散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

麒麟がくる・尊王の織田信長なんて見たくない

2019年11月30日 | 麒麟がくる
沢尻さんの降板とかいろいろありますが、それでも来年1月の終わりには「麒麟がくる」が放映されます。

「保守的な信長」を描くそうです。最近の「史料の表面しか見ない浅はかな信長研究」の成果です。なにしろ「手紙」とか「相手がいるから相手に合わせて書いている」ものを、「そのまんま本音だと解釈」してしまうのです。

そりゃ誰でも彼でも「保守的、尊王的」になるでしょう。「建て前表現」をそのまま真実と解釈したらそうなる。アホです。権門体制論とか実にばかばかしい。

信長は天下=畿内の静謐を願っていた。足利家も天皇家にも尊崇の念を持っていた、らしいのですが、

☆じゃあ、どうしていきなり越前の「朝倉」を攻めるのだ。畿内じゃないぞ。

☆足利義昭と戦って「天皇のおひざ元である上京を焼き払い、計画では下京だって焼き払う」はずであった。どこが尊王だ!何が天下静謐だ!


というのが私の意見です。「将軍に命じられたから朝倉を攻めた」とか、、、おかしいではないか。とにかく「天下静謐」なんだろ。「天下静謐を乱すなら将軍にとて意見した」のだろ。

それを将軍のいうがままに朝倉を攻めたら天下静謐というウソが崩れてしまうではないか。そもそも将軍の命じゃないし。形式上そういう形をとっているだけだし。

信長は「天皇にも将軍にも神社にも」、さして尊敬の念は持っていませんでした。「貧乏天皇」と「流浪将軍」、、、、どうやったら尊敬できるのか。できるわけない。どうしたら尊敬するような人間になれるのか。むしろそっちに興味が湧くほどです。

手紙では「尊敬しているようなふり」もするでしょう。手紙は相手があるからです。公文書も同じ。でも本音は「行動によって分かり」ます。

信長の行動から判断するなら「保守的な信長」「尊王の信長」なんて全てうそです。そういうウソに依拠した作品は、将来の歴史の評価に耐えないものとなるでしょう。

麒麟がくる・実際のキャスト・キャスト予想・最新版2019年8月

2019年08月10日 | 麒麟がくる
人公は「明智光秀」、主人公並みの重要人物は「斎藤道三」「斎藤利三」「織田信長」「細川藤孝」「今川義元」「織田信秀」「松永久秀」「足利義昭」「今井宗久}と思われる。

信長と光秀が「盟友である」という設定は、NHKが公表している。信長の親の世代を描く意図、主人公たちの青春時代を描く意図も発表している。

齋藤道三の死去は1556年・桶狭間の戦いは1560年・信長の上洛戦は1568年・義昭追放は1573年・本能寺の変は1582年・関ヶ原の戦いは1600年

☆印はNHK発表なので、予想ではなく、本当のキャストです。

主人公・明智光秀関連
☆明智光秀(1528-1582 早くに両親を亡くし、祖父光継に育てられた、道三に仕え、道三死去後、信長と盟友となる、諸国を遍歴、乱世収拾の道を探る)・・・長谷川博己
☆明智煕子(没1576 あけちひろこ、光秀の妻)・・・木村文乃
妻木(実在未詳・明智煕子の妹か、信長側室とも言われる)・・・土屋大鳳
明智光継(光秀の祖父、光秀の育ての親、武芸に秀でている)・・・近藤正臣
☆明智牧(史実では名前不詳、光秀の母)・・・石川さゆり
明智光慶(史実を変更)(あけちみつよし、光秀の長男、学説では死んだ時まだ14歳であるため、それを24歳と設定する。光秀と信長の連絡係として活動したことにする)・・・神木隆之介
☆明智光安(1500-1556 美濃明智城主、明智家家督、道三正室の兄)・・・西村まさ彦
明智倫(史実では名前不詳、光秀の長女、荒木村重室→明智光春室)・・・山本美月
明智宝子(史実では名前不詳、光秀の四女、信長の従弟である津田信澄の正室)・・・橋本環奈
明智左馬助光春(1536-1582 明智秀満 光秀の女婿にして重臣)・・・山崎賢人
明智珠(1563-1600 あけちたま 光秀の三女、細川ガラシャ、細川忠興正室、関ヶ原の混乱の中で死去)・・・桐谷美玲
明智光忠(光秀の従弟、光秀重臣)・・・浅利陽介
齋藤利三(1534-1582 光秀腹心の部下、春日局の父)・・・ムロツヨシ
溝尾庄兵衛(1538-1582 溝尾茂朝 光秀重臣、光秀と共に討ち死)・・・斎藤工
☆藤田行政(1582没 光秀の古参の重臣)・・・徳重聡
☆細川藤孝(1534-1610 細川幽斎、はじめ光秀とともに足利義昭擁立に尽力する。のち織田信長に仕え、光秀の与力武将となる。古今伝授を受けた歌人)・・・真島秀和
細川忠興(1563-1646 細川幽斎の嫡子、細川ガラシャの夫、関ケ原で功を立て、肥後細川家の基礎を築く)・・・溝端淳平
京極高次(1563-1609 衰退した北近江の守護家に生まれる 本能寺後光秀に協力 のち許され豊臣家→徳川家 妻は淀殿の妹である初、妹は秀吉側室)・・・勝地涼
上泉信綱(1508-1577 柳生新陰流の祖、諸国を遍歴して、槍術、剣術を広めた。一時美濃に滞在し、光秀に槍術剣術を指南、将軍義輝の剣術信南、光秀と義輝をつなぐ)・・・真田広之
伊丹新之助(架空の人物)(商人ではあるが武術の達人、その自由な生き方が光秀に大きな影響を与える)・・・オダギリジョー
☆三淵藤英(細川幽斎の異母兄・足利義昭重臣)・・・谷原章介

☆伊呂波太夫(いろはだゆう)・・・尾野真千子、架空の人物・私の予想はあまり当たりません。しかし「架空の女性」を山崎屋いろは、と予想しました。「いろは」だけ当たっています。

齋藤道三関連

☆齋藤道三(1494-1556 斎藤利政、美濃国主、土岐頼芸より美濃を奪取した。天下取りの野望を光秀と信長に託す)・・・本木雅弘
長井新左衛門尉(生没年不詳、ながいしんざえもんのじょう、道三の父。はじめ京都妙覚寺僧侶、還俗して京の油屋山崎屋に入り婿し、その財力を背景に国盗りを目指して美濃土岐家の家臣となる)・・・松重豊
お万阿(架空の人物)(おまあ、道三父の京都の妻、道三の母ではない。京都の豪商、油屋山碕屋の女主人)・・・井川遥
土岐里子(架空の人物)(土岐家支流の娘、道三の母)・・・黒木瞳
☆深芳野(みよしの、道三の側室、もとは土岐頼芸側室、斎藤義龍の母)・・・南果歩
小見の方(1513-1551 おみのかた、道三正室、明智光安の妹、濃姫の実母)・・・広末涼子
竹中半兵衛(1544-1579 天才的軍略家、幼少時は道三の薫陶を受ける、神童と言われ12歳で道三の軍略を受け継ぐ、斎藤家家臣→信長家臣、秀吉の与力)・・・志尊淳
☆齋藤義龍(1527-1561 道三の子、実は土岐頼芸の子とされることもある、長良川の戦いで道三の首を奪う)・・・伊藤英明
赤兵衛(架空の人物)(元妙覚寺の寺男、道三の父の最古参の腹心、道三にも仕えた)・・・(華丸大吉の華丸)
☆稲葉一鉄(1515-1589 西美濃三人衆の一人、土岐家→斎藤家→織田家→豊臣家、娘は斎藤利三室、春日局の祖父)・・・村田雄浩
猪子兵助(1546-1582 いのこひょうすけ、道三の小姓、道三没落後、織田信長に仕える)・・・濱田岳
☆土岐頼芸(1502-1582 ときよりよし、もと美濃国国主・道三により尾張に追放される)・・・尾美としのり
日運上人(1484年生、美濃常在寺住職、長井氏出身、道三の父とは妙覚寺で同学)・・・温水洋一
天堂玄隆斎(架空の人物、てんどうげんりゅうさい)(道三の武術指南、槍術の達人)・・・仲代達矢
山崎屋いろは(架空の人物)(道三の父とお万阿の間に生まれた娘、道三の異母妹、やがて油屋山崎屋女主人となる。京都における信長、光秀の指南役として大きな存在感を発揮する)・・・常盤貴子

織田信長関連

☆織田信長(1534-1582 初めは道三とは対立、が濃姫と婚姻後、道三と手紙で交流、道三の野望を受け継ぎ天下人を目指すことになる)・・・染谷将太
信長については「保守的、中世的側面を強調、経済政策に優れていた点も強調される」とNHKが発表している。
☆織田信秀(1511-1552 信長の父、京都志向がある教養人にして強き武人、道三と幾度も戦うが結局美濃を奪うことはできなかった)・・・高橋克典
織田信定(没1538 清州織田家に仕えた奉行、織田信秀の父、信長の祖父、信秀の尾張制覇の野望に賛同できぬものの黙認、隠居する)・・・大和田伸也
☆帰蝶(1535生誕、没年不詳 斎藤帰蝶、濃姫、信長正室、道三の娘、母は小見の方、幼き頃は光秀に淡い恋心を抱いていた)・・・沢尻エリカ
お市(1547-1583 信長妹、浅井長政正室、淀君の母、お江の母、豊臣秀頼、徳川家光の祖母、長政没落後、柴田勝家に嫁ぐ)・・・北川景子
☆土田御前(没年1594 信長の母、息子である織田信行の謀反を心配している)・・・檀れい
織田信忠(1557-1582 信長の嫡子、幼名は奇妙丸、織田家家督を継ぐ、本能寺の変にて討ち死)・・・竹内涼真
生駒吉乃(1528-1566 いこまきつの、信長側室、信忠、信雄、徳姫の実母ということになっている、穏やかな性格で濃姫との関係も悪くない)・・・満島ひかり
織田信行(没年1558 信長弟、信長と家督を争い、謀殺される)・・・三浦春馬
織田長益(1547-1622 おだながます、織田有楽斎、信長弟、信秀の11男、茶人、東京都有楽町は彼に由来する)・・・坂東巳之助
柴田勝家(1522-1583 織田家重臣、通称権六、織田家家督に信行を推した過去を持つ)・・・市原隼人
☆木下藤吉郎(1537-1598 後の豊臣秀吉)・・・佐々木蔵之介
木下寧々(1548-1624 秀吉妻、のちの北政所)・・・夏帆
前田利家(1539-1599 織田家家臣、柴田勝家の与力武将、秀吉とも親しく、のち加賀前田100万石の当主となる)・・・山崎樹範
前田まつ(1547-1617 前田利家正室、芳春院、「加賀100万石は芳春院でもつ」と言われた)・・・瀧本美織
森蘭丸(1564-1582 信長小姓、信長より5万石を与えられた、本能寺にて討ち死)・・・加藤清史郎
夕顔(架空の人物)(信長、光秀に情報をもたらす女忍び)・・・栗山千明
丹羽長秀(1535-1585 織田家方面司令官の一人、秀吉政権で一時は120万石、その後減俸、子孫は二本松藩主となり、明治まで続く)・・・塚本高史
滝川一益(1525-1586 織田家方面司令官の一人、関東担当、秀吉と戦うも、のちお伽衆となる。子孫は江戸幕府で旗本)・・・甲本雅裕
佐久間信盛(1528-1582 織田家司令官の一人、本願寺担当、のち信長に追放される)・・・戸次重幸
池田恒興(1536-1584 織田家重臣、信長とは乳兄弟、子の輝政は初代姫路藩主)・・・窪田正孝
☆平手政秀(ひらて・まさひで)・・・上杉祥三(信秀を支える織田家老臣。信長のもり役)



戦国武将・その他
武田信玄(1521-1573 52歳で死去、甲斐の戦国大名)・・・草刈正雄
山本勘助(半ば架空の人物、甲陽軍鑑や古資料にみられるが、完全なる確証はない、信玄の軍師として高名)・・・荒川良々
武田信虎(1494-1574 甲斐国主、息子の武田信玄によって今川に追放された。信玄より少し長く生きた)・・・角野卓三
上杉謙信(1530-1578 48歳で死去、越後の戦国大名)・・・野村萬斎
上杉景勝(1556-1623 67歳で死去、上杉藩初代藩主、越後→会津→米沢、関が原により120万石から30万石に減俸)・・・玉山鉄二
☆今川義元(1519-1560 41歳で死去、駿河の戦国大名、領地経営に優れていた、桶狭間の戦いで戦死)・・・片岡愛之助
☆太原雪斎(たいげん・せっさい)・・・伊吹吾郎  
北条氏康(1515-1571 56歳で死去 相模国の戦国大名、後北条氏三代目当主、謙信・信玄と互角に戦った)・・・鈴木浩介
北条氏政(1538-1590 52歳で死去 相模国の戦国大名 後北条氏四代目当主、東国の覇者 秀吉に最後まで抵抗する)・・・市川猿之助
浅井長政(1545-1573 28歳で死去、北近江の戦国大名、お市の最初の夫、のちに信長と対立、豊臣秀頼、徳川家光の祖父)・・・賀来賢人
朝倉義景(1533-1573 40歳で死去、あさくらよしかげ、越前の戦国大名、光秀は信長と謀り、越前の状況を探るべく、一時義景のもとに身を寄せていた)・・・原田泰造
六角承禎(1521-1598 77歳で死去、六角義賢、近江の戦国大名、信長上洛戦にて敗退、その後も信長と交戦、晩年は秀吉の保護を受ける)・・・要潤
本願寺顕如(1543-1592 一向一揆の総本山石山本願寺住職、浄土真宗本願寺派宗主、10年以上信長と激しい戦いを繰り広げる)・・・伊勢谷友介
三好長逸(1573年前後に死去か、みよしながやす、将軍義輝を暗殺した三好三人衆の一人、畿内で三好政権ともいわれる勢力をほこった。信長上洛で逃亡するが、その後も本願寺と連携、信長と戦う)・・・松田龍平
波多野秀治(没1579 八上城城主 光秀の丹波攻略時の敵将)・・・相島一之
荒木村重(1535-1586 信長家臣、信長より摂津一国の経営を任される。光秀の娘と村重の息子は婚姻関係にある。のち信長に謀反して失敗、しかし生き延びる)・・・六角精児
筒井順慶(1549-1584 大和国大名、のち信長に臣従、光秀の与力となる。妻は信長の娘である)・・・柄本佑
ルイスフロイス(1532-1597 ポルトガルの宣教師、足利義輝、織田信長の保護のもとで布教、著書「フロイス日本史」を残す)・・・ピーターフランクル(数学者にして大道芸人)
☆松永久秀(1508-1577 69歳で死去、畿内を実質的に治めていた三好家の重臣、やがて主君を上回る力をつけていく。信長以前に天下統一を夢みた梟雄。)・・・吉田鋼太郎
☆足利義輝(1536-1565 29歳で死去、足利幕府13代将軍、三好三人衆によって御所で暗殺される、剣豪でもあり、多くの寄せ手を斬り殺した)・・・向井理
☆足利義昭(1537-1597 60歳で死去、足利幕府15代将軍、信長が将軍に擁立、のち信長と対立。信長包囲網の中心人物となる。晩年は秀吉の保護を受けた)・・・滝藤憲一
雑賀孫一(史実不詳)(さいかまごいち、紀州雑賀衆の頭目、またの名を「尻くらえ孫一」、鉄砲隊によるゲリラ戦を駆使して信長の雑賀侵攻を退け、「信長、わが尻をくらえ」と言い放つ)・・・椎名桔平
近衛前久(1536-1612 関白、太政大臣、信長と親交があった)・・・田中哲司
☆徳川家康(1543-1616 73歳で死去、三河遠江の戦国大名)・・・風間俊介
今井宗久(1520-1593 堺の豪商、会合衆、信長の経済戦略の要となった人物)・・・高橋一生


☆望月東庵(もちづき・とうあん)・・・堺 正章
京に暮らす医師。今は落ちぶれているが、朝廷や各地の戦国大名などに不思議な人脈を持つ。生涯にわたって光秀を導く存在になる。大の双六好き。架空の人物です。
☆駒(こま)・・・門脇 麦
光秀が京で出会う娘。医師・望月東庵の助手をつとめている。戦災孤児で、伝説のいきもの・麒麟の存在を信じている。架空の人物です。
☆菊丸(きくまる)・・・岡村隆史
光秀が美濃で出会う三河出身の農民。神出鬼没で、敵か味方かわからないが、常に光秀の危機を助ける。

言うまでもなく「予想キャスト」です。☆印は「NHK発表済み」ですから「本当」です。予想はなんだか全員が「主役級」になってしまいました。カッコ内の解説は6割ぐらいが史実です。4割は「設定」ということです。縁戚関係については故意に嘘は書いていません。間違っていたら私が浅学であるせいです。そもそも戦国の人物については、資料の正確さに問題があり、縁戚関係についてすら確定的なことを言うことはほとんどできません。主人公の光秀の前半生を、もし誠実に書くとしたら、「ほとんどわからない」ということになると思います。

大河ドラマにおける織田信長・麒麟がくる・国盗り物語

2019年06月19日 | 麒麟がくる
織田信長という武将に興味を持ったのは大昔、小学生のころのことです。「国盗り物語」を読み込みました。たぶん大河「国盗り物語」の放送と同時に読んでいたんだと思います。叡山焼き討ちの場面で「光秀、仏像とは、木とかねで作ったものぞ」という場面などをよく覚えています。

むろん大河も見ましたが、なにせ大昔なのでよく覚えていません。DVDの時代になって、総集編がでて、それでしっかり見直しました。しかし当時はビデオテープを使いまわしていたため、総集編しか残っていません。各話の断片でも覚えているかと言われれば、全く覚えていません。

しかしとりあえずはあの信長。高橋英樹さんの信長と、松坂慶子さんの帰蝶がわたしの中での「基準」となりました。カッコ良かったですね。信長も光秀も。

その後信長は「黄金の日々」に登場します。ただし主役でもなく、比較的早く本能寺となります。信長を狙撃した杉谷善住坊が鋸引きで死んでいくシーンが衝撃的でした。「おんな太閤記」の信長は全く覚えていません。その後1983年に「徳川家康」、役所広司さんです。これも覚えていない。DVDになってからは通しで見ました。

役所さんの信長はほぼ「ご存知の」といった感じです。役所さんも若いから「勢い」がありました。やたらと元気です。徳川家康が聖人君子なので余計に「元気な少年」のように見えました。ちなみに信康自害を強く命令したのは信長ということになっています。家康は「信長に命じられたからではない。わたしの判断で処分する」とか言って信康に切腹を命じます。あまりに聖人君子なので、辻褄が合わない部分も多くあります。

次は「武田信玄」でしょうか。脇役でした。桶狭間の奇襲が成功したのは「武田信玄の陰謀」ってことになってました。

次が「信長」。なんか変な作品で、人物の口調が全部同じでした。ここから「信長の自己神格化」が描かれるようになります。新しい信長像なのかも知れませんが、あれなんか変だなという印象の方が強くしました。加納随天だけが、少し違う口調で、あれは面白い設定でした。

その後が「秀吉」なんでしょうが、渡さんの信長はなんというか「普通」でした。次が「利家とまつ」の反町さん。「であるか」ばかり連発してました。

で「功名が辻」、七割は司馬さんの信長ですが、自己神格化はさらにデフォルメされていました、「もはや朝廷もいらぬ」とまで言っていました。

で「天地人」「軍師官兵衛」

そして「真田丸」と「直虎」、、、直虎の信長は「漫画みたいな魔王」でした。真田丸は五分も登場しただろうか。それでも魔王そのものでした。

麒麟がくるでは久々の「主役並み」でしょう。そうなると比叡山や一向一揆の殲滅で「虐殺ばかりしている」とまずいわけです。それで「保守的な信長」ということになっています。

朝廷も幕府も大事にするそうです。歴史学会の「流行」、あえて流行と書きますが、保守的な面だけ「切り取れば」、そりゃ保守的な像を作ることは簡単です。反論しているのは今の所本郷さんぐらいですが、この後「揺り返し」がくるでしょう。金子さんや藤田さんの説はご都合主義で「最初に結論ありき」です。

「太平記」では「尊王の足利尊氏」が描かれました。脚本は池端俊策さんで「麒麟がくる」も同じです。後醍醐との関係で「迷ってばかりの尊氏」でした。

足利尊氏は戦前は最大の逆臣でしたから、意図は分かります。信長は別に最大の逆臣ではないですが、尊王にされちゃうみたいです。

時代に媚びるという感じですが、学会の「流行」という後ろ盾があるので、納得する人も多いのでしょう。

それでも古い信長ファンは「あんなの信長じゃない」と思うでしょう。すると史実だという反論が起きますが、史実じゃないし、別に大河は史実を描いてはきませんでした。

保守性と革新性は「どの人間も持っていること」で、しかし信長公記などを読むと「やっぱり信長は革新寄り」です。保守的な側面だけを取りあげ、また「手紙」(手紙はタテマエが多い)などを証拠として「本当の信長は保守的だったのだ」と言われても、あれだけ人を虐殺した人間を「普通の人だ」と言われても、納得できません。

大蛇がいないことを確認するために、池の水をほぼ全てくみあげさせたり、親父の位牌に抹香を投げつける(両方とも信長公記に記載あり)人間が、オトナになったからと言って急に守旧派になるとは、到底思えません。

麒麟がくる・実際のキャスト・キャスト予想・最新版2019年6月

2019年06月18日 | 麒麟がくる
主人公は「明智光秀」、主人公並みの重要人物は「斎藤道三」「斎藤利三」「織田信長」「細川藤孝」「今川義元」「織田信秀」「松永久秀」「足利義昭」「今井宗久}と思われる。

信長と光秀が「盟友である」という設定は、NHKが公表している。信長の親の世代を描く意図、主人公たちの青春時代を描く意図も発表している。

齋藤道三の死去は1556年・桶狭間の戦いは1560年・信長の上洛戦は1568年・義昭追放は1573年・本能寺の変は1582年・関ヶ原の戦いは1600年

☆印はNHK発表なので、予想ではなく、本当のキャストです。

主人公・明智光秀関連
☆明智光秀(1528-1582 早くに両親を亡くし、祖父光継に育てられた、道三に仕え、道三死去後、信長と盟友となる、諸国を遍歴、乱世収拾の道を探る)・・・長谷川博己
☆明智煕子(没1576 あけちひろこ、光秀の妻)・・・木村文乃
妻木(実在未詳・明智煕子の妹か、信長側室とも言われる)・・・土屋大鳳
明智光継(光秀の祖父、光秀の育ての親、武芸に秀でている)・・・近藤正臣
☆明智牧(史実では名前不詳、光秀の母)・・・石川さゆり
明智光慶(史実を変更)(あけちみつよし、光秀の長男、学説では死んだ時まだ14歳であるため、それを24歳と設定する。光秀と信長の連絡係として活動したことにする)・・・神木隆之介
☆明智光安(1500-1556 美濃明智城主、明智家家督、道三正室の兄)・・・西村まさ彦
明智倫(史実では名前不詳、光秀の長女、荒木村重室→明智光春室)・・・山本美月
明智宝子(史実では名前不詳、光秀の四女、信長の従弟である津田信澄の正室)・・・橋本環奈
明智左馬助光春(1536-1582 明智秀満 光秀の女婿にして重臣)・・・山崎賢人
明智珠(1563-1600 あけちたま 光秀の三女、細川ガラシャ、細川忠興正室、関ヶ原の混乱の中で死去)・・・桐谷美玲
明智光忠(光秀の従弟、光秀重臣)・・・浅利陽介
齋藤利三(1534-1582 光秀腹心の部下、春日局の父)・・・ムロツヨシ
溝尾庄兵衛(1538-1582 溝尾茂朝 光秀重臣、光秀と共に討ち死)・・・斎藤工
☆藤田行政(1582没 光秀の古参の重臣)・・・徳重聡
☆細川藤孝(1534-1610 細川幽斎、はじめ光秀とともに足利義昭擁立に尽力する。のち織田信長に仕え、光秀の与力武将となる。古今伝授を受けた歌人)・・・真島秀和
細川忠興(1563-1646 細川幽斎の嫡子、細川ガラシャの夫、関ケ原で功を立て、肥後細川家の基礎を築く)・・・溝端淳平
京極高次(1563-1609 衰退した北近江の守護家に生まれる 本能寺後光秀に協力 のち許され豊臣家→徳川家 妻は淀殿の妹である初、妹は秀吉側室)・・・勝地涼
上泉信綱(1508-1577 柳生新陰流の祖、諸国を遍歴して、槍術、剣術を広めた。一時美濃に滞在し、光秀に槍術剣術を指南、将軍義輝の剣術信南、光秀と義輝をつなぐ)・・・真田広之
伊丹新之助(架空の人物)(商人ではあるが武術の達人、その自由な生き方が光秀に大きな影響を与える)・・・オダギリジョー
☆三淵藤英(細川幽斎の異母兄・足利義昭重臣)・・・谷原章介

齋藤道三関連

☆齋藤道三(1494-1556 斎藤利政、美濃国主、土岐頼芸より美濃を奪取した。天下取りの野望を光秀と信長に託す)・・・本木雅弘
長井新左衛門尉(生没年不詳、ながいしんざえもんのじょう、道三の父。はじめ京都妙覚寺僧侶、還俗して京の油屋山崎屋に入り婿し、その財力を背景に国盗りを目指して美濃土岐家の家臣となる)・・・松重豊
お万阿(架空の人物)(おまあ、道三父の京都の妻、道三の母ではない。京都の豪商、油屋山碕屋の女主人)・・・井川遥
土岐里子(架空の人物)(土岐家支流の娘、道三の母)・・・黒木瞳
☆深芳野(みよしの、道三の側室、もとは土岐頼芸側室、斎藤義龍の母)・・・南果歩
小見の方(1513-1551 おみのかた、道三正室、明智光安の妹、濃姫の実母)・・・広末涼子
竹中半兵衛(1544-1579 天才的軍略家、幼少時は道三の薫陶を受ける、神童と言われ12歳で道三の軍略を受け継ぐ、斎藤家家臣→信長家臣、秀吉の与力)・・・志尊淳
☆齋藤義龍(1527-1561 道三の子、実は土岐頼芸の子とされることもある、長良川の戦いで道三の首を奪う)・・・伊藤英明
赤兵衛(架空の人物)(元妙覚寺の寺男、道三の父の最古参の腹心、道三にも仕えた)・・・(華丸大吉の華丸)
☆稲葉一鉄(1515-1589 西美濃三人衆の一人、土岐家→斎藤家→織田家→豊臣家、娘は斎藤利三室、春日局の祖父)・・・村田雄浩
猪子兵助(1546-1582 いのこひょうすけ、道三の小姓、道三没落後、織田信長に仕える)・・・濱田岳
☆土岐頼芸(1502-1582 ときよりよし、もと美濃国国主・道三により尾張に追放される)・・・尾美としのり
日運上人(1484年生、美濃常在寺住職、長井氏出身、道三の父とは妙覚寺で同学)・・・温水洋一
天堂玄隆斎(架空の人物、てんどうげんりゅうさい)(道三の武術指南、槍術の達人)・・・仲代達矢
山崎屋いろは(架空の人物)(道三の父とお万阿の間に生まれた娘、道三の異母妹、やがて油屋山崎屋女主人となる。京都における信長、光秀の指南役として大きな存在感を発揮する)・・・常盤貴子

織田信長関連

☆織田信長(1534-1582 初めは道三とは対立、が濃姫と婚姻後、道三と手紙で交流、道三の野望を受け継ぎ天下人を目指すことになる)・・・染谷将太
信長については「保守的、中世的側面を強調、経済政策に優れていた点も強調される」とNHKが発表している。
☆織田信秀(1511-1552 信長の父、京都志向がある教養人にして強き武人、道三と幾度も戦うが結局美濃を奪うことはできなかった)・・・高橋克典
織田信定(没1538 清州織田家に仕えた奉行、織田信秀の父、信長の祖父、信秀の尾張制覇の野望に賛同できぬものの黙認、隠居する)・・・大和田伸也
☆帰蝶(1535生誕、没年不詳 斎藤帰蝶、濃姫、信長正室、道三の娘、母は小見の方、幼き頃は光秀に淡い恋心を抱いていた)・・・沢尻エリカ
お市(1547-1583 信長妹、浅井長政正室、淀君の母、お江の母、豊臣秀頼、徳川家光の祖母、長政没落後、柴田勝家に嫁ぐ)・・・北川景子
☆土田御前(没年1594 信長の母、息子である織田信行の謀反を心配している)・・・檀れい
織田信忠(1557-1582 信長の嫡子、幼名は奇妙丸、織田家家督を継ぐ、本能寺の変にて討ち死)・・・竹内涼真
生駒吉乃(1528-1566 いこまきつの、信長側室、信忠、信雄、徳姫の実母ということになっている、穏やかな性格で濃姫との関係も悪くない)・・・満島ひかり
織田信行(没年1558 信長弟、信長と家督を争い、謀殺される)・・・三浦春馬
織田長益(1547-1622 おだながます、織田有楽斎、信長弟、信秀の11男、茶人、東京都有楽町は彼に由来する)・・・坂東巳之助
柴田勝家(1522-1583 織田家重臣、通称権六、織田家家督に信行を推した過去を持つ)・・・市原隼人
☆木下藤吉郎(1537-1598 後の豊臣秀吉)・・・佐々木蔵之介
木下寧々(1548-1624 秀吉妻、のちの北政所)・・・夏帆
前田利家(1539-1599 織田家家臣、柴田勝家の与力武将、秀吉とも親しく、のち加賀前田100万石の当主となる)・・・山崎樹範
前田まつ(1547-1617 前田利家正室、芳春院、「加賀100万石は芳春院でもつ」と言われた)・・・瀧本美織
森蘭丸(1564-1582 信長小姓、信長より5万石を与えられた、本能寺にて討ち死)・・・加藤清史郎
夕顔(架空の人物)(信長、光秀に情報をもたらす女忍び)・・・栗山千明
丹羽長秀(1535-1585 織田家方面司令官の一人、秀吉政権で一時は120万石、その後減俸、子孫は二本松藩主となり、明治まで続く)・・・塚本高史
滝川一益(1525-1586 織田家方面司令官の一人、関東担当、秀吉と戦うも、のちお伽衆となる。子孫は江戸幕府で旗本)・・・甲本雅裕
佐久間信盛(1528-1582 織田家司令官の一人、本願寺担当、のち信長に追放される)・・・戸次重幸
池田恒興(1536-1584 織田家重臣、信長とは乳兄弟、子の輝政は初代姫路藩主)・・・窪田正孝
☆平手政秀(ひらて・まさひで)・・・上杉祥三(信秀を支える織田家老臣。信長のもり役)



戦国武将・その他
武田信玄(1521-1573 52歳で死去、甲斐の戦国大名)・・・草刈正雄
山本勘助(半ば架空の人物、甲陽軍鑑や古資料にみられるが、完全なる確証はない、信玄の軍師として高名)・・・荒川良々
武田信虎(1494-1574 甲斐国主、息子の武田信玄によって今川に追放された。信玄より少し長く生きた)・・・角野卓三
上杉謙信(1530-1578 48歳で死去、越後の戦国大名)・・・井浦新
上杉景勝(1556-1623 67歳で死去、上杉藩初代藩主、越後→会津→米沢、関が原により120万石から30万石に減俸)・・・玉山鉄二
☆今川義元(1519-1560 41歳で死去、駿河の戦国大名、領地経営に優れていた、桶狭間の戦いで戦死)・・・片岡愛之助
北条氏康(1515-1571 56歳で死去 相模国の戦国大名、後北条氏三代目当主、謙信・信玄と互角に戦った)・・・鈴木浩介
北条氏政(1538-1590 52歳で死去 相模国の戦国大名 後北条氏四代目当主、東国の覇者 秀吉に最後まで抵抗する)・・・市川猿之助
浅井長政(1545-1573 28歳で死去、北近江の戦国大名、お市の最初の夫、のちに信長と対立、豊臣秀頼、徳川家光の祖父)・・・賀来賢人
朝倉義景(1533-1573 40歳で死去、あさくらよしかげ、越前の戦国大名、光秀は信長と謀り、越前の状況を探るべく、一時義景のもとに身を寄せていた)・・・中村七之助
六角承禎(1521-1598 77歳で死去、六角義賢、近江の戦国大名、信長上洛戦にて敗退、その後も信長と交戦、晩年は秀吉の保護を受ける)・・・要潤
本願寺顕如(1543-1592 一向一揆の総本山石山本願寺住職、浄土真宗本願寺派宗主、10年以上信長と激しい戦いを繰り広げる)・・・伊勢谷友介
三好長逸(1573年前後に死去か、みよしながやす、将軍義輝を暗殺した三好三人衆の一人、畿内で三好政権ともいわれる勢力をほこった。信長上洛で逃亡するが、その後も本願寺と連携、信長と戦う)・・・松田龍平
波多野秀治(没1579 八上城城主 光秀の丹波攻略時の敵将)・・・相島一之
荒木村重(1535-1586 信長家臣、信長より摂津一国の経営を任される。光秀の娘と村重の息子は婚姻関係にある。のち信長に謀反して失敗、しかし生き延びる)・・・六角精児
筒井順慶(1549-1584 大和国大名、のち信長に臣従、光秀の与力となる。妻は信長の娘である)・・・柄本佑
ルイスフロイス(1532-1597 ポルトガルの宣教師、足利義輝、織田信長の保護のもとで布教、著書「フロイス日本史」を残す)・・・ピーターフランクル(数学者にして大道芸人)
☆松永久秀(1508-1577 69歳で死去、畿内を実質的に治めていた三好家の重臣、やがて主君を上回る力をつけていく。信長以前に天下統一を夢みた梟雄。)・・・吉田鋼太郎
足利義輝(1536-1565 29歳で死去、足利幕府13代将軍、三好三人衆によって御所で暗殺される、剣豪でもあり、多くの寄せ手を斬り殺した)・・・中村獅童
☆足利義昭(1537-1597 60歳で死去、足利幕府15代将軍、信長が将軍に擁立、のち信長と対立。信長包囲網の中心人物となる。晩年は秀吉の保護を受けた)・・・滝藤憲一
雑賀孫一(史実不詳)(さいかまごいち、紀州雑賀衆の頭目、またの名を「尻くらえ孫一」、鉄砲隊によるゲリラ戦を駆使して信長の雑賀侵攻を退け、「信長、わが尻をくらえ」と言い放つ)・・・椎名桔平
近衛前久(1536-1612 関白、太政大臣、信長と親交があった)・・・田中哲司
徳川家康(1543-1616 73歳で死去、三河遠江の戦国大名)・・・野村萬斎
今井宗久(1520-1593 堺の豪商、会合衆、信長の経済戦略の要となった人物)・・・高橋一生


☆望月東庵(もちづき・とうあん)・・・堺 正章
京に暮らす医師。今は落ちぶれているが、朝廷や各地の戦国大名などに不思議な人脈を持つ。生涯にわたって光秀を導く存在になる。大の双六好き。架空の人物です。
☆駒(こま)・・・門脇 麦
光秀が京で出会う娘。医師・望月東庵の助手をつとめている。戦災孤児で、伝説のいきもの・麒麟の存在を信じている。架空の人物です。
☆菊丸(きくまる)・・・岡村隆史
光秀が美濃で出会う三河出身の農民。神出鬼没で、敵か味方かわからないが、常に光秀の危機を助ける。

言うまでもなく「予想キャスト」です。☆印は「NHK発表済み」ですから「本当」です。予想はなんだか全員が「主役級」になってしまいました。カッコ内の解説は6割ぐらいが史実です。4割は「設定」ということです。縁戚関係については故意に嘘は書いていません。間違っていたら私が浅学であるせいです。そもそも戦国の人物については、資料の正確さに問題があり、縁戚関係についてすら確定的なことを言うことはほとんどできません。主人公の光秀の前半生を、もし誠実に書くとしたら、「ほとんどわからない」ということになると思います。

2019年6月・麒麟がくる・新キャスト11名・キャストをみての感想

2019年06月17日 | 麒麟がくる
NHKは17日、主演の長谷川博己(42)が戦国武将・明智光秀を演じる2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」(来年1月スタート、日曜後8・00)の新キャストを発表。片岡愛之助(47)、檀れい(47)、佐々木蔵之介(51)らの出演が決まった。片岡は今川義元役、檀は信長の母・土田御前役、佐々木は藤吉郎(秀吉)役を演じる。
新キャストは片岡、檀のほか、煕子役の木村文乃、深芳野役の南果歩、稲葉義道役の村田雄浩、藤田伝吾役の徳重聡、足利義明役の滝藤賢一、三淵藤英役の谷原章介、細川藤孝役の真島秀和、松永秀久役の吉田鋼太郎の11人。

わたしの個人的な詳細キャスト予想はこちらより

まとめますと
今川義元・片岡愛之助
木下藤吉郎・佐々木蔵之介
土田御前・檀れい
明智煕子・木村文乃
深芳野・南果歩
稲葉一鉄・村田雄浩
藤田伝五・徳重聡
足利義昭・滝藤憲一
三淵藤英・谷原章介
細川藤孝・真島秀和
松永久秀・吉田鋼太郎

となります。藤田は光秀重臣・三淵は細川幽斎藤孝の異母兄・土田御前は信長の実母です。

ちょっとだけ感想

今川義元・片岡愛之助・・・義元は「ひとかどの立派な武将として描かれる」はずなのでこうなるでしょうね。

木下藤吉郎・佐々木蔵之介・・・私も他の人も信長は若いと予想して、染谷将太くん26歳でした。藤吉郎は信長より年下です。51歳の佐々木さんは予想不可能でした。が文句ありません。素晴らしい役者。

土田御前・檀れい・・・土田御前はどっちなんだろうと思います。信長と対立という「いつもの構図」なのか。信長の才能を見抜いているという設定なのか。あ、弟の方を溺愛だそうです。NHKのHPにそうありました、

明智煕子・木村文乃・・・旬な女優と思ってました。木村さんは30過ぎで既婚なので旬かはわかりません。新SPECシリーズでは鬼太郎みたいな雰囲気でした。綺麗な方です。

深芳野・南果歩・・・なるほど。私の過去予想では麻生久美子さんでした。

稲葉一鉄・村田雄浩・藤田伝五・徳重聡・・・意外とベテランです。徳重さん、最後の石原軍団としてどういう演技を見せるのか。

足利義昭・滝藤憲一・・・義昭は準主役です。順当でしょう。

三淵藤英・谷原章介・細川藤孝・真島秀和・・・三淵と細川幽斎は兄弟ですが、歩む道は違います。義昭側近の代表として三淵が設定されるのだなということが分かります。

松永久秀・吉田鋼太郎・・・染谷将太くんの信長に吉田さんが「頭を下げる」のかな。威厳あり過ぎ、怖すぎで、染谷くん対峙する演技ができるのか。

以上です。

2020年大河「麒麟がくる」・麒麟は誰の前に現れるのか。

2019年05月21日 | 麒麟がくる
以下はNHKの広報文です。

王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟。
応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから
解放してくれるのは、誰なのか・・・
そして、麒麟はいつ、来るのか?

若き頃、下剋上の代名詞・美濃の斎藤道三を主君として
勇猛果敢に戦場をかけぬけ、その教えを胸に、やがて織田信長の盟友となり、
多くの群雄と天下をめぐって争う智将・明智光秀。
「麒麟がくる」では謎めいた光秀の前半生に光を当て、彼の生涯を中心に、
戦国の英傑たちの運命の行く末を描きます。

従来とはまったく異なる新しい解釈で英雄たちを描く、まさしく「大河新時代」の幕開けとも
いえる作品が第59 作「麒麟がくる」です。

ここまでNHK発表。

「麒麟はいつ、だれの前に現れるのか」「仁のある政治を行い、民を上や戦乱の苦しみから解放してくれるのは誰なのか」とあります。そのことを「つらつらと」考えてみます。

1、麒麟は史実としては誰の前に現れたと言えるのか。

麒麟は想像上の動物です。麒麟ビールのラベルにある動物。「史実としては」むろん誰の前にも現れません。と言ってしまっては元も子もなくなります。
まず「仁政を行った王」とは誰かを考えてみます。

最初に予想を書いておくと「麒麟はこの作品においては光秀と信長の前に現れる」のです。光秀が主人公なのだから当然です。そして信長と光秀は「盟友」という設定です。この二人が協力し、足利幕府と朝廷を「再興」し、一定の秩序をもたらすとされるのでしょう。幕府に対しても、朝廷に対しても、その権威を重んじる信長像が描かれることは、NHKが既に発表しています。「保守的な側面を強調する」そうです。

しかし作品の設定がそうであるとしても、史実は違います。本能寺の変の後もずっと混乱は続きます。秀吉と家康の対立と和解、秀吉の統一戦、朝鮮侵略、関ケ原、大坂の陣と戦乱は続いていきます。

それをおさめたのは誰か。単純に言うなら徳川家康ですが、幕府は特に仁政を行ったわけではありません。特に初期においてはそうです。戦乱をなくしたことが「すなわち仁政」というなら話は別ですが。

では天皇はどうか。「王」は日本では「天皇」です。戦国末期の王は正親町で、次が後陽成です。むろん政治の実権は持っていません。「後陽成が徳川家康を征夷大将軍に任じ、太平をもたらした」とするのは無理があるでしょう。

幕府が多少なりとも「仁政への志向」を見せるのは、「寛永の大飢饉の後」(1642年以降)とされています。いわゆる「百姓撫育」です。飢饉が続いたのでは幕府は持たないという危機感があって、多少は「百姓を大切にしよう」という意識が芽生えてきます。

ではその時の「王」は誰か。徳川家光です。ただし実務を行ったのは知恵伊豆と言われた松平信綱ら幕閣です。さらに家光の異母弟である保科正之が幕府を支えました。

史実において「かろうじて仁政に近いことをした」のは徳川家光とその幕閣、さらに保科正之ということになるでしょう。個人的には「保科正之の前に麒麟が現れた」と私は考えます。

2、それじゃあ、作品が成立しないので。

1640年代まで飛んで、「徳川家光と保科正之の前に麒麟が現れる」では「麒麟がくるという作品が成立しない」ことになります。「裏技」を使って1643年に死んだ「僧天海が実は光秀だった」とすることは不可能ではありませんが、そういうトンデモない設定はしないでしょう。本能寺でも「変な陰謀論は採用しない」とも言っています。さらに時代考証が小和田哲男であることを考慮しても、あまりにトンデモない設定はなされないと考えられます。

また「光秀イズム」が重臣である斎藤利三に受け継がれ、その遺伝子を持った「斎藤利三の娘である春日局が徳川家光を育て、仁政を行わせた」なんてされても、「はあ」という感じになります。

「やはり麒麟は光秀の前に現れる」と考えるのが「王道解釈」と言えるでしょう。

3、ではどうストーリーを組み立てれば、光秀の前に麒麟を登場させることが可能となるのか。

従来とはまったく異なる新しい解釈で英雄たちを描く、まさしく「大河新時代」なんてNHKは言っていますが、要するに流行の新説を取り入れるということでしょう。具体的には「織田信長を天下静謐を願った保守的側面をもった人物として描く」ということです。

斎藤道三の描き方も多少は変わるでしょう。親子二代で美濃をとったとされるのは確実です。さらに「美濃の民を救うために下克上を行った」とされると思います。これは別に新解釈と言えるものではなく、従来もそう描かれてきたのですが、「民の救済」を強調することによって、新しい感じを出すのだと思います。

そもそも「個人的欲望に基づく下克上」というのは少ないのです。信玄が父を追放したのも甲斐の為、謙信が上杉の名を継いだのも越後の為、北条早雲と北条氏は「民政をいち早く取り入れた大名家」、なわけで、今までもそう描かれてきたのです。

松永久秀や三好長逸・三好政勝・岩成友通(三好三人衆)までをも「新解釈で描く」とすればたいしたもんですが、さてそこまでやるでしょうか。

話もどして「どうすれば光秀の前に麒麟が現れるのか」

これは難しいですね。「天魔信長を描かない」わけです。「光秀は僧を殺し、将軍を追放し、京を焼き、朝廷をもつぶそうと考えた天魔信長を討った」という設定に「できない」ということになります。
それどころかたぶん光秀は叡山焼き討ちに積極的に協力すると考えられます。最近の学説ではそうなることが多いのです。

今のところ「信長は天下静謐を願い、朝廷をも尊重し、乱世をおさめようとした。それに光秀は大きく協力、というより盟友として協力、つまり二人で天下静謐をもたらした」という解釈をするのだろうと考えるよりありません。

とするなら「なぜ本能寺の変は起きたのか」ということになります。何が「決定的な亀裂」を二人の間に生じさせるのか。

「四国問題」あたりを持ち出してくるのでしょうか。しかしそれは無理があります。信長の四国政策が代わり「面目を失った光秀が信長を討った」では「要するに個人的動機じゃないか」ということになるからです。しかも「陰謀論」も採用しないと制作Pが言っています。そもそも「陰謀論」というのは「あの光秀に本能寺は起こせない」という論で、光秀を軽んじるものですから採用することは不可能です。光秀の中に「主体的な動機」が存在しないければ「主人公の資格すら」なくなってしまいます。

途中で「信長が変化して」、独裁の道を歩みはじめた、なんてのも「よくある描き方」で、ありきたりです。

保守的な信長を描き、その盟友として光秀を描きながら、本能寺の変の原因を「説得力を持って描くことが可能だろうか」。なかなか難しい課題に脚本家は向き合っているわけです。すでに脚本はできているでしょうから答えは既に出ているわけですが、その答えを知るには、一年半後を待つしかありません。

それでも、一応予想だけはしておきます。流行りの「四国説」が出てくることは間違いないでしょう。ただしこれが決定的な原因とされるとは思いません。四国説はあくまで「光秀にとって都合が悪かった」という説です。ただし金子拓氏いわく四国政策段階において信長は天下静謐という大義を失ったということになるようです。なんでそうなるのか、論理的にもおかしいですし、説得力はまるでありません。そもそもこの「信長天下静謐論」というのは極めて胡散臭く、かつ「つまらない」と私は思っています。簡単にいえば「間違い」です。

麒麟がくるの光秀は、もっと大きく日本の運命を考える存在になると予想されます。となると無難に「朝廷守護説」になろうかと思います。朝廷黒幕説ではありません。40歳以前の光秀は、美濃脱出後、おそらく京都において活動します。そこで朝廷との太い絆を持つと考えられます。当初朝廷を大事にしていた信長が、何かを契機として「もはや朝廷もいらぬ」という姿勢をとりはじめる。尊王家で、公武合体主義の光秀は、日本を守るために信長を討つ。少しも新しいところがない、ありきたりな設定といえますが、「無難である」ことは確かです。少しも面白くない設定ですが、どうもそうなるような気がします。

2020年大河「麒麟がくる」のあらすじ・ひたすら天下静謐の為

2019年04月21日 | 麒麟がくる
「麒麟がくる」のあらすじは、NHKの最近の歴史番組をみれば「バレバレ」で、簡単に予想できます。金子拓氏の信長を描くのです。明智光秀も信長もひたすら天下静謐のために働きます。経済にも注目し、富国の為にも民の為にも「座」などの既得権益を排除します。でも信長は四国問題で天下静謐の大義を捨てようとします。そこで本能寺の変が起きます。「絶対そうなり」ます。

ちなみに私自身はこの「天下静謐」論は成り立たないし、それを唱える金子氏は「真面目な顔して怪しげな説を流布する輩」だと思っています。でもNHKはそれに乗っかります。「古い人間としての信長を描く」ことが「新しい信長像だという評価を受ける」と計算しているからです。


1、織田信長は中世の破壊者でも魔王でもない。天下静謐の保護者として描かれる。

「麒麟がくるの信長」は室町的伝統を重んじます。将軍義昭に対しても敬意を持ちます。そしてやたらと「天下静謐」、てんかせいひつ、にこだわります。

天下とは「畿内」です。天皇と将軍のもと、畿内が安定し、各地の大名がそれなりの静謐を保てばいい、と信長は考えます。自分はその保護者になろうとします。

しかし抵抗勢力が天下静謐を乱し、信長は「仕方なく」、毛利、上杉、武田、本願寺と戦い、「仕方なく」、比叡山にいた女子供、伊賀や長島の民衆を「みな殺し」にします。


2、明智光秀とは「天下静謐のため」、盟友となる。

信長と光秀が「盟友」となるようです。

NHKが発表済みです。光秀も将軍義昭を奉じての「天下静謐」を願っています。その点で彼らは「同志」となります。


3、前半では明智光秀が「天下静謐」を願うようになる過程が描かれる。

彼は美濃において斎藤道三に師事します。そこで「乱世の現実」を知ります。また軍事指揮や民政の考え方を道三から学びます。京にも行き、室町的教養も身につけます。

「道三の父」は油売りで、その父から道三は「倒すべき敵の存在」を教えられています。それは天下静謐を願わず、既得権益で私腹を肥やす存在、その代表格が商売における「座」です。

明智光秀は楽市楽座の考えを身につけます。そしてそれを盟友の信長にも伝えます。道三の死後、光秀は信長を助け、天下静謐に向かって邁進します。


4、天下静謐のため「将軍義昭を追放」「浅井朝倉を討伐」「毛利を攻め」「上杉を攻め」「武田を攻め」「本願寺を攻め」、そして天下静謐のため「比叡山を焼き」「伊賀で皆殺し」「一向一揆も皆殺し」

なんでもかんでも「天下静謐のため」なのです。伊賀の人々や一向一揆衆を「みな殺し」にしますが、すべては「天下静謐のため」です。
将軍義昭はいつの間にか「天下静謐の大義を忘れ」、権力者として振舞おうとしたので「追放」です。


5、四国の長曾我部だけは何故か「天下静謐の敵ではない」。信長はその長曾我部を攻撃しようとしたので本能寺の変を起こして、光秀は天下静謐の大義を守った。

毛利、上杉、武田、本願寺は「天下静謐の敵」なのですが。四国の長曾我部だけは「なぜか天下静謐の敵ではない」のです。その長曾我部までも討とうとしたので、光秀は泣く泣く盟友である信長を倒します。
実は天下静謐の思いは「羽柴秀吉」「徳川家康」も同じでした。光秀は自分が倒れても、秀吉や家康が「天下静謐を実現してくれる」なら、自分は死んでも悔いはないと考えます。本能寺変の原因は「四国政策」とされます。


ほぼ、間違いなくこうなります。「なんか変だな」「天下静謐ってなんだよ」「天下静謐のため女子供も皆殺しか?」と視聴者は思いますが、そこは「脚本家がうまく話を持っていく」「うまく物語にする」ので、一部からは「新しい信長像、光秀像」として評価を受けます。脚本の池端俊策は大河「太平記」で「逆賊の代表と戦前は言われていた足利尊氏を、尊王の心を持ちつつ、世の平和のために働いた武将として描き」ました。今回は「魔王信長を、天下静謐の保護者、逆臣光秀を天下静謐のため働いた立派な武将」として描きます。

私は光秀が好きで「野望を持って天下を狙ったさっそうたる男子」として描いてほしいのですが、世界は私のために動いているわけではないので、仕方ありません。脚本はオリジナルとされていますが、底本はもちろん司馬さんの「国盗り物語」です。ただし司馬さんの解釈をかなり改変するので、オリジナルに近い作品となるのでしょう。「あの斎藤道三までもが天下静謐という、言葉遊びに振り回される人物として描かれるのか」、そこだけは予想不可能です。

大河「麒麟がくる」のストーリー展開を考える。

2019年03月13日 | 麒麟がくる
大河「麒麟がくる」のストーリー展開を考えてみます。

以下はNHKが発表した「今の時点で分かっている展開」です。

「麒麟がくる」は、大河ドラマの原点に戻り、戦国初期の群雄割拠の戦乱のなか、各地の英傑たちが天下を狙って、命をかけ愛をかけ戦う、戦国のビギニングにして「一大叙事詩」です。
脚本は、第29作「太平記」を手がけた池端俊策のオリジナル。
大河ドラマとしては初めて智将・明智光秀を主役とし、その謎めいた前半生に光があてられます。
物語は、1540年代、まだ多くの英傑たちが「英傑以前」であった時代から始まり、丹念にそれぞれの誕生を描いていきます。
若き明智光秀、織田信長、斎藤道三、今川義元、そして秀吉が、家康が、所狭しと駆け巡る……。
「麒麟がくる」──新たな時代の大河ドラマの始まりです。

時代考証・小和田 哲男

以上NHK発表。

「太平記」を手がけた池端俊策のオリジナル、時代考証が小和田さん。となると、「奇妙奇天烈なトンデモ展開」はないはずです。

1、最初は「光秀美濃編」から始まる。

光秀が死んだ年齢は55歳とされるのが普通です。そうなると1528年生まれぐらいになります。1540年代から始まるみたいですから、光秀は12歳の少年です。
NHK発表で美濃出身とされていますから、土岐家支流明智家出身となるのでしょう。実はこの設定を裏付ける確定的な歴史資料はありません。
40歳までの光秀の行動は「わからない」のです。
でも「国盗り物語」以降、光秀は土岐氏明智家出身で斎藤道三に仕えるという「設定」がよく使われます。池端俊策のオリジナルとありますが、「国盗り物語」がベースになって、それを現代風に「たぶん大幅に」アレンジするのは間違いないわけで、この12歳段階で「光秀は美濃にいて道三の小姓として薫陶を受けている」となると思います。

戦闘シーンとしては、美濃斎藤道三VS尾張織田信秀が主となるでしょう。ただし今川義元がからんでくるようです。駿河の継承権がなかった義元の「国盗り」も描かれるのでしょう。そして織田信秀と義元の「小豆坂の戦い」が出てくると思います。信玄と謙信はワキ役みたいですが、この二人の「国盗り」も出てくるかも知れません。

美濃編は1556年の「道三の死」まで続くでしょう。光秀はこの時28歳です。ただしずっと美濃にいるわけではなく、「京都留学」みたいな「くだり」があるかも知れません。あるいは道三の父親の「油屋」に居候し、京都見聞を行い、朝廷や将軍家や諸大名などと「からむ」のかも知れません。

2、次は「信長美濃攻略編」

やがて光秀は織田信長と「盟友」となるそうです。そして齋藤義龍(道三を殺した息子)とは「学友」という設定がされています。
信長が光秀の盟友、そして齋藤義龍が「学友」とすると、信長の美濃攻略に「光秀もからんでくる」のでしょう。普通はからみません。
なぜなら、道三の死後、光秀は越前朝倉の家臣となることが多いからです。
でも主人公の光秀を28歳から40歳まで「朝倉氏でぶらぶら食客をしている」としたのでは面白くありませんし、史実としては「わからない」から「そう描く必要はない」のです。
だから「道三の死後」は光秀はまず京都を目指し、堺正章さん演じる「医師」の「つて」で、当時近江の朽木谷にいた「足利義輝と接近」、「足軽大将」で朝倉に出向くとなると思います。
考証の小和田さんは「光秀、義輝の足軽大将説」をとっています。
朝倉だけでなく、尾張にも出向く。なんなら美濃にも駿河にも出向く。そして信長の美濃攻略に「からんでくる」と思います。

もっとも、その前に「桶狭間の戦い」に「からむ」のでしょう。たぶん桶狭間において「重要な役回り」をすると思います。で、家康や秀吉とも知り合いになるでしょう。

道三の死後、ずっと朝倉家の家臣だった、とはならないと思います。

3、8月ぐらいから信長天下布武編

信長の上洛から死までは15年です。明智光秀の動向が比較的はっきりしているのもこの15年だけです。光秀40歳から55歳です。
この辺りは今まで「散々描かれてきた」ので、8月ごろからかなと思います。
それまでは織田信秀、今川義元、斎藤道三、、、ついでに信玄、謙信の若き日などを比較的濃密に描くのでしょう。

で、あとは史実を基本として展開。で、本能寺。おそらく「天下の治め方に対する考え方の違い」が本能寺の原因とされるでしょう。光秀はあくまで「民の側に立つ」のだと思います。
「四国説」は光秀が自分の勢力減衰を恐れたという「説」ですから、重く採用されることはないと思います。ただし「四国説」は今ちょっと流行なので、出てはくるでしょう。

あとは「信長の経済力」が強調されるのでしょう。信秀以来の「経済重視の政策」が描かれると思います。ついでに「謙信が非常に経済を重視していた」ことなんかも描かれるかも知れません。
堺の街が描かれ、いかにして多くの鉄砲を調達できたのか、が描かれると思います。

また本能寺に戻りますが、光秀を主人公にする以上、「くだらない黒幕説」はとらないと信じています。朝廷とか義昭とかイエズス会とか、とにかく「黒幕」は必要ありません。

2020年大河「麒麟がくる」・キャスト予想・☆印はNHK発表済み・信長は染谷将太・斎藤道三は本木雅弘・帰蝶は沢尻エリカ

2019年03月13日 | 麒麟がくる
主人公は「明智光秀」、主人公並みの重要人物は「斎藤道三」「斎藤利三」「織田信長」「細川藤孝」「今川義元」「織田信秀」「松永久秀」「足利義昭」「今井宗久}と思われる。

これは旧版で最新版はこちらです。

信長と光秀が「盟友である」という設定は、NHKが公表している。信長の親の世代を描く意図、主人公たちの青春時代を描く意図も発表している。従って全体に俳優の年齢が若くなっている。

齋藤道三の死去は1556年・桶狭間の戦いは1560年・信長の上洛戦は1568年・義昭追放は1573年・本能寺の変は1582年・関ヶ原の戦いは1600年

☆印はNHK発表なので、予想ではなく、本当のキャストです。

主人公・明智光秀関連
☆明智光秀(1528-1582 早くに両親を亡くし、祖父光継に育てられた、道三に仕え、道三死去後、信長と盟友となる、諸国を遍歴、乱世収拾の道を探る)・・・長谷川博己
明智煕子(没1576 あけちひろこ、光秀の妻)・・・吉岡里帆
明智光継(光秀の祖父、光秀の育ての親、武芸に秀でている)・・・近藤正臣
☆明智牧(史実では名前不詳、光秀の祖母・京都公家出身、教養が深い)・・・石川さゆり
明智光慶(史実を変更)(あけちみつよし、光秀の長男、学説では死んだ時まだ14歳であるため、それを24歳と設定する。光秀と信長の連絡係として活動したことにする)・・・神木隆之介
☆明智光安(1500-1556 美濃明智城主、明智家家督、道三正室の兄)・・・西村まさ彦
明智倫(史実では名前不詳、光秀の長女、荒木村重室→明智光春室)・・・山本美月
明智宝子(史実では名前不詳、光秀の四女、信長の従弟である津田信澄の正室)・・・橋本環奈
明智左馬助光春(1536-1582 明智秀満 光秀の女婿にして重臣)・・・山崎賢人
明智珠(1563-1600 あけちたま 光秀の三女、細川ガラシャ、細川忠興正室、関ヶ原の混乱の中で死去)・・・桐谷美玲
明智光忠(光秀の従弟、光秀重臣)・・・浅利陽介
齋藤利三(1534-1582 光秀腹心の部下、春日局の父)・・・ムロツヨシ
溝尾庄兵衛(1538-1582 溝尾茂朝 光秀重臣、光秀と共に討ち死)・・・斎藤工
藤田行政(1582没 光秀の古参の重臣)・・・佐藤二朗
細川藤孝(1534-1610 細川幽斎、はじめ光秀とともに足利義昭擁立に尽力する。のち織田信長に仕え、光秀の与力武将となる。古今伝授を受けた歌人)・・・向井理
細川忠興(1563-1646 細川幽斎の嫡子、細川ガラシャの夫、関ケ原で功を立て、肥後細川家の基礎を築く)・・・溝端淳平
京極高次(1563-1609 衰退した北近江の守護家に生まれる 本能寺後光秀に協力 のち許され豊臣家→徳川家 妻は淀殿の妹である初、妹は秀吉側室)・・・勝地涼
上泉信綱(1508-1577 柳生新陰流の祖、諸国を遍歴して、槍術、剣術を広めた。一時美濃に滞在し、光秀に槍術剣術を指南、将軍義輝の剣術信南、光秀と義輝をつなぐ)・・・真田広之
伊丹新之助(架空の人物)(商人ではあるが武術の達人、その自由な生き方が光秀に大きな影響を与える)・・・オダギリジョー

齋藤道三関連

☆齋藤道三(1494-1556 斎藤利政、美濃国主、土岐頼芸より美濃を奪取した。天下取りの野望を光秀と信長に託す)・・・本木雅弘
長井新左衛門尉(生没年不詳、ながいしんざえもんのじょう、道三の父。はじめ京都妙覚寺僧侶、還俗して京の油屋山崎屋に入り婿し、その財力を背景に国盗りを目指して美濃土岐家の家臣となる)・・・松重豊
お万阿(架空の人物)(おまあ、道三父の京都の妻、道三の母ではない。京都の豪商、油屋山碕屋の女主人)・・・井川遥
土岐里子(架空の人物)(土岐家支流の娘、道三の母)・・・黒木瞳
深芳野(みよしの、道三の側室、もとは土岐頼芸側室、斎藤義龍の母)・・・麻生久美子
小見の方(1513-1551 おみのかた、道三正室、明智光安の妹、濃姫の実母)・・・広末涼子
竹中半兵衛(1544-1579 天才的軍略家、幼少時は道三の薫陶を受ける、神童と言われ12歳で道三の軍略を受け継ぐ、斎藤家家臣→信長家臣、秀吉の与力)・・・志尊淳
☆齋藤義龍(1548-1573 道三の子、実は土岐頼芸の子とされることもある、長良川の戦いで道三の首を奪う)・・・伊藤英明
赤兵衛(架空の人物)(元妙覚寺の寺男、道三の父の最古参の腹心、道三にも仕えた)・・・(華丸大吉の華丸)
稲葉一鉄(1515-1589 西美濃三人衆の一人、土岐家→斎藤家→織田家→豊臣家、娘は斎藤利三室、春日局の祖父)・・・安田顕
猪子兵助(1546-1582 いのこひょうすけ、道三の小姓、道三没落後、織田信長に仕える)・・・濱田岳
☆土岐頼芸(1502-1582 ときよりよし、もと美濃国国主・道三により尾張に追放される)・・・尾美としのり
日運上人(1484年生、美濃常在寺住職、長井氏出身、道三の父とは妙覚寺で同学)・・・温水洋一
天堂玄隆斎(架空の人物、てんどうげんりゅうさい)(道三の武術指南、槍術の達人)・・・仲代達矢
山崎屋いろは(架空の人物)(道三の父とお万阿の間に生まれた娘、道三の異母妹、やがて油屋山崎屋女主人となる。京都における信長、光秀の指南役として大きな存在感を発揮する)・・・常盤貴子

織田信長関連

☆織田信長(1534-1582 初めは道三とは対立、が濃姫と婚姻後、道三と手紙で交流、道三の野望を受け継ぎ天下人を目指すことになる)・・・染谷将太
信長については「保守的、中世的側面を強調、経済政策に優れていた点も強調される」とNHKが発表している。
☆織田信秀(1511-1552 信長の父、京都志向がある教養人にして強き武人、道三と幾度も戦うが結局美濃を奪うことはできなかった)・・・高橋克典
織田信定(没1538 清州織田家に仕えた奉行、織田信秀の父、信長の祖父、信秀の尾張制覇の野望に賛同できぬものの黙認、隠居する)・・・大和田伸也
☆帰蝶(1535生誕、没年不詳 斎藤帰蝶、濃姫、信長正室、道三の娘、母は小見の方、幼き頃は光秀に淡い恋心を抱いていた)・・・沢尻エリカ
お市(1547-1583 信長妹、浅井長政正室、淀君の母、お江の母、豊臣秀頼、徳川家光の祖母、長政没落後、柴田勝家に嫁ぐ)・・・北川景子
土田御前(没年1594 信長の母、信長の才能を実は見抜いていた、息子である織田信行の謀反を心配している)・・・水野美紀
織田信忠(1557-1582 信長の嫡子、幼名は奇妙丸、織田家家督を継ぐ、本能寺の変にて討ち死)・・・竹内涼真
生駒吉乃(1528-1566 いこまきつの、信長側室、信忠、信雄、徳姫の実母ということになっている、穏やかな性格で濃姫との関係も悪くない)・・・満島ひかり
織田信行(没年1558 信長弟、信長と家督を争い、謀殺される)・・・三浦春馬
織田長益(1547-1622 おだながます、織田有楽斎、信長弟、信秀の11男、茶人、東京都有楽町は彼に由来する)・・・坂東巳之助
柴田勝家(1522-1583 織田家重臣、通称権六、織田家家督に信行を推した過去を持つ)・・・市原隼人
木下藤吉郎(1537-1598 後の豊臣秀吉)・・・大泉洋
木下寧々(1548-1624 秀吉妻、のちの北政所)・・・夏帆
前田利家(1539-1599 織田家家臣、柴田勝家の与力武将、秀吉とも親しく、のち加賀前田100万石の当主となる)・・・山崎樹範
前田まつ(1547-1617 前田利家正室、芳春院、「加賀100万石は芳春院でもつ」と言われた)・・・瀧本美織
森蘭丸(1564-1582 信長小姓、信長より5万石を与えられた、本能寺にて討ち死)・・・加藤清史郎
夕顔(架空の人物)(信長、光秀に情報をもたらす女忍び)・・・栗山千明
丹羽長秀(1535-1585 織田家方面司令官の一人、秀吉政権で一時は120万石、その後減俸、子孫は二本松藩主となり、明治まで続く)・・・塚本高史
滝川一益(1525-1586 織田家方面司令官の一人、関東担当、秀吉と戦うも、のちお伽衆となる。子孫は江戸幕府で旗本)・・・甲本雅裕
佐久間信盛(1528-1582 織田家司令官の一人、本願寺担当、のち信長に追放される)・・・戸次重幸
池田恒興(1536-1584 織田家重臣、信長とは乳兄弟、子の輝政は初代姫路藩主)・・・窪田正孝
☆平手政秀(ひらて・まさひで)・・・上杉祥三(信秀を支える織田家老臣。信長のもり役)



戦国武将・その他
武田信玄(1521-1573 52歳で死去、甲斐の戦国大名)・・・平岳大(ひらたけひろ、平幹次郎子息)
山本勘助(半ば架空の人物、甲陽軍鑑や古資料にみられるが、完全なる確証はない、信玄の軍師として高名)・・・荒川良々
武田信虎(1494-1574 甲斐国主、息子の武田信玄によって今川に追放された。信玄より少し長く生きた)・・・角野卓三
上杉謙信(1530-1578 48歳で死去、越後の戦国大名)・・・井浦新
上杉景勝(1556-1623 67歳で死去、上杉藩初代藩主、越後→会津→米沢、関が原により120万石から30万石に減俸)・・・玉山鉄二
今川義元(1519-1560 41歳で死去、駿河の戦国大名、領地経営に優れていた、桶狭間の戦いで戦死)・・・滝藤賢一
北条氏康(1515-1571 56歳で死去 相模国の戦国大名、後北条氏三代目当主、謙信・信玄と互角に戦った)・・・鈴木浩介
北条氏政(1538-1590 52歳で死去 相模国の戦国大名 後北条氏四代目当主、東国の覇者 秀吉に最後まで抵抗する)・・・市川猿之助
浅井長政(1545-1573 28歳で死去、北近江の戦国大名、お市の最初の夫、のちに信長と対立、豊臣秀頼、徳川家光の祖父)・・・賀来賢人
朝倉義景(1533-1573 40歳で死去、あさくらよしかげ、越前の戦国大名、光秀は信長と謀り、越前の状況を探るべく、一時義景のもとに身を寄せていた)・・・中村七之助
六角承禎(1521-1598 77歳で死去、六角義賢、近江の戦国大名、信長上洛戦にて敗退、その後も信長と交戦、晩年は秀吉の保護を受ける)・・・要潤
本願寺顕如(1543-1592 一向一揆の総本山石山本願寺住職、浄土真宗本願寺派宗主、10年以上信長と激しい戦いを繰り広げる)・・・伊勢谷友介
三好長逸(1573年前後に死去か、みよしながやす、将軍義輝を暗殺した三好三人衆の一人、畿内で三好政権ともいわれる勢力をほこった。信長上洛で逃亡するが、その後も本願寺と連携、信長と戦う)・・・松田龍平
波多野秀治(没1579 八上城城主 光秀の丹波攻略時の敵将)・・・相島一之
荒木村重(1535-1586 信長家臣、信長より摂津一国の経営を任される。光秀の娘と村重の息子は婚姻関係にある。のち信長に謀反して失敗、しかし生き延びる)・・・六角精児
筒井順慶(1549-1584 大和国大名、のち信長に臣従、光秀の与力となる。妻は信長の娘である)・・・柄本佑
ルイスフロイス(1532-1597 ポルトガルの宣教師、足利義輝、織田信長の保護のもとで布教、著書「フロイス日本史」を残す)・・・ピーターフランクル(数学者にして大道芸人)
松永久秀(1508-1577 69歳で死去、畿内を実質的に治めていた三好家の重臣、やがて主君を上回る力をつけていく。信長以前に天下統一を夢みた梟雄。)・・・稲垣吾郎
足利義輝(1536-1565 29歳で死去、足利幕府13代将軍、三好三人衆によって御所で暗殺される、剣豪でもあり、多くの寄せ手を斬り殺した)・・・中村獅童
足利義昭(1537-1597 60歳で死去、足利幕府15代将軍、信長が将軍に擁立、のち信長と対立。信長包囲網の中心人物となる。晩年は秀吉の保護を受けた)・・・松坂桃李
雑賀孫一(史実不詳)(さいかまごいち、紀州雑賀衆の頭目、またの名を「尻くらえ孫一」、鉄砲隊によるゲリラ戦を駆使して信長の雑賀侵攻を退け、「信長、わが尻をくらえ」と言い放つ)・・・椎名桔平
近衛前久(1536-1612 関白、太政大臣、信長と親交があった)・・・田中哲司
徳川家康(1543-1616 73歳で死去、三河遠江の戦国大名)・・・野村萬斎
今井宗久(1520-1593 堺の豪商、会合衆、信長の経済戦略の要となった人物)・・・高橋一生


☆望月東庵(もちづき・とうあん)・・・堺 正章
京に暮らす医師。今は落ちぶれているが、朝廷や各地の戦国大名などに不思議な人脈を持つ。生涯にわたって光秀を導く存在になる。大の双六好き。架空の人物です。
☆駒(こま)・・・門脇 麦
光秀が京で出会う娘。医師・望月東庵の助手をつとめている。戦災孤児で、伝説のいきもの・麒麟の存在を信じている。架空の人物です。
☆菊丸(きくまる)・・・岡村隆史
光秀が美濃で出会う三河出身の農民。神出鬼没で、敵か味方かわからないが、常に光秀の危機を助ける。


最後にお知らせ

言うまでもなく「予想キャスト」です。☆印は「NHK発表済み」ですから「本当」です。予想はなんだか全員が「主役級」になってしまいました。カッコ内の解説は6割ぐらいが史実です。4割は「設定」ということです。縁戚関係については故意に嘘は書いていません。間違っていたら私が浅学であるせいです。そもそも戦国の人物については、資料の正確さに問題があり、縁戚関係についてすら確定的なことを言うことはほとんどできません。主人公の光秀の前半生を、もし誠実に書くとしたら、「ほとんどわからない」ということになると思います。なお、1540年ぐらいからを描くようです。そうなると武田信玄(晴信)ですらまだ19歳です。となると大御所役者ではなく若い俳優となるはずです。つまり全体に比較的若い俳優の起用ということになると予想しています。

大河「麒麟がくる」・新キャスト・織田信長役は染谷将太・帰蝶、濃姫役は沢尻エリカ・一言感想

2019年03月13日 | 麒麟がくる
私の予想はここにあります

織田信長(おだ・のぶなが)染谷将太
光秀が尾張で出会う信秀の嫡男。明智光秀との出会いが、信長自身の運命も変えていく。

☆あまりよく知らない俳優さんです。力量はあるのでしょう。実際にドラマを見て見ないと何とも言えません。

帰蝶(濃姫)(きちょう/のうひめ)沢尻エリカ
道三の娘(母は正妻・小見の方)。光秀とは姻戚関係であり、幼いころからの付き合いでもある。政略結婚により、のちに織田信長の正妻となる。

☆帰蝶は「はかなげ」か「気が強い」のどっちかで描かれます。史実ではいつまで生きたか分かりません。まあドラマではきっと本能寺まで生かします。が「一緒には死なない」気がします。
沢尻さん=気が強いキャラとはならないでしょうが、「経済的にも自立した女性として描かれる」のが現代風かなと思います。光秀との「淡い恋」は定番通り描かれる気がします。

斎藤道三(利政)(さいとう・どうさん/としまさ)本木雅弘
美濃の守護代で光秀の主君。一介の油売りだった亡き父とともに親子二代で美濃の国盗りを目指す戦国下剋上の代名詞的存在。天才的な軍事力と狡猾な政治力を持ち、金銭への執着も強い。

☆「はげたじいさん」俳優が多かったのに、随分とシュンとした道三です。準主人公ですから本木さんなんでしょう。

織田信秀(おだ・のぶひで)高橋克典
尾張に根を張る、道三のライバル。織田信長の父。海運を牛耳り、豊かな経済力を背景に、美濃の道三や駿河の今川と争う勇猛果敢な戦国武将。

☆信秀も準主役のようです。高橋克典さんは大河初出演とか。そういえば、出たことありません。

平手政秀(ひらて・まさひで)上杉祥三
信秀を支える織田家老臣。信長のもり役。

☆「平手のじい」が出るのですね。切腹の理由をどうするのか。予想では旧来通りの「諫死」ではと思います。

土岐頼芸(とき・よりのり)尾美としのり
美濃の守護。かつて道三と結託し、兄を守護の座から追い落とした過去を持つ。鷹の絵を描くのを好む。

☆この人なんでもできる俳優さんです。

斎藤義龍(高政)(さいとう・よしたつ/たかまさ)伊藤英明
道三の嫡男。母は守護・土岐頼芸の愛妾だった深芳野(のち道三の妾)。自らの出自の謎にこだわるが故、父との折り合いは悪い。光秀の幼いころからの学友。

☆光秀の「学友」って何だろう?今まではただ「道三を殺す息子」でした。が、今回はいろいろ複雑に描くのでしょう。母親は深芳野(みよしの)というのはNHK発表です。誰がやるのでしょうか。かつては「若き日の三田佳子さん」でした。本木さんの側室ですから、30~40代の綺麗な女優さんでしょう。

明智 牧(あけち・まき)石川さゆり
光秀の母。光秀が幼少時に死んだ父の代わりに「武士としての心構え」を諭す厳しくも心優しき母。

☆功名が辻にも出ていたようです。記憶にありません。

明智光安(あけち・みつやす)西村まさ彦
光秀の叔父(父の弟)。明智家の当主で、道三の家臣。
明智家の行く末を常に案じている。

☆西村まさ彦さんは「真田丸」にも出てました。草刈さんも「麒麟がくる」に是非出してほしい。信玄役とかで。


望月東庵(もちづき・とうあん)堺 正章
京に暮らす医師。今は落ちぶれているが、朝廷や各地の戦国大名などに不思議な人脈を持つ。生涯にわたって光秀を導く存在になる。大の双六好き。

☆架空の人物です。


駒(こま)門脇 麦
光秀が京で出会う娘。医師・望月東庵の助手をつとめている。
戦災孤児で、伝説のいきもの・麒麟の存在を信じている。

☆架空の人物です。

菊丸(きくまる)岡村隆史
光秀が美濃で出会う三河出身の農民。神出鬼没で、敵か味方かわからないが、常に光秀の危機を助ける。

☆架空の人物です。よくある「敵か味方かわからない」担当です。きっと最後に「光秀の死を見届ける」のも岡村さんだと思います。

2020年大河ドラマ・麒麟がくる・キャスト予想・一覧・加筆版

2019年01月20日 | 麒麟がくる

NHK発表を踏まえた最新版はここにあります

主人公は「明智光秀」、主人公並みの重要人物は「斎藤道三」「斎藤利三」「織田信長」「細川藤孝」「今川義元」「織田信秀」「松永久秀」「足利義昭」「今井宗久}と思われる。

信長と光秀が「盟友である」という設定は、NHKが公表している。信長の親の世代を描く意図、主人公たちの青春時代を描く意図も発表している。従って全体に俳優の年齢が若くなっている。

齋藤道三の死去は1556年・桶狭間の戦いは1560年・信長の上洛戦は1568年・義昭追放は1573年・本能寺の変は1582年・関ヶ原の戦いは1600年

主人公・明智光秀関連

明智光秀(1528-1582 早くに両親を亡くし、祖父光継に育てられた、道三に仕え、道三死去後、信長と盟友となる、諸国を遍歴、乱世収拾の道を探る)・・・長谷川博己
明智煕子(没1576 あけちひろこ、光秀の妻)・・・吉岡里帆
明智光継(光秀の祖父、光秀の育ての親、武芸に秀でている)・・・近藤正臣
明智牧子(史実では名前不詳、光秀の祖母・京都公家出身、教養が深い)・・・松坂慶子
明智光慶(史実を変更)(あけちみつよし、光秀の長男、学説では死んだ時まだ14歳であるため、それを24歳と設定する。光秀と信長の連絡係として活動したことにする)・・・神木隆之介
明智光安(1500-1556 美濃明智城主、明智家家督、道三正室の兄)・・・平山浩行
明智倫(史実では名前不詳、光秀の長女、荒木村重室→明智光春室)・・・山本美月
明智宝子(史実では名前不詳、光秀の四女、信長の従弟である津田信澄の正室)・・・橋本環奈
明智左馬助光春(1536-1582 明智秀満 光秀の女婿にして重臣)・・・山崎賢人
明智珠(1563-1600 あけちたま 光秀の三女、細川ガラシャ、細川忠興正室、関ヶ原の混乱の中で死去)・・・桐谷美玲
明智光忠(光秀の従弟、光秀重臣)・・・浅利陽介
齋藤利三(1534-1582 光秀腹心の部下、春日局の父)・・・ムロツヨシ
溝尾庄兵衛(1538-1582 溝尾茂朝 光秀重臣、光秀と共に討ち死)・・・斎藤工
藤田行政(1582没 光秀の古参の重臣)・・・佐藤二朗
細川藤孝(1534-1610 細川幽斎、はじめ光秀とともに足利義昭擁立に尽力する。のち織田信長に仕え、光秀の与力武将となる。古今伝授を受けた歌人)・・・向井理
細川忠興(1563-1646 細川幽斎の嫡子、細川ガラシャの夫、関ケ原で功を立て、肥後細川家の基礎を築く)・・・溝端淳平
京極高次(1563-1609 衰退した北近江の守護家に生まれる 本能寺後光秀に協力 のち許され豊臣家→徳川家 妻は淀殿の妹である初、妹は秀吉側室)・・・勝地涼
上泉信綱(1508-1577 柳生新陰流の祖、諸国を遍歴して、槍術、剣術を広めた。一時美濃に滞在し、光秀に槍術剣術を指南、将軍義輝の剣術信南、光秀と義輝をつなぐ)・・・真田広之
伊丹新之助(架空の人物)(商人ではあるが武術の達人、その自由な生き方が光秀に大きな影響を与える)・・・オダギリジョー

齋藤道三関連

齋藤道三(1494-1556 斎藤利政、美濃国主、土岐頼芸より美濃を奪取した。天下取りの野望を光秀と信長に託す)・・・遠藤憲一
長井新左衛門尉(生没年不詳、ながいしんざえもんのじょう、道三の父。はじめ京都妙覚寺僧侶、還俗して京の油屋山崎屋に入り婿し、その財力を背景に国盗りを目指して美濃土岐家の家臣となる)・・・松重豊
お万阿(架空の人物)(おまあ、道三父の京都の妻、道三の母ではない。京都の豪商、油屋山碕屋の女主人)・・・井川遥
土岐里子(架空の人物)(土岐家支流の娘、道三の母)・・・黒木瞳
深芳野(みよしの、道三の側室、もとは土岐頼芸側室、斎藤義龍の母)・・・麻生久美子
小見の方(1513-1551 おみのかた、道三正室、明智光安の妹、濃姫の実母)・・・広末涼子
竹中半兵衛(1544-1579 天才的軍略家、幼少時は道三の薫陶を受ける、神童と言われ12歳で道三の軍略を受け継ぐ、斎藤家家臣→信長家臣、秀吉の与力)・・・志尊淳
齋藤義龍(1548-1573 道三の子、実は土岐頼芸の子とされることもある、長良川の戦いで道三の首を奪う)・・・城田優
赤兵衛(架空の人物)(元妙覚寺の寺男、道三の父の最古参の腹心、道三にも仕えた)・・・(華丸大吉の華丸)
稲葉一鉄(1515-1589 西美濃三人衆の一人、土岐家→斎藤家→織田家→豊臣家、娘は斎藤利三室、春日局の祖父)・・・安田顕
猪子兵助(1546-1582 いのこひょうすけ、道三の小姓、道三没落後、織田信長に仕える)・・・濱田岳
土岐頼芸(1502-1582 ときよりよし、もと美濃国国主・道三により尾張に追放される)・・・小日向文世
日運上人(1484年生、美濃常在寺住職、長井氏出身、道三の父とは妙覚寺で同学)・・・温水洋一
天堂玄隆斎(架空の人物、てんどうげんりゅうさい)(道三の武術指南、槍術の達人)・・・仲代達矢
山崎屋いろは(架空の人物)(道三の父とお万阿の間に生まれた娘、道三の異母妹、やがて油屋山崎屋女主人となる。京都における信長、光秀の指南役として大きな存在感を発揮する)・・・常盤貴子

織田信長関連

織田信長(1534-1582 初めは道三とは対立、が濃姫と婚姻後、道三と手紙で交流、道三の野望を受け継ぎ天下人を目指すことになる)・・・山田孝之
☆信長については「保守的、中世的側面を強調、経済政策に優れていた点も強調される」とNHKが発表している。
織田信秀(1511-1552 信長の父、京都志向がある教養人にして強き武人、道三と幾度も戦うが結局美濃を奪うことはできなかった)・・・西島秀俊
織田信定(没1538 清州織田家に仕えた奉行、織田信秀の父、信長の祖父、信秀の尾張制覇の野望に賛同できぬものの黙認、隠居する)・・・大和田伸也
濃姫(1535生誕、没年不詳 斎藤帰蝶、信長正室、道三の娘、母は小見の方、幼き頃は光秀に淡い恋心を抱いていた)・・・新垣結衣
お市(1547-1583 信長妹、浅井長政正室、淀君の母、お江の母、豊臣秀頼、徳川家光の祖母、長政没落後、柴田勝家に嫁ぐ)・・・北川景子
土田御前(没年1594 信長の母、信長の才能を実は見抜いていた、息子である織田信行の謀反を心配している)・・・水野美紀
織田信忠(1557-1582 信長の嫡子、幼名は奇妙丸、織田家家督を継ぐ、本能寺の変にて討ち死)・・・竹内涼真
生駒吉乃(1528-1566 いこまきつの、信長側室、信忠、信雄、徳姫の実母ということになっている、穏やかな性格で濃姫との関係も悪くない)・・・満島ひかり
織田信行(没年1558 信長弟、信長と家督を争い、謀殺される)・・・三浦春馬
織田長益(1547-1622 おだながます、織田有楽斎、信長弟、信秀の11男、茶人、東京都有楽町は彼に由来する)・・・坂東巳之助
柴田勝家(1522-1583 織田家重臣、通称権六、織田家家督に信行を推した過去を持つ)・・・市原隼人
木下藤吉郎(1537-1598 後の豊臣秀吉)・・・大泉洋
木下寧々(1548-1624 秀吉妻、のちの北政所)・・・夏帆
前田利家(1539-1599 織田家家臣、柴田勝家の与力武将、秀吉とも親しく、のち加賀前田100万石の当主となる)・・・山崎樹範
前田まつ(1547-1617 前田利家正室、芳春院、「加賀100万石は芳春院でもつ」と言われた)・・・瀧本美織
森蘭丸(1564-1582 信長小姓、信長より5万石を与えられた、本能寺にて討ち死)・・・加藤清史郎
夕顔(架空の人物)(信長、光秀に情報をもたらす女忍び)・・・栗山千明
丹羽長秀(1535-1585 織田家方面司令官の一人、秀吉政権で一時は120万石、その後減俸、子孫は二本松藩主となり、明治まで続く)・・・塚本高史
滝川一益(1525-1586 織田家方面司令官の一人、関東担当、秀吉と戦うも、のちお伽衆となる。子孫は江戸幕府で旗本)・・・甲本雅裕
佐久間信盛(1528-1582 織田家司令官の一人、本願寺担当、のち信長に追放される)・・・戸次重幸
池田恒興(1536-1584 織田家重臣、信長とは乳兄弟、子の輝政は初代姫路藩主)・・・窪田正孝

戦国武将・その他
武田信玄(1521-1573 52歳で死去、甲斐の戦国大名)・・・草刈正雄
山本勘助(半ば架空の人物、甲陽軍鑑や古資料にみられるが、完全なる確証はない、信玄の軍師として高名)・・・荒川良々
武田信虎(1494-1574 甲斐国主、息子の武田信玄によって今川に追放された。信玄より少し長く生きた)・・・角野卓三
上杉謙信(1530-1578 48歳で死去、越後の戦国大名)・・・井浦新
上杉景勝(1556-1623 67歳で死去、上杉藩初代藩主、越後→会津→米沢、関が原により120万石から30万石に減俸)・・・玉山鉄二
今川義元(1519-1560 41歳で死去、駿河の戦国大名、領地経営に優れていた、桶狭間の戦いで戦死)・・・滝藤賢一
北条氏康(1515-1571 56歳で死去 相模国の戦国大名、後北条氏三代目当主、謙信・信玄と互角に戦った)・・・鈴木浩介
北条氏政(1538-1590 52歳で死去 相模国の戦国大名 後北条氏四代目当主、東国の覇者 秀吉に最後まで抵抗する)・・・市川猿之助
浅井長政(1545-1573 28歳で死去、北近江の戦国大名、お市の最初の夫、のちに信長と対立、豊臣秀頼、徳川家光の祖父)・・・賀来賢人
朝倉義景(1533-1573 40歳で死去、あさくらよしかげ、越前の戦国大名、光秀は信長と謀り、越前の状況を探るべく、一時義景のもとに身を寄せていた)・・・中村七之助
六角承禎(1521-1598 77歳で死去、六角義賢、近江の戦国大名、信長上洛戦にて敗退、その後も信長と交戦、晩年は秀吉の保護を受ける)・・・要潤
本願寺顕如(1543-1592 一向一揆の総本山石山本願寺住職、浄土真宗本願寺派宗主、10年以上信長と激しい戦いを繰り広げる)・・・伊勢谷友介
三好長逸(1573年前後に死去か、みよしながやす、将軍義輝を暗殺した三好三人衆の一人、畿内で三好政権ともいわれる勢力をほこった。信長上洛で逃亡するが、その後も本願寺と連携、信長と戦う)・・・松田龍平
波多野秀治(没1579 八上城城主 光秀の丹波攻略時の敵将)・・・相島一之
荒木村重(1535-1586 信長家臣、信長より摂津一国の経営を任される。光秀の娘と村重の息子は婚姻関係にある。のち信長に謀反して失敗、しかし生き延びる)・・・六角精児
筒井順慶(1549-1584 大和国大名、のち信長に臣従、光秀の与力となる。妻は信長の娘である)・・・柄本佑
ルイスフロイス(1532-1597 ポルトガルの宣教師、足利義輝、織田信長の保護のもとで布教、著書「フロイス日本史」を残す)・・・ピーターフランクル(数学者にして大道芸人)
松永久秀(1508-1577 69歳で死去、畿内を実質的に治めていた三好家の重臣、やがて主君を上回る力をつけていく。信長以前に天下統一を夢みた梟雄。)・・・稲垣吾郎
足利義輝(1536-1565 29歳で死去、足利幕府13代将軍、三好三人衆によって御所で暗殺される、剣豪でもあり、多くの寄せ手を斬り殺した)・・・中村獅童
足利義昭(1537-1597 60歳で死去、足利幕府15代将軍、信長が将軍に擁立、のち信長と対立。信長包囲網の中心人物となる。晩年は秀吉の保護を受けた)・・・松坂桃李
雑賀孫一(史実不詳)(さいかまごいち、紀州雑賀衆の頭目、またの名を「尻くらえ孫一」、鉄砲隊によるゲリラ戦を駆使して信長の雑賀侵攻を退け、「信長、わが尻をくらえ」と言い放つ)・・・椎名桔平
近衛前久(1536-1612 関白、太政大臣、信長と親交があった)・・・田中哲司
徳川家康(1543-1616 73歳で死去、三河遠江の戦国大名)・・・野村萬斎
今井宗久(1520-1593 堺の豪商、会合衆、信長の経済戦略の要となった人物)・・・高橋一生

最後にお知らせ

言うまでもなく「予想キャスト」です。なんだか全員が「主役級」になってしまいました。カッコ内の解説は6割ぐらいが史実です。4割は「設定」ということです。縁戚関係については故意に嘘は書いていません。間違っていたら私が浅学であるせいです。そもそも戦国の人物については、資料の正確さに問題があり、縁戚関係についてすら確定的なことを言うことはほとんどできません。主人公の光秀の前半生を、もし誠実に書くとしたら、「ほとんどわからない」ということになると思います。なお、1540年ぐらいからを描くようです。そうなると武田信玄(晴信)ですらまだ19歳です。となると大御所役者ではなく若い俳優となるはずです。つまり全体に比較的若い俳優の起用ということになると予想しています。

史上最高の濃姫・濃姫を演じた女優・史実としての濃姫・そして帰蝶へ

2018年11月03日 | 麒麟がくる
濃姫を演じた女優さんを調べてみると

柴咲コウ・観月ありさ・内田有紀・斉藤由貴・有森也実・和久井映見・綾瀬はるか・菊川怜・中谷美紀・菊池桃子・麻生祐未・藤真利子・松坂慶子・川口春奈

このような女優さんの名が挙がってきます。全てを網羅はしていません。

「史上最高の濃姫」は「人それぞれの感性」ですから、客観的には決められませんが、主観的には「19歳の松坂慶子さんが演じた濃姫」です。作品は大河ドラマ「国盗り物語」。総集編は残っていてDVDで観ることができます。(同率首位がおりまして、それは柴咲コウさんと川口春奈さんです)

若き松坂慶子さんの濃姫は、単に外見的に美しいだけでなく、脚本のおかげで、「人としても美しい濃姫」なのです。むろん外見的にも圧倒的に美しい。今はやや「ぽっちゃり」ですが、当時は若いですからむろん痩せています。

菊池桃子さんの帰蝶は「なんか変」でした。和久井さんの濃姫は後述しますが、これはなかなかでした。藤真利子さんの濃姫もなかなかです。内田さんの濃姫は、ごく普通でした。

一方、「現時点における世間の評価で最高の濃姫」とは誰か。それは「信長協奏曲」の柴咲コウさんでしょう。織田信長俳優でも第一位は「信長協奏曲」の小栗旬さんです。小栗旬・柴咲コウの組み合わせが現時点における「最強」なのです。特に若い人にとっては濃姫は「濃姫ではなく帰蝶」であり、帰蝶とはつまり柴咲コウさんです。

私もこの柴咲コウさんの帰蝶は素晴らしいと思います。気が強く、一方で女性らしく、そして信長を「殿」でも「上様」でもなく「うつけ」と呼びます。お市の方を可愛がっていて「市」と実の妹のように呼びます。お市を市と妹扱いして呼び捨てにする帰蝶は初めて見ました。「信長協奏曲」は素敵な作品です。あんなのファンタジー史劇じゃないかと馬鹿にしてはいけないと思います。

ちなみに「信長協奏曲」では向井理さんが池田恒興を演じます。ドラマの中では「つねちゃん」です。たぶん比較的若い人の間では「恒ちゃん、池田恒興」は有名です。

さて帰蝶。または濃姫。

美濃の斎藤道三と正室小見の方の娘として1535年に誕生しました。やがて織田信長の正室となりますが、信長より年齢は1つ下です。まあ、ほぼ「同学年」です。

「いざとなれば信長を刺せ」と小刀を父から渡され、「あるいはこれは父上様を刺す刃になるかも知れませぬ」と応じる。これが名シーンでありましょう。

父の道三は「それでこそ、この道三の娘である」と笑い、濃姫を褒めます。

ドラマでは「だいたい本能寺で信長とともに死ぬ」と設定されます。だいたいです。ちなみに「信長協奏曲」ではかなり後年まで家康の保護を得て生き残ります。

大河「信長 KING OF ZIPANGU」ってのは「ちょっと変な作品」でした。濃姫は菊池桃子さんで、途中から「堺」へ行って別居してました。その後病気になります。「信長 KING OF ZIPANGU」は、平幹次郎さんを除いて「俳優の言葉遣いが全部同じ」で「俳優の個性を見事に殺して」いました。そのことがなければ、それなりに面白い作品なんですが。

史実としては「わからない」ようです。そもそも本名もよく分からない。「帰蝶」で定着してますが、「よくわからない」ようです。本能寺で死んだという確かな証拠もありません。その前に離縁していたとか、本能寺後も生存していたとか「諸説いろいろ」です。女性はよく分からない。ちなみに明智光秀の奥さんは妻木煕子となっていますが、これも本当は違います。よく分からないのです。

帰蝶が、もし本能寺で死んでいたなら、信長との関係がどうあれ一応正室ですから、秀吉が信長とともに派手に葬ったでしょう。でもそんな記録はありません。

小説・ドラマにするには「いい人材」です。史実がわからないから、自由自在に設定できます。家康の保護を得て、江戸時代まで生きていても、絶対ウソとは言えないのです。

さて、ドラマにもどります。

以下は加筆なんですが、今「麒麟がくる」では川口春奈さんが演じています。素晴らしい帰蝶です。系統としては柴咲コウさんの系統です。まだ数回しか登場していませんが、今後、どういう人物となっていくか。非常に楽しみです。

さらに加筆します。「非常に楽しみです」と書いたのが1月末なのでしょうか。今は6月で、麒麟がくるは一旦停止状態です。帰蝶はほとんど主役の地位にいます。帰蝶Pとか帰蝶先輩とか言われています。信長のフィクサーですね。妻の支えとかいうレベルではない。美濃の家督問題にまで手を回して、光秀と口論になったりしています。もはや帰蝶といえば川口春奈さんという状態になっています。ここまで凄い描き方をするとは予想もしませんでした。わたしはそもそも川口春奈さんが好きだったので、大満足です。帰蝶には史実はありません。自由に描くことができます。今後の描き方がますます楽しみです。

加筆終わり。

「国盗り物語」の濃姫は、信長とは非常に仲がいいわけです。「そちはここから落ちよ」と言う信長に対して「殿、わたしはここに残ります」と応じます。
それに対する信長の反応が、おもしろい。「止はせぬ、勝手に死ね」と信長は応じます。信長なりの愛情表現です。愛情表現が「勝手に死ね」、実におもしろいと思います。

これが30年以上たった「功名が辻」だと、同じ司馬さんの原作でも、まるで違います。演じたのは和久井映見さんです。

「そちはここから落ちよ」、ここまでは同じです。でも濃姫は戻ってきます。「なぜ戻ってきた」という信長に対し、濃姫はこう応じます。
「あの世でまみえようと仰せられても、殿は地獄、私は極楽。このままでは死に別れでございます」
そもそも濃姫は信長のやり方に大きな疑問をもっていたという設定です。簡単に言えば信長がもうさほど好きではないわけです。でも最期にこのセリフです。なかなか面白いと思います。

最後に映画「信長協奏曲」の帰蝶。元々ドラマの月9枠だったと思います。信長と帰蝶のラブストーリーですが、信長はほぼ教科書通りに行動するので、史実も描かれます。むろん史実じゃない部分もあります。

本能寺から逃げたサブロー信長(実は未来の高校生)、身代わりになって死ぬのは本当の信長(明智光秀として顔を隠して行動しており、役者は信長と同じ小栗旬)です。殺すのは、当時京都にいないはずの「復讐の鬼である秀吉、サル君」です。

サブロー信長は本能寺から逃げ、帰蝶柴咲コウと再会。帰蝶は「どこかに逃げて二人で暮らそう」と言いますが、サブロー信長は「明智光秀、ミッチー」として行動し、秀吉に殺され、そして未来に戻ります。

どうして「明智光秀として山崎の戦いにのぞむ必要があるのか」、ここがどうにも疑問です。映画を見ても解釈ができません。今度またちゃんと見て、考えてみたいと思います。

結論 現時点での最高の「帰蝶」は川口春奈さん、または柴咲コウさん。「濃姫」なら若き日の松坂慶子さん、、です。ご異論はありましょうが、個人的見解です。