」と再度中国に説明します。結局、共同声明では「中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と書くことで決着します。

毛沢東は田中に対して「(周恩来総理と)もうけんかは済みましたか。けんかをしてこそ、初めて仲良くなれるものです。」と語ったと言われています。「わりとまとも」です。一方、毛沢東はこの頃、文化大革命という世紀の悪政を行ってもいました。「文革」です。周恩来総理は重篤な病気でしたが、文革を主導する毛沢東夫人ら「4人組」との「抗争」に体を張っていました。1976年に亡くなります。

政治家ですから「善悪両面」を持っていますが、概して今に至るまで中国の指導者の中では国際的評価が高い人物です。どうみても毛沢東よりは優れています。

さて、田中角栄。今は「伝説」が流布していますが、総理在任はわずか2年ちょっとです。1974年12月。日本列島改造論、狂乱物価・オイルショック、最終的な支持率は10%ぐらいでした。ロッキード事件は1976年ですから、この事件で退陣したわけではありません。

彼のライバルは福田赳夫でした。財務のプロで「財政均衡論者」です。今の時点ではまだ戦後最長の総理である佐藤栄作(現総理の祖父の弟)は、福田赳夫に総理を禅譲するつもりでしたが、田中派が独立し、総理になったという経緯があります。

山陽新幹線計画(佐藤総理の地元山口を通る)を巡っては、推進する田中に佐藤は反対していました。
「でも総理の地元も通るのですよ」
「誰が乗るのだ。タヌキでも乗せるのか」
という会話があったとされています。

話戻して、結局田中は狂乱物価対策で福田赳夫を大蔵大臣として起用します。
福田「なら日本列島改造論はもうひっこめてくれ」
田中「あれはおれの一番看板だから、オイルショックが」
福田「違うよ。列島改造が問題なんだ。おれの財政政策に口だすな。それなら引き受ける」

こういう感じの経緯があって、福田は大蔵大臣を引き受けます。そこから福田は「無駄な予算」をビシバシ削ります。「鬼の如き気迫」があったそうです。

1974年、立花隆の記事が契機になって「金脈問題」が発生します。
狂乱物価、オイルショックで落ちていた田中の支持率はさらに落ちます。

金脈問題を受けて、派閥の長だった三木や福田が大臣を辞任。そして田中の退陣です。

田中は退陣後、自民党離党後も隠然たる勢力を持ち「目白の闇将軍」と言われました。しかし旧田中派でも造反がおきます。ダイゴの爺さん、竹下が田中の反対を振り切り旧田中派をまとめて総理になります。

角栄さんが故人であることを考え、「いいこと」も書きますと、中国では今でも日本の「友人」として尊敬されているそうです。また中学出だったことから「今太閤」と言われ、就任時は大変な人気がありました。