散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

古代宇宙人はどこへ行った?「未来の記憶」または「神々の戦車」

2017年08月31日 | 日記
古代宇宙人技術貸与説は本質的な欠陥をはらんでいて、その宇宙人は今どこにいるんだ、が分かりません。

古代人に技術を教えたなら、現代人にも教えてくれてもいいでしょう。恒星間移動ができるなら、まだ技術力は彼らの方が上です。

というか、宇宙人が古代人に技術を教えた証拠とされるもの、はほぼすべてが完全に否定されています。

夢物語としては面白いんですけどね。

巨石文明が宇宙人の仕業なら、大坂城の石垣だって宇宙人でしょう。でも違います。人力であの石垣は作れるのです。

70年代にデニケンという人が超古代文明説(宇宙人が教えた説)を唱え、角川春樹が積極的に彼の書物を売ったことで日本でも超古代文明プチブームが起きました。

特に「未来の記憶」は子供にとっては面白かったように思います。子供には、です。僕も文庫を持ってました。結構何回も読みました。

わが自治体の公立図書館では一冊だけ残っていて、前に借りましたが、大人になって読むと全く面白くありません。

インドには絶対にさびない鉄がある、宇宙人の遺産だとか言います。でも日本刀だってちゃんと手入れしていれば数百年たってもさびません。

デニケンの書物の原題は「Erinnerungen an die Zukunft」のようです。

これを日本語訳したのが「未来の記憶」なのか、その辺が分からないのですが、なるほど翻訳検索をかけると「将来の想い出」となりますから、「未来の記憶」という日本語タイトルは正しいことになります。

一方で英語だと「神々の戦車」となっていて、これが原題だという人もいます。全く違う書物なのか、英語タイトルをつけるとき、神々の戦車になったのか。まあよく分かりません。

はるかに大昔でもないのですが、超古代文明のプチブームが起こったころは、まだプレート移動説すら定説になっていなかったと思います。

だから超古代文明の拠点はアトランティスだったり、ムー大陸だったりしました。ついでにレムリア大陸というのもありました。「ムー」という本はまだ定期発行されいるのかなあ。

徳川秀忠は恐妻家じゃなかったんじゃないか。

2017年08月30日 | ドラマ
徳川秀忠は正式な側室を持たなかったということで、恐妻家とされています。

その怖い奥さんは「お江」です。淀君の妹で、などと説明しなくても一応大河の主役になってますから、みなさん周知の「お江」です。

一方で「かわいそうなお江の身の上を思って、側室を持たなかった」という「優しい旦那説」もあります。

大河「江」。きちんと見てません。6月ぐらいで「これ以上は無理だ」と思って見ませんでした。

だから秀忠の扱いも分かりませんが、向井理さんが演じてました。やけにクールだったような気がします。

大河「江」。最低というより無茶苦茶が過ぎて「気味が悪い作品」なんですが、調べてみるとちゃんと「最低作品賞」も受賞しているようです。

そりゃそうだ。ひどすぎて作品を批判する気すら起きません。狂気の沙汰の作品です。

柳生もので、蟹江敬三さんが秀忠を演じたことがあって、あれなんかは良かった。家康が死ぬと「ついにくたばったか、あの狸じじい」とか言ってました。

船越さんのケースなんか見ると、怖い奥さんは本当に怖いな。怪談の数百倍怖いな、とは思います。

でも「江」なんて何の後ろ盾もない女です。当初は秀吉の後ろ盾がありましたが、当然なくなります。ただの浅井長政の遺児です。怖いかな?と単純にそう思います。

恐妻家じゃなかった、に別に根拠はありません。でも怖くないでしょ、彼女の身分から考えても。お市の娘で織田系でもありますが、秀忠にとって織田なんて主筋でもなんでもありません。

あまり男子を作りたくなかった。特に側室系の男子を持ちたくなった、のではないかと思います。プラス大奥の混乱も面倒だった、お江VS春日局で十分に混乱しているわけですから。

「江」は多産なんですね。たまたま男子は二人でしたが、全部男子だったらそれだけで5人か6人です。

男子が多いことは子孫を残すぶんにはいいですが、非常に厄介というのは、親父家康の例で分かっているはずですし、何より彼には二人も兄がいました。

長兄は早くに親父によって死を命じられていますが、次兄の結城秀康は秀忠が将軍になった段階では生きています。その他弟も沢山いました。

まあ当時は子供が大人まで成長する「確率」が非常に低いので、「男子を作りたくなかった」という私の説もあまり説得力はない、と自分でも感じますが。

でも結果としては「家光」と「忠長」という「二人しかいない男子」でさえ、確執を深め、ついには忠長は切腹ということになります。

周知のように秀忠にはもう一人、男子がいます。家光の弟ですね。

でも庶子だったので、徳川姓も、松平姓さえ秀忠は与えません。(制度的な側面もあるようです)

でも結果としてはこれが大成功でした。

彼は保科家に育てられ、保科姓を名乗り、将軍の弟だという身分を主張することは決してありませんでした。

言わずもがな、保科正之です。家臣として家光に重用され、家光亡き後は4代家綱の幕閣となりました。江戸期のおいて最も卓越した政治家と言われています。

会津藩の藩祖でもあります。生涯松平姓は名乗りませんでした。会津が松平になったのは3代目からのようです。

もっとも保科正之はあまりに兄ではあるが何よりも主君である徳川家光に信頼され、愛情を受け、そのあまりに徳川宗家に対して恩義や愛情を持ちすぎました。

その会津藩の「徳川愛」が、260年後に会津武士を追い詰めることになります。会津だって徳川宗家と同じように恭順していたのですが、なにせ新選組の雇い主です。

薩長がどうしても許さず、あの悲惨な会津戦争になっていきます。

なんだか恐妻家話からいつの間にかズレてしまいましたが、まとめようもないので、終わりにします。



真田家は何故譜代並みなのか。

2017年08月30日 | ドラマ
真田家、というのは幸村家ではなく、兄の信之家のことです。松代藩ですね。

なぜ譜代並みなんだろう?というのはなんとなく疑問に思っていたことです。調べてみました。

真田家は真田信之の段階でも徳川の家臣ではありません。秀吉によって徳川につくように命じられた与力です。与力は協力者であって家臣ではありません。

たとえば大河「功名が辻」では、山内一豊が信長存命中も、まるで秀吉の家臣のように表現されていましたが、「信長存命中は」違います。やはり信長によって命じられた秀吉の与力です。

大河「功名が辻」では「秀吉様」なんて呼んでましたが、どうなんでしょう。与力にそんな呼ばせ方をして「あたかも主君」のように振舞ったら、秀吉の首は信長によって飛ばされるはずです。

筆頭家老の柴田勝家だって果たして与力から「柴田様」と呼ばれていたかどうか。ドラマなどではよく「おやじ殿」とか呼ばれています。

昔の考証がしっかりしたドラマだと山内一豊は、秀吉を「木下殿」とか「羽柴殿」とか呼びます。与力だから本能寺前はそう呼んでいたと思えます。

譜代大名というのは、関ケ原前から徳川の「家臣」だった家です。真田信之は家臣ではないので、いくら徳川に対して忠節があっても譜代ではないのです。外様です。

なるほど信之は徳川に功績があり、しかも90過ぎまで生きて、尊敬も集めました。さらに妻は本多忠勝の娘です。だから「譜代並み」なのかというと、そうでもないようです。

これはドラマですが、「真田太平記」などでは「秀忠にひどく恨まれていた」ことになっています。譜代並みなんてとんでもない、という描き方です。

ではどうして譜代並みになったのか。

真田家の家系を考えると、途中で信之の男系の血筋は絶えてしまいます、のち女系の血筋も絶えると思います。

男系の血筋が絶えた時に(18世紀末ですから幕末に近づいていく時期ですが)「井伊家」から養子を迎えて当主とします。

大老格である井伊家の血が入ったから「譜代並み」、、、とそう簡単にはいきません。養子縁組があるたびに「家格を変えて」いたのでは、わけがわからなくなります。

どうやらその次の養子、真田幸貫がキーマンのようです。考えてみるといつの間にか「幸」の字が復活しています。

この人、松平定信の子なんです。松平定信は「寛政の改革」で教科書にも出てくる人で、田安宗武の息子です。で、田安宗武というのは8代将軍徳川吉宗の次男です。

田安宗武は、出来のいい次男で、出来が悪く言葉がはっきり話せない嫡男、9代家重に代わって将軍になろうと(または周りがしようと)し、かえって吉宗に疎まれて何の功績も残せなかった、とまあ「通説」ではそうなっている人物ですね。

徳川吉宗の次男(田安宗武)の子(松平定信)の子(ひ孫)が養子(当主)になったから、譜代並み、かというとそんなことにもなりません。

だいたい田安宗武は徳川吉宗の子ですから譜代じゃありません。将軍の家族、御三卿です。(田安家の初代当主)。御三卿は政治に参与できないので老中にすらなれません。

田安宗武の子である松平定信が老中になれたのは、親藩である奥羽松平家の養子になっていたからで、田安家を継いだら老中にはなれません。老中より家格がずっと上だからです。

真田家は何故譜代並みなのか。

結局答えは松平定信の子である真田幸貫を老中にしたかったからということになります。真田幸貫は実際老中になります。真田家から老中が出ているのです。

でも老中にするためには家格を「譜代並み」にしなくてはいけません。だから譜代並みなわけです。譜代並みだから老中になったわけではなく、老中になったから(当主を老中にするために)譜代並みになったのです。

彼を老中にしたのは天保の改革の水野忠邦です。もうほとんど幕末ですね。幕末前夜。だから最後の最後に譜代並みになったのであって、江戸時代を通じて、真田家は、ほとんどの時期は外様だったのです。

幕末は官軍になりますが、それは当然で、真田家は本質的には外様だからです。もっとも尾張徳川家も井伊家だっていち早く官軍になっていますから「外様だから官軍」という言い方は正確には間違いですが、。

信長と光秀 「その為には仏も死ね」「信長は魔神か」

2017年08月28日 | 織田信長
「信長は魔神か」

これはドラマの中での明智光秀のセリフです。舞台はむろん延暦寺焼き討ちです。

「まじん」ではなく「ましん」と発音しています。

光秀は延暦寺焼き討ちを「いさめた」ことになっていますが、史実としてはどうなんでしょうか。

焼き討ちの後、光秀は坂本築城を許されています。散々逆らった光秀に恩賞なんてことはあるのでしょうか。

まあ史実はともかく、ドラマでは「逆らう」「諫める」のです。

ある小説では、信長は最初なんだか分からず、ポカンとした、ことになっています。

不思議そうに、「光秀、仏像とは、あれは木と金(金属)で人間が作ったものだぞ」と逆に光秀に質問するのです。中学の頃、このセリフが僕は好きでした。

ドラマ「国盗り物語」ではこんな風に言います。

「(悪人とは)叡山の坊主どもよ。僧でありながら、僧刀を携えて殺生を好み、女人を近づけ、学問はぜず、寺の本尊を拝まず、仏の宝前に供華灯明さえあげずに、破戒三昧の暮らしをしている。そういうやつらの国家鎮護に何の験があるか。」

「うぬが事ごとに好みたがる、古き化け物どもを叩き壊し、すり潰して新しい世を招き入れることこそ、この信長の大仕事よ。その為には仏も死ね。」

信長VS光秀のシーンとしてはこれが「定番」で、あとはこれの変化形のような気がします。

同じ司馬さんの原作である「功名が辻」。前にも書いたように原作では信長は一切登場しないのですが、仲間由紀恵さんの大河「功名が辻」ではむろん登場し、舘ひろしさんが演じました。

正直、声がこもっていて好きじゃなかったのですが、やはり

「うぬが事ごとに好みたがる、古き化け物どもを叩き壊し、すり潰して新しい世を招き入れることこそ、この信長の大仕事よ。」

というようなセリフを言っています。ただし「そのためには仏も死ね」はありませんでした。時代というものでしょう。

そもそもドラマ、大河「国盗り物語」は斉藤道三のこのようなセリフから始まります。

「乞食同然の天子(天皇)になりたいとは思わぬが、将軍、いやそれが無理なら、せめて一国一城の主になりたいものだ。人間望んで望めぬものでもあるまい」

このセリフの前半部分は今は無理ですね。NHKがクレームで倒れてしまいます。これも時代というものです。

話戻って信長。上記が「中世の破壊者としての信長像」の代表的シーンです。前に書いたように、奇妙な情熱をもった新説好きのつまらない学者が必死になって否定しようとしているイメージでもあります。

僕がそういう学者さんを嫌うのは、主には「つまらない」からです。それでは「つまらない」。

「信長は魔神か」

やはり光秀には「驚きと畏怖恐怖をもって」、このセリフを言ってほしいと思います。

以下蛇足。

おんな城主直虎の信長は市川海老蔵さんのようです。歌舞伎界の中心役者(次代の市川團十郎)を起用するのだから、なんとか「人間五十年の舞」をきちんと舞わせてほしいものですが、「桶狭間のシーン」などを考えると、たぶん舞わないでしょうね。まるで「いじわる」をされているような感じすらします。

朝日新聞で何故か「万世一系」の特集

2017年08月28日 | 日記
万世一系というのは、「信じるか信じないかはあなた次第」の問題で、

僕のように「少なくとも継体天皇に万世一系を適用するのは無理だろ」と思っている人間であっても、「信じている人」を論破しようとは思いません。

どうぞご自由に信じてほしいと思います。

万世一系によって天皇権力が大きくなり何か弊害があるというなら別ですが、いまさらそんな事態も起きそうもありません。

今の総理のように暴走傾向が強い人間が首相の場合、天皇がいることは一定の重しともなるはずです。

ところで、

右翼的傾向が強い人にとっては「偏向新聞でおなじみの朝日」が、なぜか小特集をしています。

まあ、男系相続、女性宮家、女系相続の問題がありますから、朝日としては小特集などしているのでしょう。

内容はまあ平凡で、学者の説を紹介している感じです。むろん神武の実在を信じている学者さんはほとんどいないでしょうから、そういう説は載っていません。

5世紀以降ならあり得るという学者の説を紹介などしています。

つまり5世紀前はあり得ないということなんですが、そう「はっきりと否定する」のも面倒だと思ったのか、はっきりと否定はしていません。

でも読めば、つまり5世紀以前はありえない、と書いていることは明白なんですが。

12世紀の鳥羽天皇は、自分の子として産まれた崇徳天皇が、「じいさんの子」だと思っていたようです。「叔父子」などと言っています。

その真偽はどうでもよくて、つまりは「そういうことが起り得る状況があった」ことが重要です。「性の管理」がありませんから、そういう事態だって起りえたのです。

万世一系、特に男系相続に「神がかり的にこだわる」知識人の「脳の状態」が私にはわかりませんが、これは馬鹿にしているわけでもなく、本当に分からないし、不思議なのです。

女系天皇だと小馬鹿にされ、男系だと尊敬される、なんてこともないでしょう。つまりは伝統だから、なんでしょうが、一方で経済至上主義による伝統破壊にはそんなに関心がないような人もいます。

男系でも今の皇太子なんてネットで散々悪口を書かれています。天皇制に関して極めて客観的な私でも、「なんとなくかわいそう」になるほどです。

別に女系であっても、いや女系女性であっても、法律を遵守して(憲法ではなく法律と書くのは今のところ女系も女性も憲法違反だから)、象徴としての仕事をし、象徴からはみ出すような行動をしないなら何の問題もない。

私はそう思います。



中学校の七不思議 もしくは黄金風景

2017年08月28日 | 日記
私の中学は墓地の傍にあって、お決まりのように七不思議というのがありました。

ただし、ほとんど覚えていません。一つだけ覚えているのは、マネキンが動くというものです。

マネキンは新入生に制服を紹介する3月のみに使われて、あとは倉庫に置いてあるのです。

何故かその倉庫が「出入り自由」で(これの方が不思議です)、よく肝試しに見に行ったりしました。

ある日本当に動いた、ことになりました。本当は全く動いてないのですが、誰かが「動いた」といい、びっくりして逃げたのです。

逃げた、のが恥ずかしいので、みんなで「本当に動いたことにしよう」ということになり、一時学校が騒然となりました。我々の嘘によってです。

まあ平和でしたね。

「いじめ」も特にひどくはなかったし、不良グループはいましたが、なるべく接近しないようにしていれば何の被害もありませんでした。

不良って、少なくともあの頃は、一対一だと、特に暴力的でもないのです。「みんなの前」だと何故か虚勢を張ります。そういう習性を押さえていれば、被害を受けることはありませんでした。

それに親のおかげで私は腕力だけは強く、今も昔も小心者ですが、柔道大会などでは結構上に勝ち上がったりするものですから(柔道を左右する組手では腕力が大切なのです)、

普段は「勉強めがね」と思われていたようですが、不良も僕にやられたりしたら「みっともない」と思ったのでしょう、一切ちょっかいは出してきませんでした。

そのうちに3年になり、高校受験も終わり、その後の一カ月が「お気楽」というか、教師も授業に力は入れないし、遊びに学校に行ってたみたいなもんで、ああ平和だったなーと思います。

ただその一カ月で、今考えると不思議なことがありました。

担任からA子さんの「学校内家庭教師をしろ」と頼まれたことです。

A子さんは勉強が強烈に苦手で、「せめて漢字ぐらい読めるようにして卒業させてやってくれ」と担任が頼むのです。

僕より成績のいいやつはクラスに何人もいました。だから当然断ったのですが、担任に言わせると僕は「教え上手」なんだそうです。

まあそこは生意気でも中学生です。「ついおだでに乗って」、引き受けました。

「なんで分からないんだと怒らない」が条件で、今考えると、滅多に怒らない私の性格に担任が目をつけたのでしょう。

A子さんはずっと私の隣の席に座って、それで漢字を教えるのです。思春期といっても別に全ての女子に対して羞恥を持ったりはしないので、私は「厳格な教師」になって教えました。

そのうち、漢字を教えているだけでは「つまらない」と思い、期末テストの解説を始めたりしました。

するとA子さんが言うのです。「教師は間違えさせようとしていじわるでこんな問題を作ったに違いない」と。

それは「指示語が指し示す内容が、通常のように指示語の前にある、のではなく、指示語の後にある」という問題でした。まあ「いじわる」と言えばそうです。

A子さんはさらに言います。「こんないじわるな問題、分かるやつがいるわけない」と。

たぶん半分以上の生徒は正解していたと思います。私はA子さんにそのように言い「ちなみに僕も正解している、ほら」と解答用紙を見せました。

A子さんは虚空を眺めるような表情で僕を見て、そしてこう言ったのです。

「あんた、馬鹿じゃないの」

僕は「世の中にはいろいろな感性をもった面白い人間がいる」と思い、初めてA子さんに対して愛情というか、興味のようなものを持ちました。

なるほど、こんな「いじわる」な問題を正解したぐらいで「頭がいいだろ」と思っている人間の方が人としてレベルが低いのかも知れない。

むろん明確に言語化してそう思ったわけではないですが、なんとなくそんな気持ちになったのです。読書の毒を知った今となっては、ますますそのように感じます。

A子さんはきっと普通の奥さんになって、幸福な人生を送っていると思います。



タイと近代国家の成立について

2017年08月28日 | 日記
タイと日本は列強による全面的な植民地化を免れたアジアで唯一(唯二ですが)の国です。

日本については近代的軍隊を持っていたからだといわれますが、タイについては「列強の緩衝地帯だったから」などと説明されます。

どうなんでしょう。

1932年には立憲君主国家になっていますし、その前も様々な改革が行われています。国民国家だったから、または近代国家だったから、でいいように私は思います。

「国民国家」というのは便利ですが、意味が様々に使われる言葉です。

高橋和夫さんは「中東で国といえるのはエジプト、イラン、トルコの3つしかない」と書いています。国民国家と言えるのはこの3つだ、とも言っています。

後の国々は(イスラエルは分かりませんが)、「国もどき」なんだというのです。その代表がサウジアラビアで、国民国家とは到底言えないと言っておられます。

日本だって江戸時代までは「国もどき」なんて書くと、色々言われるでしょうが、たとえば「私は日本人だ」と考えていた人は多かったでしょうか。

薩摩の人間は薩摩人と思っていたでしょうし、江戸の人間は「江戸っ子」とか「幕臣だ」と考えていたと思います。

日本の防衛が危ういと指摘した外国人に対し、ある豪商が「それは武士のなさることで、私たちには関係ありません」と言った。それを聞いた勝海舟が「国民国家にしなくてはいけない」と考えた。

というのは割と有名な話です。

タイはやはり国民意識の成立が早かったと考えるべきでしょう。緩衝地帯だったかもしれないが、近代国家が成立していたので、侵略しづらかったのではないでしょうか。

国家に見えても、国民国家ではない。その典型例である北朝鮮という国を私たちは毎日話題にしています。もっとも本当に「北朝鮮人民意識」が薄いかどうかは、彼らの本音を聞かないと分かりませんが。

中国や朝鮮において「国民意識強化教育」が強いのは、やはりまだ「国民意識が不十分」であることの「裏返し」だと思います。

正直に書くと、アジア史に強くないというか、ほとんど知らないのですが、各国の「国民意識の成立はいつか」ぐらいはこれから勉強して知りたいと思います。

おんな城主直虎 あ、家康の残虐性を描いている。 「隠し港の龍雲丸」

2017年08月28日 | ドラマ
昨日のおんな城主直虎  考えてみると家康の残虐性を描いていて、ああ、「そういう方向か」と思いました。

「隠し港の龍雲丸」、、、相変わらずの言葉遊びで、元は「隠し砦の三悪人」ですね。やや分かりにくい。

堀川での徳川勢の「虐殺」を描いていました。資料は大久保彦左衛門の「三河物語」でしょうか。嘘くさい話も多い資料ですが、まあ僕は歴史学者じゃないので真贋は分かりません。

わざわざこんな残虐な徳川の歴史を大久保彦左衛門が書いたとするなら、それはまあ「自慢」ですね。今とは価値の尺度が違うのです。

まあ正確に書くとドラマ上は、今川のせいで虐殺が起った感じにもなっていましたが、番組後のナレーション「紀行」では、はっきりと「徳川が虐殺した」と「解釈するしかないこと」を言っていました。

さて、徳川家康。

時代によって彼のイメージは大きく変化してきました。

かつては「聖人」だったのです。

山岡荘八が嘘の上に嘘を五重ぐらい重ねて、聖人の徳川家康を描いた。それがベストセラーになって徳川家康は「聖人」になってしまいました。

大河「徳川家康」は彼の本が原作です。伝記としては面白いですよ。伝記なんて嘘ばかりですから、嘘と分かって楽しめばいいのです。こういうご時世ですから「道徳の教科書」のような「家康伝」も、たまにはいい、というもんです。覇道を排してひたすら王道を追い求める家康。

まあ嘘ですけどね。

かつて「春の坂道」という大河ドラマがあって、それもまた山岡荘八なんですが、あまりに嘘くさい家康なので、出演者たちが文句を言いだし、周りが説得して何とか演じさせたなんて話もあります。

戦国期において、特にまだ弱小で余裕のなかった徳川が「堀川での虐殺」を行ったとしても、それは「当時としてはよくあること」であって、特に家康が残虐だというべきではないかも知れません。

でも山岡荘八が生きていたら烈火の如く怒るでしょう。本当に「神がかり」のように「どうしても家康を聖人にしたい」らしいのです。奇妙な情熱です。

で、そのあとの作家たちはこの「聖人君子の家康」を否定します。

司馬さんなんて「さらっとした感じで」、「家康は酷薄だったから、妻を殺しても、長男を殺しても、何も感じなかった」とか書いています。

むろん司馬作品「城塞」における家康は「最初から秀頼を殺す気」です。山岡さんだと「家康は助けろと命じたのに秀忠が勝手に殺した」となります。

でも山岡説だと「どうして国松まではりつけなんだ」が説明できないのです。秀頼の長男国松は、大阪落城後、捕縛されてはりつけで殺されます。まだ子供なんですが。

「それも秀忠が勝手にやった」では、秀忠がかわいそうというか、都合よく使いすぎ、ということになります。

私の中でも、家康のイメージは変化しましたが、現時点では読書家の歴史主義者というイメージが強いですね。源頼朝を尊敬していました。頼朝も相当残酷でしたから、政治に情はいらないことを源頼朝から学んだのかも知れません。

阿部サダヲ演じる家康はどうもつかみにくいキャラですが、少なくとも「残酷さをきちんと描くつもりである」「イマイチ無能であるために、結果として残虐な行為を許してしまう人物として描く」ことは分かりました。

それは歴史的立場なのか。いや、もしかすると、この作品の脚本家である森下さんは、残虐なものに引き付けられるタイプなのかも知れません。

おんな城主直虎の脚本家  森下佳子さん

2017年08月27日 | ドラマ
おんな城主直虎の脚本家は森下佳子さんです。

よくは存じあげませんが、「仁」とか「世界の中心で愛を叫ぶ」とか、そして「白夜行」の脚本を書いています。

TV版の「白夜行」は原作とは「ほとんど違う作品」らしいのですが、となると、森下さんの創作度が高いということになります。

内容は「きつい」ですが、いい作品だと思います。いい作品というか、本当に見るのはきついのですが、心に残る作品です。

二人の男女が子供の頃から「共犯関係」に入り、親を殺し、人を殺し、人を騙し、結局破滅しますが、「ぎりぎりのところで生きていく」姿を描いています。

ユキホとリョウの物語。それに刑事がからんで、三人の濃密な関係が描かれます。ユキホが綾瀬はるか、リョウが山田孝之、刑事が武田鉄矢です。

リョウは最後に、ユキホの為に、罪をすべて背負って死んでいきます。死なれたユキホの方は、リョウの気持ちに応えるために、自首さえできず、廃人同然になっていきます。

ん、と思いました。

「罪を全て背負って愛する者の為に死ぬ」

「嫌われ政次の一生」における「政次と直虎の関係」と「白夜行におけるリョウとユキホの関係」は、(厳密に見れば違いはあるけれど)、「構図としては同じ」です。

しかも「白夜行」の主題歌は柴咲コウで「影」です。

おんな城主直虎。ホームドラマと思ってよく見もしなかった作品ですが、急に「きついシーン」が出てきて驚きました。

でも脚本が森下佳子さんなら、言わばお手の物というか、本領発揮のシーンだったと思います。

つまり今までは「仁モード」で書いていたのだが、「白夜行モード」に移行したわけです。

また「仁モード」に戻るのでしょうが、この脚本家は「きついシーン」の方がずっと得意なのではないかと思いました。



稲川さんの怪談 話芸の極み 帰れお前は!

2017年08月25日 | 日記
ナイナイの岡村さんが稲川さんの真似をしていて、「そうするってえと」という言葉を使っていました。

そういえば言います。

それから「帰れお前は」

誰もいない空間に向かって言うのです。この間もバラエティでやっていました。

やられた女性タレントさんは半泣きというか全泣きです。「そもそも急に大声が怖い」とも言ってました。ごもっともです。

落語が好きな人がいますが、私はどうもよく分からなくて、落語は味わえない。

その代わり、話芸としては稲川さんの怪談は超一流だと思っています。たぶん多くの方の評価も同じでしょうが。

怪談なんて、正直そんなに怖くはありません。

「生き人形」

最初に聴いたときは怖かったですね。たぶん「オールナイトフジ」。深夜だし、一人で聴いているし、怖かった。

でも今は全部筋が分かっています。なんなら私が語れます。

だから怖くはない。

でも「話芸として味わう」には最高です。同じ「生き人形」でも少しずつ違うのです。

短編で好きなのは「深夜に自分の頭で毬つきをする少女」。これも最初に聴いたときは怖かった。

今は話芸として味わっています。ちなみに「怖いな怖いな」とか「やだな、怖いな」とか、こういうセリフは実は稲川さんは滅多に使いません。

竹内まりやさんのこと

2017年08月25日 | 日記
久々に「眠れる森」をDVDで見ました。主題歌は竹内まりやさんの「カムフラージュ」です。

この歌は久々じゃありません。車の中でよく聴きます。

私も年を取りましたが、彼女は私よりさらに少しばかり「お姉さん」で、結構なお年なんですが、今でも完璧に現役ですね。

ウィキペディアを見たら、島根出身です。知らなかった。

デビュー当時は慶應大学出のバイリンガルで、とにかく華やかでした。島根感は全くなかったですね。

「戻っておいで私の時間」「セフテンバー」「不思議なピーチパイ」などがデビュー当時の代表曲です。

そういえば「恋人を堂々と紹介」してたことを思い出します。「私のステディはこの人」と書いてありました。なんじゃステディってと、チンプンカンプンでした。今は流石に分かります。

あのステディの方はどうしているのか。むろん山下達郎さんじゃありません。

とにかく「上品で頭のいい綺麗なお姉さん」でしたね。なんで芸能人やっているのかと不思議に思っていました。

彼女の代表曲というと「シングルアゲイン」とか「告白」とか「駅」とか言う人が多いみたいです。

実は私はほとんどそれらの曲は聞きません。

一番よく聴くのは「カムフラージュ」で一番好きな曲でもあります。次が「真夜中のナイチンゲール」。

静かなバラードは彼女風ではなく、あくまで私の中では彼女は「ポップで華やかな存在」です。あ「ナイチンゲール」はバラードですけれども。

「毎日がスペシャル」なんかは、デビュー当時の彼女の雰囲気を思い出させてくれる曲かな。

とにかく他の女性歌手とは雰囲気が全く違っていたのです。私の個人的感じ方かも知れませんが。

僕たちの森で、「眠れる森」で逢いましょう。

2017年08月25日 | ドラマ
ドラマ「眠れる森」、1998年というから、ほぼ20年前の作品です。最終回の視聴率が30%を超えました。

月日が経つのは早いもんです。もう20年か。

あれ、新参者シリーズにも「眠れる森」があったなと思って調べたら、「眠りの森」でした。石原さとみさんがいい演技をしているやつです。

戻って「眠れる森」。本当に久々にDVDを見てみました。本上まなみさんが美しい。23歳ぐらいのはずです。当時は。

登場人物が次々と亡くなって、最後はキムタクまで急死というか、突然、あまり意味もなく死んでしまいます。

どうも終わり方に納得がいかなかったので、自分なりの続編を書いて、当時はブログなんてないもんだから、ファンサイトの「掲示板」に少しずつ投稿してました。

原本を持っていなかったのですが、検索してみたら、私の書いたものを一つにまとめてくださった方がいて、

久々に自分の書いた文章(まあ小説というより続編のあらすじみたいな変な文章です)を、見ることができました。

ブログだと5年前の文章でも「自分の文章とは思えない」ことがあります。思いつきで書いているので「こんなこと書いたかなー」とか思います。

でも小説風の文章は「たしかに自分の文章だ」と感じます。それなりに頭を使って、構成を考えて書いているので、たとえ駄文であっても、しっかりと自分の文章だと感じることができます。

さて「眠れる森」

推理ものなので、あまり見直す人は多くないかも知れません。でもすべて分かって見ても、私は楽しめます。

小憎らしいのは「第一回か二回の段階で、最終回が全て描かれている」ということです。

オープニングは竹内まりやさんの「カムフラージュ」ですが、そこに流れる映像が、最終回を暗示というか、むしろ明示しているのです。

仲村トオル氏は「倒れる」、最終回では「刺されて倒れる」

本上まなみさんは「倒れこむ」、最後の方で首を絞められて死ぬ。

ユースケ・サンタマリアが木から飛び降りる。最後の方で、愛する本上まなみを殺したのち、自分もビルの屋上から飛びおりる。

キムタクが森の木にもたれて眠る。最後に電車の中で眠るように死んでしまう。

ということでオープニング映像に「最終的な人々の運命」が全て描かれているのです。ホームズならわかるかもしれませんが、ふつうは分かりません。

キムタク好きじゃないですが、この作品はいい。

僕たちの森で、眠れる森で逢いましょう。一回でいいから、実生活において手紙で書いてみたいセリフです。

お市の方を演じる女優さんはどうして「それほどは美しくない」のだろうか。

2017年08月23日 | ドラマ
信長の妹、お市の方。

一応絶世の美女ということになっているのですが、大河ドラマでお市を演じた女優さんたち、および私が記憶にある限りで民放でお市を演じた女優さんたち、

「それほどは美しくない」と思えるのですがいかがでしょうか。

むろん美醜などというのは「個人的感性」です。

が、せめてどっからもほとんど文句の出ない美人、を起用してもいいと思うのですが、そうはなっていません。

並べてみると

夏目雅子さん、真野あずささん、鷲尾いさ子さん、田中美里さん、大地真央さん、鈴木保奈美さん。内田恭子さん。そして最も最近では水原希子さん(信長協奏曲)。

夏目さんは「伝説の女優」さんですが、もともとは「健康美」系だったのです。全体の雰囲気は綺麗でしたが、顔だけでいうなら「そりゃ美しいけど」という感じです。

他の女優さんもそうですね。「そりゃ美しいけれども」、ひっくり返るような美女ではありません。

水原希子さんに至っては「あまりに現代的な美人」であるため、写真で見る限り、時代劇には「全く向いていない顔」です。

例えば「若かった頃の松坂慶子」「若い頃の大原麗子」「若い頃の常盤貴子」「今よりちょっと若かった頃の北川景子」のような「凄みのある美しさ」を持った女優さんはなぜか市を演じません。

主役級は演じないというなら、脇役から僕の好みで選抜するなら、本上まなみさん、とか、現在なら芦名星さんなんていいと思うのですが。

それはともかく、

鷲尾いさ子さんとか、大地真央さんとなると、「気の強さ」だけが目立ってしまい、美しいとか美しくないとかいう視点から見るべきではない、と言われている気さえ起ってきます。

その中にあって大河「国盗り物語」の松原智恵子さん。

総集編しか残っていないので、登場シーンは3分ぐらいですが、個人的にはひっくり返りそうになるほどの美人です。

「お前の好みの問題じゃないか」、、、まさにその通りなんですが、一応このブログを書くにあたって、ネットで少し調べてみると、やはり「どうしてさほど美しくないのだろう」

という感覚を持っている方は少なくないように思います。女優さんたち、ごめんなさい。

おんな城主直虎 嫌われ政次の一生 死刑シーンの原型というか

2017年08月23日 | ドラマ
おんな城主直虎

ホームドラマだと思って油断してましたが、前回のはりつけシーンはなかなかのものでした。

他に類型はあったかな、似たシーンが大河ドラマにあったかな、と考えてみますと、「ない」ですね。

「女が愛する男を深い悲しみの中で殺す」というシーンはない。「おんな大河」そのものがなかったのですから、「ない」のは当然ですが。

「愛する友を殺す壮絶シーン」ならあります。

「黄金の日々」

杉谷善住坊の「のこぎり引き死刑シーン」

金ケ崎退却途中の織田信長を狙撃して捕縛された杉谷善住坊は「のこぎり引き」というとんでもなく残虐な方法によって殺されます。

道を歩く人々に少しづつノコギリを引かせるのです。そうして首を斬る。徐々に死んでいく残虐な刑です。

それを知った「長年の友」であるルソン助左衛門(松本幸四郎)は、あえて「とどめをさして」、杉谷善住坊を苦しみから救います。

杉谷善住坊役が「拓ぼん」と言われ親しまれた川谷拓三ですから、普段はニコニコしている感じで、それだから一層哀しみも深まります。

壮絶なシーンでした。DVD見直す時もあまり見たくないので早送りしました。

あと

「秀吉」における「石川五右衛門釜茹で」

秀吉と石川五右衛門は「幼馴染」、家族のような関係だったという設定です。

ただし、演出がやや豪華で、それだけに悲壮感はやや弱かった感じがします。

これはちょっと毛色が違いますが「翔ぶが如く」における西郷の死。見方によっては大久保が殺した、とも言えます。

大久保の深い悲しみが印象的でした。

前回の直虎のシーンはちょっと驚きでしたが、他にほとんど類型がないので、驚いたのだと、おそらくですが、そう思います。

実写版「悪魔くん」のオープニング 我が聖なる要求に答えよ

2017年08月22日 | ドラマ
多くの子供向け漫画、特撮は「エンディングテーマが悲しい感じ」なんです。

例えば「タイガーマスク」。「強ければそれでいいんだ、力さえあればいいんだ」というあのエンディング曲は哀しすぎます。

「元祖天才バカボン」、「41歳の春だから、元祖天才バカボンのパパだから、冷たい目で見ないで」。バカボンパパは41歳なのです。これも曲調は哀しい。

まあ「秘密のアッコちゃん」なんかは違います。エンディングは「好き好きソング」。相当シュールです。

実写版「悪魔くん」。白黒作品です。エンディングはハイテンションなんですが、オープニングは「わけわからない」のです。曲かどうかもわからない。呪文です。

「悪魔くんオープニング」
作詞:水木しげる、作曲:八手穀雄、歌:水島早苗

エロイム エッサイム
エロイム エッサイム
地の底よりふみ出でて
タマハリ タムハリ カビオラス
エロイム エッサイム ダギソロモン
我が聖なる要求に答えよ
エロイム エッサイム
エロイム エッサイム

俄然として歌っている水島早苗さんに興味がでてきますが、もう故人のようです。かなり活躍なさった「ジャズシンガー」。でもこの歌はまるで呪文です。

冒頭は古井戸のシーンから始まるのです。

今、10分ぐらい「意味」を検索したのですが「タマハリ」「カビオラス」「ダギソロモン」の意味はわかりませんでした。たしかヘブライ語です。「ソロモン」はソロモン王でしょうね。

DVDで聴いてみると、たしかに「我が聖なる要求に答えよ」と言っています。

変な話ですが、ふと「自分の聖なる要求」は何だろうかと、そんなことを考えました。