しかし、実際は1971年では終わりません。田中角栄が総理であったのは1971年から74年です。田中の書いた(とされる)「日本列島改造論」はベストセラーになり、土地価格が高騰し、オイルショックもあって物価もウナギのぼり。「狂乱物価」と言われました。
つまり田中角栄が影響力を持っていた71年から80年までは「統計的には高度経済成長は終わっていた」のでしょうが、とても「安定成長期」と言えるような状況ではありませんでした。なにしろ「狂乱物価」なのです。新幹線計画を次々と打ち上げたのも田中角栄で、今走っている新幹線のほとんど(東海道を除く)は、田中の「負の遺産」または「遺産」です。
田中のことを長々と書きましたが、それなりに理由はあります。司馬さんは「土地投機」「バブル」という現象に対して極めて批判的な人でした。対談集「土地と日本人」は1976年の刊行です。
さてやっと本題。
坂本龍馬を有名人にしたのは司馬さんと武田鉄矢でしょうが、徳川家康、織田信長、新選組、秀吉、西郷などは違います。
1、秀吉、西郷の「人気」はある種の政治力が働いて、人為的に作られた。つまり征韓論を「是」とする勢力がかなり人為的に「偉人」にした。
(といっても西郷はともかく、誰がみても秀吉は凄いやつです。日本初の専制君主的存在です。)
2、徳川家康の人気は山岡荘八が作った。ウソにウソを重ねて家康を聖人君子に仕立て上げた。
3、織田信長は吉川英治である。彼が原作の「大河ドラマ太閤記」に登場した信長はたちまち国民的人気者になった。「信長を殺すな」という意見が殺到し、NHKは本当に本能寺の変を遅くした。52話の中で、本能寺は42話目である。つまり「本能寺後の秀吉」を描いた回はたった10話であった。演じたのは高橋幸治さん。知る人ぞ知る俳優さんである。
さてさてやっと本題の本題。
「城塞」において、司馬さんは徳川家康を徹底して「悪人」として描いています。これは山岡荘八がウソにウソを重ねて作りあげた聖人家康像への「批判」だと思われます。
「城塞」においては「大阪の陣」は「犯罪」とされています。大阪の陣を「企画」した徳川家康、本多正純、金地院崇伝、天海、林羅山(道春)を「ほとんど犯罪集団」と表現した箇所もあります。
それでも、その「ワル」があまりに「ワル」なので、この作品における家康はやはり主人公の一人です。悪漢小説として読めば、堂々たる主人公となります。ただし視点人物としての主人公は小幡景憲です。一応甲州流軍学の創始者とされています。しかしこの小幡に関しても司馬さんは厳しく「甲州流軍学なんてうさんくさい」とされていますし、彼もまた「犯罪の一翼を担った男」として描かれています。ただし彼の小ワルぶりは面白みがあります。一途に家康に従ったともされていません。家康を視点人物にしたら、あまりに謀略ものになり過ぎるので、やや滑稽な小幡を視点人物にしたのでしょう。もっとも物語も後半になると、視点人物としての小幡は影も形もなくなります。視点人物が存在しなくなるのです。
登場人物みんなワル、または愚人(除く、大阪の浪人武将)。というこの作品にあって、唯二?多少評価されているのは加藤清正と大阪城お女中の「お夏」ぐらいです。
(もちろん大坂側の浪人武将たちはきちんと評価されています。真田幸村、後藤又兵衛、木村重成等等。)
まとめ風に書くなら「やはり悪漢小説」です。ただし家康には「国盗り物語」の斎藤道三のような「ワルとしてのカッコよさ」はありません。深く静かにワルなのです。
時代の大変革期にあたり、人々がどう自己保身を図り生き残るか、または図ることもできず死んでいくか、また幸村たち浪人武将がいかに生きそして散ったのか、そういう「さま」が描かれており、「人生訓」と言えなくもない小説だと感じました。
とにかく面白い。ただ「家康の謀略」が凄すぎて、「多少引く」というのが、この小説を久々に読み返した私の感想です。