昨日に引き続き、RO69に掲載されたモリッシーインタビュー。
今日の質問は、
「モリッシーにとっての苦悩とは? そしてモリッシーにとっての幸福とは何ですか?」
(あいかわらずのすごい質問…w)
<質問>
あなたとあなたの歌と、それを聴くファンの関係は、
他のアーティスのそれとは別物の、強固な絆と熱狂的な信頼が
築き上げられています。そんなあなたの聴き手たちというのは、
あなたの歌に、生きていくことの苦しさやどうしようもなさ、
もっと言ってしまえば、自分が自分であることの苦悩
をそこにみているのだと思います。
そこで訊きたいのですが、モリッシーは、モリッシーであることの苦悩を、
どういうものとして感じているのでしょうか。
それとは反対に、モリッシーがモリッシーであることの幸福とは、何ですか。
<回答>
ぼくは今まで作ってきた音楽のおかげで満足できているんだ。
それ以外には満足している理由なんてないよ。
ほかのソングライターだったら、『まず家族が大事で、妻がいて、
子供たちがいて、山羊がいて、クィーンズ・パーク・レンジャーズFCがいて…
…それと音楽かな』
というようなことを言うものなんだけど、
ぼくはそんな態度を取ったことは一度もないんだ。
ぼくと音楽の間に人間はいない。
ぼくがこれまで関わった関係というのは自分の音楽とのものでしかないし、
妻や夫などといったものはそうした献身を
間違いなく台無しにしてしまうようなものなんだ。
ぼくはいつだって人をよく知れば知るほど失望すると学んできたから、
今でもあえて自分の庭の外からは出ないようにしているんだ。
それで充分快適にやっていけるしね。
自分のことをフリークスだなんて感じることはまずもってないし。
むしろ、不幸せな状態でつがいを続けている人たちこそ
ぼくにはフリークスとしか思えないよ!」
…文中、名言が多すぎるので、太字にしてみました。
まず「自分の庭の外からは出ないようにしている」
は、モリッシーの大好きなオスカー・ワイルドの"The Selfish Giant”
(「わがままな大男」)のイメージ。読んでないひとは、短いから読んでみてね。
この庭で大男と遊ぶ、あの、神様の子になりたい!!
「ぼくと音楽の間に人間はいない」。
この言葉の原文が知りたい。
その原文ママを持って友達のお父さん(彫り師)にところに持って行って
かいなってぃーは腕に彫りたいくらい感激しました。。。
「主観AV」でさえ、映像とAV嬢の間には「カメラ」があります!←ちがうか!
しかし、モリッシーと音楽の間には何もない。ていうかモリッシーの音楽こそ、モリッシー。
「存在の耐えられないモリッシー」!!
だからわたしたちは「モリッシー、あんたじゃなきゃ駄目なんだ」(2度目)なんだ。
で、自分の音楽に対する献身を台無しにする妻や夫といった存在に対する問題。
モリッシーは"Years of Refusal”のインタビューの時こう言っています。
「経験から学んだことは、大人になるというのは苦い体験をし、
自分は孤独、たったひとりで死ぬ…ということに気がつくことだ」
死や孤独、様々な問題に対して「執行猶予」など必要ない、
今受け容れ、今さいなまれ、なんの気休めも傷のなめ合いも意味がない
ことをモリッシーは約30年言い続けている。
モリッシーがモリッシーであることは人並みのいわゆる幸福でもなければ不幸でもない、
圧倒的な「事実」なのです!!
で、「妻や夫などといったものはそうした献身を間違いなく台無しにしてしまう」で
思い出したのは、かいなってぃーけっこう好きなこのひとのこと。
江頭2:50。
江頭2:50は彼女を作らない。自分の彼女というだけでかわいそうだし、
その気づかいから、
「世間から笑われて日本の様々な悲しみを癒すという
芸風が変わってしまうかもしれない」から。
生きながら、「孤独」と心中しているもうひとりの漢、えがッシー!!
えがッシーとモリッシーふたりは共通点もある。少し。
★とりあえず、脱ぐ
★腰をくねくね踊り
★威嚇。
ウホウホウホ!!
★転がる
★金色のお召し物
★変顔
でも、元祖えがッシーはこちらかしら??てかどっちが元祖だかwww
最後は、レディオヘッドの"Lotus Flower"で、トム・ヨーク顔負けのくねくねッシー、
かっこよすぎるえがッシーをお楽しみください★
このエガちゃんとのシンクロの回だけ何故か読んでなかったことに今気付きました!こんなオモろいのを読んでなかったなんて!!とかなりの時間差で記事にコメント残してすいません^^;
カイナさんのセンスと英語の原文解釈ほんとにありがたいです~これからも楽しみにしてます♪♪