散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

見直される戦国武将たち・相変わらず見直されない戦国武将たち

2019年03月16日 | 戦国武将
昔は「愚将」と言われていたのに、今は「そうでもないぞ、いや結構名将かも」と言われている人は、考えつく限りでは以下の人たちです。

・今川義元

・武田勝頼

・織田信忠

・浅井長政(信長に抵抗した気骨が評価されることがあります)

・北条氏政(彼はまだ愚将扱いかも、でも見直しは始まっています)

・豊臣秀頼(体が大きく、ナヨナヨしてなくて、普通の人程度に賢かった程度の見直しです)

「それほどひどい武将でもなかったかも」となると、「小早川秀秋」がいます。映画「関ケ原」なんぞはそういう扱いでした。ただし「真田丸」は旧来の扱いでした。個人的には「裏切り金吾」は「裏切り金吾のままでいて欲しい」と思います。

「あまり話題にならなかったのに名将扱いとなっている」のは「大谷吉継」でしょう。真田信繁の義父という点でも「得をして」います。

「普通の人なんだぞ、いやとんだサイコ野郎だぞ」という集中攻撃を受けているのは「織田信長」です。でも彼は「頑丈」です。そういう集中攻撃に負けている感じがありません。

秀吉は、政治がからむと「東アジアの新秩序を建設しようとした」とか言われます。まあ違いますけどね。

政治がからまないと、秀吉には「昔の人気」はありません。「今太閤」なんて言葉も死語になってしまいました。なにかというと「本能寺の黒幕」にされます。いい迷惑でしょう。

次に「見直す」としたら「次の人々」です。

・朝倉義景

・宇喜多秀家

・六角承禎

・毛利輝元

・三好長慶と三好三人衆

・穴山梅雪と木曾義昌

三好長慶は実績がありますから、比較的簡単でしょう。でも他の人々の「名誉回復」は相当難しいでしょう。でも近頃の学者さんは「どんな無理をしても定説を覆す」ことを「出版社から要求されて」いますから、こういう人たちも今に「見直しが始まる」かも知れません。

幸福な人生を送った戦国武将、ランキング。

2019年03月13日 | 戦国武将
幸福な人生を送った戦国武将、個人的ランキング・徳川家臣は除く(つまり本多忠勝や本多正信、井伊直政などは除く)

1位 豊臣秀吉と「ねね」

豊臣家は滅びますが、それは秀吉死後です。秀吉は織田時代も、本能寺後も「やりたい放題」の人生です。挫折がないのです。「我が子を殺した」なんてのもありません。「甥の秀次は殺して」ますが、それによって心に傷を負った感じもありません。
最後の最後に「秀頼を残して死にたくない」となりますが、そりゃ「死にたくない」のは誰だって同じです。家康だって信長だって「死にたくなかった」でしょう。

とにかく「生きているうちは成功の連続で、天下人になってからは金も城も女も家臣の命も自由自在」。1位だと思います。63ですから長生きでもありました。

ちなみに奥さんの「ねね」。徳川時代は高台院として幕府の保護を受けます。80歳ぐらいまで生きました。

2位 徳川家康

苦難の連続とか言いますが、他の戦国武将に比べればましです。それに75まで生きました。当時としては超長生き。長い病気とかもありません。

結局天下を手にして、満足して亡くなります。74ぐらいで大阪の陣に出陣していますが、逆に言えば「それほど元気だった」わけです。

ただ長男を殺しています。正妻も殺しています。それを気にしてもいました。そこがマイナスです。

3位 織田信長

「残念、無念」なのは「死に至るまでの1時間」ぐらいです。
それまでは「やりたい放題」の人生です。彼自身は幸福だったと思います。もっとも彼のせいで不幸な死を迎えた人間は数知れません。
弟を殺してますが、別に気にしてなかったようです。とにかく「本能寺」の寸前まで、成功続きの幸福な人生です。

4位 真田信之

信繁(真田幸村)の兄です。松代藩藩主。約10万石です。4位にしたのはとにかく「現役で長生き」だからです。病気がちではあったものの、現役として93歳まで生きます。当時としては妖怪のごとく長生きです。75歳で亡くなった家康が「驚くほど長生きした」と言われた時代です。93で、しかも現役です。ただし、晩年、お家騒動があったのはマイナスです。

5位 細川幽斎・細川忠興親子

細川といっても支流で名門ではありません。小大名ながら織田→豊臣→徳川と生き抜き、結局は熊本54万石です。
苦労は多かったと思いますが、そりゃ他の武将も同じです。幽斎は77歳まで、忠興は83歳まで生きました。マイナスはガラシャの死かなと思います。

6位 真田信繁(幸村)

6位ではないかな、とは思います。14年間ぐらい九度山に流されています。ただ「生涯に二回ぐらいしか戦っていない」のに、日本一のつわもの、とか言われます。
生きているうちに「幸福だ」と思ったことはないかも知れません。「亡くなった後が幸福な人」です。

7位 前田利家・金沢藩

織田では柴田勝家の「与力」です。23万石程度でした。秀吉の時代になって、徳川への「重し」として「友達だった秀吉」から80~100万石をもらいます。徳川時代も約100万石をキープします。亡くなったのも60ぐらいですから、当時としては長生きです。正妻のおまつさんも有名で、利家死後、加賀100万石は彼女が支えたと言われます。気になるのは「幕末、100万石を持ちながら、特に大きな行動は起こさなかった」点です。

8位 黒田長政・如水

親子そろって才能があったという家です。結局福岡52万石です。両名とも50代後半に亡くなっています。平均以上は生きました。

9位 加藤清正

秀吉の小姓から熊本52万石です。死後の名声も得ました。マイナスなのは50歳で亡くなったこと。そして加藤家が二代で改易されたことです。

10位 伊達政宗

天下なんぞ狙ってなかったと思います。秀吉下でも徳川下でもうまく生き抜いたと思います。70歳と長生きもしています。

11位 藤堂高虎

そもそも豊臣秀長の家臣でした。その後徳川家康に近づきます。家康側近にもなります。そして32万石です。75歳ですから非常に長生きです。

その他の候補者

山内一豊・池田輝政・蜂須賀小六・上杉景勝・武田信玄・上杉謙信・北条氏康など。毛利元就も候補ですが、前半生にあまりに苦労が多いかなと思います。

滝川一益・北条氏政・足利義昭

2018年12月16日 | 戦国武将
滝川一益・北条氏政・足利義昭、、「大河ドラマにはよく出てくるけれども、絶対に主役にはなれない人々」です。むろんそういう人物は他にも大勢います。

北条氏政は大河「真田丸」においては「主役級の一人」でした。高嶋政伸さん演じる北条氏政は「煮ても焼いても食えないような」人物に設定され、またそれを高嶋さんは好演しました。「怪演」とも評されました。

北条氏政の「愚鈍さ」を表すエピソードであった「茶漬けの茶の量を調整できない」という逸話も、三谷氏によって解釈を変えられました。

氏政は登場時からずっと茶漬けを食っているわけです。「こうして少しづつ湯をかけながら、少しづつ(侵略していく)のがわしの流儀じゃ」と言いながら食います。家康や昌幸の説得も受け入れず「あくまで関白に抗して死を選ぶ」人物として、初めて北条氏政は「主役級」になりました。個人的には草刈さん演じる昌幸の次に魅力的な人物だと感じました。

それまでの氏政と言えば、小田原評定で「ただ困っているだけの太った人物」でした。

真田丸においては滝川一益もかなり「人間味をもって」描かれました。

織田家には方面司令官は数人しかいません。

・柴田勝家
・滝川一益
・羽柴秀吉
・明智光秀
・丹羽長秀

の5名ぐらいです。前田利家などは与力に過ぎません。これに加えて「織田家当主の織田信忠」「織田三七信孝」そして「織田信長自身」の計8名ぐらいです。

滝川一益が相当な人物であったことが分かります。

が、ドラマでは「関東で負けて清州会議にも遅れる。または出してもらえない」人物として描かれるのが常でした。ただし「真田太平記」では「相当な武将」として描かれています。

結局秀吉によって殺される、わけでもありません。本能寺の変より数年生き、62ぐらいで亡くなります。晩年は秀吉の外交係になり、3千石。子の一時は1万2千石を与えられています。滝川家は江戸幕府においては減俸されたものの旗本です。

足利義昭は京都追放後毛利を頼り、鞆幕府なるものを開いて色々やります。ところが秀吉政権下においては将軍職を辞職。秀吉のお伽衆となり1万石。さらに准三宮という名誉も与えられました。

北条氏政は切腹します。しかし滝川一益や足利義昭は没落したわけでもなく、結構幸福な晩年を送っているのです。