海道龍一朗・小説「我、六道を懼れず 真田昌幸連戦記」
前編・後編とありますが「厚い本」です。重い。
なんと表現したらいいのだろうか、とっても「古い作風」なのです。古い?というのは失礼でしょうか。
でも「重厚」というわけでもないのです。
「偉人伝」なのですね。真田昌幸を描く場合にも「表裏」の面白さはあまり描かないのです。
とにかく全員が「筋目を通す人」なんです。
じゃあクダケタ書き方ができないのかというと、恐らくできます。秀吉なんぞは随分クダケタ感じで書いているからです。
でも真田昌幸はあくまで「筋目を通す人」です。
変に新解釈を加えてない点はいいのですが、真田昌幸をあくまで「筋目を通す人」として描くというのは「一種の新解釈」です。
固くるしいと言えば、固苦しい作風です。武将には全部「殿」がつく。義経なぞに至っては「義経公」などと書いています。
面白みはありませんが、まあ悪くはない本だとは思います。
前編・後編とありますが「厚い本」です。重い。
なんと表現したらいいのだろうか、とっても「古い作風」なのです。古い?というのは失礼でしょうか。
でも「重厚」というわけでもないのです。
「偉人伝」なのですね。真田昌幸を描く場合にも「表裏」の面白さはあまり描かないのです。
とにかく全員が「筋目を通す人」なんです。
じゃあクダケタ書き方ができないのかというと、恐らくできます。秀吉なんぞは随分クダケタ感じで書いているからです。
でも真田昌幸はあくまで「筋目を通す人」です。
変に新解釈を加えてない点はいいのですが、真田昌幸をあくまで「筋目を通す人」として描くというのは「一種の新解釈」です。
固くるしいと言えば、固苦しい作風です。武将には全部「殿」がつく。義経なぞに至っては「義経公」などと書いています。
面白みはありませんが、まあ悪くはない本だとは思います。